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旧友
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薄暗いその場所に辿り着いて、武は深い溜息を吐いた。ここは御園生ホールディングスがある、御園生総合ビルディングの一階の奥まった一角にある自販機コーナーだ。余りにも奥にある為に人がいるのはほとんどない。だから一人になりたい時の武の逃げ込み場所になっていた。
設えられた椅子に座った。9月に入って成瀬 雫なるせしずくが1ヶ月の休暇を取り、清方と行き先も告げずに旅行に出た。緊急時の連絡先は貴之だけが聞いていると言う。清方の治療の為の旅行。わかっているからこそ誰もが止めなかった。
それから半月。取り立てて異常のない静かな日常が続いていた。6、7、8月と3ヶ月続けて発作を起こした。最近は|頻度《ひんど』が上がっている気がして、武を大いに悩ませていた。
発作を起こせば夕麿が苦しむ。皆を心配させ数々の迷惑をかける。それを心苦しく思っていた。
なのに……今感じる倦怠感と末端の痺れ、微熱があるらしい感覚。これは発作の予兆だとわかる。発作を起こしたあとはわからなくても、寸前までの記憶も感覚も存在する。だからわかるのだ。
また、今月も起こしてしまうのか?
仕事が出来なくなる。影暁が加わったとはいえ、やっぱり夕麿へ負担をかけてしまうのは嫌だった。何か止める方法はないのか。何人もの専門医を受診して何十種類もの薬を飲んだが、発作を止めるどころか緩和すら不可能だった。今はストレスを緩和する漢方薬が処方されている。会社では顆粒状のを服用し、家では煎じたものを飲んではいる。効果があるかどうかは不明だ。気休めかもしれない。
こうやって一人で思い悩むのすら今の武には難しい。誰かが必ず気付いてしまう。そうすれば夕麿がまた心配する。
ここは間違いなく夕麿たちが知らない場所。だから逃げ込める。一人になれる。
武は両手を差し出して拳を握り締めようとした。だが指が思うようには動いてくれない。発作は皆の気持ちを無視して、自分が身勝手な選択をした代償。自業自得なのだとは思う。
でも周囲を巻き込んでしまうのはやっぱり辛いのだ。
夕麿との日常生活が穏やかで幸せだからこそ、発作で彼を苦しめてしまうのは悲しい。出口のない想いに武はただ苦しみ続けていた。
大橋 了介は、御園生に就職して半年で北の島へ赴任した。今月の始め功績が認められて本社に戻ったばかりだった。
御園生総合ビルディングは上層階をホールディングスが占め、その下に各部門の統括部署がある。了介はそこの建築部門に所属していた。
国立大を卒業してすぐに入社。厳しいながらも福利厚生などがしっかりとし、新しい人材育成にも力を入れる優秀企業。系列企業に入社するだけでも難関であるのを、総合統括する御園生ホールディングスの一部に就職出来たのは奇跡だった。
御園生は新入社員の採用数はかなりの人数が記載されている。だが一般募集は少数しかしておらず、それも一定のレベルに達しないと採用しないというのだ。一度、UCLAを卒業した応募者と話をした事があった。彼は御園生の御曹司たちとUCLAで一緒だったと言う。彼らは皆、当主の養子で揃いも揃って貴公子だと言う。彼はその時のコネが利いたのか、系列企業へ就職したらしい。
ホールディングス本社勤務の条件に最低3ヶ国以上の語学力があった。了介は商社マンだった父の転勤で、スイスに中学生になるまで住んでいた。お蔭で英・独・伊の言語が、日本語とほぼ同じくらいに話せる。これが功を奏したらしい。それでも北の島でみっちりと現場体験させられて来た。
了介は建築部門のリフォーム・マーケティングに配属された。新しい入れ物を建てるのではなく、古い建物をリフォームしてより良いものにする。面白い試みであると感じていた。だが外回りが多い。
今日も残暑の中をやっと本社ビルに辿り着いたところだった。ひんやりとしたエントランスホールを横切って、人気の少ない奥の休息ブースへ足を向けた。誰も利用しないその場所が、新参者の了介には憩いの場所だった。10分程の水分補給をしてから自分の部署へ帰る。長時間でない限り、外から帰って来た社員の休息は許されていた。
ポケットから小銭入れを出しながら足を踏み入れると珍しく先客がいた。自販機の光に照らされたその姿は、どころか具合が悪いように見えた。
「おい、大丈夫か?」
了介が声をかけると座っていた人物がゆっくりと顔を上げた。その顔はどこかで見た事があった。
かけられた言葉に顔を上げると、同年代らしい男が立っていた。薄暗いといっても互いの判別がつかないような暗さではない。このビルディングで勤務する者ならば当然、武の顔を見知っている筈だ。上の誰かに連絡されると逃げ込む場所がなくなってしまう。武は狼狽した。
「あ、驚かせた?えっと…間違ってたらごめん。葛岡…だろ、お前?」
よもや今更、こんな場所で忘れてしまっていた姓で、自分を呼ぶ人間がいると思わなかった。
「俺をそう呼ぶって事は、中学辺りで一緒だった?」
紫霄で過ごした3年間が、それ以前の記憶を朧気にしていた。
「覚えてもらってないか…そうだろうなあ。俺はあの頃、出来るだけ目立たないようにしてたから。帰国子女ってさ、イジメの対象になりやすかったから」
ああなる程と武は思った。イジメを仕掛けて来た人間や逆に庇ってくれた人間は、なんとなく記憶している。だがどちらにも属さない、ただ見ているだけ、知らない顔をする人間は武には存在しないものだった。
彼はそういう一人だったのだ。覚えている筈がない。
「ここを知ってるって事は社員なんだよね?部署はどこ?名前は?」
「俺?」
彼は少し首を傾げるとネクタイを緩めながら答えた。
「名前は大橋 了介。所属部署は建築部門。リフォーム・マーケティング課にいる。
葛岡は?」
その問い掛けに武は黙って上を指差した。それは上層階を占める御園生ホールディングスの中核部を意味する。
「ええ!?上!?それってエリートって事だろう?どうやって入社した!」
詰め寄られて絶句した。本当に武の事を知らないらしい。
「えっと…大橋はいつから働いてるの?」
「就職したのは大学卒業してからだけど、ずっと北の島にいた。今月初めに戻って来たばっかりだ。
それがどうかしたか?」
「いや、ここで今まで会った事がないから」
半月足らずならば武の顔を知らなくて普通だろう。
「なあ、上でどこに参加してる?」
ホールディングスの中核部はチーム編成で仕事をしている。武や夕麿もチームを編成しているのだ。
「俺は…」
その時、武の携帯がなった。発信者を見ると通宗からだ。
「もしもし」
〔武さま、どちらにいらっしゃいます?〕
「え…あ、下にいる」
〔そろそろお戻りになってくださいませ。夕麿さまがお戻りになられます〕
「わかった、すぐ戻る」
ここは夕麿も知らない場所だ。出来れば知られたくない。
「ごめん、また今度な」
武はそう言って急ぎ足でそこから出た。
「あ、おい!
……行っちまった」
了介は自分の事を訊くだけ聞いて、行ってしまった武に舌打ちした。彼は了介の質問にはまともに応えなかった。
了介が再び武と会ったのは次の日の午後だった。武はまた力なく椅子に座っていた。
「なあ、お前、どこか悪いんじゃないのか?」
自販機で飲み物を買うわけでもなく座っているだけ。顔色は薄暗さや自販機の明かりの色を考慮しても、蒼白く精気がない。
「ちょっと持病があってさ…」
昨日より覇気がないように感じた。
「何か飲むか?」
「あ…じゃあ、紙パックのオレンジを」
武はそう言って小銭入れを差し出そうとした。
「あっ」
まるで零れ落ちるように彼の小銭入れは床へ音を立てて落ちた。
「本当に大丈夫か?」
「ちょっと指に影響が出てるだけだから」
俯いて呟く姿が痛々しく見えた。
「君の分もそれで買って」
「良いのか?」
「飲み物の代金くらい大した額じゃない」
苦笑する顔に肩を竦めて、了介はまず武の飲み物を買った。
「ほら…自分で開けられるか?」
そう問うと彼は首を振った。ストローを外し、口を付ける側の包装セロファンを押さえ、下半分を抜き取る。それをパックに突き刺し、押さえていた方を外して差し出した。
「ありがとう、ごめんな」
向けられた笑顔にドキリと胸が動いた。中学時代から整った顔をしていたが、今の彼は艶やかで色気が漂っている。
今まで同性をそんな目で見た事はない。了介はストレートだ。今は付き合っている相手がいない。きっと欲求不満が募って、綺麗だと言うだけでときめいてしまったのだろう。自分にそう言い聞かせた。
ふと見るとパックを持っている左手の薬指に指輪が光っていた。
「あれ…?それ、結婚指輪か?」
「ああ」
年齢的には結婚していてもおかしくはない。だがどことなく幼い印象を受ける武が、既に家庭を持っているというのは少し違和感があった。人それぞれだと思うが、何だかそんな所まで負けている気がした。
「サンキュ!」
缶コーヒーを買って小銭入れを返した。
「そういえばお前、中学の時から身体弱かったよな?
会社勤めは大丈夫なのか?」
「今でも時々寝込む。俺、週に4日しか出社してないから」
「はあ?マジ?」
一社員だと武を彼が思っているなら、優遇以外のなにものでもなく思うだろう。
「それでも勤まるものなのか?」
「あはは…」
乾いた笑いで誤魔化す自分でも現在の立場でなかったら、きっと会社員なんて出来なかっただろう。そう思うと今の自分がどれだけ恵まれているのかがわかってしまう。しかも夕麿や他の皆に迷惑ばかりかけ心配ばかりさせている。
けれど御園生を相続する事が、武が外にいられる条件としてあるのだ。だから逃げ出す事は許されない。本当に御園生の血を受け継いでいる希が35歳になるまでは、夕麿と二人で支えて行く想いも決意も変わってはいない。いないからこそ、発作が頻発するのが辛いのだ。
ふと手元の時計を見て武は立ち上がった。
「もう…戻らないと…」
夕麿が探しに来る。武の為に用意されている部屋にいないのが、わかってしまったら探しに来る。
「大変だな上にいるのも」
揶揄された言葉に返事をしないで武は歩き出した………と、足元が乱れた。バランスを崩して自販機にぶつかり床に倒れてしまった。
「おい!大丈夫か!?」
了介が駆け寄って来て起き上がるのに手を貸してくれた。
「ごめん…ありがとう」
ヨロヨロとまた歩き出す。だがすぐにバランスを崩して、自販機に掴まって身体を支えた。だが指が支え切れない。ズルズルと床に座り込んでしまう。
「おい、本当に大丈夫か?」
再び手を借りて立ち上がった。奥歯を噛み締めるようにして、そのスペースから外へと出た。
早く戻らなければ…… 気ばかりが焦る。懸命に足を踏ん張って、泥濘を歩いているかのように一歩一歩、用心深く前に進んだ。気を抜けば転んでしまう。
携帯がなった。取り出すと夕麿の名前が浮かんでいた。
「はい」
〔武、今どこです?〕
「下にいるよ…今から、戻る」
〔今、エレベーターの中にいます。そこで待っていてください、良いですね?〕
「……わかった」
休息用の部屋にいない事はバレてしまった。
武はエレベーターホールで待った。正直、立っているのは苦痛だったが、誰が見ているからわからない。不様な有り様はこれ以上は嫌だ。
最上階、武と夕麿のチームの執務室はそこにある。上がるには専用エレベーターを使う。セキュリティーカードがないと、エレベーターに踏み入れた時点で警報がなる。
危なっかしい足取りで出て行った武が気になり了介は後を追いかけた。見付けた彼はエレベーターホールの手前で、立ち止まり携帯を取った。誰かが上から降りて来るらしい。すると彼が立ち止まったのは、最上階にノンストップて直結しているエレベーターの前だった。
「最上階?あいつ……御曹司のチームにいるのか?」
囁くように呟いて観葉植物に隠れた。程なくしてエレベーターのドアが開いた。中から降りて来た人物にはさすがに見覚えがあった。
御曹司の一人で現在、実質的に御園生を動かしていると言われている人間。御園生 夕麿。摂関貴族の家の出の身分の高い子息だったと噂好きな経理課のOLに聞いた。最初彼は地下の社員食堂の券売機で、食券を買えない状態だったと聞く。10ヶ国以上の言語が使え、ピアニストとしても十分成り立つ技量を持つと。
もうひとつ聞いた事がある。彼は極度の女嫌いで身近に寄らせるのは、御園生夫人の小夜子と乳母だけだとも言う。彼は同性愛者で同性の伴侶がいると言うのだ。その相手は総帥有人の隠し子と噂されていて、彼も最上階のチームの中心だ。
「確か…彼奴は私生児だったよな?あいつが御曹司?あはは、まさかな。そんな上手い話はないよな?」
心を過ぎった考えを慌てて首を振って否定する。もし彼が御曹司ならば何で、人がめったにいないあんな自販機コーナーにいる?
彼が非常に頭が良かったのを記憶している。どこかの全寮制の学校へ進学したらしいのも、風の噂に流れては来ていた。
夕麿が武の首に触れて顔色を変えたのがわかった。彼は携帯でどこかへ連絡を入れていた。武が体調を崩しているのにどうやら彼も気付いたらしい。通話を終えて、武を見下ろして何かを言う夕麿に、彼は首を振って抗っていた。
出て行って止めるべきだろうか?いや、しかし御曹司の不興を買っては、せっかくここへ戻って来たのにまた、どこやらへ飛ばされるかもしれない。前回は北の島だった。だが御園生の系列企業は海外にも数多くあるのだ。それを考えると背中が冷たくなった。
「武、お願いですから、具合が悪い時にはすぐに言ってください」
「嫌だ…俺は、仕事をする」
「武…」
「お前や皆に負担をかけたくない」
「その気持ちはわかります。わかるからこそ、体調に変化が出たら教えて欲しいのです」
「早く言ったって、どうにかなるものじゃないだろ!」
どうせ症状が出始めたら100%発作を起こすのだ。
「武!私が言っているのは、そんな意味ではありません。あなたが発作の予測が自分でつくと言うならば、誰かに急な負担をかけないように、仕事を前以て振り分けておけます。影暁さんが身内になられたので余裕も出ています。私も今までより身動きが出来るのです」
武の肩に手を置いて、夕麿は覗き込むように見ていた。
「あなたの発作は仕事上で、計算内として考慮出来ます。ただそれにはある程度、予測が可能である方が予定を組やすいのです。
しかしあなたは出来る限り、ご自分の身体の不調を口にはしてくださらない。私たちが気付いた時には発作間近な時ばかりです。従って、相良君や雅久は急な予定変更に大変な苦労をしているのです」
それは今まで考えた事がない話だった。武は今まで発作や発熱で皆に、迷惑をかけている事ばかりを気にしていた。
「武、あなたのカバーは前以ってわかればわかる程、スケジュールに穴を空けないで行えるのです。
迷惑をかけたくない。
そう思うのでしたら、企業人としての立場から考えてください」
返す言葉がなかった。夕麿も他の皆もそこまで計算に入れていると言うのか。
「発作も丈夫でない事も、私は欠点だとは考えてはいません。それはあなたの持っている、あらゆる条件のひとつでしかないのです。私はあなたの伴侶としてはあなたの病気を心配します。けれど企業経営者としては、あなたをトップとして支える為のベストな方法を選択します」
夕麿の言葉に武は自分が、仕事と私事を分けて考えていない事に気付いた。こんなところもまだ自分は子供のままだと自覚してしまう。
「ごめんなさい…俺…」
俯いた武を抱き寄せながら、夕麿はエレベーターへ乗った。
「あなたを責めているわけではありません。私たちを心配してくださっているのもわかっているのです」
動き出したエレベーターの中で、武は夕麿にしっかりと抱き締められた。
次の日は武に会わなかった。水曜日だった。武が週に4日しか出社しないなら、水曜日は休みなのだろう。それともあのまま具合が悪化して、病欠しているのだろうか?
何故か武の事が気になった。中学時代と変わらないほっそりとした身体で、雰囲気も余り変わっていないように感じた。
いや…そうじゃない。年齢の割にどことなく幼い感じは同じだった。しかしそこはかとなく色気があって綺麗だったのだ。
昨夜、自分で欲情を解消しようとして思い浮かべたのは、観ているAVの女優ではなく武の姿や笑顔だった。
性差別や嗜好で人を区別しない企業。御園生のそんな在り方に、自分も染まってしまったのか?
だが武は指輪をしていた。結婚指輪かと訊いたら、少し含羞んで頷いた。きっと彼が御曹司のチームにいるのは、結婚相手の縁者がそこにいるからに違いない。
了介はそう答えをだして苦笑した。
武は確かに小柄で綺麗だが時々見せる言動は確かに男だった。中学時代の彼を思い出して、了介は一人で納得する。
「だよな。幾ら御曹司がそっちの人間だからって、チーム全員がそうなわけないよな」
呟きながらエレベーター・ホールに行くと、ちょうど最上階から専用のものが降りて来た。ドアが開いて降りて来たのは昨日見掛けた夕麿だ。続いて降りて来た人物を見て了介は息を呑んだ。彼があの絵のモデル本人だとわかったからだ。了介が出会ったどんな女性よりも、彼は美しく淑やかだった。
「夕麿さま、御時間に余裕がございます」
「余裕?それはどれくらいですか?」
「30分くらいは大丈夫かと」
「では少し寄りたい所があります」
二人は頭を下げた了介の前を、そんな会話を交わして通り過ぎた。
「あれが御曹司の相手か?あれなら同性でも迷うのが、わかる気がする」
そう了介は自分が踏み入れたくない世界を否定する余り、勝手な解釈をしてそれで満足してしまったのである。
人間に最も近いチンパンジーにも、同性間の性的行為が存在するのが報告されている。自覚しないだけで人間は本来、バイセクシャルな生物なのだ。社会的に否定されてしまっている為、生涯気付かずにいるに過ぎない。
むろん、了介もそんな事は知らなかった。
気が付けば了介は、自販機コーナーで武に会うのが楽しみになっていた。
上層階のお偉方はこんな場所を知らないだろう。了介にすれば似たような年齢で、雲泥の差の彼らの知らない事だというのが楽しい。彼らと仕事をしなければならなくなった武とここで会って会話を交わす。何となく溜飲が下がった気分を味わっていた。彼はそれが自分の勝手な解釈だと疑ってもみなかった。
いつも通り外回りから帰社。水分補給に足取りも軽く、了介は自販機コーナーを目指した。薄暗い場所にいつものように武は座っていた。相変わらず自販機の飲み物も買わず、ただぼんやりと座っているだけだった。
「よお!」
声を掛けたが返事がない。武は僅わずかに身動ぎしただけだった。
「具合が悪いのか、葛岡?」
慌てて駆け寄る了介の目の前で、武の身体が椅子から落ちた。
「うわっ、おい!?」
身体を揺すったが反応がない。兎に角という思いで、抱き起こして長椅子に横たえた。
不意に携帯のらしい着信音が響いた。聴いた事のないメロディーだった。了介は武の上着を探って、鳴り続けている携帯に出た。
〔武、今どこです?〕
幾分怒りが含まれた声に、了介は武の携帯を持ったまま飛び上がりそうになった。
「あ、あの…早くいらしてください。その、倒れてて…呼んでも揺すっても反応しません…」
〔…そこはどこです?〕
「一階の奥…非常階段のドアの所にある、自販機コーナーです」
〔私はそこを知りません。すぐに降りて行きますから、わかりやすい場所まで出ていてもらえますか?〕
「わかりました」
通話が切れた。武のネクタイを緩めて首元を開いた。
「!?」
薄暗がりの中でも真っ白な肌に、明らかに口付けの跡と思えるものが見えた。驚いてもう少しボタンを外すと、そこには花びらを散らしたように無数にあった。
見てはいけないものを見た。了介は慌ててボタンを止め直して、自分の上着を脱いで武に掛けた。
次いで急いでエレベーター・ホールへ駆け付けた。ちょうど最上階からエレベーターが降りて来た。蒼褪めた顔で夕麿が降りて来た。
「武の携帯に出たのはあなたですか?」
「はい」
「案内してください。相良君、貴之が車を回してくれるので、お願い出来ますか」
「はい、お任せください」
武が休息時間にどこかへ行ってしまうのは、一人っきりになりたいのだろうと、心配ながらも黙って目を瞑っていた。噂などになっていないのから判断して、余り人が来ない場所を見付けたらしいと判断していた。
一人っきりになりたい。武の望みを叶えてそっとしておきたい。だが同時に一人っきりの時に発作が起こった場合、夕麿たちにはわからないのが心配だった。適当に時間の経過を待ち携帯をコールする。夕麿がいる時は自分で。不在の時には通宗か雅久が、戻って来てくれるように言う形で、武の状態を確認していたのだ。そして懸念がとうとう本物になってしまった。
長椅子に横たわった姿を見て、夕麿は自分を抑えるのに苦労した。
ここは職場。如何に自分たちの事を社員が知っていても、見苦しい真似は出来ない。経営者としての立場があった。
跪いてそっと頬に触れた。発熱していた。抱き起こして声て名前を呼ぶとゆっくりと目を開いた。
「武、もう大丈夫ですよ。家に帰りましょう」
そう囁くと武は夕麿の顔を見上げて頷いた。
「夕麿…」
微かだが声を発した。
「武?」
「これ…発作…?」
意識がはっきりしている?今まで見て来た発作とは異なる。夕麿は携帯を取り出して、周の番号をコールした。
「周さん、武の意識ははっきりしています。声も出ます」
電話の向こうで落ち着けと声がする。周は御園生邸に向かっていると言う。
「夕麿さま、お車参りました!」
遠く通宗の声がする。
「上着をありがとう」
夕麿はそう言って了介に上着を返した。
「あなたが見付けてくれたので、大事に至りませんでした。感謝します」
心から感謝していた夕麿の気持ちが一変したのは武が発した一言だった。
「大橋…ごめんな…ありがとう…」
了介が武を発見したのは偶然ではなかった。その事実に夕麿は蒼褪めた。
「いや、ここのところ具合が悪そうだったから」
武は一人っきりになる為に、ここへ来ていたのではなかったのか?
武を疑う訳ではない。武を運びながら夕麿は考えを巡らせた。
「相良君、彼の名前と所属を訊いておいてください」
「わかりました」
今はともかく武を連れ帰らなければならない。夕麿はそれだけに集中した。
「お前…何かやったのか?」
週明け出社した了介は、早々に上司のデスクに呼ばれて言われた。
「はあ?いきなり何ですか、課長?」
話が全く見えなかった。
「それはこっちが訊きたいよ。御曹司がお呼びだ。このセキュリティーカードを持って、最上階に直ちに行きたまえ」
渡されたカードを受け取りながら、了介は先週の木曜日の事を思い出した。多分、呼び出しの理由はそこにある。
一階からの直通のものとは別に、各階から最上階までの普段社員が使用しているのが二機ある。双方共に最上階へ行くには、セキュリティーカードが必要なのだ。了介はエレベーターに乗り、カードをリーダーに通した。ドアが閉まり自動的に上昇していく。程なくエレベーターは停止し、ドアが開いた。
「大橋 了介さんですね?夕麿さまがお待ちになられています」
20歳前と思われる少年が待っていた。案内された部屋はどうやら、接客用の応接室らしく二人の男がいた。
「どうそ」
示されたソファに座った。
「朔耶、夕麿を」
「はい」
彼は隣室へ届くドアを叩いて開けた。
「夕麿さま、来られました」
すぐに彼は姿を現した。
夕麿が席に着くまで誰も座らない。了介も一応社会人として、彼を立って迎えた。
彼が席に着き、全員が着席した。次いで雅久が茶を配った。
「改めて武の事を知らせてくださってありがとうございます」
夕麿が頭を下げると全員が頭を下げた。
「彼の中学の同級生なのですね?」
「あ、はい。その、お訊きになられたのですか?」
「いいえ、彼は帰宅後から声を発せなくなりましたので会話は出来ません」
「では…」
「申し訳ありませんが、あなたの身元確認をいたしました」
答えたのはずっと黙っていた男だった。
「俺の事を…!? 一体、何の権利があって!」
武と中学の同級生だと知っているという事は、社内の調査ではないという事だった。数日で自分の経歴や身辺調査をしたとでも言うのか?
「こ、個人情報を…プライバシーの侵害ですよ!?」
「一般人が行えばな」
そう言って男が提示したのは、まぎれもない警察手帳だった。
「警察!?」
何故、警察が一企業の御曹司の為に動くのだ?しかも彼はどうみても夕麿に従っているように見えた。
「順を追って説明する。ただし、口外は絶対にしないと約束して欲しい。夕麿さまと武さまのお生命に関わる」
彼が驚いているのを横目に見ながら貴之は言葉を続けた。
「夕麿さまは皇家の血脈を受け継がれる方だ。わけあって御園生家に養子入りになられたが、それを快く思わない人々がいる。それで学生時代より繰り返し、お生命を狙われていらっしゃる。当然、ご伴侶である武さまも巻き込まれてしまわれている。
俺はそういった事情を踏まえて、警護の為に専任された部署にいる。従って、武さまの身辺警護の為に、君の身元確認をさせてもらった」
感情を混ざらせない淡々とした口調だった。
武の為に夕麿が身代わりになった。狙われているのは自分で、武は巻き込まれているのだと。夕麿自身が標的にされる可能性はまだまだ存在している。従って強ち嘘ではないのだ。
「今回、武は持病の発作を常とは違う状態で起こしました」
武は帰宅後、失声はしたが意識はしっかりしていた。代わりにいつもより四肢の麻痺が強い。この違いはどこから来たのか。
周と義勝、それにネットを介しての清方との意見交換の結果、大橋 了介が武を単なる同級生として見ている事が原因ではないか…という判断が出された。武が御園生の子息であるというのは隠せないであろう。夕麿との結び付きも社内では当たり前で通っている。
そこで武の身分は明かせないのを利用して、彼に変わらない友人でいてもらう。そんな決定が出された。
ただし夕麿はすこぶる不機嫌だった。武が了介の存在を黙っていたからだ。嫉妬を隠さない彼を全員が宥めすかして、今日のこの場への運びになったのだ。
「武は高校進学前に義母がご結婚されたので、それまでの友人知人とは完全に疎遠になっています。違う環境の中でかなり苦労をして来たのです。私たちにはわかってあげられない事があります。それ故に彼はストレスを溜めてしまいます」
その事実は夕麿には悲しく辛い事だった。結婚から10年の歳月を過ぎてもどうしても越える事も埋める事も出来ないでいるのを、互いに認めるからこそ手を取り合って生きて行けるのだ。だがこうして突き付けられた事実は、夕麿には痛かった。
「彼と変わらず友だちでいてもらえませんか?」
「それは別に構わないけど…」
「ありがとうございます。その代わり何か社内での希望があれば、遠慮なく言ってください」
「そういうのが、ダメなんじゃないんですか?」
了介は夕麿の言葉にそう答えた。
「あんたにはそれが普通なんだろうけど、友だち付き合いに代償はいらない。
それぐらい知ってるでしょう?」
了介は腹が立った。
「夕麿さまに無礼な!」
「貴之、やめなさい。彼の言う通りです。礼を欠いた事を言ったのは私の方です。お詫びをいたします」
素直に謝罪を口にした夕麿に、了介は飛び上がりそうだった。
「あ、いえ…わかっていただければ良いんです。俺、葛岡…あ、今は御園生なんですよね?」
「ええ、御園生 武です」
「彼と友だちでいる事に不満はありません。やめる理由もないです」
友人関係は誰かに命令されたり、依頼されたりするものではない。
「ありがとうございます」
それでも頭を下げた夕麿を見て、了介は彼の武への深い愛情を感じた。同性愛者への嫌悪感も違和感もなかった。
次いで夕麿が立ち上がった。
「雅久、後をお願いします」
「お任せくださいませ」
「武の主治医が少し、あなたと話がしたいと言ってます。私は帰らなければなりませんが、もう少しお願いいたします」
夕麿はそう言って立ち去った。雅久もそれに続いた。次いで朔耶も出て行ったが、出る間際に振り返って主治医だと紹介された人物を睨んだように見えた。
「…ったく…」
げんなりした様子の彼を見て貴之が吹き出した。
「ちゃんと話しておかれないからですよ、周さま」
「お前とは2ヶ月だけだろ~」
「そうは割り切れないみたいですよ?」
「はあ?お前、御厨に妬かれたのか?」
「周さまとの事ではありませんが」
了介は二人の会話に目を丸くした。1週間前、武と再会した時にはよもや、こんな世界に自分が首を突っ込むとは予想だにしなかったのだ。
設えられた椅子に座った。9月に入って成瀬 雫なるせしずくが1ヶ月の休暇を取り、清方と行き先も告げずに旅行に出た。緊急時の連絡先は貴之だけが聞いていると言う。清方の治療の為の旅行。わかっているからこそ誰もが止めなかった。
それから半月。取り立てて異常のない静かな日常が続いていた。6、7、8月と3ヶ月続けて発作を起こした。最近は|頻度《ひんど』が上がっている気がして、武を大いに悩ませていた。
発作を起こせば夕麿が苦しむ。皆を心配させ数々の迷惑をかける。それを心苦しく思っていた。
なのに……今感じる倦怠感と末端の痺れ、微熱があるらしい感覚。これは発作の予兆だとわかる。発作を起こしたあとはわからなくても、寸前までの記憶も感覚も存在する。だからわかるのだ。
また、今月も起こしてしまうのか?
仕事が出来なくなる。影暁が加わったとはいえ、やっぱり夕麿へ負担をかけてしまうのは嫌だった。何か止める方法はないのか。何人もの専門医を受診して何十種類もの薬を飲んだが、発作を止めるどころか緩和すら不可能だった。今はストレスを緩和する漢方薬が処方されている。会社では顆粒状のを服用し、家では煎じたものを飲んではいる。効果があるかどうかは不明だ。気休めかもしれない。
こうやって一人で思い悩むのすら今の武には難しい。誰かが必ず気付いてしまう。そうすれば夕麿がまた心配する。
ここは間違いなく夕麿たちが知らない場所。だから逃げ込める。一人になれる。
武は両手を差し出して拳を握り締めようとした。だが指が思うようには動いてくれない。発作は皆の気持ちを無視して、自分が身勝手な選択をした代償。自業自得なのだとは思う。
でも周囲を巻き込んでしまうのはやっぱり辛いのだ。
夕麿との日常生活が穏やかで幸せだからこそ、発作で彼を苦しめてしまうのは悲しい。出口のない想いに武はただ苦しみ続けていた。
大橋 了介は、御園生に就職して半年で北の島へ赴任した。今月の始め功績が認められて本社に戻ったばかりだった。
御園生総合ビルディングは上層階をホールディングスが占め、その下に各部門の統括部署がある。了介はそこの建築部門に所属していた。
国立大を卒業してすぐに入社。厳しいながらも福利厚生などがしっかりとし、新しい人材育成にも力を入れる優秀企業。系列企業に入社するだけでも難関であるのを、総合統括する御園生ホールディングスの一部に就職出来たのは奇跡だった。
御園生は新入社員の採用数はかなりの人数が記載されている。だが一般募集は少数しかしておらず、それも一定のレベルに達しないと採用しないというのだ。一度、UCLAを卒業した応募者と話をした事があった。彼は御園生の御曹司たちとUCLAで一緒だったと言う。彼らは皆、当主の養子で揃いも揃って貴公子だと言う。彼はその時のコネが利いたのか、系列企業へ就職したらしい。
ホールディングス本社勤務の条件に最低3ヶ国以上の語学力があった。了介は商社マンだった父の転勤で、スイスに中学生になるまで住んでいた。お蔭で英・独・伊の言語が、日本語とほぼ同じくらいに話せる。これが功を奏したらしい。それでも北の島でみっちりと現場体験させられて来た。
了介は建築部門のリフォーム・マーケティングに配属された。新しい入れ物を建てるのではなく、古い建物をリフォームしてより良いものにする。面白い試みであると感じていた。だが外回りが多い。
今日も残暑の中をやっと本社ビルに辿り着いたところだった。ひんやりとしたエントランスホールを横切って、人気の少ない奥の休息ブースへ足を向けた。誰も利用しないその場所が、新参者の了介には憩いの場所だった。10分程の水分補給をしてから自分の部署へ帰る。長時間でない限り、外から帰って来た社員の休息は許されていた。
ポケットから小銭入れを出しながら足を踏み入れると珍しく先客がいた。自販機の光に照らされたその姿は、どころか具合が悪いように見えた。
「おい、大丈夫か?」
了介が声をかけると座っていた人物がゆっくりと顔を上げた。その顔はどこかで見た事があった。
かけられた言葉に顔を上げると、同年代らしい男が立っていた。薄暗いといっても互いの判別がつかないような暗さではない。このビルディングで勤務する者ならば当然、武の顔を見知っている筈だ。上の誰かに連絡されると逃げ込む場所がなくなってしまう。武は狼狽した。
「あ、驚かせた?えっと…間違ってたらごめん。葛岡…だろ、お前?」
よもや今更、こんな場所で忘れてしまっていた姓で、自分を呼ぶ人間がいると思わなかった。
「俺をそう呼ぶって事は、中学辺りで一緒だった?」
紫霄で過ごした3年間が、それ以前の記憶を朧気にしていた。
「覚えてもらってないか…そうだろうなあ。俺はあの頃、出来るだけ目立たないようにしてたから。帰国子女ってさ、イジメの対象になりやすかったから」
ああなる程と武は思った。イジメを仕掛けて来た人間や逆に庇ってくれた人間は、なんとなく記憶している。だがどちらにも属さない、ただ見ているだけ、知らない顔をする人間は武には存在しないものだった。
彼はそういう一人だったのだ。覚えている筈がない。
「ここを知ってるって事は社員なんだよね?部署はどこ?名前は?」
「俺?」
彼は少し首を傾げるとネクタイを緩めながら答えた。
「名前は大橋 了介。所属部署は建築部門。リフォーム・マーケティング課にいる。
葛岡は?」
その問い掛けに武は黙って上を指差した。それは上層階を占める御園生ホールディングスの中核部を意味する。
「ええ!?上!?それってエリートって事だろう?どうやって入社した!」
詰め寄られて絶句した。本当に武の事を知らないらしい。
「えっと…大橋はいつから働いてるの?」
「就職したのは大学卒業してからだけど、ずっと北の島にいた。今月初めに戻って来たばっかりだ。
それがどうかしたか?」
「いや、ここで今まで会った事がないから」
半月足らずならば武の顔を知らなくて普通だろう。
「なあ、上でどこに参加してる?」
ホールディングスの中核部はチーム編成で仕事をしている。武や夕麿もチームを編成しているのだ。
「俺は…」
その時、武の携帯がなった。発信者を見ると通宗からだ。
「もしもし」
〔武さま、どちらにいらっしゃいます?〕
「え…あ、下にいる」
〔そろそろお戻りになってくださいませ。夕麿さまがお戻りになられます〕
「わかった、すぐ戻る」
ここは夕麿も知らない場所だ。出来れば知られたくない。
「ごめん、また今度な」
武はそう言って急ぎ足でそこから出た。
「あ、おい!
……行っちまった」
了介は自分の事を訊くだけ聞いて、行ってしまった武に舌打ちした。彼は了介の質問にはまともに応えなかった。
了介が再び武と会ったのは次の日の午後だった。武はまた力なく椅子に座っていた。
「なあ、お前、どこか悪いんじゃないのか?」
自販機で飲み物を買うわけでもなく座っているだけ。顔色は薄暗さや自販機の明かりの色を考慮しても、蒼白く精気がない。
「ちょっと持病があってさ…」
昨日より覇気がないように感じた。
「何か飲むか?」
「あ…じゃあ、紙パックのオレンジを」
武はそう言って小銭入れを差し出そうとした。
「あっ」
まるで零れ落ちるように彼の小銭入れは床へ音を立てて落ちた。
「本当に大丈夫か?」
「ちょっと指に影響が出てるだけだから」
俯いて呟く姿が痛々しく見えた。
「君の分もそれで買って」
「良いのか?」
「飲み物の代金くらい大した額じゃない」
苦笑する顔に肩を竦めて、了介はまず武の飲み物を買った。
「ほら…自分で開けられるか?」
そう問うと彼は首を振った。ストローを外し、口を付ける側の包装セロファンを押さえ、下半分を抜き取る。それをパックに突き刺し、押さえていた方を外して差し出した。
「ありがとう、ごめんな」
向けられた笑顔にドキリと胸が動いた。中学時代から整った顔をしていたが、今の彼は艶やかで色気が漂っている。
今まで同性をそんな目で見た事はない。了介はストレートだ。今は付き合っている相手がいない。きっと欲求不満が募って、綺麗だと言うだけでときめいてしまったのだろう。自分にそう言い聞かせた。
ふと見るとパックを持っている左手の薬指に指輪が光っていた。
「あれ…?それ、結婚指輪か?」
「ああ」
年齢的には結婚していてもおかしくはない。だがどことなく幼い印象を受ける武が、既に家庭を持っているというのは少し違和感があった。人それぞれだと思うが、何だかそんな所まで負けている気がした。
「サンキュ!」
缶コーヒーを買って小銭入れを返した。
「そういえばお前、中学の時から身体弱かったよな?
会社勤めは大丈夫なのか?」
「今でも時々寝込む。俺、週に4日しか出社してないから」
「はあ?マジ?」
一社員だと武を彼が思っているなら、優遇以外のなにものでもなく思うだろう。
「それでも勤まるものなのか?」
「あはは…」
乾いた笑いで誤魔化す自分でも現在の立場でなかったら、きっと会社員なんて出来なかっただろう。そう思うと今の自分がどれだけ恵まれているのかがわかってしまう。しかも夕麿や他の皆に迷惑ばかりかけ心配ばかりさせている。
けれど御園生を相続する事が、武が外にいられる条件としてあるのだ。だから逃げ出す事は許されない。本当に御園生の血を受け継いでいる希が35歳になるまでは、夕麿と二人で支えて行く想いも決意も変わってはいない。いないからこそ、発作が頻発するのが辛いのだ。
ふと手元の時計を見て武は立ち上がった。
「もう…戻らないと…」
夕麿が探しに来る。武の為に用意されている部屋にいないのが、わかってしまったら探しに来る。
「大変だな上にいるのも」
揶揄された言葉に返事をしないで武は歩き出した………と、足元が乱れた。バランスを崩して自販機にぶつかり床に倒れてしまった。
「おい!大丈夫か!?」
了介が駆け寄って来て起き上がるのに手を貸してくれた。
「ごめん…ありがとう」
ヨロヨロとまた歩き出す。だがすぐにバランスを崩して、自販機に掴まって身体を支えた。だが指が支え切れない。ズルズルと床に座り込んでしまう。
「おい、本当に大丈夫か?」
再び手を借りて立ち上がった。奥歯を噛み締めるようにして、そのスペースから外へと出た。
早く戻らなければ…… 気ばかりが焦る。懸命に足を踏ん張って、泥濘を歩いているかのように一歩一歩、用心深く前に進んだ。気を抜けば転んでしまう。
携帯がなった。取り出すと夕麿の名前が浮かんでいた。
「はい」
〔武、今どこです?〕
「下にいるよ…今から、戻る」
〔今、エレベーターの中にいます。そこで待っていてください、良いですね?〕
「……わかった」
休息用の部屋にいない事はバレてしまった。
武はエレベーターホールで待った。正直、立っているのは苦痛だったが、誰が見ているからわからない。不様な有り様はこれ以上は嫌だ。
最上階、武と夕麿のチームの執務室はそこにある。上がるには専用エレベーターを使う。セキュリティーカードがないと、エレベーターに踏み入れた時点で警報がなる。
危なっかしい足取りで出て行った武が気になり了介は後を追いかけた。見付けた彼はエレベーターホールの手前で、立ち止まり携帯を取った。誰かが上から降りて来るらしい。すると彼が立ち止まったのは、最上階にノンストップて直結しているエレベーターの前だった。
「最上階?あいつ……御曹司のチームにいるのか?」
囁くように呟いて観葉植物に隠れた。程なくしてエレベーターのドアが開いた。中から降りて来た人物にはさすがに見覚えがあった。
御曹司の一人で現在、実質的に御園生を動かしていると言われている人間。御園生 夕麿。摂関貴族の家の出の身分の高い子息だったと噂好きな経理課のOLに聞いた。最初彼は地下の社員食堂の券売機で、食券を買えない状態だったと聞く。10ヶ国以上の言語が使え、ピアニストとしても十分成り立つ技量を持つと。
もうひとつ聞いた事がある。彼は極度の女嫌いで身近に寄らせるのは、御園生夫人の小夜子と乳母だけだとも言う。彼は同性愛者で同性の伴侶がいると言うのだ。その相手は総帥有人の隠し子と噂されていて、彼も最上階のチームの中心だ。
「確か…彼奴は私生児だったよな?あいつが御曹司?あはは、まさかな。そんな上手い話はないよな?」
心を過ぎった考えを慌てて首を振って否定する。もし彼が御曹司ならば何で、人がめったにいないあんな自販機コーナーにいる?
彼が非常に頭が良かったのを記憶している。どこかの全寮制の学校へ進学したらしいのも、風の噂に流れては来ていた。
夕麿が武の首に触れて顔色を変えたのがわかった。彼は携帯でどこかへ連絡を入れていた。武が体調を崩しているのにどうやら彼も気付いたらしい。通話を終えて、武を見下ろして何かを言う夕麿に、彼は首を振って抗っていた。
出て行って止めるべきだろうか?いや、しかし御曹司の不興を買っては、せっかくここへ戻って来たのにまた、どこやらへ飛ばされるかもしれない。前回は北の島だった。だが御園生の系列企業は海外にも数多くあるのだ。それを考えると背中が冷たくなった。
「武、お願いですから、具合が悪い時にはすぐに言ってください」
「嫌だ…俺は、仕事をする」
「武…」
「お前や皆に負担をかけたくない」
「その気持ちはわかります。わかるからこそ、体調に変化が出たら教えて欲しいのです」
「早く言ったって、どうにかなるものじゃないだろ!」
どうせ症状が出始めたら100%発作を起こすのだ。
「武!私が言っているのは、そんな意味ではありません。あなたが発作の予測が自分でつくと言うならば、誰かに急な負担をかけないように、仕事を前以て振り分けておけます。影暁さんが身内になられたので余裕も出ています。私も今までより身動きが出来るのです」
武の肩に手を置いて、夕麿は覗き込むように見ていた。
「あなたの発作は仕事上で、計算内として考慮出来ます。ただそれにはある程度、予測が可能である方が予定を組やすいのです。
しかしあなたは出来る限り、ご自分の身体の不調を口にはしてくださらない。私たちが気付いた時には発作間近な時ばかりです。従って、相良君や雅久は急な予定変更に大変な苦労をしているのです」
それは今まで考えた事がない話だった。武は今まで発作や発熱で皆に、迷惑をかけている事ばかりを気にしていた。
「武、あなたのカバーは前以ってわかればわかる程、スケジュールに穴を空けないで行えるのです。
迷惑をかけたくない。
そう思うのでしたら、企業人としての立場から考えてください」
返す言葉がなかった。夕麿も他の皆もそこまで計算に入れていると言うのか。
「発作も丈夫でない事も、私は欠点だとは考えてはいません。それはあなたの持っている、あらゆる条件のひとつでしかないのです。私はあなたの伴侶としてはあなたの病気を心配します。けれど企業経営者としては、あなたをトップとして支える為のベストな方法を選択します」
夕麿の言葉に武は自分が、仕事と私事を分けて考えていない事に気付いた。こんなところもまだ自分は子供のままだと自覚してしまう。
「ごめんなさい…俺…」
俯いた武を抱き寄せながら、夕麿はエレベーターへ乗った。
「あなたを責めているわけではありません。私たちを心配してくださっているのもわかっているのです」
動き出したエレベーターの中で、武は夕麿にしっかりと抱き締められた。
次の日は武に会わなかった。水曜日だった。武が週に4日しか出社しないなら、水曜日は休みなのだろう。それともあのまま具合が悪化して、病欠しているのだろうか?
何故か武の事が気になった。中学時代と変わらないほっそりとした身体で、雰囲気も余り変わっていないように感じた。
いや…そうじゃない。年齢の割にどことなく幼い感じは同じだった。しかしそこはかとなく色気があって綺麗だったのだ。
昨夜、自分で欲情を解消しようとして思い浮かべたのは、観ているAVの女優ではなく武の姿や笑顔だった。
性差別や嗜好で人を区別しない企業。御園生のそんな在り方に、自分も染まってしまったのか?
だが武は指輪をしていた。結婚指輪かと訊いたら、少し含羞んで頷いた。きっと彼が御曹司のチームにいるのは、結婚相手の縁者がそこにいるからに違いない。
了介はそう答えをだして苦笑した。
武は確かに小柄で綺麗だが時々見せる言動は確かに男だった。中学時代の彼を思い出して、了介は一人で納得する。
「だよな。幾ら御曹司がそっちの人間だからって、チーム全員がそうなわけないよな」
呟きながらエレベーター・ホールに行くと、ちょうど最上階から専用のものが降りて来た。ドアが開いて降りて来たのは昨日見掛けた夕麿だ。続いて降りて来た人物を見て了介は息を呑んだ。彼があの絵のモデル本人だとわかったからだ。了介が出会ったどんな女性よりも、彼は美しく淑やかだった。
「夕麿さま、御時間に余裕がございます」
「余裕?それはどれくらいですか?」
「30分くらいは大丈夫かと」
「では少し寄りたい所があります」
二人は頭を下げた了介の前を、そんな会話を交わして通り過ぎた。
「あれが御曹司の相手か?あれなら同性でも迷うのが、わかる気がする」
そう了介は自分が踏み入れたくない世界を否定する余り、勝手な解釈をしてそれで満足してしまったのである。
人間に最も近いチンパンジーにも、同性間の性的行為が存在するのが報告されている。自覚しないだけで人間は本来、バイセクシャルな生物なのだ。社会的に否定されてしまっている為、生涯気付かずにいるに過ぎない。
むろん、了介もそんな事は知らなかった。
気が付けば了介は、自販機コーナーで武に会うのが楽しみになっていた。
上層階のお偉方はこんな場所を知らないだろう。了介にすれば似たような年齢で、雲泥の差の彼らの知らない事だというのが楽しい。彼らと仕事をしなければならなくなった武とここで会って会話を交わす。何となく溜飲が下がった気分を味わっていた。彼はそれが自分の勝手な解釈だと疑ってもみなかった。
いつも通り外回りから帰社。水分補給に足取りも軽く、了介は自販機コーナーを目指した。薄暗い場所にいつものように武は座っていた。相変わらず自販機の飲み物も買わず、ただぼんやりと座っているだけだった。
「よお!」
声を掛けたが返事がない。武は僅わずかに身動ぎしただけだった。
「具合が悪いのか、葛岡?」
慌てて駆け寄る了介の目の前で、武の身体が椅子から落ちた。
「うわっ、おい!?」
身体を揺すったが反応がない。兎に角という思いで、抱き起こして長椅子に横たえた。
不意に携帯のらしい着信音が響いた。聴いた事のないメロディーだった。了介は武の上着を探って、鳴り続けている携帯に出た。
〔武、今どこです?〕
幾分怒りが含まれた声に、了介は武の携帯を持ったまま飛び上がりそうになった。
「あ、あの…早くいらしてください。その、倒れてて…呼んでも揺すっても反応しません…」
〔…そこはどこです?〕
「一階の奥…非常階段のドアの所にある、自販機コーナーです」
〔私はそこを知りません。すぐに降りて行きますから、わかりやすい場所まで出ていてもらえますか?〕
「わかりました」
通話が切れた。武のネクタイを緩めて首元を開いた。
「!?」
薄暗がりの中でも真っ白な肌に、明らかに口付けの跡と思えるものが見えた。驚いてもう少しボタンを外すと、そこには花びらを散らしたように無数にあった。
見てはいけないものを見た。了介は慌ててボタンを止め直して、自分の上着を脱いで武に掛けた。
次いで急いでエレベーター・ホールへ駆け付けた。ちょうど最上階からエレベーターが降りて来た。蒼褪めた顔で夕麿が降りて来た。
「武の携帯に出たのはあなたですか?」
「はい」
「案内してください。相良君、貴之が車を回してくれるので、お願い出来ますか」
「はい、お任せください」
武が休息時間にどこかへ行ってしまうのは、一人っきりになりたいのだろうと、心配ながらも黙って目を瞑っていた。噂などになっていないのから判断して、余り人が来ない場所を見付けたらしいと判断していた。
一人っきりになりたい。武の望みを叶えてそっとしておきたい。だが同時に一人っきりの時に発作が起こった場合、夕麿たちにはわからないのが心配だった。適当に時間の経過を待ち携帯をコールする。夕麿がいる時は自分で。不在の時には通宗か雅久が、戻って来てくれるように言う形で、武の状態を確認していたのだ。そして懸念がとうとう本物になってしまった。
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意識がはっきりしている?今まで見て来た発作とは異なる。夕麿は携帯を取り出して、周の番号をコールした。
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「夕麿さま、お車参りました!」
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「上着をありがとう」
夕麿はそう言って了介に上着を返した。
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心から感謝していた夕麿の気持ちが一変したのは武が発した一言だった。
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了介が武を発見したのは偶然ではなかった。その事実に夕麿は蒼褪めた。
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武は一人っきりになる為に、ここへ来ていたのではなかったのか?
武を疑う訳ではない。武を運びながら夕麿は考えを巡らせた。
「相良君、彼の名前と所属を訊いておいてください」
「わかりました」
今はともかく武を連れ帰らなければならない。夕麿はそれだけに集中した。
「お前…何かやったのか?」
週明け出社した了介は、早々に上司のデスクに呼ばれて言われた。
「はあ?いきなり何ですか、課長?」
話が全く見えなかった。
「それはこっちが訊きたいよ。御曹司がお呼びだ。このセキュリティーカードを持って、最上階に直ちに行きたまえ」
渡されたカードを受け取りながら、了介は先週の木曜日の事を思い出した。多分、呼び出しの理由はそこにある。
一階からの直通のものとは別に、各階から最上階までの普段社員が使用しているのが二機ある。双方共に最上階へ行くには、セキュリティーカードが必要なのだ。了介はエレベーターに乗り、カードをリーダーに通した。ドアが閉まり自動的に上昇していく。程なくエレベーターは停止し、ドアが開いた。
「大橋 了介さんですね?夕麿さまがお待ちになられています」
20歳前と思われる少年が待っていた。案内された部屋はどうやら、接客用の応接室らしく二人の男がいた。
「どうそ」
示されたソファに座った。
「朔耶、夕麿を」
「はい」
彼は隣室へ届くドアを叩いて開けた。
「夕麿さま、来られました」
すぐに彼は姿を現した。
夕麿が席に着くまで誰も座らない。了介も一応社会人として、彼を立って迎えた。
彼が席に着き、全員が着席した。次いで雅久が茶を配った。
「改めて武の事を知らせてくださってありがとうございます」
夕麿が頭を下げると全員が頭を下げた。
「彼の中学の同級生なのですね?」
「あ、はい。その、お訊きになられたのですか?」
「いいえ、彼は帰宅後から声を発せなくなりましたので会話は出来ません」
「では…」
「申し訳ありませんが、あなたの身元確認をいたしました」
答えたのはずっと黙っていた男だった。
「俺の事を…!? 一体、何の権利があって!」
武と中学の同級生だと知っているという事は、社内の調査ではないという事だった。数日で自分の経歴や身辺調査をしたとでも言うのか?
「こ、個人情報を…プライバシーの侵害ですよ!?」
「一般人が行えばな」
そう言って男が提示したのは、まぎれもない警察手帳だった。
「警察!?」
何故、警察が一企業の御曹司の為に動くのだ?しかも彼はどうみても夕麿に従っているように見えた。
「順を追って説明する。ただし、口外は絶対にしないと約束して欲しい。夕麿さまと武さまのお生命に関わる」
彼が驚いているのを横目に見ながら貴之は言葉を続けた。
「夕麿さまは皇家の血脈を受け継がれる方だ。わけあって御園生家に養子入りになられたが、それを快く思わない人々がいる。それで学生時代より繰り返し、お生命を狙われていらっしゃる。当然、ご伴侶である武さまも巻き込まれてしまわれている。
俺はそういった事情を踏まえて、警護の為に専任された部署にいる。従って、武さまの身辺警護の為に、君の身元確認をさせてもらった」
感情を混ざらせない淡々とした口調だった。
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周と義勝、それにネットを介しての清方との意見交換の結果、大橋 了介が武を単なる同級生として見ている事が原因ではないか…という判断が出された。武が御園生の子息であるというのは隠せないであろう。夕麿との結び付きも社内では当たり前で通っている。
そこで武の身分は明かせないのを利用して、彼に変わらない友人でいてもらう。そんな決定が出された。
ただし夕麿はすこぶる不機嫌だった。武が了介の存在を黙っていたからだ。嫉妬を隠さない彼を全員が宥めすかして、今日のこの場への運びになったのだ。
「武は高校進学前に義母がご結婚されたので、それまでの友人知人とは完全に疎遠になっています。違う環境の中でかなり苦労をして来たのです。私たちにはわかってあげられない事があります。それ故に彼はストレスを溜めてしまいます」
その事実は夕麿には悲しく辛い事だった。結婚から10年の歳月を過ぎてもどうしても越える事も埋める事も出来ないでいるのを、互いに認めるからこそ手を取り合って生きて行けるのだ。だがこうして突き付けられた事実は、夕麿には痛かった。
「彼と変わらず友だちでいてもらえませんか?」
「それは別に構わないけど…」
「ありがとうございます。その代わり何か社内での希望があれば、遠慮なく言ってください」
「そういうのが、ダメなんじゃないんですか?」
了介は夕麿の言葉にそう答えた。
「あんたにはそれが普通なんだろうけど、友だち付き合いに代償はいらない。
それぐらい知ってるでしょう?」
了介は腹が立った。
「夕麿さまに無礼な!」
「貴之、やめなさい。彼の言う通りです。礼を欠いた事を言ったのは私の方です。お詫びをいたします」
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「ありがとうございます」
それでも頭を下げた夕麿を見て、了介は彼の武への深い愛情を感じた。同性愛者への嫌悪感も違和感もなかった。
次いで夕麿が立ち上がった。
「雅久、後をお願いします」
「お任せくださいませ」
「武の主治医が少し、あなたと話がしたいと言ってます。私は帰らなければなりませんが、もう少しお願いいたします」
夕麿はそう言って立ち去った。雅久もそれに続いた。次いで朔耶も出て行ったが、出る間際に振り返って主治医だと紹介された人物を睨んだように見えた。
「…ったく…」
げんなりした様子の彼を見て貴之が吹き出した。
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「お前とは2ヶ月だけだろ~」
「そうは割り切れないみたいですよ?」
「はあ?お前、御厨に妬かれたのか?」
「周さまとの事ではありませんが」
了介は二人の会話に目を丸くした。1週間前、武と再会した時にはよもや、こんな世界に自分が首を突っ込むとは予想だにしなかったのだ。
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