一片の願い

翡翠

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点滅と交差

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 あの記憶がその時のものであるならば、母がそこから立ち去ったのは基が望んだからだ。

「僕は君に会った瞬間にわかった。君は僕の子なのだと、だから君たちがいなくなった後、それこそあらゆる手を使って探したんだ。でも見付からなかった」

 それはそうだと思った。学校に行くのに山を越えていかなければならないような山奥の村で、母は小さな診療所を預かる看護師をしていたのだから。多分、誰かが追っては来れないように住民票などの移動はしてはいなかったはずだった。

 事情がある子供。そういう状態で学校に受け入れられていたのを、基自身が何となく感じていた。

「そして1年前、警察と高校時代の同級生から前後して連絡が入った。菜々香さんの事故死と君が重体で運び込まれたと」

 征一郎は生涯でただ一人愛していた女性に、生きて再会する事は叶わなかったのだ。しかも二人の間に誕生した息子は、医師である彼でさえ直視するのを躊躇ためらったほど、酷い有様で横たわっていた。膝関節が剥離はくりしてわずかな部分だけでかろうじて繋がっている上に、顔面から何かにぶつかったらしく、幼い頃の菜々香に似た愛らしい顔は無残な事になっていた。

 脚は切断をするしかない。そう言われて征一郎は友に縋って頼んだのだ。元通りにならなくても良いから、脚を残す方法はないのかと。意識が回復しない状態での長時間の手術、しかも目を覚ましてからも繰り返して幾度も手術を受けなければならない苦痛。それでも征一郎は愛する人が残してくれた息子に、脚を失わせたくはなかったのだ。

 結果、基の脚は元通りにはならないにしても、こうして彼の身体として残された。顔も菜々香の遺品にあった写真を元に出来るだけ復元した。

 記憶の一部が欠落して混濁し、事故と母親を思い出させるものに強い拒絶反応を示す基に、征一郎は自分の事を告げられずにいたのだった。それは彼にとってはどれ程の苦痛であっただろう。

 基は自分の手を握る征一郎の手をそっと外し、何かを確かめるように眺めた。

「大きな手……あの、10年前、ボクの頭を撫でてくれた事、ありましたよね?」

「ああ、すぐに君が僕の子だってわかったから、愛しくて抱き締めたり頭を撫でたりした」

「お母さんはずっと、ボクの父親については話しませんでした。でも幼いながらにあの時の大きな手の持ち主が、ボクのお父さんではないのかと思っていました。

 ……顔も覚えてはいなかったんですけど」

「ありがとう……」

 征一郎の目から涙が溢れ出した。彼はずっと母を愛して生きて来たのだ。できれば元気な彼女を彼に逢わせたかったと思う。

 やっぱり自分が死ねばよかったのだ……と思う。自分の代わりは後からでも誕生する。けれど母 菜々香の代わりはどこにもいない。

 母はこの先をどの様に生きて行こうと思っていたのだろうか。

 流石に山奥には高等学校はなくて、基が中学に入る時に都市部へと出て来た。不思議なものだ。自分と母の事を聞いて、失われている記憶が戻って来ている。とは言ってもここ数年くらいの範囲に感じられるが。

 自分たちは何処へ行こうとして、あのカーブで事故に遭ったのだろう。

 高台寺 征一郎とこうして親子の名乗りを上げる事を、母は望んでいたであろうか。

 ……否。

 望んでいたならば何某かの形で、一度は会っている彼の事に触れていたはずだ。消えた記憶が未だに存在する以上、基には確信こそ持てはしないが、望んではいなかったのではないかと考える方が正しいような気がした。

「あの、ボクはここにいつまで入院していなければいけないのですか?」

「ああ、もう大丈夫だとは思います。大森 加奈子は刑事告発はしないという事で、自主退学に応じて退学しました。母娘には今後一切、基君と達也君には接近しないという念書にもサインしてもらっています。

 万が一、念書の約束を破った場合は、大森 加奈子の基君に対する行為を刑事告発すると共に、母娘のストーカー行為を告発するとしてあります」

 里見の言葉に征一郎も同意した。

「じゃあ……今日、帰っても良い?」

「帰るって…」

 先程の話から完全に切り替わった言葉を口にすると、まず恵が戸惑った声をあげた。

「その事なんだが、基。一緒に暮らさないか?」

 征一郎の言葉に首を横に振った。

「あのマンションの部屋が良い」

 征一郎と親子だとわかったとしても甘えるのは逝った母の意志に反する気がする。それにあそこには達也もいる。達也に嫌われている以上、同じ場所で生活する事は不可能だ。

「母は仕事で留守がちで、俺は殆ど一人で生活をして来たようなものなんです。だから一人が好きなんです」

 一人でいられたのは母の帰りを待っていたからだ。もう自分以外は誰も帰っては来ない部屋に一人でいるのは、世界中に見捨てられたかのように孤独だと感じる。けれどもこの先も自分は独りでいるべきなのだ。血が繋がった人がまだいる事実だけで十分だった。

 決して元の状態にには戻らない左脚で、自分が何をどうやって生きていけるかはわからない。それでも母がしたようにこの父に迷惑を掛けて負担になってはいけない。この人にはもっと相応しい相手がいる。

 それはまるで母 菜々香が憑依ひょういしたかのようだった。

「それは僕がイヤだ」

 握り締められたままの手を引かれて、征一郎の腕の中に倒れ込む。

「やっと親子だって言えたのに~」

「はあ?あの……えっと……」

 征一郎の言動に戸惑って裕也と恵を見上げると、二人は笑いを堪えるようにして肩を竦めた。

「ねえ、一緒にパパと住もうよ~」

「パパ?」

 基を抱き締める様子はまるで、大きなぬいぐるみを抱き締めるような感じだ。ボクはぬいぐるみじゃないと言いそうになったが、更に不機嫌になった達也が近づいて来た為に、思わず飲み込んでしまった。

「いい加減にしろ、征さん!」

 達也は征一郎に頭に拳骨を入れてから、強引に基から引き離した。

「高台寺の家の問題も片付いていないのに、モトちゃんをあの部屋に引っ張り込んでどうするんだ!俺と同居してゲイだって事にして、あっちが無理矢理すすめる縁談を消そうって、しぶしぶ同居してるんだって忘れてないだろうな?」

「そんな事を言ったってやっと親子の名乗りをあげられたんだよ~」

 目を潤ませて言う姿に唖然とするしかなかった。

「あのなあ……俺の倍くらい歳食ってんのに、どうしてそう自己中なんだよ。あんたわかってるのか?モトちゃんのお母さんの件にしても、結局はあんたのその子供がおもちゃ欲しがるみたいなわがままな所為だろうが」

「わがまま!?これはわがままじゃないよ!」

 黙って二人の会話を聞いていれば、どちらが大人でどちらが未成年なのかわからない。この二人は何なのだろう?それに『モトちゃん』って……誰の事だ?

 勝手に展開する会話に基は実の父がいながらも後見人が立ち、しかも代理人としか顔を合わせてはいない事情を理解させられる。

 二人の会話から読み取れた事情はこうだ。菜々香が運転した事故で基が生き残って、しかも重体で緊急に手術が必要だった。たまたま搬送された病院は征一郎の高校時代の友人が勤務する所で、彼は菜々香の名前を記憶していた。それで急遽きゅうきょ征一郎に連絡が行ったのだ。

 征一郎は10年前の再会で、彼女が連れていた基を自分の息子だと確信していた。彼は基の手術に立ち会った後に実家に事の次第を連絡、驚いた両親は菜々香が死んだのを好機と考え、30歳を過ぎても女性を自分に近付けさせない彼に嫁をと考えたのだ。基はどうするのだと問い掛けた征一郎に対して、両親の答えは残酷で…だがある意味で納得できるものだった。

 適当な後見人を付けて成人するまで面倒を見させて、必要な金品だけは後見人を通じて与えれば良い。征一郎が実の父であると知らせる必要はないし、菜々香との関係も既に過去の事であるから今さら蒸し返す必要もない。

 本当は桜華学園の保険医として赴任する事も、彼らはもう反対したという。菜々香が征一郎の人生を狂わせ、今は息子が狂わそうとしている。そう言って基に接触して関わる事を彼らは嫌悪している様子だ。

 ーーやはり母の判断は間違ってはいなかった。どのような気持ちで菜々香は基を生んで、一人で育てて来たのだろうか。少なくともこうなるとわかっていたのだろう。10年前に偶然再会した時も、母は辛かっただろう。

 今頃になってこんな大きな息子が現れて、しかも二度と健常な身体には戻れないとなれば、歓迎されなくて当たり前なのではないのだろうか。親子として一緒に住みたいといってくれただけで、自分は十分報われたと思う。

「両親の事はもういい、跡継ぎは僕でなくてもかまわないだろう、ひとつ下の弟の方が両親の意に叶うんだから」

「そうねえ……特におたあさんは、私たちが医者になったのを快く思ってないものね」

「僕はお祖母さまのご希望通りに一心行いっしんぎょう家を継ぐ。基の後見人だってお祖母さまが引き受けてくださったんだ。だから桜華に赴任したのもごく自然な事だし、基も僕も高台寺姓はなのらないのだから、あの二人に文句を言われる筋合いじゃない」

 一心行家は一人娘が高台寺に嫁いだ為、現当主である一心行 春子の後継者がいない。元々は恵が婿を迎えて一心行姓を名乗って継ぐ予定だった。だが彼女は幼馴染みである祐也と結婚して、跡継ぎ問題は宙に浮いたままだった。

 一心行家は桜華学園の創設者一族であり、春子は現理事長でもあった。学園の経営を他者に渡さない為にも、春子の後継者は絶対に必要であったのだ。彼女は征一郎と菜々香の恋を知っている人間だった。姿を消した彼女が基を生んでいて征一郎の息子であると思われた時点で、祖母に何もかもを打ち明けていた事実があった。

 高台寺家が逝った菜々香と忘れ形見である基を受け入れないと言うならば、一心行家がすべて引き受けて受け入れる。春子は今、征一郎の両親と交渉中であったが、後継者は受け入れても基は受け入れない姿勢を崩してはいない。

「僕は成人している。だから自分の事は自分で決める。これ以上の時間を両親が無為にした上で基をなかった事にしようというなら、僕は裁判だって辞さないつもりでいる。その為の準備だってして来たんだ」

 それを妨げたのが大森親子の非常識な有り様であったらしい。

「効果がないから同居はもういいよ、達也」

「い・や・だ」

 征一郎を睨み付けて答えた姿を見て、達也はやっぱり彼の事が好きなのではないかと基は思った。

「あのさ、事情はわかったから。でもボクが帰るのはやっぱり自分のマンションを希望する」

「基君、うちの問題を気にするなら……」

「そうじゃないです」

 恵の言葉を遮って言葉を続けた。

「それははっきり言ってボクには関係がない話だと思います。ボク自身は誰の子かの騒動には関心ありませんし、ましてや認知とかそういうのもなくても構いません。後見人だってボクが今、一人で生活をしていくのに必要だからお願いしますが、現在の状態で贅沢だと思っているくらいです」

 血の繋がった身内がいる事実だけで基には十分だと、目の前の人たちにどうすればわかってもらえるだろう。

「ボクに何が出来るのかはわかりませんが、頑張って見付けますから大丈夫です」

「基……」

「基君……」

 何があっても自分たちで生きて行く努力をして、誰かに頼ったりはしない。それは母の教えだった。彼女は息子がいつかこのような事態に巻き込まれると、予想していたのではないだろうか。基が征一郎の子であると高台寺家に知れた時点で物議になり騒動となり得る事は、あの母ならば容易に予想出来たと考えられた。

「ボクは事実がわかっただけで十分ですから。高台寺先生もボクの事は気になさらないでください」

 敢えてこれまでと同じ呼び方をして基は変化を拒絶した。

 征一郎は絶句して固まってしまった。恵も裕也も同じだった。ただ達也だけが鋭い眼差しで基を見下ろしていた。

「退院はしてもいいんですね?すぐに着替えて帰ります。すみません、里見さん。荷物をお願いできますか?」

「え…ええ」

 身内の問題として黙っていた里見に声を掛けて、基は退院の準備を始めた。他の皆は唖然としているが、これ以上、何を考える必要があるのだろうか。これから先、母と自分が何処へ向かおうとしていたのかを思い出し、母の荷物を取り戻す必要はある。基の心には悲壮感は存在してはいないし、裕福な家庭への憧れも未練も存在していない。実にあっさりとしたものであった。

「逃げるのかよ」

 低く唸るような声が達也から発せられた。

「逃げる?何から、逃げるの?言ってる意味がわからないのだけど」

「そうやってすっとぼけて、逃げれば面倒な事に巻き込まれないで済むし、嫌な想いをしなくても良いってか?」

「そんな事は考えてないよ、ボクは。これまでの生活を続けたいだけ。本当は母が生きていた時に戻りたいけど不可能だからね。

 あのさ、何でも自分の考え方でボクの気持ちを量るのやめてくれないかな」

 辛辣な言葉が望みもしないのに口から出て行く。

「そういうところ、変わらないよね?君に何がわかるの?こんな大きな病院の子で、兄弟がいて親戚もいる。でもボクは母と二人で生きて来たんだ。それが普通の生活だったんだ。苦労はあったけど楽しかった。何もないのが幸せだって事もある!」

 基は今、自分が何を口にしたのかをわかってはいなかった。

「お前、俺の事を……」

「ボクはもう泣き虫じゃないし、母親にぶらさがってもいない。ついでに言えば父親にぶら下がるつもりもない。一人で立って一人で生きるって決めている事に、君は口を出す立場じゃないだろ」

 そうだ、これが自分の意志なのだと基は強く思ったのだった。記憶が戻ったのかと問われるとYESとは言えない。ただ言葉が口を吐くままにしただけだった。

 何故だろう?達也に自分のこれからを勝手に決められるのが無性に腹立たしい。

「人が折角、お前の事を考えて……」

「誰も君に頼んでない!何がボクの為だよ、結局は自分の都合のゴリ押しだろうが!」

 沸々とした怒りがどこかから湧き上がって来た。

「やめなさい、二人とも」

 裕也の声が鋭く響いて、我に返ったらしい達也が踵を返して病室を足早に出て行った。彼の後姿を見送った基は、大きく息を吐き出した。

「とにかく、退院させてください」

 主治医である裕也はかなり渋ったが数時間後には、基は里見の車で自分のマンションの部屋へ帰って来ていた。

 今はここが自分の居場所。戻って来れた事にホッとする。

「里見さん、母の遺品とかボクが車に乗っていた時の荷物とか、どこにあるんですか?」

「高台寺さんの手元にあるよ?」

「それ、返してもらってください」

 きっぱりと言い切った基に里見は目を見開いた。

「それと……母もボクも生命保険に入っていました。手続きはどうなっていますか」

 これ以上、征一郎と高台寺家に関わりたくはない。年齢的に後見人が必要であればしかたがないが、出来るだけ早く基は自分で生きたかった。

「え…手続きは終わって、私が預かっている君の銀行口座に入金されている」

「ありがとうございます」

「あのね、基君、本当に君はこれで良いの?」

「もちろんです」

「そう……君が決めてならばそれで構わない。一応、後見人の方には君の考えを報告しておくからね」

「お願いします」

 あの人たちのいる場所は自分がいる場所ではなく、いてはならないのだと思う。

「それと、達也君の事なんだけど、彼は彼なりに考えてると思う」

「わかってます。だからと言って彼のいう通りにする理由はありません。どうやらボクは嫌われているみたいですし」

「それは逆じゃないかな?」

「逆?少なくとも昔、ボクは一度彼に嫌いだとはっきり言われたのを思い出しました。今の彼の態度はあの当時と変わっていないと思えます」

「だからそれが……」

 少し苛立ったように言葉を言って、里見はハッとして言いよどんだ。

「まあ……高台寺さんの事については私にも、君の気持ちはわかるつもりだ。いまさら父親だと言われても戸惑うだろうし、困るのはあたりまえだと思う。ましてやあちらの家の状態を聞かされてはね」

 その言葉に基は少し気が軽くなった気がした。

「もし、ここにもいたくなくなったら言って。うちも家の建物だけは古臭くて無駄に広いんだよ。同じ敷地内に別棟があるから、そこに住むっていうのもある」

 どうやら彼も裕福な家の人間らしい。それでも同じく頼るならば、この人の方が良いように思えた。

「ありがとうございます。もしもの時はお願いいたします。

それと……母の荷物とかをボクに返してもらえるように手配お願いします」

「わかった、そう言っておこう。元々は君のものだからね」

「お願いします」

 母の手帳が戻って来るかどうかは、高台寺の手にあるならばわからないかもしれない。それでも基はすべてを取り返したかった。

 数日後、基の希望通りすべての荷物が運び込まれた。事前に征一郎から不満の声が上げられたが取り合わなかった。

 自分で生きる為の何かを探さなければならない。それはここにあると点滅する記憶の断片が言っている。母の手帳のまずアドレス帳を開いて、そこにある名前に目を見開いた。

 向井 晴美むかいはるみ……母の親友だ。彼女は中堅どころの出版社に勤務する、ティーン向け雑誌の編集長をしている。

 そうだ、どうして彼女を思い出さなかったのだろう。基はスマホを手にして手帳にあるアドレスにメールした。いきなり電話をしても以前のものとはキャリアも番号もメアドも変わっている。基だと書いたがそれすら信じてもらえるかもわからない。

 事故から1年以上が経過しているのだ。誰かが彼女に基の状態を連絡したとは考え難い。そのような知らせを受けて知らない顔をする人ではないからだ。

『基!?本当にあなたなの?』

 返信はすぐに来た。基は事故からの経過をメールで書くと、すぐに電話をくれというメッセージが返って来た。

「晴美さん……」

 彼女は母の親友ではあるが独身で、名前で呼ぶように言われていた。

『ああ、確かに基の声だわ』

 彼女は基を呼び捨てにする。

『事故の事は新聞で見たの。菜々香が死んだ事は記載されていたけど、あなたの事は重体だとしかわからくて……伝をいろいろあたってみたのだけど、どうしてもわからなかったのよ』

 恐らくは高台寺家辺りが外に漏れないようにしたのだろ。

『それで怪我はどうなの?』

 その質問に基はありのままを答えた後、今自分が置かれている状態を話し、一度会おうという事になった。

『それと電話であれなんだけど、事故の前に進めていたのを再開したいのだけど』

 と言われて思い出した。基は彼女が編集長を務める雑誌で、ティーンのエッセイを書いていたのだ。

『詳しくは会ってから話すけど、本格的にエッセイを書いてみない?』

「ボクの書いたのは本当にものになるんですか?」

『編集者としてそう思うから言うのよ。兎に角考えておいてね』

「わかりました」

『じゃあ、また連絡するわ』

「待ってます、晴美さん」

 征一郎に頼りたくないから彼女に連絡をしたわけではない。多分心配してくれているだろうからというのが、基の素直な気持ちであった。その上で会話のなかで思い出したエッセイの仕事は小遣い程度にしかなりはしないが、基にとってはまだ自分の脚が元通りにならなくても一つは出来る事があるという勇気になった。

 ここからも出て行きたい。母が行こうとしていたのが、山間の集落に建てたログハウスだとわかり、基はそこへ行って生活をしたいと感じていた。学校は通信制でも良いと思う。

 大森 加奈子は退学になったと言っても、彼女の取り巻きは未だに学校にいる。それに……達也と顔を合わせて、これ以上争いたくはないのだ。

 彼が征一郎へ想いを抱いているとしても基には関係がない事だ。

 そして征一郎が実父だとしても基には意味があるようには感じられなかった。遺伝子上の父であっても、基には父と本当に呼べる相手は存在しない。第一、高台寺家は死んだ菜々香も基も認めないと言っているらしいじゃないか。

 なにゆえに無理に認めさせる必要がある?

できれば成人するまでの後見人は美晴の方が良い。

 会ったらそれも相談してみようと思ったのだった。

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