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二十五節

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書の時間のはずだった。

月星丸がひっくり返した硯のせいで、畳や先生の服に墨が散っている。

この畳や服も、すぐに新しいものに取り替えられるのだろうか。

月星丸はずっとここの閉じ込められている抑圧からか、泣いている。

俺はため息をついた。

「次は琴の時間か」

俺は壁にあった琴と三味線を手にとる。

「じゃあ俺は三味線にしよう。一度やってみたかったんだ。月星丸、一緒に習おうか」

縁側に再び戻って、二人でそれぞれの弦を思い思いに弾いてみる。

まぁ酷いもんだ。

師匠がやって来て、俺と月星丸に手ほどきを始めた。

男の先生で助かった。

「ねぇ、葉山と何を話してたの」

月星丸がこっそりと尋ねる。

「気になるのなら、本人から聞け」

俺は弦の調子を整えると、バチを手に三味線の練習を始めた。

午後からは薙刀の稽古だった。

師範は葉山。

葉山は薙刀に見立てた木の棒を月星丸につかませると、ひたすら素振りと型を教えている。

すぐに月星丸は腕が痛いだの、疲れただの文句を言い始めた。

それをよしとせぬ葉山とジリジリとしたにらみ合いが続いている。

なるほど、葉山は遠慮して声を荒げたり厳しく接したりはせぬが、逆にそれを知っている月星丸はわがままを言いたい放題で、まるで葉山の堪忍袋の限界を試すような素振りだ。

あの葉山の頬の引っかき傷は、このようにして作られたのか。

他の師範とのいざこざはつゆ知らず、葉山との確執だけは、今後のためにも避けた方が月星丸の身の為だ。

「どれ、では俺がどれくらい出来るようになったのか、試験をしてやろう」

置いてあった木刀を手に取る。

「ほら、かかってこい」

俺が木刀を片手に構えると、喜び勇んで月星丸は斬りかかってくる。

しかしまぁ、幼いころからちゃんばらの相手もいなかったと見えて、ひどいものだ。

長すぎる薙刀の扱いの方に苦労をしている始末。

「先ほどの基本の型と素振りの所作はどうした。それを身につけておらねば、その長剣は扱えぬ」

俺は遠慮なく、月星丸の脇腹に木刀を当てる。

おろおろと振り回す棒を、叩き落とした。

「我が身を守りたいのなら、まず己の力をつけよ。自由の意思が許されるのは、それからだ」

「なぜ自分の好きなように生きてはならぬのだ」

「お前が好き勝手に何も学ばず、生きてきた結果がこれではないか。元いた居場所に居つづけることも出来ず、愚かな相手に簡単に騙され傷も負う。外に出せばあっという間に死に絶えてしまうひな鳥に、どうして巣立ちをさせられようか」

踏み込んだ月星丸の剣を、さっと避けて足元を払う。

基本の型がなっていない月星丸は、簡単に転んだ。

「天下太平の世で、武器とするのは剣術だけではダメだ。誰にも負けぬ知恵と知識と、生きる為の賢さを身につけられよ」

そうして奥へ戻っても、藤ノ木や他の御目見え連中に立ち向かえるだけの、思慮深さを今のうちに学べ。

「文字を覚えることが勉学ではない。問題に対して、どう立ち向かい戦えばいいのか、先に予習をし本番に臨む。そしてそれを反省、復習し次に備える。それが勉学の基礎であり学ぶという姿勢だ。算術や漢字だけではない、この過程で身につける姿勢が、あらゆることに通ずるのだ」

立ち上がった月星丸が、長刀を俺に振り下ろす。

「難しい算術や漢詩にあたっても、逃げずに取り組め。どこかに解法はある。そなたの生まれ持った運命と向き合うことも、同じだ」

振り下ろされた長剣を横から下に押しつける。

筋力のない月星丸は、上から押さえられた剣を持ちあげていることすら難しい。

「気に入らぬことは多いかもしれぬが、それも全てそなたの身になる。それを正しいと、まずは信じることから始められよ」

俺がふっと腕の力を抜くと、月星丸の腕が宙に上がった。

その勢いで俺が長剣を叩くと、簡単に手から離れた。

木刀の剣先を月星丸に向ける。

「誰のために何のために、学んでいるのかと思う時もあるだろう。だがそれを見極めるにも、知恵も必要だ。まずはその知恵を身につけられよ」

「本気で、それが出来ると思ってるの?」

「お前にそれが出来ると信じていなければ、俺は今ここに居ない」

構えた剣を脇に戻すと膝をつき礼をする。

「さぁ、これで俺からの教授はお終いだ。後はちゃんとした師範にしっかり学べ」

木刀を葉山に返す。

俺は縁側に戻ると、再び三味線を手に取った。
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