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十四節

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朝が来て雀の声で目を覚ますと、布団にもぐったままの月星丸が騒いでいた。

「お腹すいたー、腹減ったー、さっぱりしたはまぐりの吸い物か、塩鮭の入った粥が食べたーい」

俺はごそごそと布団から這い出す。

「梅干しの粥なら作ってやろう」

「いやだ。梅干しの粥を食うくらいなら、卵粥がいい。溶いた卵を入れた塩粥にしてくれ」

かまどに火をつけ、研いだ米を炊き始める。

「卵はない。ほしいなら、また明日にでも買ってやる」

「なんで明日なんだよ。万屋にいけば卵ぐらいおいてあるだろ。今すぐ行って買って来て!」

俺は衝立を動かし、月星丸の姿がこちらから見えないように立て直す。

「万屋へはいかぬ。家を留守にするなと言われたばかりだ」

その言葉に、月星丸はぐっと黙った。

俺は炊きあがった米に梅干しを落としてそこに湯を注ぐ。

「具合はどうだ」

「だいぶよくなった」

本当は女と向かい合って飯を食うぐらいなら、この間にも衝立を立てておきたいくらいだが、さすがにそれは悪いと思うので我慢している。

月星丸が箸を置いた。

「今日はなにするの?」

「笠を編む。それだけだ」

「俺は?」

「寝てろ」

月星丸に見られているのがどうにも気になるので、衝立の影になるようにしているのに、こいつは何度もそれを動かして俺の姿を見ようとする。

その度に元に戻すのが、だんだんと面倒になってきた。

いい加減にしろと言ってもやめる気がないので、俺が月星丸に背を向ける。

ガラリと扉が開いて、入って来たのはお萩だった。

「お月ちゃんの具合はどうだい?」

お萩は無遠慮に上がり込んで来る。

「なんだか私のせいで迷惑をかけちゃったみたいでね、申し訳なかったね。これはホンのお詫びのしるしだから、遠慮なく受け取っておくれ」

お萩はまっすぐに俺のところへ這い寄ると、ぴたりと肩を寄せた。

心臓が飛び上がるほど驚いたが、俺が女を苦手としていることを、ここでこの女に悟られたくない。

「中身はなんだ」

全身に脂汗を噴き出させながら、お萩の手にした重箱をのぞき込む。

中から出てきたのは、羊羹だった。

「珍しいだろ? こんな時でもないと、私も食べられないからさ」

お萩は勝手知ったる様子で土間に下りると、羊羹を切り始めた。

「お月ちゃんも食べるでしょ? お羊羹」

布団の中から返事はない。

お萩は鼻歌交じりに羊羹を切ると、それを皿に盛りつけて俺に差し出した。

「甘いもの、嫌いじゃなかっただろ?」

それをお萩の手から、直接受け取る。

動揺と緊張を隠すのに精一杯だ。

「ほら、お月ちゃんも」

お萩はあろうことか、衝立をあっさり脇へどかしてしまった。

月星丸の体を助け起こすと、羊羹の皿を手渡す。

「おいしいねぇ、お羊羹」

お萩は勝手に俺の横に腰を下ろすと、自分も食べ始める。

「ほら、千さんもお一つ」

指の先でつまんだ一切れを俺に差し出す。

これをどうしろというのか。

「はい、口開けて。あーん」

俺が一瞬意識を失っている間にも、お萩はつまんだ一切れを強引に俺の口元に押し当てている。

その座っている位置からは、月星丸からお萩の表情は見えまいだろうが、めちゃくちゃに顔が怒っている。

俺の頭は真っ白になって、息をするためだけに口を開けた。

とたんに、甘い塊がぐいぐいと無理矢理に押し込まれる。

当然、むせた。

「あらやだ、ほらお水飲んで」

お萩は自分の指先をぺろりとなめた。

何が楽しいのか、土間におりて湯飲みに水を入れて持ってくると、にこにこ笑いながら俺に水を差し出す。

その行為自体はありがたいのだが、俺の腕に添えられたお萩の手が、短剣でも押し当てられているように感じる。

思わず、渡された水をこぼしてしまった。

お萩はまた笑った。

これ以上は耐えられない。

「やめろ。そのように慣れ慣れしく近寄るな」

「もう、千さんったらホントにつれないんだから」

俺が決死の覚悟で放った言葉も、お萩には全く届いていない。

どうして女という生き物は、こうも人の話しをちゃんと聞こうとしないのか。

お萩はパシリと一発俺の腕を叩くと、くるりと月星丸を振り返った。

「ところで、お月ちゃんの具合はどうだい?」

叩かれたところがズキズキと痛む。

無論、それほど力が強かったわけではないが、与えられた精神的損傷の方が遥かにこたえる。

「う、うん。だいぶ良くなったよ」

この女はいつまで居るつもりなのだろうか、早く撤退して頂きたい。

「二人は、もうすっかり仲良くなったんだね」

月星丸のその言葉に、俺は激しく自分の耳を疑う。

どこをどう見ればそういう結論に達するのか、全く理解が出来ない。

「あら、だってねぇ、千さん」

お萩は照れたように、ニヤリと笑みを浮かべた。

これだから女どもの会話というものは、俺には全く理解不能だ。

「じゃあ、邪魔しちゃ悪いし、そろそろ帰るね」

お萩は重い腰をようやく浮かせた。

「じゃあ千さん、また後で」

「あぁ、分かった」

そう言われても、何がまた後でなのか、何の事だかさっぱり分からなかったが、帰っていただけるのなら何でもいい。

俺は早々にお萩を追い出そうと、手を振った。

お萩はくすりと笑って、同じように手を振る。

それでようやく帰っていった。

助かった。

お萩の姿が見えなくなると、俺にどっと疲れが押し寄せる。

ようやく解けた緊張と、脈打つ心臓の早さに、床に転がっていないと耐えられない。

すぐさまごろりと横になった俺を、月星丸は見下ろした。

「千さん、顔が赤いよ」

当たり前だ。

俺はいま全身から変な汗を吹き出している。

「来てくれて、よかったね」

俺は月星丸をギロリとにらみあげる。

息も絶え絶えな俺に、返事は出来ない。

「千さんの女嫌い、もう治ったんだ」

もう一度月星丸を見上げる。

まぁ確かに、こいつと住むようになってからは、少しは耐性ができたのかもしれないな。

「お前は女っぽくないからな」

俺は吐き気と頭痛に侵された頭を抱えて起き上がった。

「俺じゃ治らなかったのにね」

「それはない」

今だって十分に気分が悪い。

外の空気を吸いに行きたいが、この家を空けていいものだろうか。

吐き気を堪えて窓の外を見る。

「行きたいんなら、行ってきていいよ」

「悪いな、少し出てくる」

月星丸の方から、そう言ってくれるならありがたい。

俺はふらふらと部屋の外に出た。

お前には悪いが、本当はお前と同じ部屋の空気を吸うのも、少し息苦しい。

話しかけられて答えるのも厄介なら、顔を見ているのも辛い。

だけどその痛みが、他の女とは少しだけ違うことが、唯一の救いだ。

俺は歩き出した。

長屋の門木戸をくぐろうか悩んで、やはりその場に留まることにした。

胸の動悸は続いている。

自分の部屋の土壁にもたれて、井戸の上にかかる月を見上げた。

結局俺はそこで、一晩を過ごした。
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