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六節

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翌朝ふと気がつくと、俺はそのまま眠っていたようだった。

月星丸は起き上がって飯の支度を始めている。

部屋を出て外をのぞいてみると、井戸端で長屋の女どもと話しをしていた。

「そうかい、千さん帰って来たのか。よかったねぇ」

「女が苦手だっていうんだ」

月星丸がそう言うと、女どもは一斉に笑った。

「あの人、ここに来てから何年かになるけど、一度も女を連れ込んだことがないんだよ」

「だからって、男を連れ込むわけでもないしねぇ」

「そこは皆が誉めてたんだ」

米を研ぐ音に混じって、ころころとした笑い声が響く。

「女が苦手ってことは、何となく分かってたよ。だってうちらみたいなのにも、えらくよそよそしいからねぇ」

「大屋の万屋萬平さんも、いい人を長屋の用心棒に選んだもんだって感心したよ」

「だからお月ちゃんがここに来た時、驚いたんだ」

「俺が女だって、すぐに分かるよな?」

「千さんはほら、本当に女を知らないからねぇ」

俺は苦虫をかみつぶす。

だから女は苦手なんだ。

「だからお月ちゃんみたいな子なら、千さんにはちょうどいいのかなって皆で話しててさ」

「そうだよ。あんたが千さんの女嫌いを治してやんな」

「うん」

月星丸は、釜を抱えて立ち上がった。

振り返った俺と目が合う。

「あ、千さん。起きてたのか?」

「さっさと飯にしやがれ!」

そう言って俺はぴしゃりと戸口を閉めた。

井戸端の女どもは笑う。

「分かったよ、すぐに飯にするよ」

月星丸はかまどに火をおこした。

俺は奴に背を向け壁を向いたまま、飯炊きの手伝いもせずにただ座っている。

奴が女と知らぬまでは、手伝ってやっていたのに。

そう思うと罪悪感もわいてくるが、同じ部屋で息をしていることさえ精一杯の俺には、どうしようもない。

「出来たよ。あんたが笠編みを教えられないから、飯を食ったら宗さんのところに教わりに行ってくる」

膳におかれた白飯の、いいにおいが漂ってくる。

月星丸は俺の背中を見ながら食べ終わると、部屋を出て行った。

ようやく解けた緊張感に、俺はどっと疲れに襲われる。

月星丸が嫌いなわけじゃない。

俺はただ、女が死ぬほど嫌いなだけだ。

飯を食べ終わると、とたんにすることが何もなくなる。

月星丸の編んだ笠はどれも隙間だらけで、到底売り物にはならない。

日銭を稼ぐためには仕事をしなければならないが、材料のヒデは全部奴が持って行ってしまった。

途方に暮れる。

途方に暮れるとは、まさにこのことだ。

またため息をついた瞬間、長屋の戸口が開いた。

「大丈夫だよ、千さんだって悪い人じゃないからさ」

入ってきたのは、月星丸と笠編みを習いにいくと言っていた家具職人の宗さんだった。

「おや、千さん、いたのかい?」

にやにやと笑う宗さんの顔に、ますます嫌気がさす。

「うちの奴が世話になったな」

「ほら聞いたかい? 『うちの奴』だってよ」

真っ赤になった月星丸を見て、宗さんは盛大に笑った。

「千さんも、これを機にその困った病気を治しておきな」

編み上がった笠を置いて、宗さんが出て行く。

月星丸と二人きりにされた俺は、また胸が騒ぎ出した。

「ちゃんと教わって、笠を編んだんだ」

差し出されたそれは、とても上出来と言えるような代物ではなかった。

「そうか、よく出来てるじゃねぇか」

隙間だらけで、とてもかぶれたものじゃない。

「売りに行けそうか?」

「これは記念にとっておけ」

俺は奪うようにそれを取り上げると、壁に引っかけた。

「だいぶ上手くなっただろ? 明日は笠を売りに行こう。一緒に行くのが嫌なら、俺が一人で行ってくるから」

「もう少し、数を作ってからだ」

そう言って俺は、覚悟を決めて腰を下ろした。

「飯の支度をしてくれ。俺がやると途中で倒れそうになるんだ」

「分かった」

月星丸は土間に下りる。

「明日は俺が笠の作り方を教えてやる」

「うん!」

振り返ったその満面の笑みに、俺の心臓は一瞬間、一時停止したようだった。

翌日から、俺は約束通り笠の編み方を月星丸に教えた。

「そんな離れたところから口だけで説明されたって、分っかんねぇよ!」

「やかましいわ! それ以上近づいたら、俺はこっから出て行くからな!」

止まらない脂汗とめまいに襲われながら、こっちは必死に耐えているんだ。

これ以上のことを俺に望むな!

「それで、最後はきゅっと締めるんだ」

「うまく出来ないって」

ゆるんでバラバラになりそうなヒデの束と、月星丸は格闘している。

「端をちゃんを押さえろ」

「千さんが押さえててくれよ」

「出来るかバカ!」

「なんでだよ」

立ち上がろうとしたのか、わずかに体を浮かせた月星丸の動きに、俺は全身全霊で驚く。

「ひいぃ!」

その勢いで、手を離してしまった俺の作りかけの笠が、バラバラになってしまった。

「あはは、千さんもざまぁねぇな」

月星丸が笑うのを、俺は歯がみしながら聞いている。

「テメェが笑っていられるのも、今のうちだけだからな」

「そいつは楽しみだ」

ようやく出来上がった笠を担いで、売りに歩く。

天秤棒は俺が担いで、売り子は月星丸だ。

「笠や~、笠はいらんかね!」

月星丸の愛想のいい顔と愛嬌で、俺が一人で売る三倍の早さで、あっという間に笠が売れていく。

全てを売り終わったあとで、月星丸は俺を見上げた。

「なぁ、久しぶりに一緒に飯屋でも行かねぇか?」

「まぁ、いいだろう」

俺たちの事情をよく知った飯屋の女将は、にやにや笑いながら飯を出す。

月星丸がここに来てよかったことは、俺が他の女と口をきかなくても済むようになったことだ。

俺の代わりに全部こいつが用事を済ます。

出された飯を一緒に食いながら、月星丸が尋ねた。

「俺も少しは、役に立ってるか?」

「……。あぁ、そうみたいだな」

狭い長屋に二人で寝るには、危険が大きすぎる。

うっかり寝返りでもして体が触れようものなら、俺はきっと二度と目を覚ますことはないだろう。

夜中に出入りすることもあるから、土間を塞ぐ形で横になるのではなく、縦になって寝るように布団の敷き方を変える。

土間に足を向けて並べた布団の間には、仕切りを立てた。

「千さん、これじゃあ北枕になっちまうよ」

「そんなことより俺の命の方が大事だ」

今夜は久しぶりに万屋の裏仕事に呼ばれている。

こいつをそこに巻き込むつもりはないから、これでいい。

「明日は千代さんのところの子どもたちと、釣りに行く約束をしているのだろう?」

「うん」

「さっさと寝ろ」

「おやすみ」

しばらくすると、すぐに寝息が聞こえてくる。

俺はそっと部屋を抜け出した。

静かな夜の町を、万屋に向かって歩く。

人気のない裏口の戸を叩いて合図を送ると、そっと通用口が開いた。

「あまり遠出はしたくない」

通された部屋で待っていた萬平を見かけるやいなや、俺はそう答える。

「おや、そんなことをおっしゃるとはお珍しいですね」

「家を長く空けるわけにはいかぬ事情ができたのだ」

座布団に座ると、萬平は用意していた紙を俺に手渡した。

「人探しの依頼です」

そこには齢十五と書かれた、柔らかな顔立ちの少年の似顔絵が描かれていた。

「この近辺で見かけたとの噂があるようなのですが、どうしても見つからないとのことで依頼がございました。手練れの浪人風の男が連れ添っているようでございます」

「そいつが供についているということか」

「分かりません」

萬平はふくさにに包んだ小判を三枚、俺の前に置く。

「これは先方からの手付け金にございます」

「ずいぶんと羽振りがよいのだな」

「よほど大切なお方なのでしょう。早ければ早いほど、お礼ははずんでいただけるそうでございますよ」

「なるほどな」

俺は渡された似顔絵をもう一度見る。

「して、この者の名は?」

「お伺いしておりません」

「依頼主はどんな奴だ」

「そんなこと、今までお聞きになったことはございませんでしょう?」

萬平はうっすらと笑みを浮かべる。

確かにそうだ。

確かにそうなのだけれども。

「では、よろしくお願いしましたよ」

「承知した」

俺は月星丸の似顔絵が描かれた紙を、懐にしまった。
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