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三節

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 翌朝目が覚めると、俺よりも先に月星丸は起きていて、じっと俺を見下ろしていた。

「なんだ、もう起きていたのか」

「もうとっくに日は昇っているのに、朝飯がまだ出てこないのだ」

俺はあくびをしながら頭を掻く。

「そりゃあ困ったな」

俺は土間に下りると、米びつからコメを取り出し釜に入れた。

「飯は自分で作るんだよ」

月星丸は米を研ぐ俺の様子を、目をまん丸くして見ている。

「そうだ! 飯は自分で作るんだった!」

「やってみるか?」

「うん!」

見よう見まねで研ぎ始めたはずが、案外うまくやっている。

時折俺に指示を仰ぎながらも、無難に飯を炊き終えた。

みそ汁の作り方も教えると、うれしそうに包丁を握る。

「俺だって飯くらい自分で作れるんだよ! ちょっと忘れてただけだ! そうだ、そうだったんだ!」

やがて釜から白い湯気があがる。

久しぶりに自分で作ったらしい飯を、月星丸はうれしそうにほおばった。

嫌がるかと思った皿洗いや片付けも、全部自分からかってでる。

桶に担いだ食器を手に、部屋を出た。

「あら千さん、かわいらしいお弟子さんをとったんだねぇ」

井戸端からなかなか帰ってこないと思ったら、長屋のおばちゃんたちとすっかり馴染んで、自分は俺の弟子になったと吹聴してまわっていた。

「違う、明日には出て行く約束だ」

俺は遠くから、そう答える。

近寄って行くのが面倒くさいのもあるが、慣れ親しんだ長屋の住人といえども、やはり女と名のつく生き物は苦手だ。

「昨日の奴じゃねぇか、なんだよ結局千さんと暮らすのか」

子どもの一人が俺に言った。

「違げぇーよ、だからすぐに出て行くって言ってるだろ」

洗った食器を抱えた月星丸が、ようやく戻ってきた。

「なんだお前らか。今日は朝飯も食ったからもう負けねぇぞ。俺と相撲で勝負しろ」

「なんだと、この野郎!」

ムキになる子どもを相手に、月星丸はにやりと笑う。

「いいか、お前らなんか本当は……」

「ダメだ」

すぐに走り出して行って、遊び始めそうな月星丸を押しとどめる。

「今日は編んだ笠を西の通りに売りに行く日だ。ここに来て遊びたいだけなら、さっさと自分のうちに帰りな」

月星丸の表情が、キュッと引き締まった。

「一宿一飯の恩は、きっちり返してもらおう」

「分かった。では早速参ろう」

すっと伸びた背筋で、真っ直ぐに歩く。

優雅にもみえる手つきで食器を片付けると、月星丸は俺を振り返った。

「俺は何をすればいい?」

その旺盛なやる気に満ちた表情に、俺は空を見上げてまたため息をつく。

この坊ちゃんは、いつまでこうして市井の生活を楽しむつもりなんだろう。

「そこに置いてある笠を全部天秤棒の上に乗せな。お前が自分で担いで売りに行くんだよ」

「よかろう」

本当はそんなこともしたことないくせに、泣いて嫌がるかと思えば素直に言うことを聞いている。

月星丸は全ての笠を二つに分けて籠に乗せると、肩に長い手振り棒を担いだ。

「どこに行けばいい?」

「一人で勝手に売り歩いてこい」

「承知した」

月星丸は緊張した面持ちで、長屋の木戸門をくぐり抜けていく。

あいつは本当に、このままここで暮らしていくつもりなんだろうか?

「千さん」

見ていた子どもが俺を見上げる。

「なんだ」

「あいつ、売り上げ持って逃げんじゃねぇか? 別に千さんは用心棒の裏家業があるから大丈夫だけどよ、見知らぬ他人に商売道具を全部持たせて行かせてちゃあ、行かせたてめぇが悪いってもんよ」

俺はまたため息をつかされる。

「本当だな」

「追いかけてって、見張ってた方がいいぜ」

「合点、承知した」

俺は渋々重い腰をあげた。

本当に、面倒な相手に懐かれたもんだ。

相手にもよるだろうが、誰かと暮らすくらいなら、一人で気楽に生きていた方がよっぽどマシだ。

それほど重いわけでもあるまいに、ふらふらとおぼつかない足元で歩く月星丸を、俺は通りに出てから簡単に見つける。

大声を張り上げるわけでもなく、どうやら通りかかる通行人に「もし、もし」と声をかけているようだ。

俺は痛む頭を抱える。

大通りをすれ違った豆腐の棒手振りが、「豆腐~豆腐! 豆腐はいらんかねぇ~!」と叫ぶのを見て、ようやく棒手振りの作法を理解したらしい。

最初は小さな声で何となく売り歩いていたのが、やがて声も大きく身振りもでかくなり、ようやく初めての笠が一つ売れた。

月星丸は初めて自分で稼いだ金を手の平に乗せ、真っ赤な顔で目を潤ませながらじっとそれを見ている。

ぎゅっと握りしめたそれを袂に入れると、彼は先ほどより大きな声を出して売り歩き始めた。

俺は何をしているんだろう。

本来なら早く奴を家に帰すべきなのに、ますます帰りたくなくなるような楽しみと自信をつけさせてどうするんだ。

あいつと出会ってから何度目になるのか分からないほどのため息をつく。

早く追い出す算段をつけなければ。

一度コツをつかめば上手くいくもので、月星丸は華奢な見た目のかわいらしさと、意外にも調子よく愛想のいい客引きの仕方で、あっという間に全ての笠を売り終えた。

最後の笠を客に渡して金を受け取ると、彼はとても満足したように息を吐き出す。

それからどうするのかと思って見ていると、どうやら天秤棒を肩に担いで、真っ直ぐ長屋に帰るつもりのようだ。

俺は足取り軽く軽快な月星丸よりも先に帰らねばと、くるりと背を向けた。

「おいそこのくそ坊主」

その時だった。低い声に振り返ると、町人から身を崩したようなやくざ者らしき男三人が、月星丸を呼び止めていた。

「今日一日でずいぶん稼いだみたいだな。どれだけ売ったのかちょっと見せてみろ」

男の一人が月星丸の担いでいる長い天秤棒の端をつかんで強く引いた。

月星丸は転んで尻もちをつく。

男たちはそれを見て笑った。

「ほらつかまれよ」

差し出された手に、月星丸は素直につかまった。

ぐいと引き寄せられ、腹に強い膝蹴りが入る。

「いいなぁ、沢山お小遣い持ってて。俺たちにもちょいと分けてくんねぇかなぁ」

腹を抱えてうずくまる月星丸の頭をつかむと、今度は顔面に膝を打ち付けた。

「あらあら、かわいいお顔がざまぁねぇなぁ」

月星丸は、出てきた鼻血を両手で押さえている。

「ほら、さっさと稼いだ金を全部出せよ」

男が胸ぐらをつかむ。

片手を月星丸の袂に突っ込んだ瞬間、月星丸は男に頭突きを喰らわせた。

飛び出た金の一部が、地面にこぼれ落ちる。

月星丸はその上に覆い被さった。

「ふざけんなよ!」

男たちは一斉に月星丸を踏みつけ、蹴り上げた。

うずくまる月星丸の、元服前の後ろに一つに束ねた髪をつかむと、ぐっと持ちあげる。

月星丸の顔が持ちあげられ、その顔面に再び強烈な蹴りが入れられた。

「手間かけさせんなって」

さすがに意識をなくしたのか、ぐったりとなった月星丸の体が地面に横たわる。

男たちは袂の金を漁り終わると、立ち上がった。

「じゃあな、ご苦労さんでした」

立ち去ろうとする男の着物の裾を、月星丸の手がつかんだ。

「返せ。それは俺の稼いだ金だ」

血だらけの横たえた体で、声を絞り出す。

別の男がその手を上から踏みつけた。

「俺たちもいま一仕事してなぁ、お前から稼いだ金なんだよ」

そこからまたしばらく、月星丸はただ蹴りつけられるだけの肉の塊となり、されるがままに立たされては突き飛ばされ、投げられ、殴られたいだけ殴られた。

「じゃあな、これに懲りずにしっかり真面目に働けよ」

卑下た笑い声と捨て台詞を残して、男たちは再び歩き始める。

もう月星丸に、抵抗するだけの体力は残っていなかった。

俺は隠れて見ていた物陰から、姿を現す。

「やぁ、うちのガキが世話になったみたいだな」

腰に刀を差した俺の姿を見て、男たちは自分の脇差しに手をかけた。

「なんだテメェは!」

「笠の代金一つ五十文、全部売ったら一貫にはなったはずだ」

奴らの足が、一歩後ろに下がる。

「返してもらおうか」

男たちが殴りかかる。

俺はひらりとそれをかわして、足をかけて転ばせた。

もう一人の伸びてきた腕をつかむと、それをぐるりとひねってねじ伏せる。

「ちっ、見てやがったのか」

残る男が奪った小銭を投げつけた。

押さえつけた男の手を離してやると、あっという間に逃げていく。

それを見送ってから、俺は動かない月星丸の髪をつかんで持ちあげた。

「おい、目は見えてるか?」

腫れ上がった顔で、薄目を開けた。

俺はその顔を見て薄笑いを浮かべる。

「外で生きて行くのも大変だろ?」

手を離す。

月星丸はごつりと地面に頭をぶつける。

「立て。落ちてる金を全部拾い集めろ」

月星丸はよろよろと立ち上がると、こわばった指先で銭を拾う。

全て拾い集めるのを見届けると、俺は奴の目の前に自分の手を突き出した。

「全部よこせ」

彼は素直に、俺の手に金を落とす。

受け取った金を全て自分の懐に入れる。

「さぁ、帰ったらもう一度笠を売りに行け。今度は助けは来ねぇぞ」

語尾を荒げてワザとそう言ったのに、彼は傷つけられた足を引きずって歩き出す。

「どこに行く」

「長屋に帰る」

「長屋に帰る? 帰ってどうする」

「出来ている笠は全部持ってきた。もう残っている笠はない」

俺は心底長い息を吐き出す。

「帰ったら、またすぐに笠を売りに行くんだぞ」

「ならばお前が笠を編め」

舌をならす。

ちっ、そういうところは抜け目なく見ていてやがる。

俺はゆっくりと歩く月星丸の横に並ぶと、足を引っかけて転ばせた。

月星丸はそれでも、両手を地面につき立ち上がろうとしている。

俺は月星丸の前にしゃがみこみ、その手を開かせると、彼が稼いだ銭をそこに乗せた。

「どこの坊ちゃんでどういう理由で抜けてきたのか、それを聞く気はさらさらねぇ。だけどな、あんたにはあんたの居場所ってもんがあるだろ。自分のいるべきところに帰りな」

「余計な詮索は無用だ」

月星丸は、小銭をつかまされた拳を俺に突き出す。

「俺に帰る場所はないと何度も説明したはずだ。時期がくれば勝手に俺の方から出て行く。それまでの世話賃だ受け取れ」

呆れてものが言えぬとはこのことだ。

俺は差し出されたその手をつかむと、背負い投げにして地面に体を叩きつけた。

「帰らないなら追い出すまでだ」

月星丸は、その衝撃で落とした金を拾い集める。

立ち上がって俺をにらみつけるその顔を、一発殴りつけた。

尻もちをついた月星丸は、動くことをやめる。

これで諦めたかと、背を向けて歩き出してはみたが、奴は立ち上がりやはり俺の後をついてきた。

振り向きざまにもう一発殴りつけて、地面に沈める。

「いい加減にしろ!」

怒鳴ってみても、ビクリともしない。

俺との距離を保ったまま、じっと俺が動き出すのを待っている。

一歩近づいたら、下から俺を見上げた。

その襟元をつかんで引き寄せる。

「ここまでされても、まだ帰りたくねぇのか」

「殴りたければ好きなだけ殴れ」

月星丸は再び流れ出した鼻血をぬぐう。

「こういう時は、抵抗しない方が早く済むんだ。逆らったところで、何も変わりはしない。お前の気がすんだら、それでいい」

その言葉に、俺は天を見上げてため息をつく。

どこにでもいるような子どもに見えて、どこにでもいない子どもだ。

「気が済んだか。帰ったら、飯は俺が作る」

月星丸はそう言って立ち上がると、自分から長屋へと戻った。

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