私が救えなかった少女

ももさん

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黄昏時の帰路

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 言葉を読み終えた私は、彼女の痛みも苦しみも理解していないくせに、知ったように頷いた。そうするしかなかった。

「そうだったんだな」
『ごめんね、暗い話で』
「私が聞いたんだよ、謝らないでくれ。知れて良かったよ」
『うん』
 安奈は目を細め、消え入りそうな笑みを浮かべた。意識は過去へと飛び、あの時の映像をプレイバックしているのだろう。

 私は言うのを躊躇ったが、
「安い言葉かも知れないし、不要な言葉なのかも知れないが、父親のことはけっして君に責任はない。小学生の女の子は、それこそ不要なものを多く抱えていたんだ。母親はなんて言ったかは知らないが、自分を責めるのはお門違いというものだ。少なくとも、私はそう思う」

『ありがとう。親戚の人もそう言ってくれたんだけどね、どうしても』

 安奈は暗い表情を浮かべ、視線を下げた。やはり不要な言葉だった。安い慰めは、相手を傷つける容赦のないナイフへと変貌する。後悔してもしきれなかった。
 彼女は、そんな私の後悔を感じ取ったのか、無理に顔を明るくし、〈気にしないで〉と口を動かした。

 私が慰められることになるとは。恥しい限りだった。

『お願いがあるんだけど、いいかな?』
「なんだ?」
 安奈は躊躇いを見せたが、意を決したように打ち込んでいった。
 遠慮がちに向けられた画面に、私は顔を近づける。

『メールアドレス教えてくれない?』

 そう、画面には書かれていた。安奈は恥ずかしそうに頬を染めていた。

「そんなことか、構わないよ」
 安奈は顔を上げ、プレゼントをもらった子供のように顔を輝かせた。
『ありがとう!』
「教えるのは構わないが、せっかくなら電話番号も教えてくれないか」
『え? でも……』
「私は連絡先を両方きくことにしている。喋れないから意味がない? そんなことは関係なさ。メールアドレスだけじゃ、寂しいんだ」

 安奈は照れを隠すように顔をうつむかせると、またしても子供のような無邪気な笑み浮かべた。

『寂しい、か……なんだか嬉しいな。そんなこと言われたの初めて。私も、宇田川くんの電話番号が欲しい』
「なら、両方とも教えるよ」
 安奈はにこっと笑い、私も釣られて笑った。自分でも、私は仏頂面だと思っていたが、彼女といると自然と笑み増えていた。それは彼女の天性の才なのかも知れない。

 私も携帯電話を取り出し、懐かしの赤外線通信でアドレスを交換した。黒いセンサー部分を数センチの隙間を空け近づけ合うと、数秒後には安奈のアドレスが送られてきた。
 安奈は画面を見て頷くと笑った。私のアドレスも無事到着したらしい。

「そろそろ帰ろうか」と私は言った。窓の外を見てみると、陽は落ちかけ、月とバトンタッチしようとしていた。

「また家まで送ろう」
『うん、ありがとう。ねえ、傷はまだ痛む? 本当に保健室に行かなくてもいいの? 絆創膏だけでも……』
「平気さ。心配するんじゃない。さあ行こう」

 私が歩き出すと、安奈もついてきた。図書室は係員を除けば私たちだけになっていた。係員も、本をたたみ帰る準備を始めている。

 これで、未来は変わったのだろうかと考える。安奈の入院理由がいじめによるものだとすれば、これで入院することはなくなるだろう。そうなれば、私と再会することもなく、警察と繋がっているという馬鹿な容疑をかけられず、巻き込まれることもない。刺されるのは、私一人で済む。
 変わってくれたのなら有難いのだが──。

 廊下を歩き、階段を下りていく。
 安奈は、気がついたように片手に持っていた携帯電話を持ち上げると、文字を打ち込んでいった。

 私は顔を向け、様子を窺った。安奈は慈しむように笑っている。
『宇田川くんこの前、私が怖くないかって訊いてきたよね?』
「ああ」
『実は他にも理由があるの』
「理由?」

 安奈は一生懸命、時間をかけ打ち込んでいった。危ないぞ、と声をかけたが、頷くだけで手は止まらなかった。
 打ち込み終えると、私に画面に見せる。

『あれは一年生の頃の話。私たち、同じクラスだったでしょ? 喋れないから、その頃からよくからかわれていたの。私はいつものように笑顔を取り繕っていた。
 けどある日、私は自分が情けなくなって泣き出してしまった。みんなはなに泣いてんだよって笑って、私も泣きながら笑っていた。嫌われたくなかったから。
 でもそこに宇田川くんがやって来てくれた。私にハンカチを渡して、からかっていた人たちに、つまらないことは止めろって言ってくれた。
 私はそれがとても嬉しかったの。初めて、私の味方になってくれる人だった。
 その一件があったから、宇田川くんを怖いだなんて思ったこと、一度もない。ちゃんと感謝できなかったし、いつか言わなくちゃって思ってたの』

「そうか」
『宇田川くんが照れるかなって思って、訊ねられたときは言えなかったんだ』

 病院で安奈と話したときも、同じことを言っていた。

「よく私のこと解っているじゃないか」私は二人の安奈に向けて言った。
 安奈は夕陽のように頬染め照れた。
『でも、これでやっと言える。あのときはありがとう。それに、今日のことも。いつもいつも、助けてくれてありがとう』
「いつもか──」と私は黄昏れるように言った。「けっして、いつもではないよ」
『え、どういうこと?』
「なんでもないさ」と私は首を振った。「忘れてくれ」

 安奈は頷いたが、意味を知りたがっていた。
 そのあと、私たちは沈黙の中歩いた。
 二人の影は、夕陽によっていつもより伸びている。時おり重なり、一緒になる。私はそれを眺めた。上手くは言えないが、こんな時間が、いつまでも続けばいいと思った。せめて彼女だけでも長く続いて欲しい。

 ヤクザに穢されてはならない。
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