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 朝、宿に現れたバハラットは、昨日ほどではないが、ぱりっとした格好をしていた。またタイを結んでいるし、靴もしっかり磨かれ飴色に光っている。明らかによそ行きの格好だった。
 
「おはよう、セルチェ」
「おはようバハラット……朝から大荷物ね」

 バハラットの腕には、大きな箱が三つほど抱えられている。ピンクと白のストライプ柄、白地に金の箔押し、水色のリボン掛け。どれも彼には似合わない、可愛らしいデザインのものだ。
 
「君にプレゼント。開けてみて」

 部屋に戻って、期待の眼差しを向けてくるバハラットの前で、セルチェは箱を開けた。出てきたのは、胸にタックの寄った白のワンピースに、肌触りのいい起毛のあるショートブーツ、サンゴ色のやわらかなショール。どれも値札はなかったが、高価な品だとわかる。

「恥ずかしながら、昨日、あれから母に叱られたんだ。女の子に恥をかかせるな、と」

 ああ、そういえば、とセルチェは思い出した。
 昨日、まさかバハラットの両親に会うとは思ってもみなくて、前日と同じ着慣れたシャツにスカートで出向いてしまったのだ。動転していて気も回らなくて、そもそも待ち合わせたレストランの格にも合わない格好で行ってしまった。
 それで慌てて「こんな服ですみません」と謝ったのだが、バハラットの両親は咎めたりしなかった。
 
「でも、こんな高価なもの」
「ぜひ着てみて。受け取れないなんて言わないでくれよ。妻に服をプレゼントする権利くらい、おれにもあるだろう」

 値段を考えると気後れもするが、好意は嬉しい。品物はだいぶ少女趣味で、似合うか不安だけど、わくわくもする。それに、妻と言われると、顔がぽかぽかしてしまうのだった。

「あ、ありがとう」
「どういたしまして」

 嬉しそうにバハラットが微笑んで、セルチェも笑い返した。とてもくすぐったい気持ちだ。

 バスルームで着替えを済ませたセルチェが部屋に戻ると、バハラットはいなかった。ドアを開けたところ、横の壁にもたれかかるようにして、ひそひそ話している。
 セルチェに気付いて、彼は軽く右手を上げた。左手で何かを耳にあてて。
 やがて会話が終わって、彼は耳に当てていたものを手のひらに載せた。鎖で首からさげた、水晶片だ。
 
「どうしたの? それ、なに?」
「これは、ソーアンの試作品。携帯用の水晶玉みたいなものだよ。音声だけだが通信できる。ソーアンから、仕事の相談がきたんだ。
 ……そんなことより、似合うよ、セルチェ。君の肌の色と、ショールの色が相性いいだろうと思ったんだ。気に入ってもらえたかな」
「うん、それはもう。ありがとう」

 セルチェは先程、鏡の中の自分の顔色が、ぱっと華やいで見えたことに驚いたばかりだ。バハラットに感謝を伝えたくて、ちょっとだけスカートを翻してみせた。
 
 バハラットは、満足そうな顔をして、パンツのポケットから小さな箱を取り出した。箱はちょっと潰れていたが、中身は無事なようだった。出てきたのは、透かし彫りの金のバレッタで、繊細で幾何学的なデザインが、レース模様のようだ。
 それをセルチェの髪に留めて、バハラットはあらためて満足そうにうなずく。
 
 髪に触れられたとき、耳たぶを彼の指がかすって、セルチェはまた赤面しそうだった。窓ガラスを見ると、髪を飾り付けられた自分が映っている。バハラットがよく、研究室で大きな体を丸めて精密作業に没頭していたのを思い出す。こう見えて、この男は手先が器用だ。
 
「さて行こうか。せっかくのデートだ、なにか美味しいものを食べたいね。希望は?」
「うーん、できれば果物が食べたいな、朝だからさっぱりと」
「よし、いい店がある。朝食にもってこいの、旨いパンもあるぞ。はい」

 当然のように差し出された腕に、おずおずと指を絡める。骨の周りに筋肉の詰まった密度の高い腕だ。
 近付いたはずみに、バハラットがいつも控えめにつけている香水が、ふわんと鼻の奥をくすぐった。まさかこんなに間近で嗅ぐことがあるとは。

 ――夫婦でデートするんだもの。このくらい、してもおかしくないよね。
 
 怖気づきそうになる自分に必死に言い訳しても、歩き方はぎこちなくなってしまった。顔が熱くて、とてもバハラットの方は見られない。

 ――本当は、いつかこういうことをしてみたかったの。

 その本音は、まだ言えそうにない。
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