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#EXTRA 新妻のためのあんちょこ下巻(後)

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 夜半。軽い夕食が済んで、体を清めて寝間着に着替え、私は寝室のベッドの上で膝を抱えていた。明かりを消せばあとは就寝である。外は満天星で、さっきまではカーテンをめくってそれを眺め、気持ちを落ち着けていた。
 
 アンデルの足音が、廊下を近づいてくる。
 胸に手をあて、深呼吸をする。

 今日のアンデルは、ことあるごとに私を抱きしめたり、キスしたり、やけにひっつきたがった。私はそうするのがなんとなしに気まずくて、さり気なく距離をとろうとしてみたのだが、油断するとすぐに抱き込まれて、それでいて、彼が満足すると簡単に放り出された。

 体を清めたあと、髪の毛を部屋で手入れしていると、アンデルがやってきて、「僕がやろうか」と手伝いを申し出てくれた。おくれ毛をとるために首筋や耳や肩甲骨に指で触れられるたびに、緊張から体が跳ねてしまって、ひたすら恥ずかしい思いをさせられた。それなのに、アンデルは、本当に髪の手入れだけして居間に戻っていったのだ。私の緊張なんて知らん顔で本を読み、ふと目が合うとにこりとしてみせた。穏やかなその顔に、――もやっとした。
 
 正直に言おう、私は焦れていた。
 こういうとき、――久々の再会、しかも念願かなってふたりきりの生活がはじまったのだ――恋人同士だったら、昼も夜もなく求めあうものではないのだろうか。それとも前のように、私が自分から催促しないといけないのだろうか。彼の方から求めてほしいなんて思う私は、浅ましいのか?

「入るよ」

 ノックとともにアンデルが部屋に入ってきた。そしてスタスタとベッドまで歩いてくると、私が座っているのと反対側のへりに腰を下ろし、靴を脱いで横になる。チェストに手をのばして、私を見た。

「明かり、消すよ」
「……わかった」

 寝る気に満ちているその様子に、私が勝手に舞い上がっていたんだと思い知らされる。なんだかすごく切なくなって、横になって彼に背中を向けた。掛布を被って「おやすみ」と挨拶する。

 おやすみ、と返答があって、部屋が暗くなった。

 そうだった。彼はこういうことに消極的だった。それに、もしかすると、同居人が増えるにあたって、色々準備して疲れているのかもしれない。だから今夜はゆっくり休んだほうがいい――。

「ハイリー、そっちに行ってもいい?」

 まぶたを閉じて、深く息を吐いたところだった。思わず、閉じたばかりの目を見開く。 
 返答する前に、衣擦れの音、ベッドのきしみが聞こえて、そっと背中に温かいものが寄り添った。そしてみぞおちに手を回される。首筋に温かい吐息がかかる。髪の毛に鼻先を埋められたらしい。ぞわ、と鳥肌がたちそうになる。

「このまま眠ろうか?」
「君が眠いなら、それを優先すべきだね」
「では……僕にあなたを愛する時間をくれる気は?」
「……そういうつもりはないのかと思っていた。ちょっかいかけて、もう満足なのかと」
「いい?」
「……いいよ」
「よかった、あの本の内容はどうやら眉唾ではないんだね」
「は?」

 ふふ、と笑声が後ろから聞こえる。あわせて首筋がくすぐったくなって、私は肩をすくめた。

「第二章三節『相手がその気になるように誘導するには、適度な身体の接触が効果的です。自分から積極的に、しかし配慮を持って、優しく触れたり、口づけをしましょう』。第五章一節『行為のあと急に相手が冷たくなった場合、距離感に悩んでいるだけかもしれません。もうだめだと諦める前に、もう一度愛情を伝える努力をしてみましょう』」
「……読んだのか」

 頭を抱えて丸くなろうとした私を、アンデルがやや強引に自分の方へ振り向かせた。薄闇でも、彼が笑いをこらえているのがわかる。

「あなたも読んだんだね、下巻」

 その言葉で、私は自分のうかつさに気づいた。この反応では、私があの本の内容を知っているとバレてしまうではないか。かあっと頬が熱くなって、暗い中どうせ見えないはずなのに、手で顔を覆った。アンデルの目を直視できそうにない。

 あの本。『新妻たちのために――生活の知恵と実践――』は、上巻が昼の仕事、下巻が夜の営みについての構成になっている。しかも、下巻はわかりやすいようにか、なかなか具体的な挿絵を多分に含んでいて、一章の『初夜に破瓜を迎える貞淑な妻のために』という題からしてわかるように、この国の性に奔放な女性向けの内容になっている。
 読みながらルジット人すごい、と白目をむきそうになったのだ。

 はじめから誰にも嫁ぐ予定がなかった私は、子女がうける夜の礼儀作法をろくに学ばずにきてしまった。そんな女には、めまいがするような内容ばかりで、おそろしく背徳的な本という印象だったのだが、なぜか読むのを止められず最後まで読んでしまった。

「あなたのかばんから転げ出てきたとき、まさかあんな内容だとは思わずに開いてしまったんだ。あなたの愛読書は内容がかなり……その刺激的だったから、驚いた」
「愛読書っ!? ち、ちがう! あれはもらったもので、偶然、下巻があんな内容だっただけだ! 昨日一度読んだだけだから、誤解しないように!
 捨てようかと思ったけれど、どこで処分したらいいかもわからないまま、持ってきてしまったんだ! そのうちオーブンにでもくべるよ!」
「昨日読んだんだ」
「それは、その……眠れなくて」
「あれを読んでも、逆に眠れなくなりそうだなぁ」
「はあ……そのとおりだったよ」

 おかげで睡眠不足だ。軍にいたころはこの程度、気にもならなかったはずなのに、衰えた。なんとなく体が疲れている感じがする。
 
「それで僕に触れられるの、避けていたの?
 部屋で髪に触れようとしたとき、びっくりしていたよね。あの本を読んで、意識してしまった?」
「別にそんなことはないよ。
 ……待った、それ以上聞かれても、私はなにも答えないから」
「拗ねないでほしいな。僕は、なにが理由だったとしても、ハイリーが僕のことを少しでも意識したり、欲しがってくれていたならいいなって思っている」

 私は無言を貫いた。
 答えは「はい」なのだが、あの本のことがすべての原因というわけではない。あの夜から日を置くごとに自分の欲をはっきり意識するようになったことだとか、あのときのアンデルの声や肌のにおいを頻繁に思い出すようになったことだとか、複雑な理由がいくつかあるのだが――どれも説明したくない。

 息を吐いて、彼に背中を向けようとした。先にぎゅっと抱きしめられ、アンデルの鎖骨のあたりに、鼻があたる。
 私はアンデルの背中に手を回す。それは渋々だったのだが、彼の寝間着に染み付いた優しく爽やかなハーブの香りに、荒れ模様だった胸の中が静かになっていく。

「ねえハイリー。僕は寂しかったよ。たった数週間だったけれど、あなたに会えない時間はとても寂しかった。おかしいよね、それまでは年単位で会えなかったことだってあったのに、そのときよりずっと苦しかったんだ。今日をどれほど待ち焦がれていたか。
 それはきっと、一度知ってしまったからだと思う。もう忘れられないし、離れてはいられないんだ」

 きゅう、と胸が締め付けられた。

 私の唇にアンデルの唇が触れる。三度目の口づけで顔を少しあげ、アンデルの唇をしっかりと受け止めた。様子を窺うように差し込まれた舌を、自分の舌で迎える。はじめはゆっくりと、徐々に深く性急になっていく。

 私も。私だって、このときを待ち望んでいた。何度もアンデルの声を思い出して、唇の感触を思い出して、あの夜のことを思い出した。寂しかったと言われて、申し訳なくなったり、可哀想に思ったりしない。ただ、嬉しい。

 大きく口を開け、互いの口内を愛撫しあう。腕がぶつかったり脚がぶつかったりするなか、少しでも速く邪魔なものを退けようと焦りながら、相手の服を脱がす。

 前をボタンで留めるワンピース型の私の寝間着は、手間はかかるが横向きでも脱がせられる。アンデルに前を開放され、そのまま、胸を包む下着の前を綴じていた紐も、腰を覆う下着の横に結ばれていた紐も、やや手荒に解かれた。
 腕や脚に引っかかったそれらを、私が脱ぎ捨てている間に、アンデルががばっと身を起こして、自分の履いているものを脱ぎ捨てる。頭を通す形の上着も、紐で腰にとめていた下着も、全部。

 裸になったアンデルが体の上に倒れ込んできて、両腕でそれを抱きとめる。彼の手に開かれる前に、膝を開き、その骨のとがった腰に脚を絡めた。すでに立ち上がりかけていた肉の槍は、切っ先を研ぎすますために、私の敏感な粘膜を何度もこする。そこを潤しているものを刃に塗り込める仕草で、花芯が刺激され、これまでに二度だけ開かれた私の体にある道が、期待で疼いた。すぐにも、この空虚な場所を埋め尽くしてほしい。手荒なやり方でもいい、彼の存在を感じられるなら。

 アンデルが、せっかくゆるい三編みに整えた私の赤毛を、遠慮もなく手でぐしゃぐしゃにし、空いている方の手で乳房を掴む。力が強くて痛かったのはほんの数秒で、乳首をつまみ上げられると、勝手に声が出てしまった。ざっと背中が粟立つような快感。花芯と同時に刺激されると、へその下がきゅうっと疼いた。

 私もただ愛撫されていたわけじゃない。彼の陰茎を手でしごいていた。もう、すっかり芯が通って準備ができている。

「アンデル、はやく……っ」
「でもまだ」
「いいから、はやく。私だって、寂しかったんだ」

 ぐ、と息を呑んだアンデルが、どうしてか一言「ごめんね」と謝った。腰に絡めていた脚を解いて、私は自ら彼を受け入れる意思を示すため、膝をたてて開く。その間に体を進ませた彼は、自分のものに手を添え、一息に私を貫いた。

「んっ……う……」

 鼠径部全体が引き攣れるような、しびれを伴った痛みが走る。熱く重い。衝撃は下腹部を緊張させ、背中に汗を浮かせた。敷布を掴んで、耐える。
 しかし、頭を撫でられるたびに、渦巻くしびれが不思議な充足感に変換されていく。

「ハイリー……」

 ささやきなのに、質量も熱もいつも以上の声音。私はたまらなくなって、敷布を握りしめていた手で、アンデルの背中を抱いた。
 きっと、息が詰まるほどの破瓜の痛みだって、何度だって我慢できる。むしろ、それすら愛おしく、また欲しい。

 ゆっくり息を吐いて目を開けたら、アンデルが心配そうに間近から見下ろしてくる。しかし腹の中に突き立てられた物騒なものの勢いは、緩む様子もない。ぴったりと私の内側を満たしている。

「ん……、もう寂しくない」
「……あんまり煽らないでよ、ハイリー。僕は不慣れだから、まだそういう負荷に対する耐性が」
「前のようになりそう?」

 正直者の彼が微笑ましく、からかってしまった。

「あっ」

 優しく腰を揺すられ、怠いような熱さが生まれる。まだ少し苦しいが、だいぶ体は楽になっていた。前回ほどの衝撃はない。

「それもあるけれど、……歯止めが効かなくなりそうってことだよ」

 好きにしてくれてかまわない。そのつもりで、アンデルの耳たぶに唇を寄せ、かりっと軽く噛んだ。くすぐったそうに身を捩って、彼は私の攻撃から逃げようとする。

「そういういたずらより、あなたの口づけがほしい。昼間のだけじゃとても足りないよ」

 おねだりに応えると、すぐに応戦された。舌の付け根をくすぐられ、甘い痺れが頭をぼんやりさせる。うん、この優しい刺激は好きだ。うっとりと目をつぶった。

 アンデルが密着した腰を揺すり、体の内側を満たす彼のものがわずかに擦れる。口づけよりも鮮明な刺激が、体の芯を熱くさせる。そして、吐息に混じったかすかな声が、耳の奥をしびれさせた。触れるものも味わうものも多すぎて、頭がくらくらしてしまう。
 熱さに変わったかつての痛みは、どこかまだ重い。抜けきる前に次の熱が私の道を開く。苦しいのに幸せで、私は必死でそれを受け止めようとした。

「ハイリー、……あぁ……、すごく熱い。ごめん、僕、やっぱり……」
「っあ、……、きて。名前、もっと呼んで」
「ハイリー……、ハイ、リー……っ」

 何度か味わった、鋭く恐ろしい絶頂の快楽とは違う、穏やかな波のような充足感が体を、胸の中を満たしていく。

「んっ……はあ……」

 ぎゅうっと強く抱きしめられ、体の中に埋められた肉の槍が震えた。終わってしまったのに、嬉しくて、私もアンデルの背中をぎゅっと抱きしめ返した。

 汗で滑る体をしっかり抱きしめあって、お互いの空虚なものはすっかり埋め尽くして。こんな夜を欲していた。

 手をつないで、明け方まで少しだけまどろんだ。どちらからともなくする口づけの、気だるく甘い感触は、くすぐったかった。

 ああ、こんな素敵な朝がまた来ればいい。指を組み合わせたアンデルに、素直な気持ちを伝えたら、彼は目を伏せて、何度だって、あなたが望むならと微笑んでくれた。



「お前はもう役目を終えたんだ」

 そう語りかけたとしても、餞別の品を処分する後ろめたさがなくなるわけじゃない。だが、手元に置いておくのも落ち着かないし、役に立ったとも思えない。

 そう心のなかで言い訳して、手にした小さな冊子を、気合をこめてちぎった。薄くても本だから、簡単に真っ二つにはならず、数度に分けてちぎって、オーブンの火にくべる。半分以上余りそうだが、それは後日にとっておけばいい。

「ハイリー、いいの? 愛読書」
「愛読書じゃない。置いておく場所もないだろう。もちろん、上巻はありがたくとってある」
「そう……。そんなに大きくもないけど、まあ、置き場に困るというなら仕方ないね」
「そうだよ、無限に部屋があるわけじゃないんだ、この家は」
「必要になったら僕に聞いて。覚えているから。
 ああ、残りはそっちの薪のあたりに置いておいてもらえたら、火起こしのとき助かるなあ」

 私は、シャツを腕まくりして、作業台に飛び散った小麦粉を片付けているアンデルを見つめた。
 彼に教えてもらいながら、簡単なパンを焼こうとしているところだが、ほとんど私は役に立たなかった。だからせめて火起こししようとしたのだが……。

「アンデル、今、なんて?」
「残りは薪のあたりに」
「いや、その前だ」
「必要になったら、僕が覚えているから聞いて、だったっけ」
「なんで覚えたんだ、必要ないから忘れて。すぐ。今、この場で。君、そういうの得意でしょう」

 厳しい口調で言ってみても、アンデルは首をかしげてにこにこしている。いつか役に立つこともあるかもしれないよ、なんて言って。
 
 上巻に、物忘れをさせる方法が載ってないか、この後片付けが終わったら絶対に確認するぞと心に決め、私は下巻の残り全部を、オーブンに投入した。

 黒煙が上がりすぎて、アンデルに苦言を呈される結果になったが、知ったことではない。
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