上 下
107 / 122

#EXTRA サフィールとドニー

しおりを挟む
 ドニーの部屋に赴くと、昼どきの明るいテーブルにティーセットが用意されていた。私はあまり酒に強いたちではないから、彼と話をするときはいつもお茶がお供である。促され、ソファに腰を下ろし、ドニーと向かい合う。

 今日は子どもたちの処遇について、話し合う約束になっていた。私はもう数日でここを出ていく。しっかり内容を話し合わなければならない。

 息を深く吸って、吐き出した。

「ドニー、本当にありがとうございます。私だけでは、きっと、子どもたちを満足に面倒見ることも難しかった。それに……私までこんなによくしていただき、いくら感謝してもしきれない。あなたの周りに悪い噂がたたないとも限らないのに」
「プーリッサならともかく、この国で君のことを知っている人間なんていないよ」
「そうだとしても」

 実は、未だに、……彼のことを信用しきれていない部分があった。

 ドニーには幼い頃から、いろいろな贈り物をもらったり、家に遊びに来てくれたときには面白い異国の遊戯を教えてもらったが、それだけといえばそれだけで、彼は死んだ兄の友達にすぎない。それなのに、匿ってくれて面倒を見てくれて、子どもたちのことを引き取ってくれるなんて。

 どういうつもりなんだろうと思わずにいられないのだ。

「不安そうな顔をしているね。僕のことが信用出来ないかな」

 にこにこ温厚な笑顔のまま、ズバリ言い当てられ、私は否定できない。爽やかな柑橘の香りがするお茶を口に含み、小さくうなずいた。

「どうしてここまでしてくれるのか、疑問で」
「まあ、そうだよね。僕もサフィールの立場だったらおそらくそう思う」

 突き出たお腹を手でなでて、彼はソファーの背もたれにどっしり背中を預けた。

「クラウシフからどのくらい話を聞いているのかな。僕が彼に頼まれて、チュリカに人をやったことは知っている?」
「いえ」
 
 チュリカ。意外な国名が飛び出した。

「イェシュカが具合を悪くしていたころだよ、クラウシフから頼まれたんだ。チュリカのシェンケル家の本流の資料がほしい。とくにギフトに関するものを。理由は話せないが、イェシュカの快復に関わるかもしれない。
 そう依頼されて、まだプーリッサでは発行されてなかった本なんかを捜しにいったんだ。
 普通の資料であれば、クラウシフは自分の伝手でじゅうぶん手に入れられたろう。だからそうではないものを探すことにした。無理をするなって言われていたんだが、つい、調子に乗ってしまった。イェシュカの助けになりたくて、クラウシフにも喜ばれたかったんだ」
「喜ばれたい?」

ドニーは目を伏せる。

「僕はね、お金があるだけで、他に取り柄がない男だからね。子供の頃から、そういうふうに扱われてきた。慣れていたよ、それに歓迎してもいた。親が稼いだ金だが、それを使って友達に喜ばれて重宝がられるのは、気分がいい。

 しかしながら、高等部にあがる少し前に、親がちょっとしたトラブルを抱えた。金銭面の。すぐに解決したんだけれど、危なかった。その噂が流れたとき、僕を財布としてしかみてなかった連中は、引き潮のように去っていったんだ。やはり、ショックだったよ」
「……クラウシフからは、なにも聞いてなかった」
「ははは、それを聞いてますます彼のことが好きになった。
 そのトラブルがあってからも、彼はなんにも言わずに、いつもどおり接してくれた。僕はこの見てくれでわかるとおり、剣技だってからっきしだ。それなのにシェンケル家剣術大会では、イェシュカの隣にいつだって専用の観戦席を置いていてくれた。
 ほとんどいなくなっちゃった友達のなかに、本当の友人がいたのを見つけたときの僕の気持ちがわかるかい」
「砂金の採集みたいなものかも」

 私のたとえ話は安直だったが、ドニーは満足げにうなずいてくれた。

 これは推測だが、クラウシフからしたらリミウス家のトラブルなんて、本当にどうでもよかったんだろう。
 
「それでね、僕はもっとクラウシフと仲良くなりたかったし、彼の役に立ちたかった。好きな相手にはよくしてやりたいものだ。
 だから、無理はするなよという彼の忠告を無視して、無茶をしたんだよ。格好つけたかったんだ。これは、クラウシフにも内緒にしていたんだけれど、死にかけた」

 思わず身を乗り出した私に、ドニーはゆるくかぶりを振って、座るように促してくる。

「チュリカには国立の図書館があって、禁書の書庫があるんだ。そこに、プーリッサ三英雄の詳細の資料がある、という噂はわりと簡単につきとめられたんだ。ただし、その真偽は実際に確かめないとわからない。伝手をどんどん辿って、その禁書に触れられる人を捜して、たぶん、踏み込み過ぎたんだろうね。ある日、夜道で襲われた。遠くルジットにいる僕の存在まで嗅ぎつけてきたんだよ、その曲者は。人気のない道で首に刃物を突きつけられて、『これ以上嗅ぎ回るなら殺す』と言われて解放された」
「なんてことを。そこまであなたがする必要はなかったのに」
「そうだね。僕もそう思ったんだ。なにか、とんでもないものにクラウシフは、そしてイェシュカは巻き込まれちゃったんだと。それは僕のような人間じゃどうにもできないところのトラブルだ。手を貸してあげたいけれど、その先は無理だ。住むところがちがう。それで諦めた。
 イェシュカの葬儀でクラウシフに会って、……諦めないでもっともがいておけばよかったと心から後悔したんだ。だって僕の友達は彼らしかいなかった」
「それは仕方ないことだよ、ドニー……。結局兄さんだって」
「うん、それはわかっているんだよ。だからこそ、僕は今、僕ができる精一杯のことをするんだよ、サフィール。
 ――まあ、そう言われても、君は安心できないだろうね。
 これでも、感情的になって無謀に君たちを匿ったわけじゃないんだよ。ルジットとプーリッサは国交が回復したと言ってもまださまざまなところで調整中だ。犯罪者の引き渡しもそう。現在の二カ国間には、互いの国土に逃げ込んだ相手国の罪人を引き渡す義務がない。協力願うと言われたって、断ることもできるんだ。
 それから、ルジットは残念ながら、戸籍の管理ってものがかなり遅れていてね。公的な書類を提出するときに、身元の証明はさほど重要視されないんだ。ありがたいことに、と言い直すべきかな。君の正体を突き止める熱意ある誰かも、その履歴の精度に舌を巻くだろうね。
 最後に、この屋敷は立派だろう?」
「ええ、とても。すごいです」

 素直に感想を述べると、ドニーはうなずいた。

「この周辺の街数箇所のなかで一番なんだ。昔の領主が住んでいた屋敷を改装して住んでいる。それだけ僕はこの街にお金を落としている。情報は集まってくるし、僕に対する働きかけはお役人だって慎重になる。嫌味な金持ちで通っているが、それが役に立つときだってあるんだよ。
 少しは不安が薄らいだかな」
「……ありがとう、ございます」

 それ以外に、どんな言葉が適当だろうか。私はソファの上で目礼した。

「いいんだ。むしろ、そのくらいでいいのかなと思うこともある。
 実は、殺されかけたとき逃げ込んだ近くの孤児院で、ウェリーナと出会って結婚したんだ。それを考えると、クラウシフのおかげで僕は生涯の伴侶を得たことになる。彼のおかげで僕の人生の彩りは格段に豊かになった。だから本当はもっともっと君たちによくしてあげたいんだよ」
「もうじゅうぶんです」
「まあそんなこといわずに。これからもなにかあったら、遠慮なく相談して。すべてが希望通りできるとは限らないが、良い方向へ持っていくことはできるかもしれないからね。
 ところで、ハイリーのことはどうするんだい」
「ハイリー?」
「一緒に行くのかな」
「いえ、まさか」

 私はもちろんひとりでこの屋敷を出ていく。ハイリーにはここを出る理由すら告げてない。
 ドニーはじっと私の顔を覗き込んで、そうなのか、と小さくつぶやいた。それ以上追及はしてこなかった。されたとしても、なにも出ないのだが。

 わずかに居心地の悪さを残しながら、子どもたちの処遇について相談し、私はドニーに礼をいって部屋を後にしようとした。

「サフィール。もし、誰かとこの国で添おうと思ったら、君もこの国の戸籍を取得したほうがいい。義務も増えるが、ちょっとは保護されもするから」
「その予定はありませんよ」

 おそらく、私は一生ひとりでいるだろう。そうするべきだ。今からすべきことは誰かに寄り掛かっていてはできないだろうし、寄り掛かられる側への負担も大きい。

「予定なんて、結局は予定に過ぎないしね。君にそのつもりがなくてもそうなるかもしれない」

 意味深なことを言って、ドニーは私に肩をすくめてみせた。

 どういうことだろう。もしかしてドニーの結婚も、予定外だった? 理由を尋ねてみたかったが、手洗いに起き出したジュリアンが寝ぼけて廊下をうろうろしているのをみかけ、その機会を逸してしまったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

婚約者の側室に嫌がらせされたので逃げてみました。

アトラス
恋愛
公爵令嬢のリリア・カーテノイドは婚約者である王太子殿下が側室を持ったことを知らされる。側室となったガーネット子爵令嬢は殿下の寵愛を盾にリリアに度重なる嫌がらせをしていた。 いやになったリリアは王城からの逃亡を決意する。 だがその途端に、王太子殿下の態度が豹変して・・・ 「いつわたしが婚約破棄すると言った?」 私に飽きたんじゃなかったんですか!? …………………………… 6月8日、HOTランキング1位にランクインしました。たくさんの方々に読んで頂き、大変嬉しく思っています。お気に入り、しおりありがとうございます。とても励みになっています。今後ともどうぞよろしくお願いします!

副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~

真木
恋愛
相原麻衣子は、冷たく見えて情に厚い。彼女がいつも衝突ばかりしている、同期の「副社長氏」反田晃を想っているのは秘密だ。麻衣子はある日、晃と一夜を過ごした後、姿をくらます。数年後、晃はミス・アイハラという女性が小さな男の子の手を引いて暮らしているのを知って……。

会えないままな軍神夫からの約束された溺愛

待鳥園子
恋愛
ーーお前ごとこの国を、死に物狂いで守って来たーー 数年前に母が亡くなり、後妻と連れ子に虐げられていた伯爵令嬢ブランシュ。有名な将軍アーロン・キーブルグからの縁談を受け実家に売られるように結婚することになったが、会えないままに彼は出征してしまった! それからすぐに訃報が届きいきなり未亡人になったブランシュは、懸命に家を守ろうとするものの、夫の弟から再婚を迫られ妊娠中の夫の愛人を名乗る女に押しかけられ、喪明けすぐに家を出るため再婚しようと決意。 夫の喪が明け「今度こそ素敵な男性と再婚して幸せになるわ!」と、出会いを求め夜会に出れば、なんと一年前に亡くなったはずの夫が帰って来て?! 努力家なのに何をしても報われない薄幸未亡人が、死ぬ気で国ごと妻を守り切る頼れる軍神夫に溺愛されて幸せになる話。 ※完結まで毎日投稿です。

私が一番嫌いな言葉。それは、番です!

水無月あん
恋愛
獣人と人が住む国で、ララベルが一番嫌う言葉、それは番。というのも、大好きな親戚のミナリア姉様が結婚相手の王子に、「番が現れた」という理由で結婚をとりやめられたから。それからというのも、番という言葉が一番嫌いになったララベル。そんなララベルを大切に囲い込むのが幼馴染のルーファス。ルーファスは竜の獣人だけれど、番は現れるのか……?  色々鈍いヒロインと、溺愛する幼馴染のお話です。 猛暑でへろへろのため、とにかく、気分転換したくて書きました。とはいえ、涼しさが得られるお話ではありません💦 暑さがおさまるころに終わる予定のお話です。(すみません、予定がのびてます) いつもながらご都合主義で、ゆるい設定です。お気軽に読んでくださったら幸いです。

転生したら侯爵令嬢だった~メイベル・ラッシュはかたじけない~

おてんば松尾
恋愛
侯爵令嬢のメイベル・ラッシュは、跡継ぎとして幼少期から厳しい教育を受けて育てられた。 婚約者のレイン・ウィスパーは伯爵家の次男騎士科にいる同級生だ。見目麗しく、学業の成績も良いことから、メイベルの婚約者となる。 しかし、妹のサーシャとレインは互いに愛し合っているようだった。 二人が会っているところを何度もメイベルは見かけていた。 彼は婚約者として自分を大切にしてくれているが、それ以上に妹との仲が良い。 恋人同士のように振舞う彼らとの関係にメイベルは悩まされていた。 ある日、メイベルは窓から落ちる事故に遭い、自分の中の過去の記憶がよみがえった。 それは、この世界ではない別の世界に生きていた時の記憶だった。

嘘つきな唇〜もう貴方のことは必要ありません〜

みおな
恋愛
 伯爵令嬢のジュエルは、王太子であるシリウスから求婚され、王太子妃になるべく日々努力していた。  そんなある日、ジュエルはシリウスが一人の女性と抱き合っているのを見てしまう。  その日以来、何度も何度も彼女との逢瀬を重ねるシリウス。  そんなに彼女が好きなのなら、彼女を王太子妃にすれば良い。  ジュエルが何度そう言っても、シリウスは「彼女は友人だよ」と繰り返すばかり。  堂々と嘘をつくシリウスにジュエルは・・・

処理中です...