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#55 ハイリー 裏切りの後始末

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 数度のまばたきのあと、クラウシフは黒い目の焦点を私に定めた。
 口をうっすら開け、なにかを言おうとしたようだが、ひゅうひゅうと隙間風のような吐息をもらして咳き込み、謝るように顔の前で手を振ってみせる。

「さっき、医師は帰った。お前のは、やはりただの死の呪いでまだ少しなら命の猶予がある。なにをしたんだか知らんが三日ほどに短縮されているそうだが。強い魔力に晒されたせいだとか。
 アンデルは消耗しきっていてまだ目覚めてはいないが、生きてはいる。原因はわからない――お前はわかっているんだろうな」

 クラウシフは咳き込みながら、うなずいた。

 私が階下に人を呼びに行ったとき、シェンケルの下働きの者たちは上階の騒ぎに一切気づいていなかった。ドアが開いていたはずなのに、物音一つ気づかなかったという。
 アンデルが心配で、一刻も早く人を呼びたかったから、引き裂かれた服を手で掻き合わせ、彼の服も簡単に直しただけで部屋を出た。そんな私を見て仰天したバルデランに、まずは医者を呼ばせ、説明はあとでクラウシフがすると昏睡している元友人にそのまま投げつけ今に至る。きっと彼らは事情がわからず、そわそわしているはずだ。

 医師が来るまでにバルデランの用意した下女のお仕着せに着替え、どう見てもなにかあったとわかるアンデルの部屋を整えた。アンデルの部屋の鉄製の窓枠や実験道具などは、錆びついてしまっていた。過大な魔力に晒された金属の特徴だ。それを見てまた、バルデランはぎょっとしていた。異様な雰囲気は隠しようもない。
 
 それからしばらく経つ。深夜。
 やや着古された感じのある、優しい肌触りのブラウスの襟を指先で弄びながら、出された飲み物に手もつけず、クラウシフの目覚めを待っていた。目覚めないかもしれない、とも思ったがこのまま帰る気にもなれず、ぐったり横たわる元友人の横顔を観察し続けていたのだ。

「いろいろ考えて、確信していることがひとつ。
 お前の暗殺をたくらんだ人間は、お前が楯突くことを歯牙にもかけぬ……抵抗できないとわかっている相手だ。でなければ、即死しない呪いで、息の根が止まるまでの猶予を与えるわけがない。名前すら明かせない相手。お前がそいつの正体を知っていることも承知の上で、お前の死に際を見つめるのを楽しみにしているようなやつだな。弱みを握られているんだろう、立場が相手のほうが上なのか、お前がなにか後ろめたいことをしたのか、家族を人質にとられたんだか知らないが」

 ひゅうひゅうぜいぜいうるさい。コップにそそいだ飲み水を渡してやる。それを飲み終えてもしばらく、けんけんと咳をしていてクラウシフは話せそうにない。
 だから勝手に話し続けた。

「ここからは推測だが。お前のその弱みのひとつは、シェンケルの真のギフトに関することではないのか?
 星読みだなんて、星を読んで民を先導し、勝利に導いたなんてとんでもない嘘っぱちだな。大方、さっきのやり口で、扇動だか誘導だかして、戦場に駆り立てたんだろう。指導者ひとりを誘導してしまえばできないことじゃない。

 ……ただ、そんなギフトの正体が明るみに出たら、建国の英雄譚なんて、ただの虚飾、プーリッサを支配したのが魔族ではなくてチュリカから来た魔族の血の混じった連中だったという真実しか残らない。求心力は望めないし、シェンケルの人間は忌み嫌われるだろう。

 だから星読み、と真実を伏せた。

 しかし、お前を害した相手には、それを知られた。そして、そいつにはお前のギフトは効かない。私のような、精神汚染に抵抗力のあるギフト保持者だろう。でなければお前はそのギフトで相手のことを操作すれば、こんな呪いを受けることなく今ものほほんとしていたはずだ」

 口元を親指の腹で拭い、クラウシフが苦笑いした。

「……なんだ思ったより元気そうでほっとしたぜ。泣きじゃくって怒り狂って、その場で切り捨てられても仕方ないと思っていたくらいだ。もしくは、悲嘆にくれて放心するか。普通の女はあんなことがあったら、……」
「あいにく、普通ではないからな。ユーバシャールのは生き残ることに特化したギフトだ。痛みの衝撃で死んだり、精神的苦痛で発狂したり気の病にかかることにも耐性がある。ついでに教えてやるが、処女膜もとっくに再生したはずだ。あんなの怪我のうちにもはいらん。私に痛手を与えたと思うなよ」
「頼もしいな。俺もお前のように呪いにも負けぬギフトがほしかったよ」

 クラウシフの襟に手を伸ばし、苦しげに歪められた顔に自分の顔を近づける。鼻先が触れ合う距離でゆっくり、聞き逃すこともないようにはっきり、告げてやる。

「へらへらするな、あんなことをされて死ぬほど腹が立っているし気分が悪い。お前が私の機嫌をこれ以上損ねたら、瞬時にその首をへし折って門前にさらしてやる。その口に剪断したお前の十指を突っ込んで、肛門に陰茎を挿し込んでからな。この先は呪いの成就で死ねることを期待して、私の顔色を窺ってすべて正直に答えろよ」

 クラウシフの黒い目が、臆した様子もなく見詰め返してくる。私の脅しなど、ちっとも堪えてないだろう。どうせもうじき死ぬからと思っているのかも。

 今すぐこの目玉をえぐり出して二つここに並べてやりたいが、それはできない。この男がどうしてこのようなことをしたのか知らなければ。理由もなくあんなことを仕掛けたとは思えない。せざるを得ない状況に追い詰められなければ――そう思いたいというつまらない希望が、まだ私の心の底に残っている。ただの情の残り滓なのか、この男への信頼なのかわからないが。

 この男を殺そうとした人物の悪意が、……アンデルやクラウシフの子どもたちに向けられることがあるなら、対処を考えなければ。それは、ほどなく死を迎えるクラウシフにはできないことだ。

 私に伸し掛かられたときのアンデルの悔しげな泣き顔が脳裏にちらついて、鋭く息を吐いて意識の外に追い出す。

「お前の、シェンケルの真のギフトはなんだ」
「精神操作。記憶と、意志の操作だ」

 記憶もいじれるのか。ただの精神汚染だと思っていたがそれを軽く上回る不吉なギフトだ。

「詳しく説明しろ」

 クラウシフは軽く咳払いする。

「体液の摂取で効果を増幅させることができる。さらには対象の、術者に対する感情も大きく成功率に関与する。お前が俺の唾液血液より、アンデルの唾液や精液に酩酊する方が反応が強かったのはそのせいだ」
「……アンデルが、私を操ろうとしたのか」

 衝撃で、ついぽつりと言葉をこぼすと、クラウシフはかすかに首を横に振った。

「正確に言えば、アンデルを、お前を操るように俺が操った。お前が行為の最中に接種したアンデルの体液を媒介としての、二重操作だ。はじめての試みだったが、なんとかできたな。とはいえ、本来だったら操られていることに気づくはずもないのを気づかれた。お前たちのギフトの抵抗力が思いの外強かった。正直、焦った」

 学者みたいに偉そうに経過を報告する姿にまた苛立たされる。

「お前のたくらみ自体もしくじったようだが」
「……そうだな」

 ふと、かすかに笑みを浮かべ、クラウシフがうなだれる。弱りきった様子だった。医師によれば、呪いの深度が急速に増しているらしい。さっきのアンデルの魔力に当てられたのだろうか。術の行使もして、体力も消耗しているのだろう。自業自得だ。
 その頭を小突いてやる。

「勝手に休むな。まだ事情の説明が済んでない。あらいざらい全部話せ」
「……話を聞いて、お前が後悔しないことを祈ってる」
「今日ここに来たこと以上に後悔させられることがあるか?」
「それを判断するのは俺じゃない」

 軽口に目を眇めると、クラウシフは二度咳き込んで、ふうと息を深く吐き、目をつぶって話し始めた。
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