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#41 ハイリー 私とダンスを

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 会場には、花の色が溢れていた。
 テーブルの真ん中に飾られた花、天井の照明にも飾り付けられた花、壁に飾られた花、そして色とりどりのドレスを着込んだ淑女たち。それをエスコートする男性陣だって、負けぬほど着飾って胸元に小さな花を挿している。砂と木と空と血の色くらいしかない前線から来た私が、めまいを起こすほどの色の波だ。
 
 三英雄の絵が描かれた高いアーチ型の天井に、音楽が反響している。その下に凝っているさんざめきの中へ、私は昼間と同じ騎士の服装で足を踏み入れた。

 気まぐれに招待しておきながら、ヨルク・メイズは不在だ。仕方なく、ホストの席に着いているレクト・メイズに挨拶をする。彼は兄と比べ寡黙で、私にもとくに言葉をかけることもなく、鷹揚にうなずいて終わりだった。

 もう、目的は果たしてしまった。
 こういう場にせっせと顔をだしているならともかく、私は学舎卒業後すぐに軍に上がってしまった身で、顔見知りもいない。とはいえ、中座するのはいかがなものだろう。
 酒でも飲んで時間をつぶすか。ギフトのせいで酔わないから、さほど好きではないけれど。

 そういえば、クラウシフは来ていないのだろうか。文官のお歴々が多数顔を出しているようだから、もしかすると彼もいるのでは?

 あたりを見回すが、幼馴染の姿は見つけられなかった。今日は不参加なのか。いささかがっかりした気持ちになって――イェシュカや子どもたちのことを聞きたいと思っていたから――私は壁際に下がることにした。ダンスをする気はない。この格好では男役をせねばならないだろうし。

 はあ、とこっそりため息をついた。なにが悲しくてこんな目立つ格好でこの場に来なければならないのか。
 色とりどりのドレスで着飾ったご婦人たちに目が行く。彼女たちには恭しくエスコートしてくれる男性が付き添っていて、礼儀正しく大切に扱われているのだ。
 そういうものすべてをかなぐり捨てて軍靴を履いたというのに。自分とは違って敬意をもって女性扱いされている淑女のみなさんが羨ましくなってくる。……思っていたより、あの下品な性欲のはけ口扱いされたことは堪えていたのかもしれない。今更ドレスに身を包んだところで、いつかの新月祭のときのように盛り上がる腕の筋肉にがっかりすることはわかっているのだが。

 周囲の好奇の視線も感じるし、早々に嫌気が差してきた。帰りたい。

「……ああ、あれはシェンケルの。弟のほうだよ」
「そうなのね、あまり似ていないからわからなかったわ。ご挨拶しましょうか」

 前を歩く男女の囁きが耳に入ってきて、私は顔を上げた。
 壁により掛かるようにしている若い男がいた。幼さが残る顔立ちに、これからまだ成長するだろうと予感させるしなやかな体つき。濃紺の生地に銀の刺繍をふんだんに施した盛装をしている。憂いを帯びた顔は中性的である。

 アンデルだ。面影がある。だが、思っていたよりずっと――大人になっている。
 男女に挨拶をしたあと、緊張が解けてやや猫背になる姿に、幼いころの彼を重ね確信した。

 大股で歩み寄り、膝を弛める。ドレスであればきれいに裾をさばいてやったのに。というか女性の挨拶はスカートがないと恰好がつかないな。

「ハイリー? どうしてここに?」
 目をしばたたかせたアンデルは、その目を大きくしてわずかに上半身を後ろに引いた。
 私もぎょっとした。

 なんてことだ。私の可愛いアンデルが、声まですっかり違ってしまっている。声変わり。当然彼にも起こりうる成長なのに、その変化は私に大きな衝撃をもたらした。
 男性にしては高めの柔らかい声質で、聞いていて疲れたり不快になったりする感じではないが……違和感が。
 違和感といえば目線がやたら上になってしまったことや、襟から出ている長い首に突き出た喉仏などもそうだ。
 まるで別人のようになってしまった彼に、内心動揺しながらも握手をかわし、その手がすっかり大きくなっていることにまた驚かされた。

「アンデル、すっかり見違えたよ。背も伸びたし、――大人になったな。もう立派な紳士じゃないか」

 彼はあまりうれしくなさそうに頬を掻いた。まあ、兄さんみたいにいかないんだけれど、となぜかクラウシフを引き合いに出した。まったく性質が違うのだから、比較する意味がないように思えるのだが、アンデルはクラウシフに憧れているんだろうか。クラウシフはたしかに好まれる体格をしていると思う。ただ、アンデルのまだ成長しきってない少年独特の危うさ、色気は同じ年頃の彼はかけらも持ち合わせてなかった気がする。……十四の子に色気という言葉はそぐわないか。それしか適当な言葉が思いつかないのだから仕方ない。

「その服は誰の見立て?」
「これはバルデランが選んでくれたんだ。カフスも。変じゃないかな」

 そわそわ、襟元を直す仕草が初々しくて、私が面映くなってしまう。

「ちっとも変じゃない。おとぎばなしの王子様みたいだよ」

 たとえが大げさすぎたのか、アンデルは苦笑した。お世辞ではなくて、彼は本当に貴公子だ。所作だって完璧だ。気を抜くとちょっと猫背になるけれど、立ち姿も美しい。
 きっとこの会場の他の人間に尋ねても、私の言葉を否定する人はいないと思う。

「ハイリーも、とても似合っているよ。あなたは昔から白がよく似合うんだ。学舎の制服もよく似合っていたよ、白いブラウスに青いスカート」
「なんと。アンデルもお世辞を覚えたのか」
「お世辞じゃないよ。その服、上着の裾が長くて尖っていて、百合の花弁みたいだ。白い糸の縫い取りも花弁の脈みたい。ハイリーは色も香りも濃い夏の花も似合うけれど、大きくて純白の百合の花に一番似てる」

 好きな植物との類似点を嬉しそうに語る彼は、小さなころ庭で珍しい野花を見かけたときと同じ顔をしている。ああやっぱりアンデルだ、と思いながらもどうしてかそわそわしてしまった。
 私の知ってる彼は、もっといとけなくて、こんな女を喜ばせるようなお世辞を心得てはいなかったはず。その場限りのおべっかなんて、パーティーの花でしかないんだろうに。昔なじみの男の子にそんなことを言われて動揺したのか、免疫がないからか、とても恥ずかしい。つい早口になってしまう。

「はは、まさか百合にたとえられるとはね。口がうまくなったなあ、君も」
「そ、そんなんじゃ」
「ありがとう、私にそんなことを言ってくれるのはアンデルだけだよ」

 かあっと顔を赤らめ、アンデルは給仕から受け取った飲み物をかっと煽った。
 悪いことをしたかな。純粋な若者をいじめているような気持ちになってしまう。まだその姿を見慣れないのもそうなる原因か。アンデルだってわかっているのに、……やはり慣れない。

 アンデルが、わざとらしく咳払いした。この話題はおしまい、の合図だ。
 
「そうだ、ハイリー。この前は面白い種をありがとう。こっちじゃこんなものは手に入らないよ。とても嬉しい」
「気に入ってもらえた? 都ではあまり見かけないああいう植物が、キューネル山脈付近の魔力が濃いあたりには結構多いんだ。しゃべるやつとかもあるんだよ」
「えっ……気になる……」

 アンデルはぱっと頬を朱くした。目が輝いている。

「人が話す単純な言葉や、獣の言葉を覚えたりするんだ。採取してもすぐに枯れてしまうし、種子などが見当たらないからどうやって株を増やしているのかも不明だが」
「それって……普通に魔族だってことはないの」
「ありうるなあ」
「魔族とそうでないものの分類、線引きについてはいつでも論争が絶えないけれど、その植物らしきものを研究したらわかることもあるかもしれない。もしただの植物の変異だったとしても、魔力が生体及び生態に及ぼす影響についてなにかわかるかも。いつか現地に見に行きたいなあ」
「そのときはお供しよう。巷で噂の我が隊の無鉄砲ぶりをお見せするよ」

 おどけて言ってみると、アンデルがみるみる顔を曇らせた。今のは喜ぶところでは?

「ハイリー。そのことだけれども、僕は心配なんだ。甥っ子たちとあなたの戦いぶりを題材にした寸劇を見に行ったよ。死に嫌われた騎士姫、なんて言われているけれど……怪我はしてほしくない」
「いや、それより誰が始めたんだか知らないが、その寸劇とやらは絶対私の許可をとっていないやつだ。あとで抗議しなければ」
「面白かったよ。主役の女性はあんまり似てなかったかな」
「そういうことじゃない。アンデルもアンデルだ、なんでそんなものを見に行くんだ」
「……だって、なかなか会えないから。少しは寂しさが紛れるかなと思って」

 小声で弁解し、彼は目を逸した。
 ああ、いつまでも私の可愛いアンデルなのに。なぜかその頭を撫でてあげるのに抵抗を感じる。

「ごめんね、手紙を書くのが遅くて。それとね怪我は職務上仕方のないことなんだ」
「だとしても、無茶はしないでほしいよ。手紙に怪我のことが書かれていると、心臓が潰れそうになるんだ。
 もちろん、ハイリーが軍で隊を預かる立場にいることも知ってるし、……僕よりずっと強いことだってわかってもいる。でも、心配だよ。怪我だって、痛くないわけじゃないんでしょ」
「痛いのは一瞬だよ。すぐに治ってしまうしね、心配してくれるのは嬉しいが、そんなに深く悩まないで」

 うん、とうなずきはしたものの、納得はしてない様子。
 心配されてちょっと嬉しかったとは、アンデルには言えない。もう心配しないと言われたら、寂しいからだ。自己中心的な私を知ったら、彼は失望するだろう。その日はまだ先でいい。

 アンデルは軽食を私にも勧めながら、イェシュカの話やその息子のユージーンたちの話をしてくれた。甥っ子たちの話をしていると声も表情も明るくなる。きっと可愛くて仕方ないのだ。私がアンデルに抱いていたのと同じ気持ちに違いない。

 驚かされるのは、アンデルの頭の中身だ。
 昔から黙ってなにか考えている子だとは思っていたが、静かなだけで好奇心は旺盛で、実にいろいろなことを調べている。

 自主的に、国内の植物の分布と特徴を調べ、その植物が自生する地質や地形の特徴を割り出しているのだそう。これにより、国外から入荷した植物を調べると、その産地がどういった特徴のある土地なのかもある程度類推できるという。そこからさらにその植物の特徴を掘り下げて調べていけば、痩せたプーリッサの土の改善につながる手がかりが得られるかもしれない、という。将来も継続してそういうことをしていきたいのだと。

 野花ひとつに顔を輝かせていた少年の面影を残して、すっかり彼は大人になっていた。自分のしたいことを見つけつつある。この先、クラウシフの補佐ではなく、別の道を行きたいと言い出すのかもしれない。そのときは、応援してやりたい。もちろん、いつもそう簡単にことは運ばないということは体験済みだ。だからこそ。

 そんな話をしているうちに、聞き覚えのある曲が流れ出した。
 ああ、もうこのパーティーも終わりか。名残惜しい。もう少しアンデルと話していたかった。

 ――さてアンデル名残惜しいが、私はそろそろお暇するよ。後日、君に会いにいってもいいかな。

 そう切り出そうとした私の前で、アンデルが優雅に腰を折った。右手を差し出し、左手を胸に。仔ウサギの手触りだったあの黒髪をふわりと揺らす。

「ハイリー、私と踊ってください。お願いします」

 聞き慣れない優しい声が、私の名前を呼んだ。
 これは誰だろう。
 同じことを、また思う。
 なにしろ、アンデルときたら、まるで少女が夢を見るようなおとぎ話の貴公子の出で立ちと振る舞いで、――その手を私に向けて差し出しているのだ。

 ――母上が言ってた。女の子にはみんな必ず、自分を守ってくれるナイトがいるんだって。イェシュカのナイトが兄さんなら、ハイリーのナイトは僕だ。

 ああ、この子は、……この人は今でもあのときの約束を守ってくれている。

 なんだか泣きたいような気持ちになって、何度もつないだことのあるその手に自分のものを預けるのをためらった。指先で触れる、それが精一杯。

「いいのかアンデル。騎士服の男女おとこおんなと踊ったとなれば、経歴に傷がつくのでは? 君の支持者が落胆するぞ」
「まさか!」
 
 きっぱり言い切って、アンデルは私の手を握り返した。まだ未完成の華奢さのある手は、すっかり私より大きくなっている。背中に腕を回され引き寄せられてはじめて、彼が緊張しているのだとわかった。肩甲骨に触れる手が服越しでわかるほど震えている。なんだ、もうこういう場面に慣れきってしまってあんなに滑らかに腰を折ったのかと思っていたのに。勘違いして、舞い上がってしまいそうになる。……いや、舞い上がってしまっていた。
 そして、かすかに悲しみも感じていた。

 きっといつかアンデルも、別の女性にこうしてダンスを申し込むんだろう。だからせめて今だけは、夢を見たい。

 彼が一歩踏み出したのにあわせて、私も足を動かした。
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