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#37 ハイリー 西部基地にて
しおりを挟む夕暮れ時、我が隊は西部基地へ到着した。件の襲撃があった地点はここからさほど離れていない。さらなる襲撃を警戒し、あちこちに炬火が灯っていた。歩哨もかなり多い。およそ千五百人が常時詰めているのだが、この様子だと三百人以上が歩哨に出ているのではないだろうか。
ものものしい様子の前門を抜け、配下たちとわかれ、私とサイネルはあらかじめ言い渡されていた部屋へ向かう。
本日三度目の会議。しかし最初のとは違って、ここで決められるのは具体的な持ち場と作戦行動の手順等である。
こちらに派遣される部隊の情報が回っていたのだろう。もう持ち場は決められていて、私たちの部隊は軍用道路周辺の警備と残党の駆逐が割り当てられていた。非常時はこの限りではない。
机上に広げられた大きな地図を参席者が囲む。説明をするここの指揮官は、魔族の出現地点を西のキューネル山脈際ではないかと推測しているらしい。
キューネル山脈は峨々として我がプーリッサと西の大国イスマウルの壁となっており、その裾野にある魔力の吹き溜まりに続々と魔族を具現化している。
魔族共はキューネル山脈のそばに張られた、メイズの第一の不可視の結界に阻まれ、大部分が完全に具現化できずに異次元に還される。具現化したものも、プーリッサを囲むようにぐるり張り巡らされた第二の結界でほとんどが領土に侵入できないはず。二層の結界の間にたまった魔族が溢れないように、粛々と駆逐していくのがプーリッサ軍の大きな任務である。
今回は、国境付近の軍用道路に魔族が現れ、輜重隊を護衛もろとも蹂躙した。他の地点からの侵攻であれば、侵攻中に警戒網に引っかかっただろうから、山脈裾野から最短距離になるここの直線上で出現し急襲されたのだろう、という意見だ。
とくに異を唱える者もおらず、その方角に向けて斥候部隊をだすことに決まった。
魔族を弾く――正確には濾すと言ったほうが近いか?――メイズ家の結界は強固で、よっぽどの大軍勢が押し寄せないことには破れたりしない。
――まさかヨルク・メイズになにかあったのか?
確定した事実ではないにせよ、いいようのない不安が胸を蝕む。会議の場のひりついた空気は皆が同じ不安をいだいている証拠だ。
結界の濾過を受けずに押し寄せた魔族どもを、今の軍勢だけでどうにかできると過信できる人間は前線基地にはひとりもいないはずだ。日々魔族と対峙しているからこそ。
◆
緊張をはらんだまま会議が終わり、私は宿舎の廊下を歩いていた。独り歩きはいらぬ誤解を受けるから――くだらない男漁りの噂はもう十分だ――と、サイネルに同行してもらって、知人を捜していた。休憩時間に駆り出されたサイネルはぶうぶう言っていたが、ごちそうすると言ったら黙ったのでよしとする。
我が部隊は明け方から行動開始。私も早く床に就くべきなのだが、どうしても会いたい人がいた。
前線基地より設備が新しくていいな、と周囲の白い石造りの壁を見回したりしながら、士官の宿舎の奥にある食堂へ到着した。夜には酒も提供されるそこは、普段は賑わっている時間帯だろうに閑散としていた。なじみ客らしい男たちは、士官の服装の女が珍しいようでちらちらと視線を向けてくる。
薄暗い照明の下、静かに酒盃を傾けている男たちに歩み寄ると、テーブルに頬杖をついていた若い士官がぱっと顔を上げた。
「ハイリー?」
「やあビット、久しぶりだね」
「……久しぶりだな。元気そうだ」
「君こそ健勝そうでよかった」
久々に会ったビットはさらに逞しくなった印象だった。増した肩の厚みがそう感じさせるのだろうか。
近くに座っていた彼の酒飲み仲間に紹介され、その後断って彼と相席になった。
そばの席で、ぽんぽんおかわりを頼んでいるサイネルの遠慮のなさに辟易する。手持ちが足りるか心配になる。
「ハイリー、君の噂はいろいろ聞いているよ。すごいじゃないか、いきなり昇進だなんて」
「はは、ちょっと不本意だがな。余計な顰蹙も買っているし、変に目立ってしまっている」
悪い方の噂も耳にしているのだろうか、ビットは「ふうん」と曖昧にうなずいただけで言及しなかった。その距離感にほっとした。彼は学生時代から変わってないようだ。
互いの近況報告であっという間にコップが空になる。
「なあ、ハイリー。君はイェシュカたちの結婚式に参列したのか」
避けていた話題にビットの方から切り込んできた。私は顎を引いた。
「ああ、ドニーと一緒に。いい式だったよ」
「俺は出なかった。……ああ、そんな顔しなくていい。実は結婚することが決まったんだ」
「そうなのか? それはおめでとう、なんだもっと早く教えてくれたらお祝いの品を用意してきたのに!」
肩をたたくと、ビットは苦笑した。
「いやまあ……、君とドニーは俺のことを気遣って、うちに来てくれたろう? ただあのときは誰にも会いたくなくてな、居留守を決め込んだんだ。それが申し訳なくて。イェシュカたちの結婚式にも不参加だったし、自分の祝い事だけ報告するのもおかしいなと」
「そんなこと、気にしなくていいのに。短い付き合いじゃないんだから」
「そう言ってもらえて助かる。イェシュカに未練があるわけじゃないが、……クラウシフがちゃんと大事にしてるか気になっていたんだ」
薄暗さで錯覚したのかもしれないが、ビットの顔に影が差したような気がした。
それに気づかなかったふりをして、私は大きくうなずいた。新月祭のときに彼を騙したことを謝りたかったが、蒸し返さない方がいいと判断する。
「もちろんだとも。彼女、今は妊娠していて、冬には出産だよ」
「そうなのか? ……それはめでたいな」
「めでたいこと続きだなあ。君のお相手は誰なんだ?」
ビットの婚約者は、武門の令嬢だった。私は彼女の名前は知っていたが、会ったことはない。ひとつ年長だという。
それにしても、よかった。彼が負った心の痛手がこれで癒えてくれたなら。
「そうか、みんな伴侶を得てあっという間に大人になってしまうのだな」
「なに言ってるんだ、我々はもうとっくに成人しているぞ」
「気持ちの問題だよ、ビット」
それからしばらく学生時代のように取るに足らない話を続けた。サイネルに「もう帰りますよ、明日は朝早いのに」と尻を蹴っ飛ばされるまで。
◆
けたたましい警鐘が一瞬で意識を浮上させた。
窓の外はまだ暗い。ブーツの紐を片手で結び、もう片方の手で上着を肩にかける。逆側のブーツの紐を結びながら髪を雑に束ね、用意してあった水でさっと顔を洗って身支度を終える。
廊下に出ると、すでに他の士官たちも急ぎ足で持ち場へ向かっているところだった。ぶつからないよう気をつけながら小走りに私も持ち場へ向かった。
「ハイリー」
ビットが追いついてきて横に並ぶ。
「おはようビット。この騒ぎは? 警鐘の刻み方からして敵襲だが」
「まだ情報があやふやだが、魔族だよ。物見塔の歩哨が発見したようだ。かなり接近しているらしい。数や種類も不明だが、林に火を放たれている」
「となると、獣型ではないな。やつらは火が苦手だ。目視で確認できるほど接近しているのか。早々に攻めてきたな」
「俺は撃退に回る。君もだろう? 健闘を祈る」
「君こそ。また今夜酒を飲もう」
互いの拳をぶつけ合い、廊下の曲がり角で別れた。
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