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第三章 中秋

Chemical reaction 4

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 揃えたデータの加工が終わり、あとは連結するだけとなった。

「こちらはもう大丈夫です」

 私は自分の端末から顔を上げた。ヘッドセットをつけた神前さんが軽く手を上げて、作業を開始する。
 データの量としては少ないので、数分で完了する処理だと思う。

「何してんの、これ」

 私は背後を振り返って目を瞬かせた。

「いや、木下さんこそ、なんですその格好は。髪の毛、ぐちゃぐちゃになってますよ」
「休憩に、タバコ吸いに外の喫煙所行ったら風が酷くて、諦めて戻ってきたところ。ついでにお前らサボってないかと思って見回り。あ、田島さんはもうそろそろ帰るから在庫どう? だってよ」

 彼は私の席に勝手に座って、乱れた髪を手で直した。

「在庫は今、確認中です。もうすぐ作業完了するんですが、田島さんそれまで待ってくれないでしょうか」
「そうは言ってもね。電車止まっちまうって、慌ててたし、上の事務所も今日はそろそろ閉めるって話出てるくらいだ。この社屋自体閉められたら、部外者のオレたちはいられないだろ」

 木下さんは神前さんの耳の上から伸びているコードを面白そうに見つめる。

「神前は、たしかASISSの判定がよかったよな。いいじゃん、天職じゃん分析係。うーらやましー」
「うるせえ、気が散る」

 言葉を遮られ、木下さんはおどけて私に片目をつぶってみせた。

「それで、これなにしてんの?」

 私は小声で説明した。
 神前さんと二人で、いくつかのデータをアテリアメッキから借りて、それを日時を条件に突き合わせし、塩酸の出入りを逆算しようとしているところ。
 購入時の申請数量と、入荷時の受け入れ数量。納品時に後追いでイツシマケミカルからメッセージに添付されてくる電子納品書のデータと、請求書に載ってくる明細。
 使用申請時の数量と、実際に加工に使用する仕様書から割り出した必要数量、それから作業後の廃液の量、廃液に含まれる他の薬剤との割合。
 それらを、落合が入力して作成した塩酸の在庫データに日時を条件に紐付けているところだ。
 これである程度、数量変更がおかしな部分をピックアップできると思うんだが。

 もしうまく行かなかったら、落合の提案通り、紙ベースでちまちま照合作業することになる。それは避けたい。
 祈るような気持ちで、胸の前で手を組んでしまう。

「木下さんも祈ってください」
「あー、うまくいくといいな、三小田。幸運を祈ってるよ」

 他人事ひとごとかー。
 さっき落合も、そんなことできるならうちで働いてよって簡単に言ってたし……。二人で頭を突き合わせて唸りながら考えたんだけどな、この方法だって。

「完了した。三小田、マークしたところの差異を確認しろ」

 ヘッドセットを外した神前さんが、ディスプレイに新規で作成した一覧を表示してくれた。
 文字の背景がピンク色になっているのが、実際にわかっている数量の変動と、システム上で落合が変更した数量との差異がある部分だ。
 神前さんが、ペンのお尻でディスプレイを指した。

「わかりやすい間違いしてんな。ケアレスミスだろ、これ」
「どれどれ」

 木下さんが私を押しのけて、ディスプレイにかじりつく。

「おい木下、お前自分で確認作業するつもりがないなら、とっとと持ち場に戻れよ」
「いいじゃねーの。どうせこれ、落合に確認しに行くんだろ? オレもこのあと彼女に話聞くから、一緒に行ってやるよ」
「お前が一人で行きたくないだけだろ」
「ばれた? あのおばちゃん、いちいち怖えんだよ」
「知るか」

 声音を低くして、神前さんが説明をしだした。

「まず、このシステム上で塩酸は、一個二個という容器を単位にしてカウントされている。内容量は二十キロ。つまり、一キロ使用したら、〇・〇五個を在庫から引き落とす。その作業で落合は、間に計算式を噛ませずに、都度、手で計算してるみてえだな。アナログな。……それで、一キロのロスの処理のときに、〇・〇五個引き落とすのをうっかり〇・一個引き落としをしている。これで一キロのズレが生じる」

 私も一箇所、差異の原因にたどり着いた。

「こっちは、現場の廃液の量から逆算して、数量がズレてますよね。申請が抜けたのか処理が抜けたのかはわかりませんけど」
「オレ、よくわからん。事務所にいるから結論出たら教えて」
「ああ。あとで三小田が詳しい報告書を提出するから、舐めるように読めよ。三小田、本気出してみっちり書いていいからな」

 木下さんが退室し、私は胸の前で腕を組んだ。

「人の報告書読むこと、罰ゲーム扱いしないでくださいよ。傷つくなあ」
「だったらもっとシンプルな文章書けるようになれ」

 ぐぬぬ、機嫌悪い。それもこれも、木下さんのせいだ。

× × × × ×

 私たちはそのまま、差異の原因を調べていった。
 脳みそが溶けるかと思った。下手なパズルよりよっぽど難しかったと思う。
 作業日報の悪筆に唸ってみたり、作業員に邪魔だ今日はさっさと帰るんだと文句を言われながら聞き取りをして、ひとつひとつ確認した。
 作業日報には、その日使った薬剤の在庫を、終業時にカウントし記載する決まりがあるらしいのだが、それに起因するミスもあった。
 現場の人が、使いかけのものを満タン入っているのだと勘違いして、ちゃんと測らずに差異報告を上げ、落合も現物確認せずに承認し、実物より帳簿のほうが在庫が多くなってしまったりとか。
 こんな感じの増量方向へのズレも含めて、十九箇所。

 細かなミスの積み重ねを、一つ一つ解きほぐしていった私達の努力と根性を褒めてほしい。とくに砂押さん。

× × × × ×

 午後四時。

 私は、最後のピンクの数字を修正した。
 これまでにチェックしたプラスマイナスのズレを合計すると、ちょうど十二キロ現物が足りない扱いになった。これは、九月末の棚卸しで、修正をかけた数量と一致する。
 そのことに気付いて、頬が緩んだ。

「これって、持ち出しはなかったと看做みなせるってことですよね?」
「そうなるな」

 神前さんは首を左右に傾けて、コリを解す仕草をしていた。やや表情が和らいでいる。

「やった! あー、よかった、頑張ったかいがありましたね」

 いや、凶器の出処が見つからなかったことを嘆くべきなのかこの場合。
 でも、これで明日またこの工場に来る必要はなくなったのだ。ほっとした。

「三小田、田島さんに報告しろ。俺はここを片付けて工場の担当者に挨拶しておく。そろそろ引き上げた方がいい。天気が限界だろ」
「わかりました。行ってきます」

 会議室に田島さんはもういなかった。
 端末でなにか処理していた木下さんが、荷物をまとめて立ち上がる。

「お疲れさん。田島さんは、遠方だからもう帰ったよ。電車止まる前にな」
「木下さんはどうして残っていたんですか?」
「神前が車だろうから、駅まで送ってもらおうと思って。この天気じゃそのほうが楽だろ」
「お前は本当に図々しいな、木下」

 背後から声がして、私は振り返った。帰り支度を整えた神前さんが立っていた。私の荷物も持ってきてくれている。

「あれ、もう報告終わったんですか?」
「一応。説明中に、落合と河合が言い争いになった。どっちのミスがどうとかで。それで、別の現場の監督者に報告して、出てきた。他の社員はもう帰るそうだ。工場も閉めるらしいから、さっさと出るぞ」
「はあ……」

 どこの職場も大変なんだなあと、しみじみ思った。
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