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20.テレジアとロバート③
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「いや……その件については……私の管轄外であり……そのような報告を受けておらず……」
ロバートはテレジアの問いにそう答えた。
「無能な小役人が言いそうなことをおっしゃらないでください。そもそも、赤髪を、墨で黒く染めただけの変装です。皇帝陛下も御身を本気でお隠しになろうとは思っていないでしょうに……。マック近衛兵は、皇帝陛下なのですよね?」とテレジアは詰め寄る。
「いや……私には、その問いを肯定することも否定することもできない……。その権限が私にはないので沈黙を持って答えさせていただこう」
「相変わらず、無能な官僚を貫こうとされるのですね。さきほどまでは、残ったタピオカを私から奪う野獣であったのに、今は、狼に脅えた子羊のようですわ」
テレジアは、少し頬を膨らました。
ロバートはテレジアの様子から、怒っているというより、何か楽しんでいる様子であることに安心をした。
そして、テレジアの指摘は真実であった。
母のアンナは、マックが皇帝陛下であることを気付いているようであるが、余計な差し出口をしないようにしているようだった。
父であるヨエル・ホーエンハイムは、まったくマックが皇帝であることに気付いている様子はない。『レイラに指一本でも触れたらミンチにして川魚のエサにしてやる』と不穏な愚痴まで家でこぼしているほどだ。それに……皇帝と一対一で斬り合いをして切り倒したのだと本人が知ったら卒倒するかもしれない。
レイラも……気付いている様子はない。皇帝陛下と舞踏会で踊ったのに、簡単な変装に気付かない鈍感なところは、父親譲りであるのだろう。
テレジアの指摘通り、簡単な変装しかしておらず、マクドナルド・ジョージ・ジュニア皇帝も、正体を隠すつもりがあまりないこともロバートは気付いている。いつレイラが正体に気付くのかと楽しんでいるような様子である。
が、いくらテレジアの指摘が真実であっても、それに返答することはロバートにはできない。
ロバートは一度背筋を伸ばし、大きく深呼吸をした。そして、テレジアを、冷静で理性的な瞳で真っ直ぐに見つめる。
ロバート・ホーエンハイム個人としてではなく、皇帝を守る盾、一人の近衛兵としてテレジアを見つめるのである。
「テレジア・アリスター嬢。詮索が過ぎますよ」
「私は、皇帝陛下のため……そしてロバート様と秘密を共有し、共犯者となりたかったのですが、そうおおせになるなら、この件はここまでに致します」
「そうしていただくことが皇帝陛下の御身を守ること、そしてアリスター侯爵家のためであると確信いたします」
と……ロバートは帝国の内務大臣のようなことを口にしつつ、共犯者? とテレジアの含みを持った言葉に引っかかりを感じた。しかし、そのことを追求することもできない。
「では、別の話題として、帝国の市中で催されている大きな賭け事をご存じですか?」
「賭け事ですか……」
年中、賭け事や宝籤などは催されている。日常の出来事ではある。だが、大きな賭け事といえば……。
「皇帝陛下の花嫁が誰になるか……という誠に不謹慎な賭け事が行われているという噂は聞いております」
その賭博が行われていることは公然の秘密であるし、黙認するというのが帝国の方針である。
ロバート自身、市場の中央で大々的に行われていることを知っていた。そして、帝国の臣民たちは、誰が皇帝の妃となるのか、事の成り行きを、賭け事の結果を楽しみに待っているのである。
『アリスター侯爵令嬢 二十二歳 倍率:4.3倍』
『ホールマイヤー侯爵令嬢 十八歳 倍率:4.4倍』
『ミッターマイム伯爵令嬢 十九歳 倍率:10.9倍』
ロバートは、市場に掲げてあるオッズ表を思い出す。人気の高い令嬢たちは肖像画も一緒に掲げられていた。
ちなみに、ロバートはそのテレジアの肖像画を見て、実物の方が幾千倍も美しいという感想を持ったのを覚えていた。そして、テレジア嬢を目の前にして、その感想は誤りであったとロバートは思い直している。
幾万倍も美しかったと……。
「左様の通りであります。そして、身に余る光栄ですが、どうやら掛けのオッズが低いところを見ると、私が最有力候補であると市井の方たちは考えているようですわ」
「市井だけでなく、王宮でもテレジア様こそ相応しいと考えている方たちは多いです。帝国建国以来、忠実に仕え功績の大きいアリスター侯爵家。それに、先の王国との戦争で私兵や物資を出し惜しみせず、共に戦ったアリスター侯爵家は将兵たちからの信頼も厚いです」
ロバートはそう言いつつ、胸に何か針が刺さっていた。自分は風が吹けば消し飛ぶような男爵家で、テレジアは押しも押されもせぬ名門侯爵家であるのだ。
「そのように高くアリスター侯爵家を評価してくださり、光栄の至りですわ」
テレジアはロバートに悟られないように精一杯の笑顔を作って言った。
仮に、テレジアに姉妹がいたとしたら、さきほどのロバートの言葉は、姉にも、妹にも使える言葉であった。数え切れない男たちから言われた、テレジアにとって聞き慣れた常套句であったからだ。そして、ロバートから一番聞きたくも無い台詞であった。
自分は、このテーブルに置かれた高級グラスであるのかもしれない。必要なのは、器だけ。ユニレグニカ帝国にとって、そしてアリスター侯爵家で自分が必要とされるのは、王妃としての器である。必要とされるのはグラスとしての自分。ユニレグニカ帝国を支える器であれ。
そのカップ・グラスに何が注ぎ込まれているかなんてだれも気に留めたりなどはしない。所詮は、「アリスター侯爵家」の未婚の娘という工芸品のガラスの器でしかないのだ。
しかし、テレジアは自らを工芸品の器であることを良しとしない。そう決意したのだ。そのチャンスをくれたのはマクドナルド・ジョージ・ジュニア皇帝であり、そう自分に決意させたのは、舞踏会でロバートとダンスを踊った時である。
テレジアは切り出す。レイラと皇帝と別行動を取った本当の理由……。タピオカ・デ・アトーレにリスクを冒してまで来た理由。
「ですが……近日中にオッズは大変動するでしょうね。市井の者、そして貴族たちも私は花嫁候補から外れていると知るところになるでしょう」
テレジアの言葉にロバートは首を傾げた。
「お分かりになりませんか? 皇帝陛下の花嫁候補が堂々と、人通りの多い道のテラスで皇帝陛下ではない殿方と逢瀬をしているのですよ? つまり、皇帝の花嫁選びは、最終局面に入った。いえ、花嫁は内定した、ということが数日中には帝都にくに知れわたるところとなりましょう」
ロバートは気付く。テレジアはこの店で自分の正体を一切隠していない。むしろ、事前にこの店に来ることを店側に伝えていた。
「それこそまさかです。これは皇帝の勅令によってあなたの護衛を……」と言いかけて、ロバートは、そのような事情を市井の誰が知るだろうか? と思い直す。
外から見れば、確かに逢瀬をしているようにしか見えないであろう。
「あなたは最初からそれを狙って……しかし何故? これはあなたの評判を落とす行為でもあります」
「私がレイラの友人であるからです。レイラの友人として申し上げますが、レイラはマック様を慕っています。それになにより……私が、ロバート様をお慕い申し上げているからです」
テレジア一世一代とも言うべき告白であった。そして、最後まで言えたことにホッとした。心臓は破裂してしまいそうだった。
「テレジア様……私も愛しています。テレジア・アリスター……いや、テレジア……どうか私と……」
テレジアはロバートの言葉で感情が溢れ出しそうになる。今すぐ、ロバートに抱きつきたかった。しかし、その感情を押さえ込んだ。
そして、ロバートの言葉を遮る。
「それでは、すべての事が済んだ後、正式なプロポーズを心待ちにしております。ですが、今は、皇帝陛下の近衛兵であるロバート様が、皇帝の花嫁候補に求婚を申し込む分けにはいかないでしょうから……」
「それもそうですね……私としたことが」
「では、もう一度お伺いします。マック近衛兵とは、我等が皇帝陛下、マクドナルド・ジョージ・ジュニア様そのひとであらせられますよね?」
「そうだ」とロバートは答えた。
「ありがとうございます。そしてこのことは全ての事が済むまで堅く胸のうちにしまっておきます。まずはレイラに幸せになってもらいましょう。これで私とロバートは共犯者ですね。」
「共犯者……ですか。そうですね。死が私たちを分かつまで、私たちは共犯者ですね」とロバートは答えた。
ロバートはテレジアの問いにそう答えた。
「無能な小役人が言いそうなことをおっしゃらないでください。そもそも、赤髪を、墨で黒く染めただけの変装です。皇帝陛下も御身を本気でお隠しになろうとは思っていないでしょうに……。マック近衛兵は、皇帝陛下なのですよね?」とテレジアは詰め寄る。
「いや……私には、その問いを肯定することも否定することもできない……。その権限が私にはないので沈黙を持って答えさせていただこう」
「相変わらず、無能な官僚を貫こうとされるのですね。さきほどまでは、残ったタピオカを私から奪う野獣であったのに、今は、狼に脅えた子羊のようですわ」
テレジアは、少し頬を膨らました。
ロバートはテレジアの様子から、怒っているというより、何か楽しんでいる様子であることに安心をした。
そして、テレジアの指摘は真実であった。
母のアンナは、マックが皇帝陛下であることを気付いているようであるが、余計な差し出口をしないようにしているようだった。
父であるヨエル・ホーエンハイムは、まったくマックが皇帝であることに気付いている様子はない。『レイラに指一本でも触れたらミンチにして川魚のエサにしてやる』と不穏な愚痴まで家でこぼしているほどだ。それに……皇帝と一対一で斬り合いをして切り倒したのだと本人が知ったら卒倒するかもしれない。
レイラも……気付いている様子はない。皇帝陛下と舞踏会で踊ったのに、簡単な変装に気付かない鈍感なところは、父親譲りであるのだろう。
テレジアの指摘通り、簡単な変装しかしておらず、マクドナルド・ジョージ・ジュニア皇帝も、正体を隠すつもりがあまりないこともロバートは気付いている。いつレイラが正体に気付くのかと楽しんでいるような様子である。
が、いくらテレジアの指摘が真実であっても、それに返答することはロバートにはできない。
ロバートは一度背筋を伸ばし、大きく深呼吸をした。そして、テレジアを、冷静で理性的な瞳で真っ直ぐに見つめる。
ロバート・ホーエンハイム個人としてではなく、皇帝を守る盾、一人の近衛兵としてテレジアを見つめるのである。
「テレジア・アリスター嬢。詮索が過ぎますよ」
「私は、皇帝陛下のため……そしてロバート様と秘密を共有し、共犯者となりたかったのですが、そうおおせになるなら、この件はここまでに致します」
「そうしていただくことが皇帝陛下の御身を守ること、そしてアリスター侯爵家のためであると確信いたします」
と……ロバートは帝国の内務大臣のようなことを口にしつつ、共犯者? とテレジアの含みを持った言葉に引っかかりを感じた。しかし、そのことを追求することもできない。
「では、別の話題として、帝国の市中で催されている大きな賭け事をご存じですか?」
「賭け事ですか……」
年中、賭け事や宝籤などは催されている。日常の出来事ではある。だが、大きな賭け事といえば……。
「皇帝陛下の花嫁が誰になるか……という誠に不謹慎な賭け事が行われているという噂は聞いております」
その賭博が行われていることは公然の秘密であるし、黙認するというのが帝国の方針である。
ロバート自身、市場の中央で大々的に行われていることを知っていた。そして、帝国の臣民たちは、誰が皇帝の妃となるのか、事の成り行きを、賭け事の結果を楽しみに待っているのである。
『アリスター侯爵令嬢 二十二歳 倍率:4.3倍』
『ホールマイヤー侯爵令嬢 十八歳 倍率:4.4倍』
『ミッターマイム伯爵令嬢 十九歳 倍率:10.9倍』
ロバートは、市場に掲げてあるオッズ表を思い出す。人気の高い令嬢たちは肖像画も一緒に掲げられていた。
ちなみに、ロバートはそのテレジアの肖像画を見て、実物の方が幾千倍も美しいという感想を持ったのを覚えていた。そして、テレジア嬢を目の前にして、その感想は誤りであったとロバートは思い直している。
幾万倍も美しかったと……。
「左様の通りであります。そして、身に余る光栄ですが、どうやら掛けのオッズが低いところを見ると、私が最有力候補であると市井の方たちは考えているようですわ」
「市井だけでなく、王宮でもテレジア様こそ相応しいと考えている方たちは多いです。帝国建国以来、忠実に仕え功績の大きいアリスター侯爵家。それに、先の王国との戦争で私兵や物資を出し惜しみせず、共に戦ったアリスター侯爵家は将兵たちからの信頼も厚いです」
ロバートはそう言いつつ、胸に何か針が刺さっていた。自分は風が吹けば消し飛ぶような男爵家で、テレジアは押しも押されもせぬ名門侯爵家であるのだ。
「そのように高くアリスター侯爵家を評価してくださり、光栄の至りですわ」
テレジアはロバートに悟られないように精一杯の笑顔を作って言った。
仮に、テレジアに姉妹がいたとしたら、さきほどのロバートの言葉は、姉にも、妹にも使える言葉であった。数え切れない男たちから言われた、テレジアにとって聞き慣れた常套句であったからだ。そして、ロバートから一番聞きたくも無い台詞であった。
自分は、このテーブルに置かれた高級グラスであるのかもしれない。必要なのは、器だけ。ユニレグニカ帝国にとって、そしてアリスター侯爵家で自分が必要とされるのは、王妃としての器である。必要とされるのはグラスとしての自分。ユニレグニカ帝国を支える器であれ。
そのカップ・グラスに何が注ぎ込まれているかなんてだれも気に留めたりなどはしない。所詮は、「アリスター侯爵家」の未婚の娘という工芸品のガラスの器でしかないのだ。
しかし、テレジアは自らを工芸品の器であることを良しとしない。そう決意したのだ。そのチャンスをくれたのはマクドナルド・ジョージ・ジュニア皇帝であり、そう自分に決意させたのは、舞踏会でロバートとダンスを踊った時である。
テレジアは切り出す。レイラと皇帝と別行動を取った本当の理由……。タピオカ・デ・アトーレにリスクを冒してまで来た理由。
「ですが……近日中にオッズは大変動するでしょうね。市井の者、そして貴族たちも私は花嫁候補から外れていると知るところになるでしょう」
テレジアの言葉にロバートは首を傾げた。
「お分かりになりませんか? 皇帝陛下の花嫁候補が堂々と、人通りの多い道のテラスで皇帝陛下ではない殿方と逢瀬をしているのですよ? つまり、皇帝の花嫁選びは、最終局面に入った。いえ、花嫁は内定した、ということが数日中には帝都にくに知れわたるところとなりましょう」
ロバートは気付く。テレジアはこの店で自分の正体を一切隠していない。むしろ、事前にこの店に来ることを店側に伝えていた。
「それこそまさかです。これは皇帝の勅令によってあなたの護衛を……」と言いかけて、ロバートは、そのような事情を市井の誰が知るだろうか? と思い直す。
外から見れば、確かに逢瀬をしているようにしか見えないであろう。
「あなたは最初からそれを狙って……しかし何故? これはあなたの評判を落とす行為でもあります」
「私がレイラの友人であるからです。レイラの友人として申し上げますが、レイラはマック様を慕っています。それになにより……私が、ロバート様をお慕い申し上げているからです」
テレジア一世一代とも言うべき告白であった。そして、最後まで言えたことにホッとした。心臓は破裂してしまいそうだった。
「テレジア様……私も愛しています。テレジア・アリスター……いや、テレジア……どうか私と……」
テレジアはロバートの言葉で感情が溢れ出しそうになる。今すぐ、ロバートに抱きつきたかった。しかし、その感情を押さえ込んだ。
そして、ロバートの言葉を遮る。
「それでは、すべての事が済んだ後、正式なプロポーズを心待ちにしております。ですが、今は、皇帝陛下の近衛兵であるロバート様が、皇帝の花嫁候補に求婚を申し込む分けにはいかないでしょうから……」
「それもそうですね……私としたことが」
「では、もう一度お伺いします。マック近衛兵とは、我等が皇帝陛下、マクドナルド・ジョージ・ジュニア様そのひとであらせられますよね?」
「そうだ」とロバートは答えた。
「ありがとうございます。そしてこのことは全ての事が済むまで堅く胸のうちにしまっておきます。まずはレイラに幸せになってもらいましょう。これで私とロバートは共犯者ですね。」
「共犯者……ですか。そうですね。死が私たちを分かつまで、私たちは共犯者ですね」とロバートは答えた。
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