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5.応接室にて

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 馬車が止まった。馬車の外から音が聞こえて来た。御者が、馬車のステップを取り付けているのだろう。
 扉が開かれ、扉の外には正装に身を包んだ老人が立っていた。
「レイラ・ホーエンハイム様、ようこそお越しくださいました」と、右手をお腹に回して丁寧なお辞儀をした。
 そして、馬車のステップを降りるレイラに手を差し伸べる。
 舞踏会は男女のペアで、招待される。一緒に馬車に乗った男性がエスコートし、女性が馬車から降りる際に手を差し出すのが習慣である。
 しかし、皇帝のお妃を選ぶのに男性同伴では具合が悪い。暫定的なエスコート役として城の執事達が役割を果たしているのであろう。
 
「レイラ・ホーエンハイム様、舞踏会まで少し時間がございます。応接室をご用意しておりますのでそちらで御くつろぎください」

 老紳士に案内されてレイラは応接室に入る。ホーエンハイム家ではありえないような大理石のテーブルに、ふかふかのクッション。
 しかも驚いたことに、その応接室にはメイドが二人控えていて、手早くお茶菓子と紅茶をレイラの前に差し出す。

『一応、妃候補待遇ってことなのかしら……。でも、王城にはこのような応接室が五十もあるってことよね。それに、メイドが一人の部屋に二人付いているということは、普段からメイドが五十人働いている……。ユニレグニカ帝国の皇帝って凄いのね』

 ホーエンハイム家では、父であるヨエルが王都に滞在しなければならない期間、執務を執り行うセバスと、屋敷をすべて任せているメアリの二人しかいない。男爵家では家臣を二人雇うのが精々なのだ。

『やっぱり、私の様な男爵家の娘とは住む世界が違いすぎる……』

 舞踏会を無難に終わらせて早々に帰る、ということを改めて決意するレイラであった。

 そんな中突然、ドンという太鼓の音が響いた。そして、部屋の外から、『ユニレグニカ皇帝、マクドナルド・ジョージ・ジュニアの御成り』という声が聞こえ、レイラは慌てて立ち上がり、直立不動となる。

 が、部屋に控えていたメイドの一人が、「レイラ・ホーエンハイム様への陛下のご挨拶はまだ先でございます。順番となりましたらお声をかけますので、それまでゆるりとおくつろぎください」と、声をかけて少し安心をする。
 皇帝と直接会うことなど、レイラにはもう二度とないことであろう。

 緊張のあまり喉が渇き、紅茶を飲み干すと、すかさずメイドが、「レイラ・ホーエンハイム様、紅茶のお代わりを」と注いでくれる。

「ありがとうございます。それにしても良い茶葉ですね。それに、とても美味しい紅茶です。お茶菓子も、美味しいですね」とレイラは口にして、自らの失言に気付く。

『王城なのだから、いつも私が飲んでるような、陽だまり亭でお客様にお出しした後の、出涸らしの紅茶とは違うのは当たり前じゃ無い……。それに、王城で仕えている方々なのだから、紅茶を淹れるのが上手なのは当たり前だし……。お茶菓子だって、最高級のものよね、きっと』

 レイラは、もう家に帰りたい……と心の中で叫ぶ。

「お褒めにあずかり光栄です」とメイド二人がキリッとした表情でレイラの言葉に応えて、丁寧に頭を下げる。

『もう……帰りたい……』

 そして、また、太鼓の音がなり、『ユニレグニカ皇帝、マクドナルド・ジョージ・ジュニアの御成り』という声が聞こえる。

 いつ皇帝が来るのか分からない状況でくつろぐというのが無理な話である。レイラは緊張のあまりに喉が渇き、紅茶を何杯もお代わりをした。

 やがて……メイドが「レイラ・ホーエンハイム様、皇帝陛下が御成りになります」と言うと、次の瞬間に太鼓の音が響く。

『もっと早く言ってよ! というか、どうやって次がこの部屋だって分かるの?』とレイラはソファーから立ち上がり、どうでも良いことに疑問を抱く。

 応接室の扉が開かれる。

 その瞬間、レイラは皇帝にのみ用いる最敬礼をして、「ホーエンハイム男爵が長女、レイラでございます。皇帝陛下に神のご加護と長寿を。帝国に繁栄を。そして、ホーエンハイム家の忠誠をどうかお受け取りください」と暗記した言葉を述べ、噛まずに言えたことに少しだけホッとした。
「レイラ・ホーエンハイム嬢。お顔をあげてください。こちらこそ、ご招待に応じていただき、嬉しく思います」

 レイラは床を見つめながら思う。これが皇帝の声なのだろうか? 龍のような咆哮かと思えば、意外と甘い声である。

 レイラは恐る恐る顔を上げた。

 そして、目の前にいたのは、燃えるような赤い髪の美丈夫だった。え? 熊男じゃない?レイラの目の前に立っている男——皇帝——は、整った顔立ちをしている。

「お目にかかれて光栄です。」
 皇帝は、キョトンとしているレイラの左手を流れるような仕草で手に取り、右脚を折り、地面に着けて、そっとレイラの手の甲に唇を近づけていた。

 そこでレイラは、はっと我に返り、思わず手を引っ込めてしまった。自分の手を触られてしまった……いや、でも、厚めの生地のパーティー・グローブを付けていたから大丈夫だとは思うけれど……。
 レイラの心臓は早鐘のように鼓動する。私が”氷の魔女”であることを悟られてしまった?
レイラは心配そうに皇帝の瞳を見つめる。真っ赤な髪とは対照的な、太陽をいっぱいに浴びた海の色のようなエメラルドの瞳であった。

「これは失礼……いきなりで驚かせてしまったようですね」と、マクドナルド・ジョージ・ジュニア皇帝は口元で優しそうな笑みを浮かべている。

「こちらこそ失礼いたしました」

「では、舞踏会が始まるのを楽しみにしています。当然の来訪、ご容赦を」

 そう言って、皇帝はマントを翻しながら応接室から出ていた。

 レイラがぼぉーと応接室で固まっていると、また、太鼓の音がなり、『ユニレグニカ皇帝、マクドナルド・ジョージ・ジュニアの御成り』という声が聞こえた。

「皇帝陛下は、もしかして、舞踏会に招待された五十人すべての人に挨拶をされているのですか?』
 部屋に控えているメイドに尋ねると、「左様でございます」という答えが返ってきた。

 その答えを聞いてレイラは少し落ち着いた。

『皇帝陛下は、招待された全員と踊ると聞いていたけど、会場で逃げ回っていたらきっと大丈夫ね。だって、沢山の貴族のご令嬢と踊るのだもの。きっと舞踏会の途中で、誰と踊ったとか踊ってないかなんて途中で分からなくなってしまうはずだもの……。それに、一応は陛下にご挨拶をしたのだから、もう私の役目は果たしたはずよ』
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