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28 堕ちた令嬢

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 ある日、カトレアからやんわりと、お茶会にもう来ないでほしい、というようなことを言われてしまいました。殿下や私との関わりを絶ちたい、ということではなく、私と殿下の間を気にしてのことなのでしょう。カトレアに気を使わせてしまった形です。

 殿下と私の間の溝は、まだ埋まってはおりません。いいえ、私の方が溝を掘りつづけているので、その溝は埋まりようもありません。深まるばかりです。
 殿下と私の間に流れる微妙な空気が、自分が原因なのではないかとカトレアが考えてしまっているとしたら、それは全くの誤解です。原因はすべて私なのです。

「ピアニー。良かったら金細工を買いに行かないかい? 異国の商人が王都に来ている。一か月ほど、バッケミン商会の店舗を借りて展示販売をしているんだ」

「申し訳ありません。今日もそんな気になれません」

 殿下からの誘いを断り続ける毎日となってしまいました。「体調が悪い」、「他に約束がある」など、誘いを断る常套句はすべて使い切ってしまいました。

「そうか。それでは仕方がないね。また今度」

 お誘いを頂いているのを断る私に、殿下は何も言いません。今までは毎日、馬車で一緒に帰っていたのに、一緒にいる時間が減りました。昼食を一緒に食べてはいるものの、多くの方もご一緒しているので、殿下と会話らしい会話をしたのは、いつであったでしょうか。





 大切なものが増えてしまいました。私は、屋敷に向かう馬車を止め、王都を流れる川岸に座ります。夕暮れを見ています。
 ぽちゃん、という音が響き、波紋が生まれ、消えます。私が川に投げた小石です。川岸に落ちている石ころのように、私も捨てることができたら、どれほど楽なのでしょうか。
 殿下との未来。殿下と一緒に学園生活を過ごし、そして結婚をし、子供を産み、育てていく未来。時には殿下と喧嘩をするかもしれません。殿下がご自分の子供を甘やかしすぎてしまい、私は困ってしまうかもしれません。いえ、私が甘やかしてしまうかも知れません。
 様々なことがあるでしょう。楽しい、幸せなことだけではないでしょう。ですが、その生活を、その未来を渇望している。それが、ピアニー・シュピルアール。そして、黒部春子。

 一方で、黒部秋子、カトレア・アウンタールに死んでほしくはないとも思っています。大切な妹が死ぬと分かっている。それを見て見ぬふりをすることなんて出来ない。

 選ぶとしたら、どちらなのでしょう。時は迫っています。どうして私は、その両方を手に入れることができないのでしょうか。
 いえ、どちらか一つでも手に入れることができたら、それは幸せなのでしょう。黒部春子の人生は、守るべきものを守ることができた人生でした。

 私は、目の前に違った種類のケーキを並べられて、どちらかしか食べれないと言われ、泣き叫ぶ子供のようなものなのでしょうか。両方を食べたいと駄々をこねる子供なのでしょうか。

 どちらか一方しか選べないと、途方に暮れているだけの、優柔不断な人間なのでしょうか。幸せを選べるという幸運の前に、ただ戸惑っているだけなのでしょうか。

 私はどちらを選ぶべきなのでしょうか。

 いえ、もう、私には選べないのかも知れません。
 
「ピアニー様。こんな所にいらっしゃいましたか。先触れは随分前に屋敷に着いたのに、ピアニー様の馬車がいっこうに到着しないので、屋敷の者は皆、心配しております」

 私の騎士のロバートがどうやら私の帰りが遅いので、馬で様子を見に来たようです。

「ごめんなさい、ロバート。少しだけ考えごとをしていたのです」

 少しだけのつもりが、長い時間、川辺に座り込んでいたようです。

「私としては、安全で、温かな場所で、ピアニー様に考え事をしていただきたいですね。学園は警備が厳重ですが、このような人けのない場所では、万が一ということがございます」

「ごめんなさい」

「さぁ、屋敷に戻りましょう。暖かいスープの準備ができていますよ」

「そうね、待たせてしまっては悪いわね。でも、もう少しだけ川を見ていたい気持ちなの」と私は言います。立ち上がる気持ちにはなれません。

「川ですか。ピアニー様。川を眺めるな、とは申しませんが。川を眺めるのであれば、上流を眺めたほうが良いですよ。下流を眺めてばかりいるようですが、それでは流されるままになってしまいます。そして、流されてどこへ行くのか、結局分からずじまいです」とロバートは馬に川で水を飲ませながら言います。

「上流を眺めることができるのは、流れに逆らう意思がある方だけですよ」

「そういう解釈もありますが、上流を眺めるのは、幸運を見逃さないためです。幸運は、過ぎてしまった後では捕まえることはできません。どんなに泳いで追いつこうとしても、追いつけないのが幸運というものです」

「ロバート。その話のポイントは、幸運を捕まえるには川に飛び込むしかない、ということなのかしら?」

「そうではありませんね。この話のポイントは、幸運を早く見つけたいのであれば、上流に向かって歩くべきだ、ということです」

「座り込んでいる私に対する皮肉というわけね。今日のロバートはとても意地悪なのね」

「それは心外です。ただ、私はピアニー様が風邪をひいてしまわないか、心配をしているだけです」とロバートは澄まし顔で言います。馬も、水を飲み終わったようで、川辺の青草を食べ始めました。

  私が川辺に座り込んでいた時間が長かったせいか、川から流れて来たものがあります。それは、決めかねている私にとっては幸運であるかもしれません。ですが、それはカトレアにとっては災難としか言いようがないものでした。
  私が、その幸運とも悪運とも言い方がたいものが、私の元に流れてついたということを知ったのは、次の日の昼下がりでございました。
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