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鳥籠の中の楽園10
しおりを挟む時の移ろいは、斯く夢の如し・・。
夕方5時。
窓の外の景色はとっぷりと暮れかけ、橙色の光が地球の端っこにゆっくりと吸い込まれて行く。
黄昏に溜息吐きつつ、どこかで聞き覚えのある文言を心の中で呟いて、西遠はハタと我に返った。
何言っちゃってんだ、オレ・・。
無意識だ。完全に無意識に心の中でポエムを読み上げそうになっていた。
西遠は掌で額を抑え、予想外の思考回路を発してしまった自分の顔から火が噴きそうになるのをジッと耐えた。
何が『夢の如し』だ・・。
そう思っても溜息が出る。
なぜなら、暦はもう2月。
あの『ゆめかまぼろしか』のクリスマス休暇から既に1ヶ月以上が経っている。
あれから西遠と勝貴の間に何かあったかと言われれば、それは皆無だ。
電話のひとつ、メールのひとつもない。
まさに梨の礫。
ここまでくると、あのクリスマスの一夜は本当に夢だったのか?と、西遠は疑問に思い始めた。
だいたい、数年ぶりに再会した甥っ子の上に乗らなきゃならない程、勝貴は切羽詰まって性欲に飢えてなどいないだろうし、彼は元々ノンケだ。
入った部屋の目の前で、いきなり甥っ子のオナニーショーを見せられたからってわざわざそれに付き合う義理もない。
それこそ血縁同士なら、尚、気まず過ぎて、お互い合わせる顔もない。
なら、相手に気づかれないよう、そっとドアを閉めて立ち去るのが妥当だ。
見なかった事にすれば、次に会ったとしても素知らぬ顔で挨拶出来る。
わざわざ蒸し返す必要もない。しょうもない一人遊びに勝貴が自分から絡んでくる事など必要ないからだ。
なぜなら、それが彼にとって絶対踏んではいけない地雷だからだ。
そう、オレの、ーーーーー地雷だ。
ずっとオレの気持ちに気づかない振りをされてきた。
どんなに熱い視線で見つめても、震える手を必死で伸ばしてその身に触れても、全て素知らぬ顔で流されてきた。
どんなに強く恋い焦がれ、どんな一言でもいいから欲しいと思っても、こっちの想いは相手にとって迷惑でしかない。
だが、恋なんてそんなものだ。
全ての恋が叶うなら世の中バラ色だ。
バラ色過ぎて、性犯罪天国になるだろう。
そんな事を考えて、自分がかなりヒネた物の見方をしている事に気づく。
そう。バカバカしい事この上ない。
何を謙虚に、勝貴からの連絡を待ったりしているのか。
普通に考えて、あの人が自分に応えてくれるなんて有り得ない現実だ。
「千垣」
思わず、と、言った感じで自分の机の右手側の机で作業している千垣に声を掛けると、すぐに「はい」と柔らかい声が返事を返す。
斜め後ろを半身振り返ると、椅子から立ち上がろうとしている千垣の姿が目に入る。
立ち上がりながら心残りだろう書き掛けの書類に文字を素早く書き付け、膝が完全に伸びると同時にきっぱりと仕事を諦め、こっちへ顔を向ける。
その表情は至って硬く、伏せ目がちの視線からはなかなか感情は読み取れない。
だからか、つい悪戯してやりたくなる。
この無表情を暴いて、困らせてやりたい。泣かせてやりたい。自分の中に取り込んで喘がせて蕩けさせて、発射させたくなる。
一応、これも陵辱の類に入るのだろうか。
こっちに向かって歩きながら、開けていた上着の前をボタンで留め、額に落ち掛けた髪を軽く後ろに撫で付ける。
1m程の距離を保って、千垣が足を止めた。濃紺に薄いストライプの入ったイギリス製のスーツは、以前、千垣が会社勤めをしていた頃に着ていたものより、ずっと上等な品だ。
千垣自身はスーツ一着に掛ける金額に大枚を叩くような贅沢はしない主義だが、新藤と同棲を始めたのをきっかけにクローゼットの中身を次々と入れ替えられてしまったらしい。
元々、アパートに戻る事も許して貰えず、あまり荷物を持ち込ませて貰えなかったのもある。
どうせ買えばいい。必要なら買ってやる。
新藤が金に物を言わせ、そう言って千垣を自分の傍から離さないのだ。
その上、泣けなしのスーツもシャツも気がつけば手元に無い。
さすがの千垣もこれには怒ったらしいが、新藤が相手ではケンカにならない。
「どうして勝手に捨てるんですか!確かに安物だけど、まだ着れます!」
千垣がカッとなったのも一瞬だ。すぐに自分が言った事を後悔したという。
「じゃあ、着れなくなれば捨てるしかないな?」
鋭い視線に見つめられて、千垣はたじろいだ。しまった、ここは新藤のマンションだった。アウェイだ。敵陣だ。逃げ場がない。そんな当たり前の事に気づくのが遅過ぎた。
黒豹に飛びかかられた鹿の様に千垣はフローリングの上に簡単に押し倒され、新藤の手であっという間にスーツを引き裂かれてしまう。あんなに丈夫そうに作ってあるのに、袖が肩から抜けスラックスもジッパーごと股を左右に割かれてしまったという。もちろん、その後の淫らな展開は聞くまでもない。
まさに、野獣の所業。
結局、破られてしまった物は捨てるしかない。
他に会社に着ていくスーツはなく、諦めて千垣は新藤が用意したスーツに身を包んでいる、という訳だ。
しかし、着る物一つで男の質というのは上がる。新藤の見る目に狂いはない。
イギリス製というのもあるが、前よりも硬質で、姿勢が良く見える。
程良い品があるから極道然とした下品さは微塵も無く、かと言って普通の会社員にはまるで見えない。
例えるならやり手の弁護士か、羽振りのいい医者か、というところだろう。
これには、自分も負けていられない。
オレだって、千垣に似合いそうな物を知っている。まだ着るには早いが、春先のトレンチコートは予約済みだ。それも色違いのお揃いで作った。オーダーだから、まだ製品は届いていないが着るのが楽しみで仕方がない。
服をプレゼントするのは脱がせる楽しみがあるからだと言うが、実際はそれを相手が身に付けてくれる事が嬉しいし、それが似合っていると尚嬉しい。
自分の手でより魅力的な姿に変身していく恋人を見るのは、男にとってこれ以上ない喜びだろう。
新藤の選んだスーツというところが癪に障るが、確かに似合ってはいる。
思わず見惚れる程にカッコいいと思う。それこそ抱きしめたくなるくらいにだ。
なのに、千垣は手が届きそうで届かない距離に立っている。
なんだその距離感は。
そう思って眉を顰めると、すぐ様その表情を読み取った千垣が「まだ仕事中ですので」と断りを入れる。
「オレの指示は仕事に入らないのか?」
オレの気持ちを知りながら・・と、ムッとして胸の前で腕を組むと、千垣は一瞬、視線を下に落とし掛けた顔を上げ「まだ名前を呼ばれただけで、指示は頂いてませんが・・」と申し訳なさそうに告げた。
その通りだ。
オレは憮然と組んでいた腕を解いて「だっこ」と両手を広げてみせる。
オレの発言に千垣はギョッとし、チラリと新藤の方を見た後で、おずおずとオレの前へ進み、腕の中に収まった。
くあーーーっカワイイ!!
今すぐ食ってしまいたい!!
むぎゅむぎゅと抱き締め、千垣の首筋に顔を埋めて匂いを嗅ぐ。
「サイオン・・っ」
思わず呼び捨てになる千垣がかわいくて「うん?」と耳を齧るとビクビクと千垣の全身が痙攣した。
背中から腰、腰から尻へと指を広げた掌で撫で回し、向き合っている腰を回すように押し付けると、千垣の耳がほんのりと赤く染まる。
「脱がして、千垣」
ね?と、耳から額、頬に鼻筋へとキスをしながら唇を移し、躊躇うように視線を上げた千垣の唇を狙いすまして吸い上げる。
「社長、まだ仕事が・・」
「これも仕事のうちだ」
言いながら押しつぶした唇の中に舌を入れ、千垣の口の中を舐める。
ねっとりと舌同士を擦り合わせ、性器の抽送のように舌を出し入れする。
卑猥な舌の動きに、自分のスーツを握りしめる千垣の手に力が入った。
「はい、30秒。そこまで!」
新藤の声に引き戻され、千垣はオレの肩に両腕を突っ張って体を離し、肩で大きく息を喘がせる。
「30秒?ほんとに?」
新藤は最近、オレと千垣がいちゃつくのが嫌らしく、仕事中としう名目の元『30秒間ルール』というものを作った。
どんなにイライラ欲求不満になっても、千垣にイタズラ出来るのは30秒だけ。これは勿論、言い出しっぺの新藤にも適用する。
「社長、まだ仕事中です。あれが片付くまでは30秒ルールです」
「え~~っつっまんない。だいたい30秒じゃ何も出来ない」
「だから30秒なんです。あなたにそれ以上時間を与えたら、中澤の方がもちません」
「いや、あの、10秒にしましょう。30秒は正直、長いです」
息も絶え絶えに千垣が言う。
「は?何言ってんだ?」
怒ったのはオレじゃない。新藤だ。
「ガキじゃねえんだ。10秒で何が出来るってんだ?」
まさか新藤に怒られると思ってなかったのだろう。千垣が目を見開いて仰け反った。
「あの、仕事中はこういうのは無しでいいんじゃ・・っ」
全く尤もな意見にため息が出そうだ。
「そんなの無理に決まってる。オレが無理なら新藤はもっと無理だろ」
「手の届く所にお前がいて、しゃぶりつきたくならねえ方がおかしい」
「そうだよ。千垣はオレの癒しなんだから。千垣がいるからここに居られる。千垣の側に居たいからここにいるんだよ」
本当なら、とっくの昔に遊びに出てる。
そう真面目な顔で西遠に見つめられ、中澤は目元を赤らめる。
これについて新藤は、中澤に心から感謝している。
中澤をスカウトしてからの数ヶ月、西遠興行の業績はやや上昇傾向にある。
それもひとえに、西遠が中澤に釣られて仕事をしてくれるおかげだった。
約束の時間に間に合う。会合にも出る。ちゃんと社長としての意見も出す。
これだけで、今までの、どれだけの二度手間が省ける事になったか。
それは中澤も同じ意見だ。
西遠が仕事をしてくれれば、即ち、新藤が楽になる。
ほとんど不眠不休で働く新藤を少しでも休ませたい中澤は、今やどんなルールにでも従うつもりだった。そう、だったーーのだが、この30秒ルールにはかなり手を焼いている状況だ。
なぜなら、やはり30秒では納得がいかないこの二人が、必ずと言っていい程言い合いをし、更にーーーー・・
「さっきの続きだ。さっきは下脱がすとこまでやっただろ。だから脱いだところから始めるぞ」
「30秒で脱がすって、新藤、どこまでやろうとしてる訳?」
「小分けにして、最終的には射精まで」
「どんな段取りだ、それ。お前は、真面目なのか不真面目なのか、どっちだ?」
と、もうルールの事など関係なしに、二人して上着を脱ぎ、ベルトを外し出す始末だ。
こうなったらもう止められない。誰にも止められない。
「革のソファーの上に裸って冷たいから、これ敷こう」
そう言って西遠が広げたのは中澤の背広だ。
「大丈夫、シミが出来て着れなくなったら、オレがもっといいスーツ贈るよ。千垣の体にぴったりのやつをね」
「え、いや、そんな・・」
「バカ。心配しなくても、同じのをまたオレがオーダーしてやるから安心しろ」
中澤が恐縮する気持ちと全く噛み合わない答えを口にする二人に前後を挟まれ、中澤は静かに目を閉じ、全てを諦めて、二人に身を委ねたのだった・・・。
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