白薔薇を唇に

ジャム

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この辺りは街灯も多く、コンビニもあるから通りは明るく、人目もある。
矢島は本気で心配してるけど、実際、16歳にもなる男をそうそう簡単には誘拐なんて出来ない筈だ。
さすがに墓地の中は、点々と古い街灯しか無いから薄暗いけれど、誰も居なければ怖くない。誰もいないと思っている所に人がいるとびっくりするが、こんな時間に墓参りをする人間は居ないだろうという確信があるから怖くはなかった。
「お兄ちゃん」
兄の墓前に立ち、声に出してそう呼んだのも久しぶりで、どこか声が掠れてしまう。
やっぱり、矢島にとっても、自分にとっても、あの日消えてしまった兄の存在は、計り知れない程大きなものだった。
「ごめんなさい。お兄ちゃん・・っあの日・・矢島を取って、ごめんなさいっ」
言葉にして初めて、涙が零れてきた。
ずっと、ずっと、心の中では謝ってきたつもりだった。
だけど、どんなに謝ろうとも、兄は返事を返してはくれない。
それを頭でわかっているから、こんな風に墓前で、口に出して謝ろうとした事はなかった。
後から後から涙が溢れて、手の甲で拭っても拭いきれない程の涙が目から零れ落ちていく。
オレは墓の前に跪き、両手で顔を覆って俯いた。
「ごめん。ごめんね。お兄ちゃん、ごめん・・っ」
今なら矢島の気持ちがわかる。
きっと、ふと思い出したように、矢島もここへ来ては謝っていたんじゃないだろうか。
オレが後をつけた日も、そう珍しい事じゃなかったんだ。
矢島の中では、きっとこの8年間、ずっと続けてきた墓参りだったんだろう。
口に出しても仕方が無いと思っていた。
だけど、はっきり口に出した事で、心の中にあった冷たい塊が溶けて溢れるように、涙が溢れてくる。

「私は、あなたに取られた訳じゃありませんよ」

いきなり背後から掛けられた声に、ワッと体が飛び跳ね、思わずその場に座り込んでしまった。
矢島の腕に支えられて立ち上がると、矢島のハンカチで顔全体を拭われて、最後に鼻をギュッと摘まれた。
「イタっ」
あまりの驚きに、自分が大泣きしていた事も忘れて、オレは泣き腫らした酷い顔で矢島の顔を見上げていた。
矢島に叱りつけられると思っていたのに、当の矢島はオレの顔を見て、口元をゆったりと引き上げている。
「あなたは小さい頃から、本当に愛らしくて、頼り無くて・・・こんな極道の家に間違って生まれてしまったあなたをどこに連れて行くにも、不安に駆られたものです。あなたに比べたら、竜一さんは聞き分けが良くて、とてもしっかりしていた」
だから。
あの日、どうしても買い物に行きたいと言うオレに付き添うため、塾に通う兄の送迎を、他の者に代わらせたのだと、矢島が言った。

そして、事件は起こった。

兄を乗せた送迎車が襲われ、兄が拉致される。
その代償には、その頃うちの組が関わっていた不動産の地上げ代を要求された。
オレの両親は躊躇う事なく、要求に応じ、交渉は成立したかに思えた。
だが、事件は簡単には終らなかった。
10歳にして聡明だった兄は、敵の隙をついて、捕われていた山小屋から逃げ出してしまったのだ。
大事な人質を逃がしてしまった犯人達は焦った。
山小屋周辺をくまなく捜索するが、兄を見つけられない。
結局、引き渡しの約束の時間になっても犯人グループが取引場所には現れず、交渉は決裂。
それと同時に犯人グループの動向を掴んでいた先駆隊が、逆に犯人を捕縛し、兄の居場所を吐かせるためにありとあらゆる拷問に掛けたが、結局「子どもは逃げた」の一点張りだった。
人質を逃がしてしまったという、とんだマヌケな誘拐犯から何の手掛かりも得られないとわかった直後、彼らは跡形も無くこの世から消されたと言う。
逃げ惑う山中で、10歳の子供がどこでどうしているのか。
ただ捜索隊からの情報を待つしか術が無く、皆が憔悴し落ち込む中、一本の電話が入る。
二日前、兄が拉致されたであろう現場付近の路上で、男の子が車に撥ねられて、山の麓の総合病院に救急車で搬送されたという。
一縷の望みを胸に、両親と組の幹部が病院に駆けつけたが、結末はあまりにも残酷だった。

「どれ程、自分が竜一さんに付いていればと後悔したかわかりません。ですが、あの時、坊ちゃんにも危険は迫っていたんです。不審な車が私と坊ちゃんの側を掠め、私は坊ちゃんを抱いて逃げました。多分、竜一さんが襲われたのは、その後だった」
本当の標的が自分だった事を初めて知り、オレはまた涙を零した。
その頬に、矢島の手が伸びて、雫を指で拭われる。
「竜一さんに付いて行けば良かったと後悔すると同時に、私は今でも、あなたが誘拐されなくて、本当に良かったと思っています。それがどんなに罪な事かと、私は自分を責めない日はありません。なのに・・」
そこで、矢島の顔つきが冷たいものに変わった。
その表情に、背筋に寒いものを感じたオレは、ハタとここが墓地だという事を急激に思い出した。
「どんなに自分を責めても、坊ちゃんを命に代えても護ろうと心に決めていても、あなたの協力なしには、どうする事も出来ない。私がこんなに、一人で出掛けないで下さいとお願いしているのに、なぜ、それを破るんです?それも、約束したのは、ついさっき。たった数時間前の事ですよ?坊ちゃん、どうしたら・・私の言う事を聞いてくれるんですか?」
一歩間合いを詰めた矢島に迫られ、逃げ場の無いオレは矢島の腕の中に閉じ込められる。
ギュッと背中を抱かれ、少し前屈みになった矢島がオレの耳元に囁いた。
「蘭。オレの言う事が聞けないなら、オレにも考えがある」
低く掠れた矢島の声が、耳から頭の中に直接響き、背骨にシビレるような刺激が走った。
それから、腰の下に矢島の腕を回されて体を抱き上げられ、バランスを崩したオレは慌てて矢島の首にしがみついた。
「矢島っ危ないって!落ちるっ」
「落としたりしません。坊ちゃん、無駄に暴れないで下さい」
また普段の口調に戻った矢島が、子どものようにオレを抱き上げたまま歩き出した。
人、一人を抱えているのに、矢島の歩調は軽やかだった。
きっと矢島は、オレに何かしらお仕置きを与えるつもりなんだろう。
それが心底楽しみで仕方が無い、という様子の矢島の顔が恐ろしい。
歩いて10分の道のりを矢島は6分で戻ると、そのままガレージへと入った。
「矢島?どっか行くのか?」
車の後部座席のドアを開けた矢島が、オレをシートに下ろし、シートベルトを装着させる。
「私のマンションが、ここから車で10分弱の所にあります。25階建ての最上階で見晴らしは最高です」
今まで、矢島がどこに住んでいるのかとか、気にした事がなかっただけに、そんなタワーマンションに住んでいるなんて意外な気がした。
この男が、外の見晴らしなどを気にするとは思えなかったからだ。
「意外ですか?」
そう返されて、頷くと、矢島は「警備上の理由から最上階が一番安全だからです」と答えた。
つまり、見晴らし云々はオマケということになる。
「あなたを護るために用意した物件ですよ。坊ちゃん」
そう続けた矢島に、オレは度肝を抜かれ、矢島の顔を凝視してしまう。
「な、なに?だって・・矢島の、家なんだろ?」
「そうです。私とあなたの家という事になりますね。高校からは実家を出て、私の家から学校に通うようにして下さい。いえ、通う事になります。いずれは、こうなる事に決まってはいましたが、まさか未成年の内に坊ちゃんの身を預かる事になるとは思いませんでしたけれどね」
その台詞に、どうもうちの親が一枚噛んでいるという雰囲気が漂う。

矢島が車を走らせ、ものの数分後にはーーー、高層マンションの矢島の家の一室で、オレは一人で出掛けた罰、という名のお仕置きを受ける事になる。

「坊ちゃんが、家から出たくならないようにするには、どうすればいいのか、本当に悩みました。物理的に手錠や鎖で繋ぐやり方もありますが、そんな事をしても、一時しのぎにしかなりませんからね。だから、正攻法で攻める事に決めました」
と、語りながら、矢島がオレを背中から抱き締めた。
自分の胸の前で交差した矢島の腕が、服の上から大きな掌全体で、オレの腹や胸を撫で摩る。
「矢島・・っなにすんだよ・・?正攻法・・ってなに!?」
矢島をそっと振り返ろうと上げた顔を矢島の手に捉えられ、矢島の視線が自分のものに強引に絡みついてくる。
「矢島・・?」
捉われた顎を持ち上げられ、無言の矢島が顔を寄せる。

まさか・・!
まさか!?

そう思った瞬間、咄嗟に矢島の腕の中から逃げ出そうと身を捩って藻掻いたが無駄だった。
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