騎士と砂の王

ジャム

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世界的歴史建造物である白亜の王宮は、テオが出入りしていた頃のままの姿を保っていた。
馴染み深い、勝手知ったる我が家のセキュリティシステム。
定期的なパスワードの変更や、監視カメラの数が増えてはいるが、基本的な部分はほとんど変わっていない。
そもそも、この裕福な国内でクーデターの心配や暴徒が集結、などという不穏な気配は微塵も欠片もない。
単純に資源の売買によって利益を得ているので産業スパイを送り込まれる心配もない。
懸念があるとすれば、王位継承権争いだが、それも親から子へと継がれるまでになかなかの時間を要し、その頃には次男や三男にはしかるべき役職が与えられていて割りに忙しい。長子の息子達にも次代への教育が始まっているので、国王が引退する頃にはかなり今更な雰囲気だ。

おざなりの警備態勢に警鐘を鳴らしたいのは山々だが、これはこれで助かった。
「アンディー、北ゲートのセンサーを切れ」
「了解」
アンディーはモバイル端末でセキュリティを突破し、キーを解除していく。
「センサーA~Fまでオフ。北ゲート解除」
「監視カメラ映像を15秒録画、リピート再生」
「警備員無線機ジャック、交代まで1時間」
「無血侵入を目指し、全弾ゴム弾を使用。北ゲート警備員拘束後、見張りを一人残す。ターゲット現在位置は?」
「暫定ですが、非常時用地下フロアだと思われます」
「アドラー様は外出中だな?」
「夫婦で王都ホテルのパーティーに出席中です」
「シャーク、車を40分後に北ゲート024付近に回せ。5分以内に合流。我々の到着が遅れた場合は即時撤退、遂行せよ」
「了解」
「作戦開始!どんな証拠も絶対に残すな!」
黒づくめの兵隊がテオの号令と共に散る。
テオは4人の兵士と北ゲートを目指した。
物陰に隠れながら北ゲート付近の曲がり角の壁に張り付くと、警備員が門の前に二人立っている。テオは地面に転がっている小石を手に取ると、それを向かい側の暗がりへと投げた。カンッと小石が何かにぶつかる音で注意を引き、警備員を引き離す。
銃を構えて物陰の様子を伺う男に忍び寄り、素早く暗闇に引き込んで締め落とした。
絞め落とした男の両手を後ろに括っている内に、もう一人の方も二人掛かりで気絶させ、ゲートを開いて、垣根の中へ隠す。
「急げ」
宮殿内は明るく、戦闘服では目立つため、上から長衣を羽織って、スカーフを頭に被った。
使用人とすれ違いそうになると、適当に水道工事の話を相談している風を装う。
宮殿は古く、水の出が悪い所も少なくないから、この手の話題は怪しまれる事はない。
テオは真っ直ぐに地下へと通じるドアを目指した。
細い螺旋階段を駆け下り、地下のフロアへ着く。
古い王宮の中にありながら、そこだけ急に無機質なコンクリートの駐車場を思わせる作りになる。広い廊下をカメラから隠れるように壁沿いを歩く。
私設の避難場所は、噂には知っていたが入るのは初めてだ。もし何かあった場合、ここでひと月は過ごせる様になっている。手前の部屋から捜索を開始し、鉄製のドアを少し開け、素早く中に入る。
テオは3度目で当たりを引いた。
「隊長」
部屋の中に入ったテオは無言で灰色の無機質な室内をぐるりと見回した。
隠れる所もない室内には、コンクリートの壁から鎖がぶら下がっているだけ。
もぬけの殻。
「やられた・・!」
ルシカと殿下が危ない。
テオは急いで来た道を駆け戻った。







レッドの屋敷では。

「本当にそっくり」
ルシカはジャイールの背中を見て呟いた。
「光栄だよ。殿下の愛する恋人からお墨付きを貰えて」
ジャイールは不適な笑みで、自分の後ろを歩くルシカを振り返った。
廊下にはルシカとジャイールしかいない。
「前から見たら、やっぱり違うけどね」
「そこまで似てたら、オレも自分の母親を疑うさ」

テオ達が出発した後、ルシカはレッドと二人、ベッドで愛し合った。
レッドを前にするだけで、ルシカの全ての感覚が研ぎ澄まされる。
まるで、むき出しの性器を糸でぐるぐる巻きにされたみたいに神経が尖っていた。
レッドの掠れた低い声、それに「ルシカ」と名前を呼ばれるだけで頭の芯が熱くなる。
自分を覆い尽くす逞しい胸板が呼吸の度に大きく上下する。
お互いの唾液に塗れ、乾く事のない唇。
レッドに触れた全ての場所が発火しそうに熱い。
視覚も聴覚もレッドという媒体を前に、感覚受容器の許容量を超えていた。
はやく欲しくて、レッドの腰に足を絡めた。
焦りながら縺れながら、双方相手が欲しい気持ちが先を行き、順序も流れも後回しにして体を繋げてしまう。
それで一旦落ち着くかと思ったが、逆に止まれなくなった。
挿入した事で理性が弾け飛び、獣のように深く激しくひとつになる。
お互いの肌に指を食い込ませて、もう絶対に離さないと必死に腕を絡ませて抱き合った。
その姿はまるで、薔薇の蔓が淡い色を宿した蕾を守るように絡み合っているようにも見えた。

何度もルシカの中で果て、熟睡してしまったレッドを起こさないようにルシカはベッドから降りた。
トイレに行き、ベッドへ戻る前に水を、と、テーブルの上のトレイに置かれた水挿しと、逆さまのグラスを手にして人の気配に気づいた。
ルシカが振り向くと、そこにジャイールが居た。
一瞬、ルシカはレッドだと思い、微笑み掛けて、止まった。

違う。レッドじゃない。

壁に寄りかかり、ジャイールが自分の唇の前に人差し指を立てている。
微笑みながら、ゆっくりとルシカの方へと近づいて来ると、「殿下はやっと寝れたみたいだね」と囁いた。
ジャイールが水挿しを傾け、ルシカの手にあるグラスに水を注ぐ。
ジャイールの動作、一挙手一投足をルシカは目を見開いて見つめていた。
姿勢が良く、指先にまで神経が行き届いた優雅な動作だ。
手で「どうぞ」と、水を飲むよう促され、ルシカはグラスに口を付ける。コップ一杯分の水を飲み干すと、ジャイールに視線を貼り付けたまま手の甲で口を拭いた。
ジャイールに無言でドアの外へ出ようと身振りで示され、それに大人しく従う。
廊下に出たルシカはジャイールに向き直り「初めまして」と嬉しそうに右手を差し出した。
「レッドの仕事を手伝ってくれてるジャイールだよね?会いたかったんだよ!」
無邪気に笑うルシカの表情に、ジャイールは虚をつかれた。
「君は、光の粒みたいだ。キラキラ煌って綺麗で、照らされる者が惨めになるくらい輝いてる・・」
「え・・?オレなんか普通だよ。元々スラムの出身だし・・レッドがスポンサーになってくれてるおかげで、今はいい暮らしが出来るようになったけど・・本当は小汚ないガキだ」
「スラムに・・そうだったのか。とてもそうは見えないけど、オレも下町の出だから、親近感が湧くよ。今でこそ慣れたけど、自分のように身分の低い者が王宮に入るなんて、末恐ろしい事だったからね」
「オレも、王宮なんて行ったら怖くて心臓爆発しちゃうかも」
少し歩こうと誘われ、廊下を進む。
その後ろ姿に、本当にレッドと似ていると感心した。
漠然と見た時の姿勢がとても似ている。身長や肩幅だけではなく、腕の太さまで同じに見える。
歩き方や立ち姿などはきっと同じ動きを何度も練習したのだろう。
誰かになりきるなんて、とても神経を使う仕事だ。
「ルシカ、君は殿下が好き?」
不意に質問され、ルシカはびっくりして顔を上げた。
「え、あ・・うん。好き」
ルシカは正直に、それでも少し戸惑いながら答えた。
「じゃあ、愛してるよね?」
「えっと・・」
今出会ったばかりのジャイールを相手に、どう答えたらいいのかルシカが迷う。
ジャイールの事は味方だと思っているし、レッドが信頼を置く部下だ。
何も隠す事などないのだろうけれど、自分の内面を誰にでも打ち明けられる程の器用さはルシカにはない。
曖昧な顔で答えに迷っていると、更にジャイールから質問を繰り出される。
「愛してる人の子供、欲しくない?」
質問の内容を理解する前に、急に冷水を掛けられたように体が冷たくなり、ルシカの足が止まった。
「恋人の君に頼むのは間違っているのかも知れないけど・・・殿下に、子供を作るための時間をくれないか?」
ジャイールに見下ろされ、ルシカはその視線に眉間を貫かれた。
「彼は王子だ。王族はその血を絶やさぬため、自分の子孫を一人でも多く増やさねばならない。そのために、この国は一夫多妻制を保っている。世継ぎが生まれなければ、ここまでこの国を支えてきた王族の地盤が揺らぐ。どんなに君と愛し合っていても、子孫繁栄のためには女性と結婚し、子供を作らなければいけない。でも、だからって長い時間が必要な訳じゃない。半年か、1年あればいい。その間、君には殿下から離れた場所にいて欲しい。それが、彼をここから救える条件だ」
ルシカは呆然とジャイールの話を聞いていた。
聞こえているのに、全く反応出来ない。
体が彼の話を拒絶していて、何を言われているのかを理解する事が出来なかった。
「このままじゃ、殿下はずっと幽閉されたままだ。君に操を立て、形だけの婚約にも首を縦に振らない。長い間片想いしていた君とやっと恋人になれたんだから当たり前だが、これは遊びじゃない。彼には王族として生まれた義務がある。1年でいい。愛してるなら、彼を信じてるなら、彼の前から身を隠してくれ」
ジャイールの残酷な提案に指先が冷たくなる。
「大丈夫さ。もし、結婚しても彼が心から愛してるのは君だけだ。子供が生まれても、何人妻を娶ろうと、彼はきっと君を追い掛けるだろう。それは、端から見てたオレにでもわかる事だ。それに、君だって殿下の子供が見たくないか?愛しい人の子供だ。きっと可愛いぞ」
目の前で、レッドに似た人が柔らかく微笑みながら、結婚や子供について語っている。

訳が、わからない。

結婚して、子供を作って、1年たったら戻ってくる?
オレを愛してるから?
じゃあーーー
レッドは、愛してない人と結婚して、子供を作るの?
それは、辛くないの?
その子供を置いて、妻を置いて、オレの元に来るの?
それは、辛い事じゃないの?

そんな未来に・・・夢なんてあるの・・?


足元がふらつく。
ルシカは咄嗟に壁に手を伸ばして、体を支えようとした。
その手が強い力で掴まれる。引かれるまま、ルシカはその腕の中に凭れた。
「ジャイール、私のルシカに何を吹き込んでいる?」
ルシカの後ろから、その体を包み込むようにレッドが立っていた。
「殿下・・っ」
「そこまでだ」
テオが背後からジャイールの手首を背中に回し、抑える。
「無駄骨折らせやがって、このヤロー・・!」
「ずいぶん戻ってくるのが早かったな。テオ、本当に王宮に行ったのか?」
「馬鹿にするのも大概にしろ。これ外して、どうやって出た?」
テオがジャイールの服の手首を捲る。
壁の鎖に繋がれていたジャイールの手首は痣と擦過傷で真っ赤になっていた。
「これは、私が犯した罪を償うために罰を受けただけ・・」
「何だよ、罪って・・」
「愛してる人を惑わせた罪だ」
「それ、アドラー様の事だよな?お前はアドラー様の宮殿で地下牢に入れられていた」
「それすら、あの方には耐え難い屈辱だったのかも知れません。実の弟と似た男を愛する行為は、あの方を余計に歪めてしまった。それでも、傷ついたあの方を慰められるのは自分だけだ。なのに、オレはエルザとキスしている所をアドラー様に見られてしまった・・」

始めは、同席したパーティーで声を掛けて貰ったのがきっかけだった。
気さくな方で、でも、どこか翳があって、そこに惹かれた。
暫くして、二人で酒を飲む仲になり、たわい無い話から徐々に打ち解け、自分に心を開いて下さったのが嬉しくて、心が傾いていくのを止められなかった。
恋い焦がれる気持ちは簡単に伝染し、そこからなし崩しに体の関係が出来た。
「それなら、どうしてエルザに気を許した?」
「あれは、どうしようもなかったんです。あれは女じゃない。押しが強くて、我儘な子供だ。ツカツカとこっちに歩いて来たと思ったら、いきなり膝の上に跨がってきて、あっという間にキスされてしまったんですよ。あれには参りました。こっちは影武者だっていうのに、半べそで結婚してくれって。取り繕うのも容易じゃない。あとで本物に会った時に恥を掻くのはあっちなんですからね」
「・・エルザは酔ってたのか?」
呆れ顔でレッドがテオに問いかける。
「失恋してヤケになってたって言ってました」
肩をすくめてテオが答えると、レッドも溜息を吐いた。
「それで、婚約は安過ぎる」
「まさか、エルザとキスした罰で地下に吊るされてたって言うのか?」
「そんな可愛い嫉妬なら良かったんですけどね」
きっとオレに騙されていると思ったんだろう。
出会ったばかりで、いきなり膝の上に乗っかるような女がいるなんて思わない。
あの騒ぎで、アドラー様はオレが隠れてエルザと付き合っていたと勘違いした。
「オレがあの人を失望させた・・」
どんな罰だって受けた。
あの人がオレを見てくれるなら、どんな責め苦にも耐えられる。
けれど、3日もするとあの人は『もういい』と言い残し、オレの手首から鎖を外した。何も映さないガラスのような目をしてーーー。

「だいたい、わかった」
レッドの声にジャイールが顔を上げる。
「だが、私が結婚するかしないかは、私の自由だ」
一瞬ジャイールの胸に沸いた希望が、一気に萎んでいく。
「どうか、お願いします。1年か半年でいいんです。子供を作って下さい。女が孕めば、その後の事はオレが面倒を見ます。どうか、殿下、お願いします・・!」
「やめろ、自分に説得されてるようで気持ちが悪い。それより、お前は私の仕事から降ろす。私のルシカに手を出すような危険な人物を側には置いておけないからな」
「・・わかってます。好きにしてください。どんな処分だって受けます」
「好きに・・?その言葉忘れるなよ?」
レッドは目の奥を暗く光らせ、ルシカの肩を抱いて寝室へと戻って行く。
反対にジャイールはテオに後ろ手に拘束されて階段を降りて行った。
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