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しおりを挟む「ユリウス様、悪戯が過ぎますわ」
「フィーこそ、私という婚約者がいながら、浮気をしていたじゃないか」
「それは……! そういう、ことでは」
「では、どういうことだい?」
すっかりユリウスの思惑にやり込められたソフィアはぐうの音も出せず、閉口してしまった。
「フィアは俺の番だ。悪いが、譲れない」
ソフィアの隣に腰かける男は、悪びれた様子もなく言葉を吐き、ソフィアの手を握っている。
「ルイス、手を離して」
「なぜ」
「……なぜって」
つくづく、思い通りにならない男ばかりが周りに居るものだ。ソフィアは呆れかえって、ぷいと顔を逸らした。
そらした先に座る女性は、三者の様子を見ながら愉快そうに微笑んでいる。
「ふふふ、実に愉快ですわ。魔法を使って手を払って差し上げてはどうかしら。ソフィア様」
ソフィアはシェリエール・フェガルシアの浮かれきった声を聞きながら、思い通りにいかないのは紳士だけではないことを思い出してついに抵抗を諦めた。
そもそも、ここに座る者たちはあまりにも屈強すぎる。敵う相手ではないのだ。
ユリウスはソフィアの魔法を解術し、獣人の子どもたちの暗示をかき消した男だ。さらにルイスは、ソフィアの魔法を受けてもなお、その心を失わずにいた獣人である。シェリーなど、魔の森でテオドールの魔法を受けているふりをしながらソフィアを見つめていたらしい。
ソフィアは、ルイスからその真実を聞かされた時、盛大に眉を顰めてしまった。
「獣人の皆様は、魔法なんて効かないでしょう」
「うふふ、でも、間近で見てみたいんですの。だって、お兄様の解説ではちっともうまく使えるようにならないんですもの」
獣人たちは魔力を持っていながら、それを行使するのが苦手というだけで、魔法への耐性が頗る高い。だからこそテオドールはロンドの腕にバングルを嵌めさせて魔法をかけたのだ。
シェリーもまた、ユリウスの手によって先に腕輪を外されていた者だ。
彼女は腕輪を外したルイスが目立った悪変を遂げていないことが確認されてすぐに解術を施されている。ゆえにルイスから魔法の使い方を聞いているようだが、いまだその感覚は掴めていない。
ルイスが魔法を行使するときの感覚というのが、ソフィアの身体に触れるときの繊細さだと言うのだから、シェリーにその感覚がわからないのは無理もない。
ソフィアとルイスは現在、ユリウスに招待され、王宮の一室にある上等なソファに腰を下ろしている。
ソフィアはなるべくこの二人にはかかわらずにことを穏便に済ませようと考えていたのだが、呪いについての話があると王宮への招待状の手紙に書かれてしまった手前、断ることができなかったのだ。
革命がなされてから三か月が経過している。目まぐるしい変化のなか、ソフィアもユリウスの命に従い、獣人へ悪辣な行いをしていた者たちの摘発に尽力していた。
「ユリウス陛下、お話を聞かせてくださいまし」
「ああ、そうだったね。フィーはせっかちだなあ」
民衆の前でソフィアを泣かせにかかってきた男は、常に飄々としている。
「ええ、わたくし、もっとソフィア様と仲良くなりたいですわ」
「シェリー、フィアを困らせないでくれ」
話がいくらでも脱線しそうだ。ソフィアは再び深くため息をつきつつ、話を促すためじっとりとユリウスの瞳を見つめた。
「はは、いや、知っているのは私ではなくて、シェリエールだ」
「そうなの。呪いのことよ。ソフィア様にかかっている呪い、あれは最愛の女性に雄の獣人がかける執着の呪いですわ」
「……どういうこと、かしら」
女王となる資格を持つ者であるから当然のことだが、シェリーは最も獣人の歴史に詳しい。ソフィアはシェリーの優雅な喋りに違和感を覚えながら、首を傾げた。
「ロンド・フェガルシアはおそらく、本当にオフィーリア・フローレンスを愛していらっしゃったのだわ。その身体が他の者に犯されることを恐れるほどに。……そして、オフィーリア・フローレンスも、呪いにかけられることを受け入れた。二人の思いが一致していなければかからない呪いなの。しかも、オフィーリア・フローレンスの身体は、その一族の女児全てが受け継ぐほどの呪いを受けた。これは、それほどにオフィーリア・フローレンスがロンド・フェガルシアを愛していたという証拠なの」
シェリーから話される言葉は、ソフィアが考えていた筋書きと一致している。シェリーはソフィアが特段驚きを見せない様子を見遣って、楽しそうに微笑んだ。
「呪いの効果は番以外の者の体液に触れるようなことがあれば、たちまち気が狂って、番を欲するもの。最も簡単な浮気防止策ね」
「つ、がい?」
「シェリー、それは聞いていないが」
ソフィアとルイスが一斉に声をあげれば、シェリーはますます楽しそうに笑みを浮かべている。やはり、ユリウスと同じ表情だ。
ソフィアは、ようやくシェリーがかなりの曲者であることを悟ってしまった。
「まあまあ。まだ話は途中よ。……この呪いは、一方的に女性だけが受けるものではないの。つまり、兄様も呪いを受けているのよ。こっちもシステムは簡単よ。番以外に欲情しないの。本当に簡単でしょう? けれど、困ったのはここからよ。二人は皆さまがご存じの通り、悲劇のまま死んでしまったわ。ロンドは邪悪な術をかけられて別の女性と番うことができたけれど、以降の息子たちは、番以外の者との間に子を成すことができなくなった」
「しかも、呪いがかかったロンドの息子たちは、全員フローレンス家のご令嬢が番になったの。ソフィア様のご存じの通り、フローレンス家のご令嬢は、ソフィア様以外、全員呪いの力かテオドール・フローレンスの手によって殺されているわ。……このことから、長らくフェガルシアの男児たちは、子を成すことなく生涯を終えている」
ゆえに、フェガルシアの王位継承権は、女性に移された。
「兄様とソフィア様は、ロンド・フェガルシアとオフィーリア・フローレンスの執愛によって結ばれたというわけですわ」
「番でなくとも、俺はフィアを求めた」
予想だにしない事実に吃驚していたソフィアは、淡々と言葉を返すルイスに、ますます声を失ってしまった。
「……なぜ驚く」
「い、いえ」
「フィーは照れているんだよ」
「ユリウス様!」
悪戯好きのユリウスに眩暈を起こしつつ、ソフィアは赤くなりかけた頬を押さえた。
「ふふふ仲がよろしいようで、結構よ。……呪いはすぐに解けるわ。これは、懐妊した女性の心を安らかに保つための呪いなの」
「懐妊した女性、ですの?」
「ええ。オフィーリア・フローレンスは、ロンド・フェガルシアの子を身籠っていたのでしょうね。けれど、出産を迎える前に死してしまった。……この呪いは、思い合う二人の間に子が生まれたとき、解けるものですの。…‥ふふふ、お兄様なら簡単に解いてしまいそうねえ。もう解けていらっしゃるかもしれませんわ。ソフィア様、最近、呪いの兆候はおあり?」
優雅な微笑みを浮かべたシェリーに尋ねられたソフィアは、正直に答えを告げようとして、ますます顔を赤くしながら口を噤んだ。
なぜならソフィアは、久しく呪いの兆候を感じていないはずが、呪いが消え失せているのか、確認する術がなかったのだ。
「あらあら。そう。そうよねえ。呪いが発現するか確かめることができないほど、毎晩、いえ、昼夜問わずお熱いですものねえ。ふふふ、冗談ですわ。その呪いは、ソフィア様のお腹にややが育まれ、しっかりとこの世に生み落とされた時、真に解けるものですからね」
早速ソフィアが顔を赤くしている理由に触れたシェリーは、ルイスが冷ややかな視線を向けていることに気付いて表情を取り繕った。相変わらず冗談の通じない兄だが、シェリーはそういう朴念仁な兄が気に入っている。
兄の最愛の女性に、自身が番であるなどと言うような、些細ないたずらをしてしまうくらいには。
「……呪いにかかったフィアは俺の子を孕むことがないと聞いたが」
「ふふ。嘘よ。間違いなく生まれるわ。二人の心が、真にそれを望んでいる状態であれば、すぐにでも」
ソフィアの呪いは、不治のものではなかった。それどころか、思い合う恋人がかけたまじないだったのだ。
「北の魔の森は、その昔、フェガルシアの王族が保養のために使用していた森でしてよ。……先王ロンドも、愛おしい恋人と戯れるために小さな別荘を作ったと言われているわ。魔石を壊してからも何度か探しておりますのに、見当たらないんですの。きっと、オフィーリア様が保護の魔法をかけていらっしゃるのね。二人はその別荘で、熱い夜を……」
「シェリー、いい加減にしろ」
「あら嫌だわ。冗談ですのに」
けろりと笑うシェリーとは対照的に、ソフィアは北の魔の森でルイスとソフィアが睦みあっていた事実が察せられているのではないかと内心慌てふためいている。ルイスはソフィアの心を正しく理解し、密かに笑みを浮かべた。
あの小屋は、オフィーリアの魔法に守られた恋人の隠れ家だったようだ。ソフィアは拝借した靴が異様なほどにぴったりであったことを思い返し、頬に集まった熱を逃がそうとしている。
「ともかく、呪いに関しては、お兄様がすぐにソフィア様を孕ませてしまうでしょうから、心配ないわ」
「シェリエール、フィーが顔を真っ赤にしているよ」
「あらあら。かわいいわ。そんな姿じゃあ、悪い獣にぺろりと食べられてしまいますわよ? お気を付けなさって?」
「シェリエールのほうが悪女らしいねえ」
「ふふ、嫌だわ、ユリウス様。それはわたくしのセリフですのよ」
狐とタヌキの化かし合いのような舌戦を見たソフィアは、赤くなる頬を扇子に隠しながらため息を吐いた。
「本当に、お二人が夫婦になるのね?」
ソフィアはユリウスとシェリーが腹の探り合いを繰り広げているのを見つつ、ルイスに囁く。
「……それなりにうまくやるだろう」
「それならよろしいですけれど」
グラン帝国はフローレンスの悲劇以降成しえていなかった獣人の王族とグランの者との結婚を取り仕切りなおすこととした。今度はフローレンス家が相手を務めるのではなく、若き帝王ユリウスがシェリーの伴侶となることとなった。
獣人の復権は間違いないだろう。
巷では、王都でのソフィアとルイスの婚礼の儀式を望む声も多いが、二人は今日、密かにこの地を離れることを決めていた。
「……フィー、寂しくなるよ」
「お手紙を書きますわ」
ソフィアとルイスは辺境の地を治めることを命じられている。これはソフィアの悪辣な噂がまだ完全に消え去っていないことと幼い頃のユリウスとソフィアの約束を鑑みた決定だ。
フェガルシア領の広大な土地を治めることを任せるのは二人の婚姻をユリウスが祝福していることを貴族社会に知らしめる目論見もある。
「フェガルシアは今、雪解けを迎えたらしいですわ。私もすぐに遊びに行きますから!」
「ええ。シェリー様、お待ちしております」
フェガルシアの最果てでソフィアはその命を終えようと決めていた。それが、幾多の数奇な巡り合わせによって、遠い未来に変えられてしまった。
「たまに帰ってきてくれ。フィー、そしてルイス。……もちろん、赤子の誕生も願っている」
「……ありがたきお言葉です」
ユリウスは、忠臣を手放さない優秀な帝王だ。
ソフィアはまんまと彼の手の内に引き込まれ続ける運命に嵌ってしまったことに苦笑ながら、ルイスの手に引かれて部屋を辞した。
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