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しおりを挟むルイスは、きつく閉めた地下牢の扉を睨みつけ、拳を握りしめている。ソフィアを乱雑に掴んだ手を見つめ、激しく壁に叩きつけた。
「……クソっ」
猛烈な後悔にかられながらも、ルイスはその役を他の者に渡す気などない。血の滲んだ手のひらを構うことなく歩き出したルイスは、側の廊下で待ち構えていたユリウスを見遣り、静かに礼を取った。
「ルイス、悪い役回りを与えたね」
「いえ。……構いません」
「嫌われてしまうとは思わないのかい」
「……例えそうであっても構わない」
はっきりと告げたルイスは、しかしその拳を強く握りしめ続けている。耐えがたい痛みを感じているのは一目瞭然であった。
「私が代わってもいいけれど」
「やらせてください。……例え憎悪の対象となろうが、彼女が生きているだけでいい。俺の心など些末なものだ。彼女が真に死を望むのなら、俺の手で殺します。そうでないなら、俺が守り抜きたい。……それだけです」
決意の滲む瞳が煌めく。ユリウスは、その瞳を知りながら、野暮であるとわかりつつ、声をかけた。
「番というのは、それほどまでに心を乱すものなのかい?」
ユリウスの問いを聞いたルイスは、その言葉に特に反応を見せることなく、静かに答えた。
「フィアの存在は、そのようなものには収まらない。ただ、何よりも愛おしい存在が、番であったというだけのこと。些細なきっかけにすぎない」
「きっかけ、か」
「愛に理由などない。ただ身勝手に求めているだけだ。ゆえに、どれほど疎まれようが、フィアが望む通りに生き続けられることが重要だ」
ソフィアはその声を聞いた時、やはり堪えることもできずに涙をこぼしていた。
意地悪そうな表情を浮かべたライに記憶を見せられたソフィアがますます泣き出してしまったのを見たルイスは、とうとう使い魔に退出を命じた。
「ライ、出ろ」
「……それほど大事なら、その腕に抱き隠しておけ」
互いを思い合うがゆえに強情になる恋人たちを見遣ったライは、ルイスにはわかりやすく声をかけ、ソフィアには静かにエールを送った。
ライはやはり、仏頂面の主より、花の乙女を愛でるのが好きなのだ。
「フィア、素直に甘えてやればいい。雄を手玉に取るのも、悪女の嗜みだ」
おかしなエールを送ったライは、今度こそ、涙を流しながらも笑うソフィアの姿に目を細めて渋々と主の寝室を出た。
「フィア」
「……何ですの」
「生きる事に、理由はいらない」
——愛に理由などない。
「貴女が生きる事を願う者が、溢れかえっている」
——例え憎悪の対象となろうが、彼女が生きているだけでいい。
「貴女が、……貴女が嫌悪するなら」
「共に生きろと、仰ったのに。私を見捨てるんですの?」
どれほどの思いでソフィアを騙していたのか、痛いほどによくわかる。
ルイスは己の誓いを破ってまで、ソフィアの人生を守ろうとしてくれていたのだ。それは、己の心を捨てる覚悟をも伴った激しい願いだ。
「番だなんて、些末なことですものね。お強い司令官様は、悪女の世話なんて……っ」
背を向けて涙を流しながら叫んだソフィアは、言葉の途中で激しい熱に身体を抱かれた。
「ルイ……っ、んんっ、ん、……っ、ふ、っ」
背後からソフィアの顎を荒々しく掴み寄せたルイスは、ついに堪えることもできず、その唇に噛みつく。
——これが欲しかった。欲しくてたまらなかった。
ルイスは、少し前に告げかけた別れの言葉さえ飲み込むようにその唇に食らいつき、熱に溺れる愛おしい存在を掻き抱く。
「貴女が拒絶しないなら、もう二度と離さない」
「ル……っ」
「どのような悲しみからも貴女を遠ざける。死さえ、貴女の側に近寄らせない。フィア。……フィア」
「ん、っ、くる、し」
「放してやらん。……貴方は俺の、……俺の、最愛の人だ」
勢いのまま寝台にソフィアの身体を押し倒したルイスは、まだ日の高い寝室で見る彼女の美しさにうっとりとため息を吐いた。
夜の光にも美しいソフィアの金糸は、太陽に照らされ、神々しい輝きを放っている。
「美しいな。俺の妻にしたい」
「……っ、る、いす、待っ」
「いや、妻にする。……共に生きるのだろう? フィア」
「ん、っ、まだ、怒って、います、わ」
「そうか。怒れる貴女も愛おしい」
ルイスは愛おしさに酩酊しつつ、先ほどまでの涙が、悲しみのものではなかったらしいことに密かな安堵を浮かべていた。
簡素な白いワンピースはわずかに汚れている。それでもなお輝きを失わないソフィアに目を眇めたルイスは、怒りの真似事をする愛おしい生き物の頬を撫でた。
「俺を愛してはくれないのか?」
ずるい問いかけだ。ソフィアはとっくに心を許している相手からの懇願に、眩暈を感じながら抵抗をやめる。
——フィア、素直に甘えてやればいい。雄を手玉に取るのも、悪女の嗜みだ。
ソフィアはライが、己の強情を解くための魔法を囁いてくれたことに気付き、涙を浮かべながらくすくすと笑った。
「ご機嫌だな、フィア」
「ん、っ、貴方が、かわいいか、ら」
「可愛い?」
「ルイス、その手の傷、どうしたのかしら」
「これは、……いや、何でもない。痛みもない」
「そう?」
強情はお互い様だ。ソフィアはなおさらくすくすと笑いながら、その手を取って唇に触れさせた。触れながら治癒の魔法を捧げる。
「っ、フィア」
「もう、私以外に傷つけられないでくださいまし。……約束してくださるなら、側に居るわ」
独りは嫌いだ。
ソフィアはもう、誰一人として失いたくない。ゆえに、死を選ぼうとしていた。この熱を知ってしまえば、もう、孤独なソフィアには戻ることができない。
ソフィアの細やかな甘えの言葉を聞いたルイスは、たまらずその身体を抱きしめながら耳元に口づけた。
「必ず、守る」
「ええ」
ソフィアは抱きしめてくるルイスの腕に嵌められ続けている腕輪を静かに撫でて、満面の笑みを浮かべた。
「好きよ」
「ああ」
「愛しているの」
「俺もそうだ」
「ライより好き?」
可愛らしい笑い声が響き渡る。ルイスは、存外甘え上手らしい未来の伴侶の言葉に堪えきれずに笑みを浮かべつつ、その耳に答えを囁き入れた。
「——何よりも強く、深く、貴女だけを愛する」
「ふふ、では、それはライには秘密ね」
「ああ。フィアの答えも聞かせてくれ」
ようやく同じ心を手に入れた運命の二人は、優しい光に照らされる寝室で、愛を語らいあいながら熱に溺れた。
たっぷりと熱を孕んだソフィアを抱きしめたルイスは、欲情に濡れた瞳を焼き付けるように見つめる。
「フィアの瞳は美しいな。宝石のようだ」
「……わたくしは、あまり好きではないわ」
息を整えながら声を上げるソフィアは、ますます甘えるようにルイスの胸に額を擦らせた。
「俺は好きだ。貴女の清らかさが良く見える」
愛を囁いたつもりなどなさそうな真剣な目を見上げたソフィアは、父に似ていると告げることをやめてしまった。ルイスの瞳は嘘一つなくソフィアの瞳の奇跡を眩しそうに見つめている。
「そんなに素敵に見えているの?」
「この世の至宝であることが悟られては危険だ。何度か目を隠してやる方法を考えていた程度には、美しく見えている」
それならもう、この目で良い。
ソフィアは己の心に燻っていた小さなわだかまりでさえ、綺麗にかき消していく恋人の頬に口づけて瞼を下した。
「ルイスの瞳は満月のようだわ。この世の至宝だから、私も隠す方法を考えるわね」
「そうか? 俺は貴女以外に興味がないから、貴女の他に瞳を見せる相手もない」
「またそういうことを言うのね」
「フィア、もう一度至宝を見せてくれ」
強請られたソフィアは、甘え上手の恋人に密かに笑いつつ、もう一度瞼を押し開いた。
美しい瞳が輝いている。
「……やはり隠すのはもったいない。フィア、明日にでも貴女を妻にする」
「ええ? どうしてその話に戻るのかしら」
「至宝が俺の手にあると知って攻め込む者はいない」
甘やかな執着の声を聞いたソフィアは、息が整いかけたところでもう一度ルイスの手に身体を起こされ、彼の執愛の証を身体に刻み込まれた。
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