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 早朝に目を覚ましたソフィアは、ルイスが寝ずの番をしていたらしいことに気付き、ため息を吐いた。

 ソフィアはいつどこから襲われてもおかしくないような場で呑気に眠っていた自分を恥じながら、そろりと足を下ろして、振り返ったルイスに近寄る。

「ルイス」
「フィア。起きたか」
「ええ。ごめんなさい。私」
「体調はいいのか?」
「ええ、それは、もう」

 ソフィアは、己の魔力が著しく回復していることを感じ取っていた。おそらくこの小屋には強い保護魔法がかけられている。かけた術師はかなりの力を持つ者であったに違いない。

 ソフィアは昨夜、ルイスの熱に酔うまま、全く適切な判断を下せずに勝手に眠りついてしまったことに苦笑しつつ、彼の腕に触れ、静かに治癒魔法を唱えた。

「フィア、そのようなことは」
「できるだけ、魔法を使ってからここを出るわ」

 どうあがいても、この小屋を出た先で、ソフィアは満足に魔法を使うことができない。それであれば、必要最低限の魔力を保持しつつ、先に魔方陣を展開させておくほうが賢明だ。

 ソフィアは思いつくまま、ルイスと彼女の身体に肉体強化と保護の効果をもたらす魔方陣を描き、それぞれの服のポケットに忍ばせた。頭で思い描く方法では、ソフィアがその術を記憶し、保持し続けなければならない。しかし、紙に書いて持つだけであれば、一度魔法を吹き込むだけでいいものだ。

「魔力を使いすぎるな」
「使わなくとも、外へ出ればすり減らされるわ」
「しかし」
「ルイス、私の魔法を使っても、魔石の場所は探し当てられないみたいなの。闇雲に歩くだけになるから、少しでも貴方の体力を残しておきたい」
「……フィアが倒れるようなことがあれば、俺は道を引き返す」
「わかっているわ」

 ソフィアは、相変わらず過保護なルイスに深く頷き、こっそりと彼のポケットだけに幾つかの魔法陣を再び忍ばせながら、彼の頬を撫でた。

 この森を彷徨い歩く間、2人はどこから攻撃を受けてもおかしくはない。

 しかも相手は、ソフィアよりも強い魔力を持つ魔術師の可能性が高い。ソフィアは、2人の行動がテオドールに気付かれていないことを祈りながら、こっそりとルイスのポケットだけに入れた全ての魔方陣を発動させた。

 テオドールに見つかってしまったとき、先に罰を受けるのはこの男だ。

 ソフィアは、自分がなぜこれほどまでにルイスを生かしておきたいのか、すでに己の感情の在りどころをはっきりと理解していた。ただ革命の英雄に担ぎ上げるためだけに必死になっているわけではない。

「ルイス、行きましょう」
「本当に、もう問題ないのか」
「ええ、大丈夫」

 肉体強化と保護の魔法をかけたからと裸足で外へ飛び出そうとしたソフィアに、ルイスはたまらず眉を顰め、その身体を抱き寄せた。

「ひゃ、」
「フィア、そこのチェストに女人の靴が入っていた。拝借していこう」

 有無を言わせぬルイスの言葉に、ソフィアは呆れつつも静かにうなずく。靴の大きさが合うはずもないと踏んでいたのだが、予想に反してそのチェストに入っていた靴はソフィアの足によく馴染んだ。

「ぴったりだわ」
「貴女の普段の行いが良いからだな」

 そのようなことを言うのは、ルイスくらいのものだ。ソフィアはおかしな気持ちがこみあげ、つい、笑い声をあげてしまった。

「ふふ、ふ、本当におかしな人だわ」
「それでフィアが笑うなら、別段問題ない」

 ソフィアはその時初めて、ルイスが彼女の笑みを大切にしているらしいことに気付いた。眩しい言葉に、彼女の目が無意識に細められる。

 ソフィアの身体を案じて手を出さなかったり、どれほど悪辣な振る舞いをしようと優しく抱きとめてくれたりする。ルイスはソフィアが出逢ってきたどの紳士とも違う。

「フィア、もう一度言う」
「何かしら」
「危険があれば必ず呼べ」
「わかったわ」
「俺には貴女が必要だ。フィアしかいらない」

 はっきりと断言したルイスは、ソフィアが履いたブーツの紐を固く結びつけ、下から覗くように、ソフィアの赤くなった頬を撫で、静かに口づけた。

「……貴方って気障な言葉を使う人なのね」
「頭に浮かぶ物以外は口にしない」
「そういうところだわ」

 あまり口数の多い人ではないはずが、一言ひと言から、ソフィアへの熱い感情が伝わってくる。ソフィアは朝から眩暈を起こしそうな気分になりながら、ルイスの手に引かれて、紫の世界へと足を踏み入れ直した。

 魔石の探索は、やはりソフィアが外で詠唱魔法を唱えても、簡単に弾かれてしまった。明らかに、ソフィアよりも高位の魔術師の力が働いている。そのはずが、ルイスの後ろを歩くソフィアは、彼がまっすぐに歩みを進めていくことに首をかしげた。

「ルイス、どこへ向かっているの」
「匂うほうだ」
「におう……?」
「古い魔法の匂いを感じる」

 幾ばくか降る雪の力が弱まったからか、ルイスはその鼻に微弱な魔法の匂いを感じていた。

「匂いが、しているの?」
「ああ、おそらくこれを辿れば問題ない」
「……貴方たちって、本当にすごいわ」

 ソフィアが感心して呟くのを振り返り見たルイスは、彼女が無意識に称賛の言葉を発しているらしいことに気付き、顔を逸らした。

 ソフィアは、相手に差別的な意識を持つことなく、その者の本質を捉えて褒め称えることのできる女人だ。それを知るのが数少ない者であることに、ルイスは胸を燻らせた。

「でも、どうしてそれほどまでに分かりやすいものなら、皆さんは気づかなかったのかしら」

 疑問の声を投げかけたソフィアに、彼はしばらく逡巡して口を開く。

「俺の身体が、魔法を行使する感覚を掴んだからかもしれない」

 現に、昨日でたらめに唱えた魔法を使ってから、ルイスは魔法が身体を巡る感覚に敏くなっていた。ソフィアはそれを聞いて黙り込み、静かにうなずく。

 彼女の視線は、ルイスがバングルを嵌めているだろう右手に注がれていた。彼女は当初、その腕輪が、獣人たちの強大な体力を削ぐための効果を持っているものだと推察していた。

 しかし、どうやらこれは、そのような単純な目的のためのものではないらしい。

「ルイス」
「どうした?」
「ユリウス様以外には、絶対に魔法が使えることを教えないで」
「わかっている」

 もしも、ソフィアの仮定が正しければ、グラン帝国は恐ろしき大罪を犯していることになる。一つひとつの事象が最悪の形で繋がりそうな予感に震えたソフィアは、ルイスがぴたりと足を止めたのを感じ、ともに足を止めた。

「ルイス?」
「……この下だ」
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