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 ディアドレと聖女ミリアの婚約式までの一週間は何の滞りもなく、普段と変わらぬ速さで過ぎ去っていった。その間フェルナンドが王城に呼ばれている様子はなかったが、彼はそれまでの期間とは異なり、ほぼ毎日朝から夜まで邸を空けるようになっていた。早朝に起きて乗馬のレッスンと花の世話を共に行う日課だけは毎日続けられたが、それ以外はほとんど関わることなく、帰りの遅いフェルナンドは私が眠ってから寝室に入る日が続いている。

 アレクから聞いたところによると、フェルナンドは私がミリアの侍女として都に残らずともよいよう、手を尽くしてくれているらしい。

 その甲斐あってか、あれから一度として私も国王に呼ばれていない。それどころか、ディアドレを無視する形で邸に帰ってきたというのに、何の咎めもなく静かに過ごしていた。

 ディアドレの婚約式の日である今日も、フェルナンドは少し予定があると言って朝早いうちに邸を出て行ってしまった。

 フェルナンドは私の境遇を知って、どのようなものからも私を守ると言った。その言葉に嘘はないだろう。こうして日々奔走してくれている姿を見ていれば一目瞭然だ。しかし、良心と恋心は、全く別のシステムだ。

「たとえばその体をいたわってほしいと願うのに、その苦労がわたくしのためのものだと考えると、とても満たされるわ。そういうふうに、恋と良心とはきっと、別の感情なのだと思うの」

 邸の妻のための部屋の窓から外の様子を見下ろしながらぽつりとつぶやいた。

 眼下には王室を意味する雷を纏った剣の旗が立てられた馬車が停められている。白いボディに金色の装飾が施された馬車は目にまぶしいほどきらびやかで、すぐに視線をそらしてしまった。

 まるで、遠くから見ていた日のフェルナンドの姿のようなのだ。

 あの馬車に乗って、これから婚約式が行われる王城に向かう。当初の予定では婚約式のみの参加であったはずが、聖女たっての希望によりフェルナンドが婚約式の後に催される非公式の夜会に呼ばれてしまった。この国の王妃となる女性からの招待を断るわけにもいかない。フェルナンドは最後まで私に、参加する必要はないと言っていたが――。

 フェルナンド一人にその場へ行かせる方が気分が悪いと思ってしまうのだ。だがその一方で、彼が私のいない場で、一目でも彼の恋しい人を見る機会があれば、どれほどよいだろうかとも思っている。

 私の恋心とは、実に歪なのだ。

「ユゼフィーナ様がそうお思いになるのであれば、恋とはそのようなものでしょう」

 低く腹に響くような声音で私に言葉を返したダリウスは、いつものようにその体勢を崩すことなく私を見つめていた。

「あなたには随分とたくさんのことを教えていただいたわ。先生、感謝しているのよ」
「もったいなきお言葉です。私はユゼフィーナ様の問いに答えたまで。すべての目的が達成されたというのであれば、それはユゼフィーナ様のお力でしょう」
「そうだとしても、あなたには何か褒美を差し上げたいわ」
「必要ありません。ユゼフィーナ様が日々ご壮健であれば、それが私の幸福です」

 固く言葉を返したダリウスは、いつもの真顔のままだ。ダリウスの助言に基づいて行った行動は、たしかにフェルナンドの心を捕らえただろうし、私もフェルナンドに恋心を抱いた。その結果がフェルナンドのミリアへの恋心を犠牲にしたうえで成り立つ夫婦関係であったとしても、フェルナンドに捨てられるよりはずっといい。

 ――己の心に正直に生きているのに、あなたを思えば思うほどに胸が苦しくなるなんて。

 このような心は知らなくともよかったのだと悟っても、芽生えた心は、根から枯れて腐ってしまうまでずっと消えてくれないだろう。

「それではわたくしの気が収まらないから、なにか考えておいてちょうだい。それに、すでに私は健康体だわ」

 微笑んで言い放つと、ダリウスはほんのわずかな間私の真意を覗くように私の瞳を覗き、「では、ユゼフィーナ様が壮健であらせられることがわが目にも確認できましたら、そのようにいたします」とつぶやいた。

「あら、今の私は不健康そうに見えるということ?」

 茶化すように笑いながら、くるりとその場で回って見せる。

 フェルナンドが今日のために用意してくれていたドレスは鮮やかな赤色の生地に、細かな金の刺繍が施されている。その刺繍は咲き乱れる薔薇がモチーフになっているようで、赤い総レースのロングスリーブ部分にも金色の刺繍が輝いていた。

 フェルナンドがディアドレの婚約式と婚姻式には最上級のドレスを用意しようと言っていたのは、決して冗談ではなかったらしい。

 一目で王族の妻であることがわかる色のドレスにフェルナンドの髪色に合わせたデザインなど、私以外のこの国の令嬢には一生着ることができないはずだ。

 極力肌の露出が抑えられたスタイルになっているのは、彼が私の今までのドレスのデザインをよく見てくれていたからだろうか。

 動くたびに刺繍が華やかにきらめく。目の前でその様子を見ていたダリウスは、やはり顔色を変えることなく言った。

「いいえ、ユゼフィーナ様。お美しいです。今日の式典でも、ユゼフィーナ様がみなの目を奪ってしまうことでしょう」
「まあ。そんなお世辞まで言ってくれるのね?」
「私の顔色が変わらないことを気にされていると伺いましたので」

 間違いなくそれを言ったのはブレンダだろう。私が内情を打ち明ける相手はダリウスを除くと彼女とフェルナンドくらいなのだ。フェルナンドにはダリウスの話をあまりしていないから、残るのはブレンダ一人だ。

 まさか、自分自身も表情を変えないブレンダが私のためを思ってそのような忠告をしていたとは思いもしない。

 沈みかけていた心がわずかに上向いて、小さく笑いながら一歩を踏み出した。

「そろそろ旦那様がお戻りになるわね。今日こそお出迎えをするわ」
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