33 / 50
33
しおりを挟むディアドレと聖女ミリアの婚約式までの一週間は何の滞りもなく、普段と変わらぬ速さで過ぎ去っていった。その間フェルナンドが王城に呼ばれている様子はなかったが、彼はそれまでの期間とは異なり、ほぼ毎日朝から夜まで邸を空けるようになっていた。早朝に起きて乗馬のレッスンと花の世話を共に行う日課だけは毎日続けられたが、それ以外はほとんど関わることなく、帰りの遅いフェルナンドは私が眠ってから寝室に入る日が続いている。
アレクから聞いたところによると、フェルナンドは私がミリアの侍女として都に残らずともよいよう、手を尽くしてくれているらしい。
その甲斐あってか、あれから一度として私も国王に呼ばれていない。それどころか、ディアドレを無視する形で邸に帰ってきたというのに、何の咎めもなく静かに過ごしていた。
ディアドレの婚約式の日である今日も、フェルナンドは少し予定があると言って朝早いうちに邸を出て行ってしまった。
フェルナンドは私の境遇を知って、どのようなものからも私を守ると言った。その言葉に嘘はないだろう。こうして日々奔走してくれている姿を見ていれば一目瞭然だ。しかし、良心と恋心は、全く別のシステムだ。
「たとえばその体をいたわってほしいと願うのに、その苦労がわたくしのためのものだと考えると、とても満たされるわ。そういうふうに、恋と良心とはきっと、別の感情なのだと思うの」
邸の妻のための部屋の窓から外の様子を見下ろしながらぽつりとつぶやいた。
眼下には王室を意味する雷を纏った剣の旗が立てられた馬車が停められている。白いボディに金色の装飾が施された馬車は目にまぶしいほどきらびやかで、すぐに視線をそらしてしまった。
まるで、遠くから見ていた日のフェルナンドの姿のようなのだ。
あの馬車に乗って、これから婚約式が行われる王城に向かう。当初の予定では婚約式のみの参加であったはずが、聖女たっての希望によりフェルナンドが婚約式の後に催される非公式の夜会に呼ばれてしまった。この国の王妃となる女性からの招待を断るわけにもいかない。フェルナンドは最後まで私に、参加する必要はないと言っていたが――。
フェルナンド一人にその場へ行かせる方が気分が悪いと思ってしまうのだ。だがその一方で、彼が私のいない場で、一目でも彼の恋しい人を見る機会があれば、どれほどよいだろうかとも思っている。
私の恋心とは、実に歪なのだ。
「ユゼフィーナ様がそうお思いになるのであれば、恋とはそのようなものでしょう」
低く腹に響くような声音で私に言葉を返したダリウスは、いつものようにその体勢を崩すことなく私を見つめていた。
「あなたには随分とたくさんのことを教えていただいたわ。先生、感謝しているのよ」
「もったいなきお言葉です。私はユゼフィーナ様の問いに答えたまで。すべての目的が達成されたというのであれば、それはユゼフィーナ様のお力でしょう」
「そうだとしても、あなたには何か褒美を差し上げたいわ」
「必要ありません。ユゼフィーナ様が日々ご壮健であれば、それが私の幸福です」
固く言葉を返したダリウスは、いつもの真顔のままだ。ダリウスの助言に基づいて行った行動は、たしかにフェルナンドの心を捕らえただろうし、私もフェルナンドに恋心を抱いた。その結果がフェルナンドのミリアへの恋心を犠牲にしたうえで成り立つ夫婦関係であったとしても、フェルナンドに捨てられるよりはずっといい。
――己の心に正直に生きているのに、あなたを思えば思うほどに胸が苦しくなるなんて。
このような心は知らなくともよかったのだと悟っても、芽生えた心は、根から枯れて腐ってしまうまでずっと消えてくれないだろう。
「それではわたくしの気が収まらないから、なにか考えておいてちょうだい。それに、すでに私は健康体だわ」
微笑んで言い放つと、ダリウスはほんのわずかな間私の真意を覗くように私の瞳を覗き、「では、ユゼフィーナ様が壮健であらせられることがわが目にも確認できましたら、そのようにいたします」とつぶやいた。
「あら、今の私は不健康そうに見えるということ?」
茶化すように笑いながら、くるりとその場で回って見せる。
フェルナンドが今日のために用意してくれていたドレスは鮮やかな赤色の生地に、細かな金の刺繍が施されている。その刺繍は咲き乱れる薔薇がモチーフになっているようで、赤い総レースのロングスリーブ部分にも金色の刺繍が輝いていた。
フェルナンドがディアドレの婚約式と婚姻式には最上級のドレスを用意しようと言っていたのは、決して冗談ではなかったらしい。
一目で王族の妻であることがわかる色のドレスにフェルナンドの髪色に合わせたデザインなど、私以外のこの国の令嬢には一生着ることができないはずだ。
極力肌の露出が抑えられたスタイルになっているのは、彼が私の今までのドレスのデザインをよく見てくれていたからだろうか。
動くたびに刺繍が華やかにきらめく。目の前でその様子を見ていたダリウスは、やはり顔色を変えることなく言った。
「いいえ、ユゼフィーナ様。お美しいです。今日の式典でも、ユゼフィーナ様がみなの目を奪ってしまうことでしょう」
「まあ。そんなお世辞まで言ってくれるのね?」
「私の顔色が変わらないことを気にされていると伺いましたので」
間違いなくそれを言ったのはブレンダだろう。私が内情を打ち明ける相手はダリウスを除くと彼女とフェルナンドくらいなのだ。フェルナンドにはダリウスの話をあまりしていないから、残るのはブレンダ一人だ。
まさか、自分自身も表情を変えないブレンダが私のためを思ってそのような忠告をしていたとは思いもしない。
沈みかけていた心がわずかに上向いて、小さく笑いながら一歩を踏み出した。
「そろそろ旦那様がお戻りになるわね。今日こそお出迎えをするわ」
10
お気に入りに追加
1,076
あなたにおすすめの小説
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
王子様の教育係、承りました! ~純情で腹黒な宰相閣下の策略から始まる溺愛、実は重い。すごく。~
有沢真尋
恋愛
経験豊富なバツイチ女と誤認されているヒロイン×腹黒だけど純情な年上男による、王子様育成計画!
◆
王子様の教育係に任命された、と聞いてジュディの頭に浮かんだのは「子作りの手ほどき」である。
(王家の男子に対して「世継ぎのもうけ方」を伝授する女性がいるとの噂は耳にしたこともあるけれど、まさか本当にまわってくるなんて)
ジュディは「後継ぎを産めなかった」として離縁された出戻り娘であるが、結婚の実態は「白い結婚」だった。
三年の結婚生活はまっさらで、実践はおろか知識もろくにない。
しかし、別れた元夫との契約により、その事情を他人に明かすことはできない。
断り文句も浮かばず、せめて報酬はふっかけようと覚悟して王宮へ向かった。
しかし、どうもその仕事は思っていたのとは違ったようで……。
◆カクヨム先行で公開中(その他のサイトにも公開しています)
年下王子のお嫁様 [完結]
マロン株式
恋愛
とある恋愛小説に出てくる王子とヒロインの恋の障害。
年上妃に転生してしまった。
破滅も何もない円満離婚して別の家に嫁げる予定なので物語に忠実であろうと思った。けれど王子の様子がある日ー…?
皆さんのおかげで完結しました。有難うございました!
※本編完結済ですが、ご要望により番外編不定期掲載します。
【R18】黒髪メガネのサラリーマンに監禁された話。
猫足02
恋愛
ある日、大学の帰り道に誘拐された美琴は、そのまま犯人のマンションに監禁されてしまう。
『ずっと君を見てたんだ。君だけを愛してる』
一度コンビニで見かけただけの、端正な顔立ちの男。一見犯罪とは無縁そうな彼は、狂っていた。
悪役令嬢は断罪回避のためにお兄様と契約結婚をすることにしました
狭山ひびき@バカふり160万部突破
恋愛
☆おしらせ☆
8/25の週から更新頻度を変更し、週に2回程度の更新ペースになります。どうぞよろしくお願いいたします。
☆あらすじ☆
わたし、マリア・アラトルソワは、乙女ゲーム「ブルーメ」の中の悪役令嬢である。
十七歳の春。
前世の記憶を思い出し、その事実に気が付いたわたしは焦った。
乙女ゲームの悪役令嬢マリアは、すべての攻略対象のルートにおいて、ヒロインの恋路を邪魔する役割として登場する。
わたしの活躍(?)によって、ヒロインと攻略対象は愛を深め合うのだ。
そんな陰の立役者(?)であるわたしは、どの攻略対象ルートでも悲しいほどあっけなく断罪されて、国外追放されたり修道院送りにされたりする。一番ひどいのはこの国の第一王子ルートで、刺客を使ってヒロインを殺そうとしたわたしを、第一王子が正当防衛とばかりに斬り殺すというものだ。
ピンチだわ。人生どころか前世の人生も含めた中での最大のピンチ‼
このままではまずいと、わたしはあまり賢くない頭をフル回転させて考えた。
まだゲームははじまっていない。ゲームのはじまりは来年の春だ。つまり一年あるが…はっきり言おう、去年の一年間で、もうすでにいろいろやらかしていた。このままでは悪役令嬢まっしぐらだ。
うぐぐぐぐ……。
この状況を打破するためには、どうすればいいのか。
一生懸命考えたわたしは、そこでピコンと名案ならぬ迷案を思いついた。
悪役令嬢は、当て馬である。
ヒロインの恋のライバルだ。
では、物理的にヒロインのライバルになり得ない立場になっておけば、わたしは晴れて当て馬的な役割からは解放され、悪役令嬢にはならないのではあるまいか!
そしておバカなわたしは、ここで一つ、大きな間違いを犯す。
「おほほほほほほ~」と高笑いをしながらわたしが向かった先は、お兄様の部屋。
お兄様は、実はわたしの従兄で、本当の兄ではない。
そこに目を付けたわたしは、何も考えずにこう宣った。
「お兄様、わたしと(契約)結婚してくださいませ‼」
このときわたしは、失念していたのだ。
そう、お兄様が、この上なく厄介で意地悪で、それでいて粘着質な男だったと言うことを‼
そして、わたしを嫌っていたはずの攻略対象たちの様子も、なにやら変わってきてーー
気が付いたら乙女ゲームのヒロインとして監禁エンドを迎えていますが、推しキャラなので問題ないですね
秋月朔夕
恋愛
気が付いたら乙女ゲームのヒロインとして監禁エンドを迎えていた。
けれどその相手が前世で推していたユリウスであったことから、リーシャは心から歓喜する。その様子を目の当たりにした彼は何やら誤解しているようで……
転生悪役令嬢は暴君の飲み友になりましたがうっかり一線超えてしまったので逃亡します!
天城
恋愛
「やらかしてしまった…」
目が覚めたら全裸。隣には未来の『暴虐王』、美貌の第二王子ジルヴェスター様が健やかに眠っていた。
転がる酒瓶、ぼんやりした記憶と二日酔い。これはやばい。冷や汗が止まらない。
とりあえず飲み友と一線越えてしまったなら逃げるしかないよね?
三十路ガチャ廃OLが転生した先は、最推しキャラ『暴虐王』のいる漫画の世界だった。
ここで主人公をいじめる悪役令嬢として生まれたからには!推しを愛で、推しの血みどろ運命を変えず、見守るために側に居るしかありませんね?とりあえず飲み友から始めませんか。
目指せ『推しの胃袋をつかめ作戦!!〜あわよくば飲み友に〜』推しの好物は把握済ですので、勝機しかない!うまい酒と!美味しいおつまみ!そして今日も推しが尊い!!
ダブルヒーローで両方と絡み有。好きな方だけお進み下さい。(メインヒーローのみ挿入有り)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる