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 今日の演目はラブロマンスだ。ここ最近とくに人気の演目らしく、場内は人でごった返していた。

 主人公はとある辺境の町の領主の一人娘のフローラで、彼女は父から十八歳の誕生日に平民の従者リアンドロをプレゼントされた。蝶よ花よと育てられたフローラは男というものを知らず、たちまち従者の魅力に憑りつかれて秘密の恋にのめり込んでいく。二人はやがて将来を誓い合って一線を越えるが、くしくもその翌日に、娘は従者の正体が隣国の放った間者であることを知ってしまい、恋人に裏切られた怒りを抑えられずに従者を縛めて地下の拷問部屋へと向かう。そこで娘は思い余って従者を殺してしまうのだ。

 しかし後に娘は知ることとなる。

 彼が、娘への愛ゆえに隣国とこの国の和平の道を目指し、この国で暮らすことのできる方法を探して奔走していたことを。

 彼は、無謀にも和平への道を選ぼうとする理由を、このように言った。「簡単に捨てられないからこそ愛なのだ」と。

 そうして娘はただ一人、小高い丘に残された彼の墓の前に蹲り、慟哭するのだった。


 私が王宮で教わったような、オーソドックスな内容の悲恋の物語ではあったが、後半はそこかしこからすすり泣くような声が響いていた。

 愛とは――恋とは、人を狂わせるものなのだ。ただそれだけの感想を胸に抱いた私は、その涙の理由がわからず、しばらく考え込んでいた。

「フェルはこの演目を見て、どのように感じたの?」
「そうだね、演技と知っていても思わず身を乗り出したくなるほどの緊張感があったよ」
「ええ、それは本当にそのとおりだわ。涙を流していらっしゃる方も見られたわ」
「恋の物語は人気のようだからね。……一番興味深く記憶に残ったのは、やはりフローラが縛り上げたリアンドロに憎悪の視線を向けつつも口づけるシーンかな。ユフィはどう感じた?」

 フローラを演じる女優はそのシーンで、まなじりを吊り上げながらも大粒の涙をこぼし、血だらけになったリアンドロにキスをしていた。

 まさかフェルナンドがあのような刺激的なシーンに興味を持っていたとは。内心驚きつつ、彼の質問に答えるべく頭の中を入れ替える。

 この演劇を観ている間、私の胸中にあったのはただ一つの疑問だ。

「……恋とはいったい、どのようなものかしら、と」
「うん?」
「フェル、あなたにとっての恋とは、いったいどのようなもの?」

 問いかけて彼の瞳を見上げると、彼はしばらく逡巡し、小さく笑みを浮かべて言った。

「すぐ近くに美しく薔薇が咲く公園があるから、……少し歩きながら話そうか」

 * * *

 フェルナンドの誘いのとおり、ヴェッセルデ劇場のそばには小魚が泳ぐ美しい池と丁寧に整えられた薔薇庭園のある公園があった。フェルナンドのエスコートに従って歩きつつ、迷宮のように作られた庭園に咲く色とりどりの薔薇を眺める。

「ユフィは兄上を、そういう対象として見ていなかった、……ということなのかな」

 フェルナンドの花に関する知識を聞きながら歩き、薔薇に囲まれた小高い丘へ出たあたりで彼は静かに問いを立てた。人影のない公園へと足を運んだ意味を察し、足を止める。

「……不敬になるかしら」
「いや……、てっきりあなたの心が兄上にあるものだと思い込んでいただけだ」

 私を安心させるようにすぐに言葉を返してきているが、フェルナンドがわざわざ人目を避けるような場所にきたのだから、周囲に注意を向けた方がいいだろう。ダリウスもいるだろうが、そっと周囲を見回しつつ顔色を変えずにつぶやいた。

「婚約者とはそうあるべきなのかもしれないけれど、……第一王子殿下は私に『そうあるべきだ』とはおっしゃいませんでしたし、……何より、肉欲は教会の教えに反しますわ」

 遠回しにサンクトリウス公爵の意向が強く働いているのだということを伝えると、フェルナンドは耐えるように瞼を瞑って大きく息を吐きだした。

「……私は人を好きになるということは、肉欲だけではないと思うよ」
「たしかに。実際にフェルは、ミリア様とはそういったご関係ではなかったのだものね」

 フェルナンドが相手であれば、どれほど身を焦がすような恋であったとしても誠実な付き合いになるだろう。そう思い心から伝えたつもりが、私の言葉を聞いたフェルナンドはぴしりと体を固めてしまった。

「フェル?」

 不自然な反応に首をかしげて顔を見上げると、彼はぎこちなく私を見下ろし、しばらく言葉を探すように口を開いては閉じることを繰り返した。そうしてようやく彼の胸の内を語らんとして口を開き、苦笑するようにぽつりとつぶやいた。

「……私こそ、人を好きになるということがどのようなことか、聞いてみたくなってきたな」

 その言葉はどこか自身を恥じるような響きを持っているように感じられる。彼の表情は苦しげで、自身の過去を責めているようにさえ見えた。

 ――あなたがそのような顔をする必要はないのに。

 どうしてか私は彼の表情を見た瞬間、心の中にこのような思いが浮かんだ。

 フェルナンドには笑顔が一番似合う。できればずっと、笑顔でいてほしい。

 このように感じるのは、私が彼をよき友人であると認識しているからなのだろうか。

 己の心の動きはやはりよくわからない。だが、このようなことを考える自分が存外悪くはないと感じているのだ。

 彼と出会ってから、私には毎日新鮮な驚きがある。

「フェル? あなたはそれを問うた私にお聞きになるの?」

 両手を腰につけて胸を張りながら下からフェルナンドの顔を覗き込む。そのままわざとらしく「フェルはとても意地悪な人になってしまったんだわ」と言って首をかしげると、フェルナンドはぱちぱちと目を瞬かせて、その表情に徐々に笑みを浮かべた。

 どうやら私の狙い通り、フェルナンドは気分を持ち直してくれたらしい。

「あはは、そうだね。じゃあこれから、二人で考えてみよう」
「まあ。わたくしははじめから、ずっと考えているけれど。どうやったら恋とやらができるのかしらってね」
「では私も、ユフィに負けないよう気を引き締めて取り掛かるよ」
「ふふ、フェル、あなた『好意は持とうとして持つものではない』っておっしゃっていたのに」

 無理に好きになろうとしなくともよいと話していたフェルナンドの姿からは想像もできない。それなのにその姿がなぜか、どうしようもなく私の胸をくすぐっているのだ。

 私に鋭く指摘された彼は一瞬口をつぐんで、やがて柔らかな笑みを浮かべながら口を開き直した。

 しかしその言葉は、思いもよらぬ人の声によって遮られてしまう。

「ユフィ、そのことだけど、私は」
「――わあ! とってもかわいいお花!」
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