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第一章 鳥に追われる
燃える心臓2
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こんな気軽に自分の部屋に通してくれるなんて思ってもいなかったから驚いた。今、そんな驚きを忘れるくらい、頭と心が海より大きくうねっている。
回収人さんの部屋の中、そこは配置こそありふれた船室だった。
壁に供え付けのベッド、ソファが一つとその前に背の低いテーブルがある。僕の部屋――と言ってもさっきはマモルくんとおばさんにびっくりして直ぐに飛び出したので良く覚えていないがーーと違うのは重厚な机と椅子が置かれていること、それから面積が三倍くらいあるところか。向こうの扉はきっとシャワー室に続くものだ。
僕が混乱しているのはそういう事ではなく、そこに置かれているものだ。ベッドの上の薄汚れたネコのぬいぐるみ、あいつはチャミーに間違いない。目の色が左右で違うところも、グレーのサバトラなのに、胸の辺りに薄っすら茶色の毛が混じっているのもチャミーだ。
子どもの頃、ネコ好きなのにネコアレルギーの僕におばあちゃんが買ってくれたものだ。
直ぐに手に取りたい懐かしさを、どこからか湧いて来る不安が抑えつける。
アオチさんにその事を伝えようと、横を見た時だった。
「あれ、俺のサッカーボールだよ」
アオチさんがそう呟いて壁に取り付けられたフックを眺めていた。どこにサッカーボールがあるんだ? 瞬きをする僕に構わず、
「あの黒いネットに入っているやつだ。懐かしいな」
と言った。しかしその声はやはり不安気だ。
おいおい、ちょっと。オゼさんに助けを求める。
「オゼさんにも何か見覚えのあるものが?」
「本だ。あの机の上に俺がマモルに聞かせてやった本が積まれてる。どうせ俺にしか見えないんだろ? どうなってるんだ、この部屋」
そもそも、心臓回収人が乗っていたり、死人が乗っていたり、代わりに他の乗組員が誰も乗っていなかったり、どうなっているんだの連続なので、今更ではあるが。
「あったかい思い出が見えるんだって。おじさんが言ってた」
マモルくんが、心臓を取りに行った回収人さんに代わって答えた。マモルくんの目には今、何が映っているのだろう。
三人とも過去を引きずる品を目の前にして、爪の先も触れられない中、
「心臓が凄い数になってるな」
部屋の窓からふいと海を覗いたアオチさんが、そう言った。
決して大きくはない窓から差し込むキラキラした光を顔に乗せたアオチさんを、マモルくんが惚れ惚れと見ている。もっとも当のアオチさんはそんな事には気づいていないが。
オゼさんの情緒が心配なので、慌ててオゼさんとマモルくんの間へ移動し、視界を遮った。なるべく自然な調子で「本当ですね」などと言いながら外を見る。
――本当に凄いことになっていた。
正午に向かう強い太陽に照らされ、無数の金色の波がちぎれたように踊る海の上を、百はありそうな丸い心臓が炎を纏いながら浮いていた。
「救えなかった心臓」、回収人さんがそう呼んでいたから、すっかり死人の心臓と思っていたけれど、海の上の心臓は力強く拍動していた。一つ一つが焼かれながら狂おしい鼓動を刻んでいる。
これが「救えなかった」ってどういうことなんだ。何なら僕より生きている感じがする。皆でうっとりと眺めていると、突然、ドンっと大きな音が足元から響き、船全体が大きく傾いた。
思わず壁や窓に手をついて顔を見合わせた僕たちに、これも経験済みなのかマモルくんが教えてくれる。
「おじさんが網を下ろしたの」
「回収人さんが網を下ろしたそうです」
一応、マモルくんの声が届いていないアオチさんに説明すると逆に聞き返された。
「本当に網か? 爆弾の聞き間違えじゃないか」
「何言ってるんですか、一文字もかぶってないじゃないですか……え? 何あれ?」
燃える心臓の真下に、濃い灰色の丸い爆弾のような物が浮いていた。
「爆発させるつもりなのか? 酷いことしやがる」
正義感の強いアオチさんの言葉に、またマモルくんが目を輝かせる。カッコいい事を言うのを止めて欲しい。
「いや、待て。心臓の方がだんだん爆弾の方へ寄って行っているぞ」
冷静に観察しているオゼさんは、マモルくんの様子に気がついていない、良かった。
確かに燃える心臓たちが、灰色の爆弾の上に集まってきていた。このまま混じりあって一つの大きな心臓になるんだろうか?
そう思った直後だった。巨大な白い鳥が心臓の群れ目掛けて水平にすごいスピードで飛んできた。タンチョウヅルみたいな細くてしなやかな美しい鳥だが、纏う空気が冬の空より冷たい。
「あれが、心臓を狙う鳥か? 心臓、喰われちゃうのか」
絶対何も出来ないはずなのにアオチさんが部屋を飛び出そうとするので、必死で腕をつかんで止めた。
「どうするつもりですか。ここで見守りましょう。あ! あれ見て下さい」
「おい、そんなのに騙されるわけないだろ」
そう言って振り向いたアオチさんが硬直した。
その目は空から垂直に飛び降りて来た別の鳥を凝視している。
黒く光る翼に美しいくちばしの鳥だ。
「――あれだよ、俺を救ってくれた鳥」
回収人さんの部屋の中、そこは配置こそありふれた船室だった。
壁に供え付けのベッド、ソファが一つとその前に背の低いテーブルがある。僕の部屋――と言ってもさっきはマモルくんとおばさんにびっくりして直ぐに飛び出したので良く覚えていないがーーと違うのは重厚な机と椅子が置かれていること、それから面積が三倍くらいあるところか。向こうの扉はきっとシャワー室に続くものだ。
僕が混乱しているのはそういう事ではなく、そこに置かれているものだ。ベッドの上の薄汚れたネコのぬいぐるみ、あいつはチャミーに間違いない。目の色が左右で違うところも、グレーのサバトラなのに、胸の辺りに薄っすら茶色の毛が混じっているのもチャミーだ。
子どもの頃、ネコ好きなのにネコアレルギーの僕におばあちゃんが買ってくれたものだ。
直ぐに手に取りたい懐かしさを、どこからか湧いて来る不安が抑えつける。
アオチさんにその事を伝えようと、横を見た時だった。
「あれ、俺のサッカーボールだよ」
アオチさんがそう呟いて壁に取り付けられたフックを眺めていた。どこにサッカーボールがあるんだ? 瞬きをする僕に構わず、
「あの黒いネットに入っているやつだ。懐かしいな」
と言った。しかしその声はやはり不安気だ。
おいおい、ちょっと。オゼさんに助けを求める。
「オゼさんにも何か見覚えのあるものが?」
「本だ。あの机の上に俺がマモルに聞かせてやった本が積まれてる。どうせ俺にしか見えないんだろ? どうなってるんだ、この部屋」
そもそも、心臓回収人が乗っていたり、死人が乗っていたり、代わりに他の乗組員が誰も乗っていなかったり、どうなっているんだの連続なので、今更ではあるが。
「あったかい思い出が見えるんだって。おじさんが言ってた」
マモルくんが、心臓を取りに行った回収人さんに代わって答えた。マモルくんの目には今、何が映っているのだろう。
三人とも過去を引きずる品を目の前にして、爪の先も触れられない中、
「心臓が凄い数になってるな」
部屋の窓からふいと海を覗いたアオチさんが、そう言った。
決して大きくはない窓から差し込むキラキラした光を顔に乗せたアオチさんを、マモルくんが惚れ惚れと見ている。もっとも当のアオチさんはそんな事には気づいていないが。
オゼさんの情緒が心配なので、慌ててオゼさんとマモルくんの間へ移動し、視界を遮った。なるべく自然な調子で「本当ですね」などと言いながら外を見る。
――本当に凄いことになっていた。
正午に向かう強い太陽に照らされ、無数の金色の波がちぎれたように踊る海の上を、百はありそうな丸い心臓が炎を纏いながら浮いていた。
「救えなかった心臓」、回収人さんがそう呼んでいたから、すっかり死人の心臓と思っていたけれど、海の上の心臓は力強く拍動していた。一つ一つが焼かれながら狂おしい鼓動を刻んでいる。
これが「救えなかった」ってどういうことなんだ。何なら僕より生きている感じがする。皆でうっとりと眺めていると、突然、ドンっと大きな音が足元から響き、船全体が大きく傾いた。
思わず壁や窓に手をついて顔を見合わせた僕たちに、これも経験済みなのかマモルくんが教えてくれる。
「おじさんが網を下ろしたの」
「回収人さんが網を下ろしたそうです」
一応、マモルくんの声が届いていないアオチさんに説明すると逆に聞き返された。
「本当に網か? 爆弾の聞き間違えじゃないか」
「何言ってるんですか、一文字もかぶってないじゃないですか……え? 何あれ?」
燃える心臓の真下に、濃い灰色の丸い爆弾のような物が浮いていた。
「爆発させるつもりなのか? 酷いことしやがる」
正義感の強いアオチさんの言葉に、またマモルくんが目を輝かせる。カッコいい事を言うのを止めて欲しい。
「いや、待て。心臓の方がだんだん爆弾の方へ寄って行っているぞ」
冷静に観察しているオゼさんは、マモルくんの様子に気がついていない、良かった。
確かに燃える心臓たちが、灰色の爆弾の上に集まってきていた。このまま混じりあって一つの大きな心臓になるんだろうか?
そう思った直後だった。巨大な白い鳥が心臓の群れ目掛けて水平にすごいスピードで飛んできた。タンチョウヅルみたいな細くてしなやかな美しい鳥だが、纏う空気が冬の空より冷たい。
「あれが、心臓を狙う鳥か? 心臓、喰われちゃうのか」
絶対何も出来ないはずなのにアオチさんが部屋を飛び出そうとするので、必死で腕をつかんで止めた。
「どうするつもりですか。ここで見守りましょう。あ! あれ見て下さい」
「おい、そんなのに騙されるわけないだろ」
そう言って振り向いたアオチさんが硬直した。
その目は空から垂直に飛び降りて来た別の鳥を凝視している。
黒く光る翼に美しいくちばしの鳥だ。
「――あれだよ、俺を救ってくれた鳥」
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