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第5章

動き出した闇

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 時はルイン世紀1997年5月10日、エリーナがアンナの自室でルークの遺言について話していた頃、ワクールは首都ルーメリアで研究に必要な物資の買い出しに来ていた。
 ワクールは先日、見つけたお気に入りの店に足を運んだ。その店は商店街の隅にポツンと構えた店舗だったが、通常の店では取り扱わない希少なアイテムや、魔法の研究者の中でも優れた者にしかその品質の良さや必要性を理解出来ない品物も多く、ワクールにとってこの上ない優良店だった。
 また、その店の店内は基本的に店員が存在せず、必要な物資の置かれた棚に設置されているお金の投入口にお金をいれると、棚内部にかけられていた魔法が発動し、必要分だけ横の排出口から、受け皿に出てくるシステムを独自に採用しており、その他の店舗にはない画期的なシステムと店内の落ち着いた雰囲気がワクールの感性と一致した点も、人嫌いのワクールが定期的に足を運ぶ程のお気に入り店になった理由だった。
 ワクールがひと通りの買い物を済ませ、店を出ようとした時、店の奥の張り紙が目に入った。そこには近々、閉店する旨が書かれており、ワクールは大いにショックを受けた。
 ワクールはどうしても閉店の理由を店主に尋ねたくなり、店先で待つ事を決めた。
 数時間が経ち、辺りが暗くなり始め、ワクールがそろそろ今日は諦めた方がいいなと思い始めた頃、1人の女性がワクールに声をかける。
「ワクール!? ワクールじゃない?」

 その聞き覚えのある声にハッとし、伏せていた顔を上げて女性の方を見るワクール。
「オリヴィア! なぜ、君がここに!?」

 オリヴィアと呼ばれた丸眼鏡をかけた女性は微笑んで応えた。
「そこのお店、私が経営してるの。
貴方と別れた後、王都サンペクルトから、このアナスタス領土の首都ルーメリアに移って、昔から夢だった魔法や科学に関する物資を取り扱うお店を開いたのよ。
貴方こそ、なぜここに?」

「……道理で商品の品揃えと店の雰囲気が気にいる訳だ。
私は仕事でこのアナスタス領土まで来ているのだ。仕事の都合で、この店に置いてあるような物資が必要でね、君の店は他の店と違い、専門的な物が多いからよく通わせてもらっていたんだが、数日中に店を閉めるとの張り紙を見たから、どうしても理由が、知りたくて店主を待ってたんだ。
それがまさか……君だとはな」
 ワクールが店の方を見ながら話した。

「ああ……。定期的に多くの品を購入してくれてたのは貴方だったのね! 嬉しいわぁ。
私の商品の半分以上は一般の人には専門的過ぎてあまり売れないのよ。それでちょっとの間、閉店しようかなってね。はは、こだわり過ぎて自分の首を締めちゃうなんて、笑い者でしょう?
…………あ、そうだ! 貴方の好きだったビオフィラコーヒーの豆を仕入れたのよ!! 良かったら中で飲んでかない?」
 オリヴィアが微笑んで尋ねた。

「ほ、ホントか!! ぜひ飲ませてくれ!」
 ワクールは珍しく興奮気味に目を輝かせて応えた。
 それもその筈で、アナスタス領土の極一部の寒冷地域にしか自生しないビオフィラの木から採取されるビオフィラの豆は、各国の首都圏であっても滅多にお目にかかれない代物で、ビオフィラの豆を焙煎、粉砕して温かいお湯で抽出した黄金色のビオフィラコーヒーは、コーヒー好きのワクールの心を簡単にときめかせた。


 コポポポ……。
 オリヴィアがビオフィラコーヒーを2人分淹れて、ワクールの前に置く。心の奥すら洗われそうな芳醇な香りに思わずワクールが声を上げる。
「ああ……、日頃の全ての疲れが癒されるよ。これだけで、3日は眠らずに働けそうだ」

「ふふ……、ワクールも大袈裟ね」
「大袈裟なものか、やはり他の最高品質のコーヒーと比べても2つも3つも格が違うよ」

 2人はビオフィラコーヒーを堪能した後、しばらくしてワクールが口を開いた。
「……君が魔法研究学会を去って、もう15年も経つのか……」
「……そうね、もうそんなになるかしら」
「私は君に出会う前、学会で独自に街や人々を守る為に全ての属性に対する魔法障壁に関する研究を行っていた。
当時、1つの属性に対する魔法障壁は存在したが、全ての属性に対する魔法障壁は存在せず、2つ以上の属性を組み合わせて使用すること自体が不可能に近いと言われていた為、私の考案し提出した論文は夢物語だと馬鹿にされていた。
そんな時だ、君に出逢ったのは……」
「その時の話はもういいでしょ?」
 少し頰を赤らめて話すオリヴィア。

「くく……、いきなり、学会の連中に"この能無しども!"だもんな」
 ワクールがわざと大きな声で話した。

「だ、だって、貴方の論文で間違ってるところは全くなかった上に素晴らしかったのに、あの人達ったら、鼻で笑って馬鹿にするから腹がたってしまって」
 鼻の穴が少し広がり興奮してオリヴィアが話した。

「君は昔からそうだ……。魔法や科学については常に公平で、正しい人間が馬鹿にされる事が許せなかったな。そういう時だけは熱くなっていた。
……君はあの頃から天才だった。周りの連中は理解していなかったが、魔法研究学校を首席で卒業した私が凡人に思えるくらいに頭の回転が早く、特に何も無いところから驚異的な発見や、発想し実現する力には驚かされてばかりだった」
「買いかぶり過ぎよ……」
「そんな事はない。実際、全属性に対する魔法障壁も君の助言や手伝いのお陰でほぼ完成間近だった」
「全属性に対する幻の魔法、プリズムシールドを常時展開できるようになれば、実現可能。しかしその幻の魔法プリズムシールドを扱える者がいなければ解析すら出来ず、展開する事が出来ない。最大の問題点、常時展開する為に必要な物質がその力の制御が難しい事からカレント領土内で採取及び使用が禁止されているマグマ鉱石だった」
「ああ、そして君がすぐにその問題点の解決法を導き出した。まず君自身が幻の防御魔法プリズムシールドを扱えた事により、最初の問題は簡単に解決した。次にプリズムシールドを常時展開する問題だ。まさか各家庭に配備されている水道や火を起こす際に原動力となっている魔鉱石に付いている増幅器を改良して使用し、マグマ鉱石の莫大な力を更に増幅させて使用するとはな……。
普通の常識なら、危険すぎる大きな力は抑えて使用するのが正だが、君は逆に巨大過ぎると恐れられているマグマ鉱石の力を更に増幅する事で魔法臨界点を超え、その先の収束点で力をコントロールする事で半永久的にエネルギーを供給する事に成功させた。まさに逆転の発想だ」
「でも、私のせいで危険な物資を無断で使用したとして貴方まで学会を追われる立場にしてしまった……」
 オリヴィアは顔を伏せて話した。

「……だから……、だから何も告げずに私の前から居なくなったのか?」
「………………」
「なぜ、マグマ鉱石を使用した罪を全て自分で被ったのだ?」
「知っていたの!?」
「私の罰則が学会の退学だけでは軽過ぎると思って調べたのだ。すぐにわかったよ、君が上層部に全ての罪を自身がやった事だと説明し、国外追放されたという事は。君は知っているだろう、私が余計な事をする女性が嫌いだと」
 睨むように話すワクール。

「ごめんなさい……。全て私が招いた事だから……」
 下を向いて謝るオリヴィア。

「……さっき君は私が君を買いかぶり過ぎだと言ったな。君を1番買いかぶり過ぎているのは君自身ではないのか? 全て君が招いた事だと!? 2人で築き上げたあの素晴らしい日々は全て君の中だけで完結していた事だったのか!? ……私はあれから女性が嫌いになった。特に君のような女性がな」
 ワクールが握り拳を作って話した。

「……貴方が私を憎む気持ちはわかるわ。だから私には貴方からならどんな罰も受ける。許してなんて言わないわ」
 オリヴィアが申し訳なさそうにワクールを見つめた。

「……君は……、君は本当に何も解っていないな。魔法や科学に関しては世界で君以上の人はいないだろう。だが、私は…………。
私は君の為なら、君がずっと側にいてくれるなら、どんな過酷な人生だろうと一緒に笑って過ごせると思っていたんだ」
 ワクールが立ち上がり、オリヴィアから顔を逸らして話した。

「ワクール!?」
 意外な返答に驚くオリヴィア。

「……やはり、この気持ちは私から一方的な感情だったようだな……。それなのに、その事に長年苛立っていたとは、私もかなり大馬鹿者らしい。
……もう、今日は帰るよ」
 ワクールが帰り支度を始めた。

 ワクールが店の入り口まで歩いた時にオリヴィアが叫んだ。
「ワクール!! まだこの街にいるの?」

「……私は今、終焉の巫女しゅうえんのみこの護衛の任に就いている。それが終わるまではこの街にいるつもりだ」
 ワクールが応えた。

「!!? 終焉の巫女しゅうえんのみこの護衛!? どうして貴方が?」
「君と別れ、学会を追われた後、私は箱庭はこにわに閉じ込められていた終焉の巫女しゅうえんのみこを本気で救いたいという男に出逢ってね。その男に私と君の研究を承認させる代わりに終焉の巫女しゅうえんのみこを救う手伝いをして欲しいと頼まれたのだ」
「私達の研究を理解出来る者がいたの!? それになんで貴方に協力依頼を……」
「後に若干17歳で王の剣になったその男は剣の腕でなく頭の方も天才だったらしい。
王の剣であるアレンが私に協力依頼したのは簡単だ。たまたま私達の研究論文を読んだ終焉の巫女しゅうえんのみこであるアリシアは私と君以外で初めて研究がどれだけ多くの人に役立つかを理解し、極秘裏に雇いたいと言ってきた。私にとってはそれは絶望の淵に差す一筋の光だった。
アレンは私もアリシアを箱庭はこにわから解放したいと願い、しかも優れた魔法技術を保有した人物である事も独自に調べて近づいたのだろう」
「……という事は今この国には、カレント領土の終焉の巫女しゅうえんのみこアリシア様がおられるの?」
「いや、それはちょっと違う。
君も2年前の国際通信魔法の知らせで知ったと思うけど、三ヶ国は同盟を結び、ある作戦の準備の為、それぞれの国に人材を派遣したのだ。つまり、私は同盟国であるこの国の終焉の巫女しゅうえんのみこ、ルナマリアの護衛の任に就いているというわけだ」
「…………ある作戦って?」
「………………まあ、君になら話しておいて問題ないだろう。
……片翼の女神かたよくのめがみ討伐計画さ」
 ワクールが瞳を閉じて応えた。

「!!!!? か、片翼の女神かたよくのめがみ討伐計画!? ほ、本当に終焉の巫女しゅうえんのみこ達がそんな罰当たりな事で同盟を結んだの!?」
 オリヴィアが信じられないという顔で話した。

約束の日やくそくのひまでに世界を救うにはもうそれしかないだろう? 君ならわかる筈だ」
「私は……、私はこの世界の創造神である片翼の女神かたよくのめがみの御意向なら従うわ。世界が滅ぶんだとしても。
創造神に楯突くなんて……、それも片翼の女神かたよくのめがみから恩恵を受ける終焉の巫女しゅうえんのみこ達が反旗をひるがえすなんて!!」
 オリヴィアが怒ったような表情で叫んだ。

「恩恵……? 呪いの間違いではないのか?
巫女の神技みこのしんぎや、加護の力の代償がなぜ、30年の寿命なのだ?
……私は長い歴史の中で人々の争いが止まぬ最大の理由は片翼の女神かたよくのめがみだとさえ思っている。私にはどうしても、片翼の女神かたよくのめがみが意図的に呪いの縛りを付け、人々を争わせようとしているように感じてしまうのだ」
 ワクールが長年隠してきた本音を語った。

「も、もし貴方の仮説が正しいとしても、それも創造神の御意向でしょ? 人間が楯突いていい理由にはならないわ!」
 オリヴィアがワクールを止めるように話した。

「……私はもし親が君を殺せと言ってもそれには従えない。
もし明日、親自身の為に死ねと言われても従わない。…………君にもわかる筈だ」
 ワクールが店を出て歩き始めた。

「ワクール!! いつ3カ国の巫女達はその計画を進めるの?」
 オリヴィアが尋ねる。

「……いくら君でも正確な日付は教えられないが、近日中には私達は世界の命運をかけて最終会議を行い、計画を進め始める」
 ワクールはそう応えると城への帰路に就いた。

 オリヴィアはもうそれ以上ワクールを引き止める事はしなかった。



 そして、それから3日後の朝、大事な用で外出する事になったアンナとエリーナの代わりに城の警護を任されたワクールは、一般警護兵からある報告を受ける。
 それはオリヴィアと名乗る女性が城門まで押しかけ、ワクール宛に手紙を渡していったという内容だった。
 ワクールは不自然に思えた。オリヴィアは基本的に用事がある場合は直接伝えるタイプの人間であり、それが例えば先日の言い争いの後であろうと言うべき事はハッキリ言う性格というのがワクールが知る彼女だったからだ。
 一般警護兵から手紙を受け取ったワクールは只事ではないなと感じ、すぐにルナマリア城の自室に戻り、手紙の封を切った。
 ワクールは手紙の内容を確認して更に困惑した。
 手紙の内容は簡単に纏めると

①数日後に予定していたあの店を本日、閉店した事。
②今日の正午過ぎまでに、この首都を出て、急ぎ山を2つ超えた場所にある第2の都市ハーメンスまで来てほしい事。

 この2つについて書かれていた。
(明らかにおかしい……。
確かに彼女はたまに脈絡の無い行動に出る時があるが、これはあまりに急過ぎる。
学会を追放され、国外追放の罪を被った際も、その行動に驚いたが、薄々彼女の行動の意味が理解出来た。しかし今回のこの手紙は全く意図が分からない。なぜ、急にあの店を閉め、私とハーメンスで待ち合わせたいのだ……?)
「…………どういうつもりか分からんが、今日はルナマリアとエリーナからこの城の警護を任されている。オリヴィアには申し訳ないが、この城から離れる事は出来ない」
 ワクールは自身の机の中にその手紙を仕舞い、使いの者に自身は仕事の都合上、この城を離れられない旨を書いたオリヴィア宛ての手紙を渡し、仕事に戻った。

 そして…………、

 日が沈み、首都ルーメリアに灯りが灯り始めた頃、ワクールは自室に訪ねてきた料理長から相談を受けていた。
 相談の内容は、晩飯時には戻ると言っていたルナマリアとエリーナがまだ戻っておらず、前もって作っていた料理をどうするかという内容だった。
「……まあ、エリーナがついているから万が一の事があっても大丈夫とは思うが、一応、私が後で通信魔法で呼びかけてみる。
恐らく、思わぬ事態に巻き込まれて、少し帰るのが遅れているだけだろう。
……料理が冷めてしまっては勿体無いから、今日の任務で一番功績を挙げた下級兵に振舞ってやってくれ。すぐにルナマリア達が帰ってきた場合は私が責任を取るからそのように対応してほしい」
 ワクールが料理長に話した。

「わかりました。ワクール様」
 料理長が頭を下げ、部屋から出て行った。

 しばらくして、ワクールが通信魔法を使ってエリーナに通信を試みようとした時だった。

 ドォッガァアアーーーーーーーーン!!!!

 激しい爆音と共にワクールは部屋の隅に吹き飛ばされ、数秒間、爆音の影響で耳鳴りが生じ、何が起きたのか分からない。視界も大量の砂埃が舞って1m先も見えない状態だった。
 ワクールは身体中にはげしい痛みを感じたが、すぐに自身に下級治癒魔法ヒールをかけて、立ち上がって周りを見渡した。
 徐々に視界が晴れ、ワクールの目に信じられない光景が飛び込む。
 それは、ルナマリア城の2/3以上が瓦礫の山となり崩れており、自身が立っている西棟だけが辛うじて残っていて、所々で炎が上がり、城内で働いていた殆どの人が酷い状態で散り散りに倒れていた。
「なっ!!? なんだこれは!!!! まさか……魔法による襲撃か!!?
あり得ない! 城と街は私とエリーナで完成された防御障壁で守られていた筈だ! 襲撃があれば防御障壁に当たったタイミングで警報が城内と街に鳴る筈なのに……。
まさか……、あの堅固な防御障壁を……、魔法に対して絶対の効力を発揮する防御障壁を……魔法で……、一撃のもとに粉砕したというのか!!!!」
 ワクールが驚いて話し終えた時にそれは起きた。

 美しく、澄んだ声で何者かが叫ぶ。
先読みの巫女さきよみのみこよ、出てきなさい! 貴方に天罰を与えます!!」

 ワクールは聞き覚えのある声だとすぐに気づいた。
 それは、この世界の人間ならば幼い頃の教育の際に、音声記憶媒体に保存された声を何度も聞かされた事があるからだ。
(そ……!! そんな筈はない!! 何故、ここにいるのだ!!? まさか、本当に!!)
 ワクールは自身の考え得る最悪の相手が、ルナマリアを……、いや全世界の人間の命を脅かしに来たかもしれないと思い、その声の主の正体を確認する為、城の周りがよく見える位置に移動した。
 ワクールはルナマリア城を襲撃した最悪の相手をその目に捉え、すぐにエリーナに向け、緊急の救難信号を魔法で送って呟いた。

片翼の女神かたよくのめがみ……!!!!」
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