棘の鳥籠

Kokonuca.

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「俺さぁ……お前が異動になってからさ。ちょっと自信ついたんだなって、しっかりやってんだなって、ほっとしてたんだけど」
「    」
「なんでこんなしんどいことになってんの」

 袖口が涙を吸ってどんどん色を変えていくのに小林は面倒がらずに丁寧に、擦りすぎないように拭い続けてくれる。

 どうしてこの人は、自分を裏切った僕にまで優しいんだろうか?

「   だって、  す 好きに、なってしまったんです 」

 横顔を見れて嬉しいな、
 後ろを歩けて嬉しいな、
 声をかけてもらって嬉しいな、
 触れてもらえて嬉しいな、

 抱いてもらえて、泣いて震えるほど幸せで……


 でも、戻された現実で佐伯の家族の前には自分の存在はちっぽけで……
 

 その叩き落される苦痛が、ただ辛いだけで……

「どうにも、できないのに、  苦しくても   」

 好きだから の言葉は抱きしめられて言葉にならなかった。
 覆いかぶさるように抱きしめられて小さな子供になったような錯覚に陥りながら、包んでくれる温かい背中に手を回して縋りつく。

「好きになっちゃったもんは、しょうがないよな」

 背中を緩やかに撫でられ、宥めるその手つきはやっぱり小林のイメージからは程遠く、とても優しい。
 
「こん、なの  は、 い、いいことじゃ ないのは、わか  わかってるんです  っ」

 しゃくり上げながら喋るなんて何年ぶりだろう。
 成人もして、ずいぶんと大人になったと思っていたのに、自分は全然成長できていないようだった。

「よくな、っ いってことは    」

 ぐずぐずと鼻を啜り上げながら言うと、子供がする言い訳のようで……
 僕は佐伯とのことを正当化する言葉を探しているのかもしれない。

 けれど、どう頑張ってもこの仲を正しいと言える言葉が見つからなくて。

「で、も  どうしていいのか、わかんないん  です  」

 涙と鼻水でみっともないことになった顔も、小林は袖で丁寧に拭いてくれる。
 いつもはきつく吊り上がった眉がしょんぼりと垂れているのは、僕にかける言葉を見つけることができないほど困らせているせいだ。

「すみま すみませ  ん 」
「泣け泣け、それで吹っ切れろ」

 吹っ切ることが……できるんだろうか?
 こんな風に、慰めてもくれない人をただただ見詰めるだけなのは、なんて不毛なんだろう。

 一瞬過った思いは胸の内をひやりと凍らせるようで。 

「  僕、こ、恋って、もっと うれ 嬉しくなれるもんだと   」

 しゃくり上げる度に涙が零れる。

「こん、なっ  」

 せめて言葉でもかけてもらえたら、
 せめて微笑みかけてくれたら、

 せめて、二人でいる時くらい、家庭を忘れてくれたら、

 せめて、せめて と言葉が募る。
 決して募らせてはいけないはずの、佐伯を煩わしてしまうような言葉が積もっていく。
 


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