理葬境

忍原富臣

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第六話「最期の旅路」

~海宝と陸奏~

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 日差しが天から降り注いでいる山道を、二人の僧侶が楽しそうに歩いている。海宝かいほう陸奏りくそう供養参くようまいりを始めて二ヶ月が経ち、海宝は出発からずっとひたいに札を貼りつけて歩き続けていた。

 僧侶の異様な姿に、すれ違う者達はさげすむような目を海宝に向けていた。海宝は特に気にしてはいなかったが、隣で共に過ごす陸奏は耐えられなかった。旅に出て数日後には、陸奏はわらで作った笠を海宝へと渡し、翌日には自身の分も作っていた。

 歩いている陸奏が出発前に翠雲から渡された地図を真剣に見つめる。地図上に付けた印を数え終わると海宝に向けてはにかんだ。

「海宝様、あともう少しで終わりですね!」
「ええ、あと少しですね」

 海宝は微笑んでいるが、その表情は札に隠れて大半が見えなくなっていた。
 陸奏がしたから覗き込むような姿勢で不満げに問いかける。

「やっぱりその札は最後まで取らないんですか?」
「すみません、これは約束ですから取れません」

 旅が始まってから、何十回もの同じ質問の海宝の答えは変わらない。

「もう、海宝様の顔を最後にきちんと見たのはお寺を出発した時ですよ……」

 落ち込む陸奏を札の隙間からそっと確認する海宝は相変わらず微笑んでいた。

「ふふっ、私からは陸奏の顔が見えますよ」
「そんなのずるいですよ……」

 肩を落として落ち込む陸奏から、海宝は目線を外して空を見上げた。
 この旅の終幕が近付いていること、自分の命の終わりが間近だということ、陸奏や他の者達との最後の別れが、もう目前に迫っていること……。

 あと、どれほどの会話が出来るだろうか。
 あと、どれほど生きていられるだろうか。

 そんな想いもつゆ知らず、陸奏は頬をふくらませて海宝に手を差し出した。

「海宝様はずるいです! 私にもそのお札ください!」
「ふふっ、これは一枚しかないのであげられません」
「そんなぁ……」

 陸奏は肩を落として落ち込んだ。海宝はその姿を思い出に残すように、記憶の頁に刻み込む。
 二人の歩みは、時間は確実に前へと進んで行く。

「ふふっ……さて、今朝村を出てから随分と歩きましたね」
「それはそうですよ。元々黒百合村は他の村から離れてるんですから……。それに、まさか村を全て歩いて回るなんて聞いてないですよ……」
「ふふっ、そうですね。思ったよりも長旅になってしまいました」

 海宝は楽しそうに微笑むが、陸奏は長旅の疲れが少しだけ滲み出ていた。

「地図を見ただけでも八十八箇所あるのに……それを歩いて回りたいって……」

 陸奏が地図をふところにしまいながら溜め息を吐く。

「いつでも一人で帰って良かったんですよ?」
「嫌です! 海宝様を一人にするなんて絶対に嫌ですからね!」
「ふふっ、そういって貰えると嬉しいですね」
「それに……」

 陸奏は小さく呟くと真面目な顔をして前を向いた。

「それに?」
「ここまで来て帰るなんて海宝様が許しても私が許せません!」
「ふふっ……貴方らしいですね」
「海宝様と翠兄さんに育てられましたからね!」

 陸奏は胸を張って誇らしげに答えた後、ハッと何かを思い出すように海宝に問いかけた。

「そういえば足は痛くありませんか?」
「私は大丈夫です。道中、貴方が無理をして背負ってくれましたからね。それよりも陸奏は痛みはなくなりましたか?」

 海宝は陸奏の右足に視界を寄せた。包帯を巻かれた状態の右足は、反対の足よりも少しだけ腫れているようにも見える。
 海宝の心配をよそに陸奏は満面の笑みで返事を返した。

「私は大丈夫です!」
「無理だけはしないでくださいね」

 海宝は親のような気持ちで陸奏に話しかける。

「それは海宝様もですよ?」

 海宝の顔を覗き込むようにして陸奏は心配した面持ちで見つめる。
 正面から吹く心地良い風が二人の間をすり抜けていく。

「さてと……後はどこを回れば良かったですかね」

 陸奏が懐から再び地図を取り出して広げる。

「最後は黒百合村と彼岸ひがん……ばな? 聞いたことのない村ですね。黒百合村よりも奥にあるみたいですが――」
「彼岸花……」

 海宝は聞き覚えのある名前にぽつりと呟いた。

「彼岸花ってなんだか悲しい響きの名前ですね……」
「そうですね……」

 相槌を打つ海宝の声はとても小さかった。いつもとは違う海宝の雰囲気に陸奏は心配そうに問いかける。

「海宝様……?」
「ああ、いえ、何でもありません」
「大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫ですよ」

 いつもの声音で話す海宝に安堵した陸奏は安堵したのか、話の続きを海宝に告げる。

「彼岸花の村は黒百合村よりも山奥にあるみたいですね。先に黒百合村に参りますか?」
「……」

 海宝は黙って歩き続ける。

「海宝様?」

 陸奏が海宝の肩をそっと叩く。

「……ああ、すみません。ちょっとぼんやりしていました」
「本当に大丈夫ですか? もしかして、どこか具合でも悪いんじゃ……」

 心配する陸奏をなだめるように海宝は声をかける。

「いえいえ、大丈夫ですよ。それで、何のお話でしたかね」
「黒百合村を先に行くか彼岸花の村に先に行くかです……」

 陸奏が眉をひそめながら海宝に伝えると、海宝は前を見つめて呟くように話した。

「この旅の最後は黒百合村ですから、先に彼岸花の村に行きましょう」
「分かりました!」

 陸奏の返事を聞いた海宝は共に彼岸花の村へと向かう。海宝は歩きながら時折、横目で陸奏の顔を見つめていた。もう少しで旅が終わりを迎えること、育ててきた陸奏や僧侶達との別れが近付いていることが名残惜しい。
 海宝は数年前、春桜に話をしに行った時の事を思い返した。

 やはり春桜殿に声をかけたあの時、無理を通してでも、圧制を緩めてほしいと伝えておくべきだったと。
 あの時、あの場所で、翠雲や剛昌、他の大臣達に納税の話をきちんと伝えておけば、飢饉で多くの人々が亡くならずに済んだかもしれない、と。
 つまり、それは、この運命を変えられていたかもしれないということ――――

 でも、だからこそ、翠雲と剛昌が自分自身を責める必要はなかった。元を辿れば己の過ち……春桜を止められなかった己の責任だと、海宝は悟っていた。自分の命で償うのが妥当なのだ、と。海宝は独りで結論付けていた。

「……海宝様?」

 陸奏は再び険しい表情で海宝を見つめていた。

「どうしましたか?」
「いえ、なんだか心ここにあらずといった様子でしたので……」
「もうそろそろ旅が終わると思うと、感慨深いものがありますからね」

 海宝は空を見上げて呟くと、隣を歩く陸奏も空を見上げた。

「確かに、あと少しで終わっちゃいますね……」
「ええ、本当に、あと少しになってしまいました……」

 海宝と陸奏の終わりの意味合いは異なる。その事に陸奏は気が付かない。

「海宝様……?」

 陸奏の問いかけに海宝は視界に入るように首を動かした。

「どうしましたか?」
「その、なぜ泣いているのですか?」
「え?」

 海宝はそっと目元に手を当てた。乾いた指先に涙が染み込んでいく。

「あら……どうしたんでしょうかね」
「何か悲しい事でもありましたか?」

 海宝の視界の隅に陸奏の純粋な視線が映る。

「ふふっ、嬉しくて自然と流れたのかもしれませんね」
「私と旅を終えるのが嬉しいんですか!」

 驚いた陸奏が悲しそうに海宝を見つめる。

「ふふっ……」
「なんでそこで笑うのですか!」
「さて、なぜでしょうね」

 口元を緩める海宝を陸奏は眉を八の字にして腕を組み不機嫌そうな態度をとった。

「もうそろそろ黒百合村が見えてきますからね!」

 少しだけ声を張り怒っている陸奏に海宝は変わらず笑みを浮かべている。

「はいはい」
「ハイは一回で大丈夫です!」
「ふふっ、すみません」

 陸奏は溜め息を漏らすと、怒るのが疲れたのか、陸奏は肩を下げてしゅんとしていた。

「もう……海宝様はいつも私を馬鹿にしてます……」
「ん? そんなことはありませんよ?」

 微笑んでいる海宝の口元を見た陸奏は深く溜め息を漏らした。

「もう、そういうことにしておきます……」
「ふふっ」

 海宝は感情が豊かな陸奏の姿をそっと眺めた。

「――ほら、海宝様! ここを上がって行けば黒百合村に着きますよ!」
「……楽しい旅の終わりは早いですね」

 静かに呟いたその一言に対して、陸奏はムッとした。

「海宝様!」
「……はい?」

 急に強張った陸奏の声に海宝は少しだけ驚いていた。そして、陸奏は言う。

「海宝様、まだ終わってないんですから今を楽しみましょう!」

 真直ぐ海宝を見つめる陸奏の目は力強く、両手をぎゅっと握りしめてはにかんでいた。

「今を楽しむ……ですか……」

 海宝は噛みしめるように陸奏の言葉を呟いた。この旅が終わる時が人生の最後……。
 陸奏との最初で最後の旅路を、悲しみで終わらせるわけにはいかない。

「そうです! 今と言う時間は今しかありませんから」

 無邪気な笑みを向ける陸奏を、海宝は札の隙間から覗き見た。

「ふふっ、それもそうですね」

 山間(やまあい)に笠を着けて歩く僧侶が二人。
 陸奏は知らない。札を額に貼る理由を……この旅の供養参りの意味を……この旅の終わりの迎え方を……。

 二人は仲良く笑い合いながら黒百合村の跡地へと辿り着く。
 陸奏は一足先に坂道を登り切ると平らになっている開けた場所に出た。
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