理葬境

忍原富臣

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第三話「黒百合村」

~泯玲と賊 過去編~

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「兄様がこれを忘れていったので……」

 怖がりながらも、震える手で取り出したのは黒い勾玉まがたまだった。

「こんな物の為に来たのか?」
「だって……兄様は必ず持って行っていた物だったから……」

 剛昌ごうしょうは目線を合わせ両肩をぐっと力強く握った。

「兄様、い、痛いです……」
泯玲みんれい、ここは戦場の一歩手前の地、ここまで無事に来れたこと自体、運が良かったと思え」

 剛昌にとってはそれが精一杯の心配だった。幼い頃、盗賊に両親を殺された剛昌にとって、泯玲はたった一人の家族だった。泯玲を失うということは共に戦う春桜達以上に辛いことだった。しかし、まだ十五・六の泯玲にとって剛昌の言葉はきつく、目には涙を浮かべていた。

「うぅ……」
「すぐに帰れ。絶対に寄り道するな、誰にも近寄るな。分かったか?」
「……はい」

 泯玲の声はか細く小さかった。泣きそうになる泯玲の頭を優しく撫で、勾玉をそっと受け取ると剛昌はそのまま妹に背を向けた。

「ありがとう」

 剛昌は小さく感謝を述べた。

「うん……」

 涙を拭きながらも、剛昌の言葉に泯玲は笑みを浮かべる。

「ほら、早く帰れ」
「はい!」

 泯玲はそのまま来た道を走り去っていく。剛昌は音がだんだんと遠ざかっていくの耳で捉えていた。このような物の為に……。剛昌は小さく呟きながら勾玉を見つめていた。
 剛昌が振り返る時には頼りない後ろ姿が小さくなっていた。

 泯玲の顔に傷が付いたのは、この直後だった。

 来た道を真直ぐ帰る道中、泯玲は左右を林に囲まれた道を一人で走っていた。
 途中で息が上がり呼吸を整えながら歩いている時、林の中から泯玲にぶつかるようにして男が現れた。頭一つ分程違う体格の差に、泯玲の頭は男の胸元にぶつかった。

 男はわざとらしく「おっと……」と声を発した。
 泯玲が「え……」と呆気にとられているうちに、男は背後に回り、泯玲が動けないように両腕を回してがっちりと掴んだ。

「へへっ、死体から戦利品を頂戴しようと後を付けてたら、とんだ上玉が転がってらあ」

 泯玲を襲ったのはむくろを漁る為に兵士の後ろを付けていた賊だった。

「放してっ!」
「おいおい、そんなに抵抗されたら余計に興奮するじゃねえか」
「いやっ! やめて……っ!」
「……よいしょっと」

 泯玲は賊に軽々と持ち上げられ、そのまま林の中へと連れ去られていく。暴れてみても力の差は歴然だった。無意味な抵抗を続けているうちに賊はどんどん林の中へと進んでいく。泯玲は来た道がどの方向にあったのかすら分からなくなっていた。

 賊は林の真ん中で泯玲を下ろした後、逃げられないように両足を縛り、両手を後ろで拘束した。
 泯玲は疲労と恐怖に震えて呼吸は荒れていた。

「はぁ……はぁっ……」

 賊は呼吸がまだ整わない泯を無理矢理その場に座らせた。

「嬢ちゃんさ、まだ十四・五くらいか?」

 呼吸を整えるのに必死だった泯玲は賊の質問が聞こえなかったのか、そのまま息を吸って吐く作業を繰り返す。
 賊は気にせず一人で悦に浸っていた。

「嬢ちゃんえらいべっぴんだよなあ。幾らぐらいで売れるかなあ」

 賊はひたすら泯玲を眺めた。中々出会えない上玉に気分が高揚していたのか、安心して自分の商品を鑑賞する。

「これだけの上玉をそのまま売るっていうのもなあ……」
「…………っ!」

 呼吸の乱れが収まりを見せ始めた頃、泯玲は硬直した。

「おいおい、そんなに怖がるなって、俺は怖くないぞお」

 賊の声はもはや泯玲には届いていなかった。
 泯玲は賊の腰にある短刀が目に映り恐怖で震えることしか出来ず、賊は顎に手を添えながらニヤニヤと泯玲の身体を舐め回すように見つめている。

「細身で顔はべっぴん。売る前に一発やっちまおうかなあ? へっへっへ……」
「……っ」

 泯玲は疲弊して身動き出来ずにただただ恐怖で震え、賊は鼻を近付けて匂いを嗅いで楽しんでいた。
 泯は目を瞑り絶望した。

「だいぶしおらしくなったなあ、いいなあ、可愛いなあ、やっぱ女は若い方がいいよなあ。胸はどんなもんだ?」

 賊が泯玲の胸へと手を伸ばす。泯玲はただただ涙を零すしかなかった。
 賊の指先が泯玲の胸元の服に触れようとしたその時、後ろの方からかさかさと草を踏みつける音が聞こえてきた。

 賊は自分の手柄を横取りされないよう、腰につけていた短刀を引き抜き構えた。振り返ると一人の兵士がこちらへと歩み寄っていた。

「貴様、何をしている」
「ああ? 誰だあんた?」

「何をしているのかと聞いている」

 姿を現したのは剛昌だった。
 明らかに憤慨している剛昌の目つきに賊は少しだけ怯み、そそくさと泯玲の後ろに回って短刀を構え直した。

 剛昌の姿が目に映った泯玲は僅かに声を漏らした。

「ぁ……兄……様……?」

 まさか賊に襲われているとは思いもよらず、剛昌は深く溜め息を吐いた。
 来て良かったという安堵と妹が襲われているという状況に、剛昌は勾玉に感謝と恨みを詰め込んでいた。

 なぜ剛昌がここに居るのか。それは偶然だった。

 泯玲の姿がある程度小さくなり、見送りを終えて隊へと戻ろうと振り返る手前、勾玉が手から滑り落ちた。どうやって落ちたのか、不思議に思いながら拾って確認するが特におかしなところはない。まあ、気にしなくてもいいかと、何の気も無しに目線を上げ泯玲の方へと向いた時、林の中へと消える姿が微かに見えた。

 不安になった剛昌は泯玲が消えた位置から林の中へと急いで入り、今こうして捕まっている妹に遭遇している。

 恐怖と涙でくしゃくしゃになっていた泯玲は兄の姿を見て安堵していた。感情が混ざり合う中、もうどういう表情をすればいいのか分からずただただ泣く泯玲。
 賊は疑問を浮かべて少し離れている剛昌に目を向ける。

「兄ちゃんだって?」

 賊は泯玲と剛昌を交互に見比べる。口を開いた剛昌の声は怒りで震えていた。

「俺は、お前に何をしているのかと聞いている」

 ニヤニヤ笑いながら賊は剛昌の事をジロジロと見つめる。

「なんだあんた、こいつの兄ちゃ――」
「今すぐそいつを放せ」

 剛昌が賊の言葉を遮り「殺す」と言わんばかりに圧をかけるが、賊は依然として剛昌を見ながら嘲笑っていた。

「兄ちゃんよ、えれえ良い恰好してんなあ。こいつ、あんたに売ってやろうか?」

 へっへっへ……と笑う賊に剛昌は黙って刀に手を添えた。

「今すぐそいつを放せと言っているのが分からないのか」

 剛昌は己の刀が届く範囲までじりじりと近寄ろうとする。だが、剛昌の殺気に危険を感じたのか、賊は泯玲の首に腕を回して顔に刃を突きつけた。

「おいおい、それ以上近付いたらあんたの妹の顔に傷が付くぜ?」
「賊が良い気になるな……」

 剛昌の言葉に賊は刃の側面で泯玲の頬を叩いてみせる。
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