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1章 見知らぬ世界にくの一'葵’見参!

18 その者、狡猾で残忍なり

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 『土蜘蛛姫』は薩摩鹿児島のとある山岳マップに登場する、レベル百の五人パーティー推奨のボスキャラだ。
 八大地獄と人に降りかかる八つの災厄をテーマに設計されており、他にレベル百推奨ボスは七体いてそれらを総称して『八大災厄カラミティエネミーズ』と言われている。大和の国を脅かす大敵大ボスという位置付けだ。
 
 かつて戦国時代の終わり、元は豊臣秀吉により「九州攻め」の際に最後まで抵抗した鎮西薩摩のとある城の姫らしい。
 決して権威に屈せず、最後の一兵、女中や姫ですらも膝を折って頭を垂れることを良しとせず、死ぬまで戦い続け最後には「まつろわぬ」妖怪蜘蛛として転生したとされている。
 その性格は狼、情はふくろう、つまり狡猾で残忍、今も太平の世に恨みを持ち、縄張りに入った人間を食らい力を貯めている。
 それが大和伝の『土蜘蛛姫』の背景バックストーリーだ。

 ゲームでは洞窟フィールドに子飼いの蜘蛛を放ち、侵入者を天井や地面から隙を狙って襲わせた。
 さすがに蜘蛛の見かけまで判別はできなかったけど、よくよく考えてみると地面の下に潜り、尽きることなく湧き出してくるといった類似点は多い。
 それでも、なぜこいつがここにいる? という疑問点は拭いきれない。異世界転移はプレイヤーだけではなく、モンスターも適用されるなんて誰が予想できるのか。
 ただ今はそれを考えている場合じゃなかった。


「これはマジでやばいって……」


 まだ朝だというのにどこか薄暗く思えるほどに錯覚し、体が重い。
 鼓動が速くなり産毛が逆立ち、ステータスなど見えなくてもあれが生物として自分より格上であることが無理やりにも自覚させられる。

 個としての強さの質が比べるものではないのだ。ゲームではなくリアルだとここまで感じる印象も違うものなのか。
 私ですらそれだ。周りのアレンたちからするとそれこそ赤ん坊とドラゴンほどに格差がハッキリと分かったのだろう、怯え竦みあの異形の前にひれ伏すしか選択肢が無いようだった。
 

『あーちゃん……』


 豆太郎も小さな体をぷるぷると震わせていた。
 恐怖の状態異常に囚われていないようだったが、正直ギリギリのところのようだ。
 
 あいつがまだこっちに興味を示していないからいいようなものの、もし見つかったら私一人で防ぐにも限度がある。これでは最悪の結果――全滅を予感させる。
 虎の尾を自ら踏む行為は避けたかったが、ここにいるのはみんな同じ釜の飯を食った仲だ。土蜘蛛姫に刺し貫かれまだ微かにびくんと小刻みに痙攣するクロムウェルさんもまだ生きてはいる。無論、私だけならばここからの回復は絶望的だ。それでも無抵抗で死なせるわけにはいかない。景保さんがいればまだ助けられる余地があるはずなのだから。


「―【火遁】爆砕符―」


 爆発するくないを一本取り出し土蜘蛛姫の足元に飛ばす。
 そして、


「【解】」


 直後、爆発し粉塵が舞う。
 煙と土ぼこりで視界が悪くなったところに奇襲して救出に向かうつもりだった。
 しかし、その動きを制するように煙から投げ出されてきたのは、今から取り戻すはずのクロムウェルさんだ。
 その意味が分からずとりあえず彼をキャッチしてバックステップで距離を取る。
 抱えたままじゃどうしようもなく、アレンたちに預けたいのだが、まだ彼らも正気を取り戻していない。


「ちょっと、みんなしゃんとして! 私が気を引くから、あれが本気にならない間に逃げて」

「むむむ、無理だ。で、できるわけがないっ! あ、あんな化物相手に、誰が敵うっていうんだ」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

「あぁぁぁぁぁぁぁ終わりだ。お、俺たちはここで死ぬんだ。あ、あはははっ!」


 これはまずい。みんな相当に参っている。恐慌状態ってやつだ。戦ってもいないのに被害甚大で、壊滅寸前。
 大和伝では攻撃力減少、回復力減少という効果でしかなかったのに、ここではそれ以上の現象が追加されている。
 漫画みたいにバシンと頬を叩いて戻ってくれればいいんだけど、逆効果になりそうな気がするし手が出せない。
 仕方ないからアイテムを無理やり口に入れて飲ませようかと思った時、


「―【六合符りくごうふ沈静供出ちんせいきゅうしゅつ―」


 術符が地面に張り付くと足元から爽やかな青い光が私たちを包み込んだ。
 清涼感のある風が吹いたかのような、あしき気をすべてを洗い流していくように頭がリフレッシュされる。
 景保さんの状態異常回復の術だ。


「助かります!」

「やばそうだと思ったんで、急いで来たよ」

『頑張って来たの!』


 ほとんど時間が経っていないというのに慌ててこっちにまで駆けつけてくれたみたいで、二人が青龍の尻尾の先に不格好にもしがみ付いて登場してくれた。ちなみにタマちゃんは景保さんの背中に張り付いている。
 ちょっとみっともない姿だけど、ありがたい援護だ。

 彼は土蜘蛛姫を刺激しないように青龍をすぐさま消して、救助活動を続ける。


「すみません、こっちもお願いします」

「っ! 分かった。―【六合符りくごうふ治癒活性ちゆかっせい―」


 痛々しい傷にぎょっと驚くも、景保さんがすぐに回復の符術をクロムウェルさんに使う。
 残念ながらこの技は一気に全快するのではなく、少しの回復能力とあとは自然治癒が高まるものだ。陰陽師はヒーラーではなくサモナーで今はそれが恨めしい。
 だからこれで完全に完治したかどうかは分からない。でも傷は塞がっているし、やれることはした。

 アレンたちの状態異常回復の青いエフェクトが終わると、一様に絶望の淵にいた嘆きは止まった。
 白く生気を失っていた相貌もほんの少し赤みを取り戻す。
 それでも誰もが呆けていてすぐに動こうとはしない。


「ちょっとほら、回復したでしょ? いつまでそうしてるの!」

「そ、そんなこと言っても腰が抜けて」

「楽にはなったけどあんな怪物の近くにいて元気になれねぇって……」


 一度心まで蝕まれ支配された恐怖は、そう簡単に抜けやしないらしい。彼らの心に刻まれたのは未だリアルな絶望の化身。
 分かるっちゃ分かるんだけど、今それについて考慮してあげるわけにはいかない。


「いいから早く馬車に乗り込んで。あれの相手は私と景保さんとでやるから! あとクロムウェルさんをお願い!」

「あ、あんたたち二人であれの相手するの!? 無理だって! 殺されるわ!」

「やれるかじゃないの。やらなきゃ全滅なのよ」


 ミーシャが心配してくるのは嬉しいけれど、彼女たちは率直に言って足手まといにしかならない。
 正直、普通なら五人パーティーで挑む相手に二人の時点で無理ゲーに近いのだが、それでも時間稼ぎぐらいならやれると思う。というかやらなきゃ彼ら皆殺しだ。私たちだけならまだ逃げられる可能性は高い。なのでここで殿しんがりを務めるために残るのは合理的なんだ。
 もはやちんたらしている時間も精神的な猶予もない。蹴り飛ばしてでも遠ざけないと。


「い、今、俺らにできることは、足手まといにならないことです。急ぎましょう」


 顔をしかめ辛そうなアレンの言葉に、みんな何とか納得したらしくのろのろとだが動いていく。
 震える足を鼓舞してやっとというところだった。
 アレンにクロムウェルさんを託すと「本当にいいんだな?」と念を押された。


「いいから。早く行って」

「すまん、不甲斐なくて。自分の弱さが嫌になる」

「ううん、私たちの方が変なんだよ。とにかくみんなを守ってあげて」

「すまない……」


 辛そうなのは体の不調だけじゃなく、きっと置いて逃げることへの罪悪感とか情けなさもあったんだろうね。

 彼らが乗り込む間に馬車を引く馬の口に、無理やり攻撃力の上がる丸薬を押し込んだ。確か材料が興奮系のきのこだからこれで怯えずに走ってくれるだろう。
 御者台に座ったジ・ジャジさんと目配せをし一度だけ頷くと、ムチを叩き彼らは村の入り口へと奔走していく。荷台の後ろから唇を噛み締めるアレンの顔がずっとこっちを見て離さなかった。

 ふいに殺気を感じ目をやると、土煙が収まり晴れていくその向こうで土蜘蛛姫が鬼の形相でこちらを睨んでいて、そのあまりの顔にびくりと体を震わせる。
 さっきまでは喜んだり無表情だったりしていたのに、今は親の仇を目にしたような憤怒の容貌だ。


「な、なに?」

『貴様ラ、大和ノ民カ? ヨウヤク異国デ目覚メタトイウノニ、犬ノヨウニマダわらわヲ追ッテクルカッ! コノ屑共ガッ!!』


 生白い顔を歪ませ般若面になった彼女は、敵意を剥き出しに猛悪な殺意をぶつけてくる。
 この圧迫感だけで一般人なら死にそうな殺気だ。
 
 それにしても会話が成立していることに驚きを隠せない。
 ゲームでは戦いが始まる最初と技名、ダメージを受けたとき、あとは滅ぶ断末魔ぐらいしかしゃべらなかったはずだけど……。


「待ってくれ、僕たちはもうここを離れる! これ以上、手出しはしないから逃がして欲しい。お願いだ」


 私が唖然としていると景保さんが懇願するように休戦を申し出た。
 大和伝のデータ通りならレベル百が五人で戦う相手だ。せめてもっと格下のボスならまだしも、現状では勝ち目が無いのは明らかだった。


『許サヌッ! 許サヌッ! 許サヌッ! 大和ノ民ハ全テ滅ブベシ! 忌々シイ己ラニ出会イ生カシテオク是非ヲ感ジヌ。貴様ラハ万片マデ砕イテ豚ノ餌ニシテクレルッ!』

「どういうこと!?」


 火に油を注ぐがごとく、烈火のように怒りが燃え盛る。
 ここまで嫌われるって、ゲームの設定上に影響されているのかもしれないけど、よっぽど私たちは恨みを買っているみたいだ。これでは交渉なんてありえない。
 景保さんも同じことを思い至ったようで二の句が継げないようだった。

 じろりと土蜘蛛姫の視線は馬車に向かう。


『逃ガサヌ。人間ナド、コノ地ノ民モ髪一本スラモ残サズ皆等シク根切リニシテクレルッ!!』


 人間の部分である腕を振り上げる。


『―【等活地獄】《風活多苦界ふうかつたくかい》―』


 呪文のようなものを唱えると血を連想させる薄紅い膜が、ドーム状に空を覆っていく。
 するすると波打つように広がり、それは一瞬で空も大地も見ている世界が全部書き換えられた。昇ったばかりのお日様は消え、外側の音も風も入って来ない。完全に世界から断絶された。


「やられた!」


 私はこの天蓋を知っている。簡単に言うと『ボスフィールド』だ。これが張られると戦いの決着が着くまで出られない空間。いわゆる「ボスからは逃げられない」ってやつだ。
 大和伝でもやってたけど完全に失念していた。というかこれをこっちでも使えることに、背筋に戦慄が走る。
 フィールドのボスならまだしも、わざわざ洞窟の奥にこっちから赴いて遭遇するイベントタイプのボスからは途中退場ができない。つまりどっちかが全滅するまで出られないのだ。
 試しに全力でくないを投げてみるも、遠くで弾かれ地面に落ちていった。半径数百メートルといったところか。教会を中心にして私たちも村ごと囚われてしまった。せめてアレンたちだけでも逃げさせたかったけど、おそらく出られていないだろう。
 

『ココガ、コノ世界コソガ妾ノ楽園! 無残ニ踏ミ砕カレタ領民、家臣ノ積年ノ恨ミヲ晴ラスベキ桃源郷! ココヨリ千年続ク都ガ生マレルノダ!! カカカカカカカカカカカッ!!』


 さっきまで怒り狂っていたくせに、まるで口裂き女のように大口を開け獰猛な歯を見せ、恍惚とした顔で哄笑する。
 メンヘラでヒス持ちなんて誰にも相手されないっての。


「やばいね、ここでまさか土蜘蛛姫と出くわすなんて考えもしなかった」

「私もです」


 頬を引きつらせながら呟く景保さんに同意する。
 もう話し合いの余地なんて欠片もない状況に追い込まれてしまった。
 心なしか彼の声には緊張するような震えが含まれているように感じる。


『パーティーへの参加申請が届きました』


 景保さんが何も無い空間に指を走らせるとこちらにログが流れ、急いで承諾した。
 それによって視界の端に彼のHPなどが表示される。
 私はヒーラーじゃないけど味方の状況確認は大事だ。それにパーティー全体に掛かるスキルなどはこうしないと無駄になってしまう。だからこれは最低限の準備だ。


「考察しないといけないことはあるみたいだけど、今は後回しだ。土蜘蛛姫の討伐回数はどれくらい? 僕は五回だ」

「私は三回です」


 大和伝では大まかにボスは三種類に分類されている。
 それは、一人でも倒せる決闘級シングルボスと、基本五人パーティー推奨の討伐級マルチボス、最大五十人で構成される大人数での大討伐級レイドボスのことだ。
 ちなみに決闘級は挑む人数によって強さが変わるので一人でも倒せるが、他は変わらない。一応ソロ専ぼっちでも大討伐級ボスと戦えるように、自分と同じレベルのNPCを雇うことはできるので人付き合い無しでも挑めるが、やはりAIでは人間よりは動きに精彩を欠くので格段に難易度は上がる。
 
 土蜘蛛姫は討伐級に属し、普通は五人で戦う敵だ。そのため二人どころか四人であっても本来は分が悪い。
 私のプレイヤースキルならたぶん四人が限度だろう。全員の装備を完璧に整えて何十回と繰り返せば一度ぐらいは三人でもギリ可能か、という範囲。それも妄想での話しで実際にトライしてみたことはない。
  
 逆にきちんと五人のパーティーメンバーを組めさえすれば、ボスとしてはそこまで厄介な相手ではないのだが、専用装備が落ちる武士や神官とかならまだしも忍者的にはあまりおいしい相手ではなかったのでアタック回数は少ない。
 いつ攻撃が始まるか分からず口早にブリーフィングを済ましていく。一応、豆太郎とタマちゃんにも確認するように聞かせる。


「行動パターンは覚えてる? 毒霧と麻痺爪に注意」

「今思い出しています。アイテムでも対応しますけど、援護お願いします。盾役どうしますか?」

「とりあえず『玄武』にさせるしかない。僕は援護重視でいくから、アタッカーは任せた」

「分かりました。豆太郎は近付き過ぎないで」

『あいさー!』

「タマも後方待機。絶対にヘイト敵意は集めないようにして」

『分かったの!』


 この世界で土蜘蛛姫がどう変化し、どれほどゲームと差があるか不明なので警戒は怠れない。
 特に豆太郎やタマちゃんはレベル的に戦わせられない。そもそもお供キャラというのはがっつり戦闘用ではないし、ゲームでは倒されても一定時間で復活できたからソロでも連れていけたけど、この世界でやられても平気かどうかの保証が無いので戦闘に参加させられないのだ。
 さっきから心臓がドックンドックンうるさいぐらいに鼓動していた。
 

「どうやらそろそろ動くみたいだよ。―【玄武符】招来―」


 光が瞬き術符と入れ替わりに割れた地面からせり出してきたのは、言わずとしれた尾が蛇の巨大な亀だ。
 象よりも一回り大きいその巨体はいかにも堅牢で、腕や首ですら刃物を通さなさそうな硬い肉厚の肌をしている。
 式神はレベル八十相当で、単体としてはやや頼りないが今は私と景保さん以外には最も頼れる存在となる。

 もちろんそれだけでは終わらない、玄武から光が発せられどんどんと小さくなっていく。
 数秒でそれは驚くほど縮み、やがて現れたのは長身の女性だ。

 服は私に負けず劣らず全身黒い。ただし露出が多く、上半身はインナーに胸鎧を着けているが胸の下までしかあらずおヘソが丸見え。下半身に至っては短パンでふとももがまぶしい。
 所々袖やすねなども鉄板で覆っているがコスプレイヤーかよ、というツッコミを入れたくなるような衣装だ。
 三つ編みにした腰まで垂れる翡翠の髪の毛を揺らし、左手には全身を隠れられるほどの強靭な大盾、そして右手には鉄棒みたいな太い剛槍を携えていた。

 式神は洞窟など元の大きさで入れない場所はこうした『人間形態』となることも可能だ。後ろで魔法を撃つだけならまだしも、今回のようにタンクになる場合は大きすぎても邪魔なだけなので変化させたのだろう。
 改めて見ると人間離れした美しさがあり、私でも惚れ惚れとしてしまう。ボーイッシュタイプの真面目系のようだ。精悍な顔立ちに迸る生気に溢れる魅力が醸し出ている。
 額縁にでも納めれば一枚の絵画として完成しそう。


『主命により参上した。これよりはせつが主の剣となり盾となろう』


 くるくると重そうな槍を指先一つで振り回しポーズを決める。
 実は式神は性別も選べるし、見た目も編集可能だった。そのため美少女・美男子NPCと常に一緒にいたいという層が一定数はいて、陰陽師は何気に人気職でもある。
 だからこれも景保さんがキャラメイクした理想的な女性の姿の一つなんだろうけど……まぁあえてそれ以上は言うまい。
  

『大和ノ民ハ全テ駆逐シテヤル。ソシテ妾ノ国ヲコノ新シイ土地デモウ一度再建スルノダ! カカカカカ!!』


 酔いしれるように口端を吊り上げ哄笑する土蜘蛛姫。 
 それと対峙する私たちはいつも通りテンプレートに準備を進める。 


「まずはこれ。―【玄武符】―亀の甲」


 景保さんの出した符術が黄色いエフェクトを放出しながら舞い、防御力アップの効果が私たちを包み込む。
 防御上昇効果は数値で表すなら二割上昇、これでダメージを食らっても一発や二発では沈まないはずだ。
 ただし掛けられるバフやデバフは一人一種類まで。重複は無しで%系は効果が大きいものが優先され固定値は加算される。そういう仕様だからこそ人数が多いほどボス戦では有利になるのだが、残念ながらこの世界のルール仕様でも変わらないらしい。昨日、事前の打ち合わせで確かめ済み。
 
 まず口火を切ったのは玄武だ。


『はぁっ!』


 半狂乱の土蜘蛛姫に果敢に攻め込み槍を薙ぎ振り払う。
 それは避けられてしまったが、自慢の盾を地面に立て吠え叫ぶ。


「ここよりは本丸なり。主の元へ行きたくば拙が屍を越えてから行くが宜しかろう! 【挑発の心得】」

 
 敵からヘイトを集める挑発タウント技だ。
 白い光を放ち自分の何倍も大きな相手に一歩も怯まず対峙する。
 その双眸には一歩も進ませないという決意が滲んでいた。


『目障リダ!』


 土蜘蛛姫の目は完全に玄武に向けられていた。
 その意識の隙間にすかさず忍び込む。背後に回り込み、その青白い首筋に刀を突き立て無造作に振るう。
 好戦的な火食い鳥の爪から削られた紅孔雀は、数センチ肉を抉り取り、その傷から火を噴出させた。


「ガチでいくよ!」

『小賢シィッ!』


 苛立ちに険しく表情を歪め、一本一本が小刀のように鋭く伸びた爪で反撃される。
 それを彼女の腰の部分を蹴り飛ばし窮地を躱してみせた。
 空中で一回転の宙返りを決め、滑るように地面に足を着き傷口を確認すると、今斬った肉が蠢き塞がろうとしていく。


「やっぱそうなるよね」


 土蜘蛛姫がパーティー推奨なのはこの再生力によるものだ。もちろん他のボスも目に見える傷は塞がっていくが、損傷具合は当然蓄積されていく。けれど他のボスと違い、設定ではこの空間が力を与えているらしく、ガチで土蜘蛛姫はHP自体が徐々に回復する。生半可な攻撃では癒され続けいつまで経っても終わらないのだ。
 おおよそ私一人分の攻撃で自然治癒力と同じかやや上回るぐらいか。
 だからレベル八十でNPCタンクの玄武と、ヒーラー役となった景保さんでは一体いつ終わりがくるのか予想もつかない。途中で集中力が切れて瓦解してしまう可能性の方が大きかった。
 今のでどれほどのダメージが入ったか分からないが、ゲームでなら百分の一もいっていないだろう。
 たった三人では猛攻を防ぎながら攻撃を与え続けるというのは、予想以上に難しそうだと改めて実感させられた。


『つれないな。こちらを忘れないで頂こう』


 今度は玄武が重そうな槍を軽やかに操り、足の一本を斬り付ける。
 深い体毛に邪魔され傷は浅いが、無理せずそういう地味な積み重ねがボス戦では必要だった。

 アクション系のVRでは自分の役割に徹することと、仲間の邪魔にならないことが鉄則だ。
 役割は、私で言えば攻撃アタックに専念すること。玄武は敵を引き付け防御タンクすること。景保さんは支援回復ヒールすることだ。これが機能するとしないとでは大違いになる。
 そして邪魔にならないとは、例えば私の『火遁―爆砕符―』のような爆発エフェクトで視界が悪くなることにより、他者の行動が妨げられたり中断されるような技をしないというものだ。
 独りよがりに戦って勝てるのは決闘級ボスまでとなる。
 

『細切レニナレィッ!』


 お返しとばかりに怒声を上げて、三メートルはあろうかという剛脚が玄武に苛烈に迫った。
 玄武は私みたいに避けるキャラではない。自分の背丈ほどの大盾を構えその攻撃を受けきる算段だ。
 そこに、
 

『―【大陰符たいいんふ】―攻勢薄弱こうせいはくじゃく
 

 景保さんの術符が飛ぶ。
 攻撃力ダウンの符が土蜘蛛姫の足に巻き付き勢いを弱める。
 ガァァァン、と腹に響く衝撃音がして玄武は持ちこたえた。

 なかなかにハラハラした。さすがに体格差があり過ぎて吹き飛ばされてもおかしくないはずだったのだ。
 それを巧に斜めに反らし自分の体を支柱のようにして耐え切った。

 援護の符も絶妙だった。
 ボスに対してはデバフなどの効果は長く保てず、常に貼り直さなければならないのだがずっとやり続けることはSP的にも困難で、相手のモーションを察知し危機の直前を読み取って先に仕掛けなければならず集中力を使う。
 しかし景保さんは一発目でそれをやってのけた。

 胸を撫で下ろしながら半月の形に口の端を上げる。
 これで後衛とタンクが機能することも検証できた。これならひょっとしたら三人でも倒せるんじゃないかしら。
 だったらあとは私が土蜘蛛姫が死ぬまで避けて死ぬまで刀を振るうのみ。


「刀のさびにしてあげる!」


 的を絞らせず残像が生まれる速度で常に動き回り、肉薄して鋭い斬撃で八本ある脚に無数の炎の切れ込みを入れていく。
 弱点は人の身の部分だったが、最初の一撃以来警戒されて近づけない。
 しかしながらそれは既知の通りだった。だから脚を弱らせ転倒に持っていく。そうすれば僅かな時間だけど隙ができて一斉攻撃のチャンスが生まれるのだ。
 部位を攻撃し続け隙を作り出し体力を減らしていく、これはどんなモンスターであろうとも通用する必殺の行程のようなものだ。だから焦りはないし、ミスもしない。
 ただし普段なら五人掛かりなので明らかに手数が足りず、どれぐらい時間が掛かるかは予想がつかない。

 ほとんどの被害は玄武に向いている。こっちにやってくる攻撃は大振りな範囲攻撃がほとんどだ。
 そらきた!


『コノ羽虫共ガァッ! スリ潰シテクレル!』

「悪いけどその攻撃方法は知ってるのよね!」


 やや溜めを作り屈むのを察知し、さながら旋風脚のように巨大な体を回転させ薙ぎ払うアクションに、後方に飛び退き回避する。知っている行動だから先読みができた。
 鼻先を空振りした暴力的な風が掠めて通り過ぎ、すかさず硬直の隙を狙ってつま先に力を入れて踏み込む。
 無防備に晒された蒼白な肌の背中に、逆手に持った二刀の紅孔雀を同時に振り下ろし突き刺す。


「いくわよ! ―【双刀術】―牙刺し」 


 忍者専用の双刀術、二刀を狼の牙が食い込むように一緒に刺すことによって威力が跳ね上がる近接スキルだ。
 コール宣言と寸分違わぬモーション動きにより、強力なスキル二刀技が発動した。
 傷口から吹き上がる炎もいつもより格段に大きく燃え上がる。


『オレノレェェェ!!』


 その視線だけで人が呪い殺せそうな血走った目と交差した。
 ぞくりと体が竦み反射的に後方へ退避すると、私が今いた場所を暗紫色あんししょくの霧で包まれる。
 土蜘蛛姫の口から噴出された『毒霧』だ。
 耐性装備が無いまま食らうと毒を受けてしまう。ただしこの場には回復できる景保さんがいるので、たとえステート異常になってもすぐに浄化すれば大事にはならない。
 とはいえこれの厄介なところは、足先で切り結んでいるところにも援護射撃のように吐かれることだ。いちいち回復に手間取られる。


「臭い息を吐いてんじゃないわよ!」


 ちょっぴりノってきた。いけるいける。良いペースだ。
 開幕の応酬が完璧だったおかげかやれる雰囲気が出来てきていた。
 悔しそうにこちらを睨む土蜘蛛姫だが、前方の玄武がそうはさせない。


『お前の相手は拙だと言ったはずだが? よそ見をしている暇があるとは思えないがな』


 見た目だけなら私の攻撃よりも強そうな剛槍は、唸りを上げて土蜘蛛姫の肉をこそぎ落としていく。


『小賢シイ、コノドン亀ガ、吹キ飛ベッ!』


 土蜘蛛姫は槍の範囲から一旦引くと溜めを作り、強烈なタックルを繰り出した。
 トラック一台分の衝突に匹敵するその体当たりに豪快な衝突音が鳴り、さしもの玄武も盾ごと空中へ放り出される。 


『ぬぉっ!』

「玄武!?」


 これを援護する技はなく、景保さんの悲痛な叫びだけが届いた。
 しかし彼女にはそれだけで十分だったらしい。
 寄りべの無い空中で右手の槍を強引に地面にぶっ刺し勢いを止め、その場に不時着すると着して体勢を立て直す。


『おおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!―【玄武符】―土壁成山どへきせいざん


 即座に切り返した彼女が雄叫びを上げながら疾駆する。
 直後、土蜘蛛姫の足元の土が分厚い壁となり三メートルほど天に向かって盛り上がった。その縁に玄武はすかさず足を掛け足場にして跳び上がり、土蜘蛛姫の顔面にジャンプキックをぶちかます。ダメージはいかほどか分からないが、足裏に付いた土くれが土蜘蛛姫の真っ白な顔を汚した。
 反射的な反撃の爪に薄く肌を斬られ土の上を転がるも、しっかりとした両の足で立ち上がり再び槍と盾を構え迎撃体制を整える。


『どうした田舎の姫君よ、その青白い顔には土化粧の方が似合うのではないか? 拙の金城鉄壁の壁を易々と突破できると思うなよ!』

「やるぅ!」


 高らかに宣言し、その顔は意気に満ちていた。
 このNPC、ノリノリである。 
 固そうな口調も案外キャラを作っているだけかもしれない。
 なかなかにキレた行為だがなんだか面白く煽ってしまった。


『妾ヲ足蹴ニィッ! 何タル不遜! 何タル無礼!』


 汚された顔を手で払いながら激昂をする。自分より劣っていると思う存在にここまでコケにされて土蜘蛛姫の内心は、どろどろのマグマのように滾っているに違いない。
 にぃ、と玄武はこちらに歯を見せ笑いながら、顔を蹴られ逆上した土蜘蛛姫の執拗な猛反撃を手に持つ大盾で凌ぐ。その一発一発が車が衝突するほどの威力を秘めていたが、巧みにあしらい続ける。
 私なら無理だ。刀で防ごうにもそのまま吹っ飛ばされる未来しか浮かばない。
 
 さすがにこうなってくると防ぐのに終始しなければならないけれど、大きさの違う巨大な相手を前に一歩も引けを取らないその姿は頼れるタンクそのものだった。
 合い間合い間に後ろから景保さんの回復や援護も途切れない。
 私はその隙に側面や背後に回りこみ、手の届く範囲をめった斬りにする。
 忍者はヘイトが少ない場合、『忍の急襲』というスキルで背面からの攻撃が1.5倍になる。三人しかいないこの状況ではヘイトが規定値までなかなか下がらないけどきっちり狙っていきたいところだ。
  
 これなら本当にいけるかもしれない。
 タップして巻物を出す。


「―【雷遁】魔雷蛇まらいじゃ―」


 召喚したのはトレントすらも一飲みにしたあの巨大雷蛇。
 バチバチと盛大に放電現象を放出させながらあのときのようにぬっと姿を現し、土蜘蛛姫に向かって大きく口を開けて威嚇をする。
 それを見て土蜘蛛姫の眉間に皺がいったように見えた。


「このまま畳み掛けます! 一旦離れて!」

『応!』


 私の声に反応してすかさず玄武が後退し、景保さんを守りつつ後ろに下がる。
 仲間を攻撃フレンドリーファイアなんて一番やっちゃいけないことだからね。対応が素早くて助かる。


「お願い!」


 号令の指示に雷蛇は俊敏に従う。鱗の腹板を地面に引っ掛けその大きさから一度でかなり距離が縮まる。そして自分よりも小さい獲物に向かって一気にしなやかな体を用いて襲い掛かった。
 通常の蛇だと大きさにもよるが噛み付く速度は0.1秒で時速百キロに到達するという。
 この人間を超越した肉体でも、あの巨体が百キロを超える速さで攻撃してくるとなると避けられる自信がない。
 それは土蜘蛛姫も同じだったようで、瞬く間に胴体を噛み付かれ、抵抗できないように胴体を締め付けられる。


『ギャアァァァァァァァl!!!』


 雷撃と巻きつきと噛み付きの三重苦に、思わず耳を塞ぎたくなる土蜘蛛姫の想像を絶するような悲鳴が迸った。
 良くも悪くもそれは長く続かない。感電する土蜘蛛姫を雷蛇が頭上からすっぽりと食らいトレントと同じ結末を辿ったからだ。
 即座に悲鳴が聞こえなくなり、おかげで静寂が戻る。 


「え、これで終わり?」


 景保さんのすっとんきょうな変な声が後ろから聞こえてくる。
 と言っても私も同意見だ。さすがに呆気なさすぎて最大級の警戒をしていた自分が恥ずかしくなってくるほど。
 けれど、
 
 
「え?」 


 バチバチと雷が弾ける音に混じって不快な不協和音が聴こえてくる。
 それはどこか肉を無理やり引き裂くようなおぞましさを連想させた。
 ただしその原因を考える時間はもう無かった。


『キィィィィィィィィィィ!!!』


 雷蛇の突然の絶叫。
 腹はぴんと張り、その代わりに頭部は痛みに耐えるみたいにぶんぶんと高速に大きく振れ悶える。
 あまりの出来事に頭の中が真っ白になって、魔雷蛇が激痛にのたうち回るのをただただ呆然と眺めるしかできなかった。
 だが徐々に湧き上がる悪寒は強くなり、ついにその腹が生々しく裂ける。
 私の開いた瞳孔には、内から腹を食い破るかのようにして出てきた土蜘蛛姫とその嗜虐的な笑みが焼きついた。
 生物を灼く危険極まりない放電すらも魔性の彩りに映える程度にしかなっておらず、背筋が寒くなり血も凍るような凄惨な光景がそこにはあった。

 腹部を引き裂かれ致命傷を負わされた雷蛇は、その場から最初からいなかったのごとく消え去る。
 対比する土蜘蛛姫の雷に焼かれ巨牙に貫かれた肌は、完全に修復され見た目はすでに無傷。さらには今までの感情的だった表情が急に興味を失くしたみたいに真顔になっていた。それは大波が来る前に波が引いていくときのような前触れを連想させる。


『ソロソロ茶番ハ終ワリダ!』


 土蜘蛛姫がこちらにターゲットを決め猛襲してくる。
 体はなんとか動いた。次々と繰り出される足や爪を回避していく。でも正直今見たものがショック過ぎて頭が回らなかった。

 その間に、また溜めの姿勢を見せてくる。
 さっきので大体の間合いは把握していたから、回転攻撃を感知して硬直を狙って攻撃のチャンスが生まれるギリギリの位置に下がった。

 予測通り顔に当たるギリギリのところを脚が掠めていき、モーションが終わるのを確認してから踏み出――せなかった。

 あれ? 足が動かない!? 
 つんのめって思わず頭からこけそうになった。
 即座に足元に顔を傾けると、地面に白い粘着質の塊が引っ付いていた。


『カカカ、マンマト掛カリオッタワ。知ッテイルカ? 希望トイウ光ガ強イホド、絶望トイウ陰影ガ濃クナル。勝テルト錯覚シタカ? 良イ夢ハ見レタカ? 妾ノ演技ハ見事デアッタロウ?』

「え、嘘? これって糸? こんな行動パターン知らない!」


 白面が冷笑する。
 今の回転攻撃の最中に、いつの間にか糸を撒き散らしたみたいだった。
 演技ってなんだ? まさかこれまでの攻撃パターンが全て演技だったってこと?
 
 思いっきり剥がそうと足を引っ張ってみてもゆっくりとしか動いてくれない。
 急速に血の気が引く感覚が体中を巡る。


『あーちゃん!』


 豆太郎の穏やかでない注意喚起が耳に刺さり無我夢中で顔を上げると、そこには巨大な足がもう手の届く間近にあった。
 四本の足を地面に突き刺し軸にして、超重量級のボディを支え振り抜く蹴り技。人間で言うところの足刀蹴りだ。
 数百キロはある体躯をしならせ、全体重を乗せた激烈な打撃がもう迫っていた。
 総毛立つような感覚に見舞われ、


『潰レロ虫ケラ、疾ク去ヌガヨイ!』


 ――咄嗟に手を振り上げる。


「――ぁっ!!」


 轟、と鼓膜に風が荒々しく吹きすさぶ音が聴こえたかと思ったら、もう天地が逆さになったように視界には紅い空しか映らなかった。
 状況を把握する前に体が吹っ飛び、直後に背中や後頭部に何かがぶつかり肉が潰れ骨まで軋むような特大の衝撃が全身を襲った。


「かはっ!」


 肺が圧迫され一気に中の空気がもっていかれて息ができない。口からは血塊が飛び出し地面を染める。
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