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1章 見知らぬ世界にくの一'葵’見参!

17 死に至る絶望

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 翌朝、山を背に朝日が昇る頃には全員の準備が整っていた。
 時間的に捕まった仲間たちの体力はそろそろ限界で、何度も行った奪還作戦は失敗を繰り返し、たった二人だけどそこに現れた私たちという強力な援軍に士気は上がっている。
 

「これを逃したらもう後がない。あのくそったれな蜘蛛どもから仲間を取り戻すぞ! 絶対に成功させろ!!」

「「「おう!!!」」」


 ジ・ジャジさんの号令で作戦はスタートした。
 今回、チームを三つに別ける手はずになっている。 

 一つ目は村の外で蜘蛛軍団を引き付ける囮役。
 昨日、私があれだけ倒したにも関わらず蜘蛛はまだまだ出てくるらしい。
 無限とも思える数をできる限り陽動するのが役目だ。
 これは景保さんタマちゃんチームで行う。

 二つ目は陽動で手薄になった隙に村に侵入し、糸巻き状態になった人たちを助けるチームだ。
 正直、オリビアさんたちはまだしも村の人たちはもう生きていないだろうけど、その確認もしなければならない。
 これに私と豆太郎に、気心も知れたミーシャとアレンが同行する。

 三つ目は馬車で突入する班だ。
 私たちが先行して蜘蛛の目を逃れて仲間たちを救出したところに、一気に飛び込んできて荷台に乗せて運び去るのが仕事。
 もし途中で私たちが見つかった場合は、私たちが陽動班となって村の中で彼らが救出して逃げるまでの時間稼ぎもする。
 一応失敗した場合の二段構えだ。
 これにはブラッドビーストのジ・ジャジさんとリンクウッドさん、そしてファイアーストームのクロムウェルさんが担当。

 ぶっちゃけ、囮役が少なすぎるという意見もあったんだけど、タマちゃんに大ムカデに変化してもらうと大口を開けたみんなはそれで納得をした。
 ちなみに『変化』は課金で能力開放したお供に付与されるスキルで、今までに倒した雑魚敵に変身できるというもの。無課金の豆太郎にはできない。ごめんね豆太郎。
 

「お前の故郷ってどこなんだかすげぇ気になるわ」

「教えられないんだよねぇ」

「なんでだよ?」

「私にも分からないから」

「はぁ?」


 景保さんたちは村の西側から引き付けるので、私たちは南にぐるっと回ってやや東寄りから入る予定だ。さらに後ろには馬車組もいる。
 遮蔽物があまり無い草原なので気持ち腰を低くして接近している最中で、緊張しないようやや声を潜めつつ軽口を叩いていた。
 

「あんな小さな狐娘が大ムカデに変身するなんて魔術聞いたこともないわ。これ雷の蛇出したときのオリビアがあんたに言った台詞だけどね」

「色々と特殊な事情があってね。ひょっとしたら私たちレベルのがあと何人かその辺うろついているかもしれないけど」

「化物集団かよ……」


 その感想も頷ける。
 私がそっちの立場だったら似た反応をするしかないだろう。
 だけど今は呆けている場合じゃない。
 目を凝らすと村に近付く景保さんチームに動きがあった。


「始まるみたいだよ」


 遠くからでもタマちゃんが大ムカデに変化したのが確認できた。
 そしてその前方、村からは止め処なく蜘蛛の集団が彼女たちに向かっていく。
 まるで蜘蛛の絨毯じゅうたんだ。もしくは氾濫する河川か。
 虫がわらわらとする光景はおぞましく、ミーシャなんかは顔色が悪そうにしている。

 それは見た目の気味の悪さからだけではなく、その圧倒的数量による無感情で無慈悲な行動によるものも入っていると思う。
 恐怖を知らない人形のような兵隊たちは無尽蔵に、そしてがむしゃらに八本脚を使って数で押し潰そうとやってくる。
 どれだけ倒しても尽きることのないあのハンターたちに狙われれば、常人であれば数秒と保たずに殺到され餌食となるのだ。
 あいつらはある一定の距離まで逃げると興味を失ったみたいに去っていくらしいが、それが無ければすでに全滅していただろうと生き残った全員が身を縮め語っていた。
 きっと今その恐怖体験を思い出しているに違いない。


「本当に二人で大丈夫かしら?」

 
 タマちゃんの変化能力は確認しても、それでも未だ信じきれていないミーシャは疑わしそうに目を細める。
 まぁ元があんな可愛らしい幼女だし、景保さんもいかにもな優男って感じだからね。
 だけど見所はここからだった。
 
 景保さんが符札を投げると地面から特大の氷の柱がせり上がり砕け散る。
 するとそこから体は大きな蛇のようで四つの足があり、二本の角は天を貫くかの如く立派にそびえ立ち、ひげは格を象徴するかのように悠然と風に揺れ、全身が硬質的な鱗に覆われている伝説の四神の一角である『青龍』が威風堂々と現れ出でる。
 さらさらと粉雪みたいに割れた氷が吹雪く演出エフェクトは何度か見たことがあり、ここではさらに神がかっていた。 
 大和伝の知識を引っ張り出すと、


「―【青龍符】招来しょうらい―」


 大ムカデのタマちゃんに負けず劣らずのサイズの青龍が喚び出された。
 私は昨日も見たが、鋭い眼光で射抜くように眼前の虫けらたちを俯瞰ふかんする。

 召喚のメリットは二つある。
 一つは肉弾戦でも戦力になること。そしてもう一つは顕現した式神の系統の符術が強化されることだ。
 つまり青龍が司る氷系統の『青龍符』の威力がアップする。
 さらに今回はあの巨体が分かりやすい目印となるので囮役としても最適だろう。

 押し寄せてくる軍団に対して用意したのは多くの白い結晶体、氷塊だ。
 数十、あるいは百を越える氷の塊を意のままに空中に現出させ操る青龍。
 景保さんから指示をされるとそれらの質量を無情にも解き放った。
 凍てつくような弾丸があたかも横殴りの暴風雨のように発射される。


「確かあれは、―【青龍符せいりゅうふ雨霰あめあられ―」


 穿たれる氷はそのすべてが蜘蛛たちに致命的なダメージを与えていた。
 頭に当たれば風船でも割ったかのように粉砕し、胴体に命中すれば地面に串刺しにし命を奪い、足に掠れば激烈な衝撃と冷気で再起すら難しくさせる。
 生み出された氷たちは、侵食してくる蜘蛛の波をその場に瞬時に縫い付けていく。

 さらにそれで終わらない。
 撃ちつくしたと思ったら間髪いれずにまた青龍の周囲に同様の生成された氷弾が形成され飛来していった。
 強制的に足を止めさせられた蜘蛛の群れに再び容赦なく降り注ぎ、根こそぎ残らず絶命させていく。
 防ぐ術を持たない無防備な蜘蛛たちは、もはや狩られるどころか蹂躙されるだけの存在でしかなく、瞬き一つするごとにごっそりとその数を減らしていった。
 驚異的な殲滅力にただただ感嘆する他ない。

 大盤振る舞いのせいか、景保さんはSP精神力回復用のお茶をがぶ飲みしていた。
 召喚獣とSPを共用しているのであの量の精神力消費が全て自分に返ってくるせいだ。
 それにしてもゲームの時より火力が上がっているのは気のせいだろうか。
 
 氷はしばらくすると勝手に消えていくが、辺りは白いもやが掛かったみたいに凍え、こちらまで気温が低くなってきたように感じられて腕を思わず擦った。
 いや実際あそこ周辺は霜が草に付着してかなり寒そうだ。クーラー要らずで夏も便利そうだね。


「おーい、生きてますかー?」


 目も口もあんぐりと開けたアレンとミーシャの顔の前に手を振り意識を確かめる。
 やばい、イっちゃってるよこれ。
 肩を揺すって覚醒させる。


「な……」

「な?」

「なんだありゃ……」


 あの壮絶な光景を絶句して見入る、間抜けそうな面のアレンから出てきたのはそんな言葉だ。
 無理もないけど。大和伝では倒した敵は消えていくからどうとも思わなかったけど、血しぶきを撒き散らして大量生産されるあの死屍累々は正直えげつない。辺りを覆い隠す真っ白い霜柱のおかげでだいぶマシになっているのが救いか。
 
 これが後衛職の広範囲攻撃だ。相手がもっと強い敵であればまだしも、鎧袖一触の弱い魔物相手なら殲滅効率は後衛職がダントツになる。
 ある意味適材適所なんだけど、問題はSP精神力の回復力だ。ゲームならボタンを押してアイテムを使用するだけだったけど、今は直にお腹に入れないといけないので、どれだけお腹がたぷたぷ状態に耐えられるかといったところだろうか。
 もしかしてフードファイター的な、胃袋宇宙の後衛職がここでは一番強かったりして?


「まぁあれで小手調べって感じよ」

「うっそだろ!?」


 冗談はともかく、今は囮として注目されるために目立つ術を使用しているけど、そうしばらくしないうちに派手な技は抑え、省エネな近接戦に切り替えるはず。
 いくら後衛職でもステータス的には景保さんならあの蜘蛛くらい徒手空拳でも振り払える能力があるから、そうなったとしても安心だ。青龍とタマちゃんもいるしね。


「そんなことより、侵入するなら今がチャンスじゃない?」


 蜘蛛たちの数はさすがに最大時の数よりは減っていたが、それでもまだ散発的に現れていた。
 今も這い出して無限湧きする蜘蛛の正体に不可解さが増していく。


「お、おう。そうだな、行くぞ。ミーシャもいいな?」

「え、えぇ。あれは一旦忘れることにするわ」


 まだ衝撃から覚めやらぬ二人を伴って村へと向かった。

 できるだけ村の東側を茂みや木に隠れながらも迅速に進む。
 異変は無く昨日やって来た時と何も変わっておらず、むしろ何であんな蜘蛛に支配されているのか未だにミステリーですらある。
 遠くから時折聞こえる爆音はきっとタマちゃんや青龍の巨大質量を活かした攻撃だろう。
 
 広場までやってくるとそこら中、ぼこぼこになった穴から今も蜘蛛たちが量産されていた。
 
 
「あいつら一体何匹いるんだか」

「この世界って地面の下に魔物がいっぱい住んでいるの?」

「んなわきゃねぇ。俺たちも初めて見る現象だ。まるで――」


 そこで何かに気付いたアレンの口が止まる。
 視線が焦点が合っておらず彷徨い、自分で考え付いた答えに納得がいっていないようで不愉快そうだった。


「まるで何?」

「まるで……魔力溜まりのようだ」

「あぁ、なんかこの間言ってたね。魔物が生まれる場所で、潰そうとすると魔物が集まってくるって」

「でも違う、と思う。生まれてくるのは蜘蛛ばかりだし、周りから集まってくるっていう感じじゃない」

「似ているけど違うってこと? 地底にそれがあって封印が解けたとかありそうじゃない?」

「分からない。そんなのあり得ないはずだ。ちくしょう。何がなんだかさっぱりだ!」


 がしがしと乱暴に自分の頭を掻いてアイディアを搾り出そうとする。
 

「分からないことは後にして偉い人に考えさせておけばいいわ。今は教会に行ってオリビアたちを助ける方が先よ」


 キャラに似合わず至極真っ当な正論を唱えるミーシャが、完全にお手上げの様子だったアレンを諭す。
 彼女的には庇われたオリビアさんに負い目があって、考えてもよく分からない謎よりも、何より優先すべきなのは救出作業の方らしかった。
 モヤモヤとしたものは残るが、優先順位で言えば確かに答えの見えない議論をするより、作戦を進める方が遥かに有意義。今はその言葉通り後回しにするべきだ。

 それには同意だったのでアレンと頷き合いさらに教会へと向かう。
 目的を再確認し、意思統一をした私たちの足取りは自然と早くなる。


「急がないとね」

  
 ややあって幸いなことに蜘蛛と一度もエンカウントせずに教会まで辿り着けた。
 教会といっても建物の外観のほとんどが糸でぐるぐる巻きにされ、見るも無残な姿となっている。
 特徴的なのはやはり屋根の上の大きな繭の塊だ。明らかに何か良くないものを内包している。

 そして周辺には無造作に置かれた人間大の繭。その数は数十を越える。
 どうやっても馬車一台には入りきれない。
 

「とりあえず確認だ」


 アレンは神妙な面持ちで最も近くにあった繭にナイフを突き入れ慎重に引き裂く。
 思ったよりも抵抗感が無いらしく、ずぶずぶと刃が入るのはなかなかに怖く、中にいる人を傷つけずに表面だけ切り裂く姿はなかなかにドキドキした。

 やがて亀裂から覗けた顔は、紛れもなくオリビアさんだった。
 細やかなまつ毛に覆われた双眸は閉じられていて開かない。数日飲まず食わずなせいで、頬はこけ骨ばっていて意識は無いようだったけど、微かに肩が上下して息はしている。
 

「やった! 生きてるよ!」

「オリビア! オリビア! あぁ、良かった!!」


 感極まって口元を抑えるミーシャから涙が溢れた。
 ここまでずっと強張っていた全員の頬がようやく緩む。


「よし、他の繭も調べよう!」


 アレンの指示に従い他の繭も中身を確認していく。
 何個かは鎧を着込んでいたりしておそらく捕まった冒険者たちだと分かったのだが、それ以外の村人と思われる人たちはもう骨と皮だけになっていた。
 ただ絶食しただけでこうまではならない。おそらくこの差は捕まった日数と関係していると思う。それに冒険者たちの間でも違いがあった。
 いかにも戦士風の男たちの衰弱は激しく、魔法使いっぽい人は比較的マシで、オリビアさんもそっちに分類している。


「魔力を吸い取っていた?」


 そのことから疑問はそう帰結する。  


「詳しいことは分からないけど、たぶんそうかもしれない。あと一日遅かったらマジでやばかったかもな」

「まだ繭が残ってるけど、どうする?」


 並べ方は単純に古い順に奥から置いていかれたのか、すでに手前にあった冒険者たちの繭はすべて解放していた。数も確認済みだ。
 残るは大量の村人たちの遺体が残る繭だけだが、ミーシャの質問にアレンは戸惑い目を下に向ける。


「置いていくしかないでしょうね」

「そんな!?」


 アレンが言い辛そうだったので代わりに言ってあげた。異世界からきた私は、彼女たちよりほんの少しだけ引いてこの状況を冷静に見れる。
 冷たいようだけど、生きている見込みがほぼ無いのに全部開封していく時間は今の私たちにはない。


「いや、そうするしかないだろう。まだ生きている望みがあるなら何往復だってしてやるが、魔術の素質があるオリビアたちでもこの状態だ。村人たちの中にそういう人がいてもたぶん死んでいる。そもそも到着が遅かったんだ」


 最初から助けられる見込みが無かったと知って、アレンは悔しそうに繭の破片を足ですり潰した。
 

『あーちゃん、きたよ!』


 ここまで大人しかった豆太郎が私の忍者服の足のすそを引っ張る。
 振り返ると獣人のジ・ジャジさんが操る馬車がこっちに向かっているのが見えた。
 それなりに冒険者を長くやっていると馬の扱い方も覚えていくものらしい。

 たださすがに徒歩で忍んできた私たちとは違って車輪の音で勘付かれたのか、十数匹ほど追っ手が掛かっていた。


「豆太郎、あの後ろのお願いできる? あと他にも来たら全部倒して」

『いーよー!』


 軽い返事が挙がり、すぐに迎撃に向かってくれた。
 少し待つと入れ替わるように馬車が到着する。


「おう、お前ぇら無事か? 仲間は……生きてるな。よしっ! 首尾は上々じゃねぇか。すぐに荷台に積んで逃げるぞ」


 弾むジ・ジャジさんの言葉に傍に控えていた彼の仲間たちも動き出し、バケツリレーのような感じで荷台の中に冒険者たちを積み込んでいく。
 全部で十人。意識不明の容態だけど、あまり丁寧にも扱っていられない。
 さすがにこの人数が雑魚寝になると多少積み重ねても車内のスペースはほぼ埋まっていた。
 

「すまんが、村を離れて拠点の森にまで戻るまで、お前らは端っこにでも立って乗ってくれ」


 それに不満を言う人はこの中にはいない。それに一刻も早くここを去りたい気持ちはみんな同じだ。
 アレンとミーシャが乗り込もうとしていると、ふと視界の端にあるウィンドウに変化があった。
 押してみるとフレンド専用のビデオチャットが立ち上がる。
 忘れてたけどそういえばこういう機能もあったね。


『そっちの状況はどう? 道具の遠眼鏡で何となくは見えるんだけど、状況を教えて』

『こっちは仲間は救出しました。憔悴していますけど死人は無しです』

GJグッジョブだ! こっちは蜘蛛の追撃はまだ続いているけどだいぶ少なくなってきた。もちろん無傷だよ。そっちが逃げ切ったらチャットでもいいから合図お願い。僕も退散するよ』

『分かりました』

『あ、あとさ、今言うことじゃないんだけど、戦っているうちに思い出したことがある。考え過ぎかもしれないけど僕はこれと似たイベントを経験したことがあるんだ』

『何です?』


 こんな人質を取られたモンスターとの襲撃戦なんてどこで体験したのだろうか。
 気になる景保さんの続く言葉を待っていると、


『あーちゃん、こわいのがでてきた!!』

 
 豆太郎の危機感をにじませた最大級の警告が私の意識を引き戻した。


「なに!?」


 驚いてウィンドウから視線を外すと異変はすぐ近くで起きていた。
 教会のあの巨大な繭に尖ったものが突き刺さっていたのだ。
 否、それは内側から破られていた。

 一本、もがくように空気に晒された大きな足が見えた。
 それはすぐに二本、三本とまるで繭の中では窮屈で収まりきらないといった様子で姿を現していく。
 逃げなければいけないのに、誰もがその一挙手一投足を凝視して硬直する。

 あっという間に繭という安寧であった揺りかごを破り捨て、中から現れたのは巨大な蜘蛛だった。
 もちろんこれだけ蜘蛛がいてこれみよがしにあんなものがあれば、繭にはそれらをを従える首魁の蜘蛛がいるということはある程度予想は付いていた。
 ただ助け出した後で火遁を数発も当てれば倒せると思っていたんだけど……。
 
 その産声が蒼天の空に響く。


『キィィィィィィィアアァァァァァァァッァァ――――!!!』


 甲高く不安げになる声だった。
 聞くだけで足が震え心臓を鷲掴みにされたような錯覚に陥り、動いてもいないのにたちまち肌が粟立ち汗が噴き出す。
 ただの絶叫なのに空気を伝わり、それは物理的な干渉を私たちに与えてくる。

『【ステート異常:恐怖】レジスト抵抗成功』

 ピコン、と聞き慣れた効果音と一緒にそんなログが流れた。
 反射的に周りを確認すると、周囲にいた全員がまるでこの世の終わりのような色を失った顔で、ある者は顔を覆い必死に耐え、ある者は体中を引っかき回し錯乱し、ある者は口から泡を吹いて気絶していた。
 その誰もが感じているのは畏怖を通り越して絶望らしい。
 あるいは尋常ならざる濃厚な死の気配か。冒涜的でおぞましく直視するのもおこがましい。
 なのにある種の者からは崇拝すらされるべき超常の存在がそこにいた。
 

「うそっ! これってまさか!」


 慄然りつぜんとした。
 些細な抵抗とばかりに歯を食いしばりながら大蜘蛛を睨むと、蜘蛛の顔の上にあった仰け反った肉塊が立ち上がってきた。
 
 ほっそりとしたくびれ、色白を通り越して青白い気味が悪くなる白磁のような肌に、狂気染みた微笑をもらす女性の上半身が冗談のように異形な大蜘蛛の上にくっ付いている。
 それはいくつもある真ん丸い複眼を盛大に開け、自身を誇示するように大きく手を広げた。肌に当たる風の感触と自らの誕生に、率直に悦びを覚えているかに見える。
  
 記憶に衝撃が走った。
 私はあれを知っている! この現象を経験したことがある。なのに脳が理解を拒む。
 西洋風にあれを言い表すと『アラクネ』だ。
 しかしながら決してそんな生易しいものではないことを私は深く認識している。

 まさかまさか、ここで再びまみえることになるとは思いもよらなかったが。
 あいつは大和伝のボスキャラ――


「――『土蜘蛛姫つちぐもひめ』」

『――『土蜘蛛姫つちぐもひめ』』


 私のたまげた呟きと画面越しに送信された景保さんの驚倒する声が同時に重なった。


「嘘、なんでここに!?」


 あまりのショックにどうしていいものか計りかねる。
 あれは、あいつは!!

 お腹の中が気持ち悪くなるような突き抜ける焦燥に体が凍り付き動かない。
 すると、私の脇を駆け抜けていく人物がいた。
 

「あひゃひゃひゃひゃ、あはははは、もうおしまいだおしまいだーーー!! うひひひひ!!」


 自分の顔に爪を立てていたファイヤーストームのクロムウェルさんが、私に生まれた意識の間隙の隙間を通って武器を振り回し土蜘蛛姫に急突撃を開始する。
 目に焦点が合っていなく口から唾が零れ頬は痙攣を起こすほど引きつり、異常なまでに興奮していて明らかに正気ではない。
 抗いがたい恐怖に心が壊れたらしい。
 

『――』

「ちょっ!?」


 その奇行に土蜘蛛姫が無言で反応した。
 教会の屋根の上にいたそいつは軽々と飛び降り、私たちよりも遥かに巨大な体格なのに着地音を一切立てずに地に醜怪な八本の脚を踏み付ける。
 ざっくり大型トレーラー並みの見上げるような体躯で威圧感は半端無い。
 ぞわりと全身の毛が総毛立つ。

 大和伝でも体毛を帯びた八本の脚に、複数の感情の映らない瞳と怨念を抱いた幽鬼じみた女性の裸体という見た目は、生理的に耐え切れずにダメな人は戦闘中にも関わらず萎縮するほどだった。
 それがリアルに存在するというのは気圧されるものがある。
 

「うひゃひゃひゃ、あひひひひいひ、俺は、俺はぁぁぁぁ――がふっ」


 まるでつまらないものを見るかのような顔をした土蜘蛛姫が、その迫力ある禍々しい蜘蛛足で彼の鎧越しの腹部を苦もなく貫く。
 薄い鉄板など紙切れにも等しいのだとまざまざと見せつけられた。
 
 私の網膜には噴き出す鮮血が今もどくどくと服を真っ赤に染め上げ、数秒前まで動いていた人があたかも人形のようにがくりと力無く垂れ下がる光景が映し出される。 
 その様子を声を失い固唾を呑んで見ていることしかできなかった。
 
 ――脅威との戦いボス戦が始まる。
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