【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
221 / 225
第六章 宇津田姫

第22話 春を呼ぶ黒姫

しおりを挟む



 具親は溜息をついた。

「京でも外祖父が政を執り仕切り、縁のある子を猶子にするはよくある話。だから私は何とも言えない。だが、大抵は裏の話し合いで血を見ずに済ませる京に比べて、鎌倉はもっと性急なように感じられる。所と人によって考え方が違うのは仕方のないことだろう。鎌倉ではそれが正であり義であるなら、私には口出し出来ない。何処に生きるかは大抵は選べぬもの。だが」

 具親はそこで言葉を切ってトモを見た。

「お前は今なら京でも鎌倉でもどちらも選べる。お前は十四になった。京へ来て二年と少し。生まれとは違う環境に来て、精一杯学び、励んだ。大人になって良い頃だろう。何処で誰の元で元服し、どう生きるかはお前自身が選んで良いのではと私は思う。だが今夜は母上や弟らとよく話し合い、ゆっくりと考えて決めなさい」


 具親の言葉にトモは丁寧に床に両手を付き、額を床に擦り付けて礼を取った。

「義父上、有難う御座います。そうさせて頂きます」

 その姿を見てヒミカは悟った。トモは自分の手を離れたのだと。

 その夜は、トモとシゲ、ヨリ、カグヤ。鎌倉から共に逃げてきた顔を揃えて過ごす。


「母上、俺は鎌倉に帰ろうと思います」

 ヒミカは黙ってトモの目を見つめた。真っ直ぐな瞳。汚れなく意志の強そうな。

「父上の所に?」

 訊ねたシゲに、トモは首を横に振った。

「いや、とりあえずは呼ばれた通りに名越のお祖父上の所に行って元服して、それから父上の所へ。でも俺は負けないから。祖父上や父上が何を考えていても、俺を利用しようとしていても、俺は俺だ。納得のいかないことには断じて従わない。だから母上、お願いいたします。私が鎌倉に戻るのをお赦しください」

 先程と同じ丁寧な礼をするトモを見つめて、ヒミカは微笑んで頷いた。

「自分で決めた道なら、何があろうと乗り越えられましょう。大丈夫。貴方ならやりきれます。自信を持ってお行きなさい」

 昔に言われた言葉。あの時、父もこんな気持ちだったのだろうかと考えて、胸がきゅうと締め付けられるように感じる。

 ヒミカはトモの髪を整えてやり、褪せた青色の組紐を渡して黒の直垂を着せた。

「母上、これは?」

「あなたのお父上、江間義時殿の直垂と組紐です。直垂は京に入る時に母が羽織っていました。組紐はお預かりしていたもの。それらを父上に直にお返しして頂戴」

——御所でヒメコとヨリを隠そうとコシロ兄がそっと掛けてくれた黒い直垂。

 トモは黙って頷くとシゲに向かった。

「シゲ。俺は鎌倉に行く。でも、きっとまた京に戻ってくるから、それまで母上とヨリ、カグヤ。それから義父上とタスケにジスケを頼んだぞ。俺がいなくなったらお前が一番の兄になるんだからな。もう泣きべそかくんじゃねぇぞ」

 言ってシゲの肩を叩くとトモは立ち上がってヒミカに立礼した。

「では母上、鎌倉で見事勝利を収めて参ります」

 ヒミカは床に手を付いて額を床に付けた。

「ご武運を」

 何度、この言葉を口にしたことだろう。でも慣れない。無事でいて欲しい。笑顔でいて欲しい。武勲なんていらないから。
 

 外では具親が馬の手綱を引いて待っていた。

「義父上」

 声をかけたトモに具親は微笑んだ。

「行くのか」

「はい」

「お前は立派な大将になろう。母や弟らのことは私に任せ、存分に力を発揮して来い」

「はい!」


 手渡された手綱をしっかと握り、ひらりと馬に飛び乗ったトモの華奢な後ろ姿と風に靡く黒い直垂の裾。それを見て、何故具親が自分を、黒の姫『宇津田姫』と呼んだのかが分かった気がした。

「義父上!」

 トモが馬の首を廻らせて振り返る。

「俺、俯瞰のこと忘れないから!龍のことも。あと、刀を抜く時のことも!行って来ます!」

 大きく手を振るトモに、具親は笑顔で大きく手を振り返して叫んだ。

「気ぃ付けて行きやぁ」

 
 駆ける馬はすぐに遠く小さく見えなくなった。

 直後、手を振っていた具親がその場に膝をつく。急いで具親に駆け寄ったら、具親は蹲りながら大粒の涙を流していた。

「行って欲しゅうありまへんでした。やのに言えんかった」

 搾り出すように声を発した後、具親は叫んだ。

「トモ!」

 そのまま、地に額を付ける。

「寂しゅうてならん!なして、なして行くなと言えんかったんや!」

 ヒミカは具親の肩を抱いた。

「あの子には全て通じてますわ。あなたの寂しさも強い心も」

「そんなんどうでもええ。痛いんや。胸が苦しい。こんなん苦しいんか。哀しいて、寂しいて辛いんか。私は贅沢者の欲張りやったんやな。こんな苦しゅうて痛ぉて辛いの要らんわ。堪忍したってや」

 その場に拳を押し付けて慟哭する具親の背をヒミカは黙ってさすることしか出来なかった。


その時、歌が聞こえた気がした。

——痛いのいたいの、飛んで行け。痛いのいたいの、飛んで行け。


シゲもカグヤも突っ立ったまま泣きじゃくっていて誰も歌っていない。なのに聴こえる。

——痛いのいたいの、飛んで行け。痛いの痛いの、飛んでいけってば!

 ふわりとヒミカの背に当てられた小さな手。振り返れば 、静かに微笑むヨリの優しげな顔があった。その瞬間、ヒミカの目から涙がとめど無く零れ落ちた。

「ヨリ」

 ヒミカはヨリを抱き締めると顔を上げて天の龍に祈った。

「どうぞ。どうぞ護ってやって下さいませ」

 涙に滲んだ青い空には、西から東に向けて大きな虹が架かっていた。

「どうぞ鎌倉に、京に春を」

——皆が幸せでありますように。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄ですね。これでざまぁが出来るのね

いくみ
ファンタジー
パトリシアは卒業パーティーで婚約者の王子から婚約破棄を言い渡される。 しかし、これは、本人が待ちに待った結果である。さぁこれからどうやって私の13年を返して貰いましょうか。 覚悟して下さいませ王子様! 転生者嘗めないで下さいね。 追記 すみません短編予定でしたが、長くなりそうなので長編に変更させて頂きます。 モフモフも、追加させて頂きます。 よろしくお願いいたします。 カクヨム様でも連載を始めました。

エスとオー

ケイ・ナック
青春
五十代になったオレ(中村アキラ)は、アルバムを手にした時、今は疎遠になってしまった友人を思い出し、若い日を振り返ってみるのだった。 『エスとオー』、二人の友人を通して過ごした1980年代のあの頃。 そこにはいつも、素晴らしい洋楽が流れていた。 (KISS、エア・サプライ、ビリー・ジョエル、TOTO )

誰の代わりに愛されているのか知った私は優しい嘘に溺れていく

矢野りと
恋愛
彼がかつて愛した人は私の知っている人だった。 髪色、瞳の色、そして後ろ姿は私にとても似ている。 いいえ違う…、似ているのは彼女ではなく私だ。望まれて嫁いだから愛されているのかと思っていたけれども、それは間違いだと知ってしまった。 『私はただの身代わりだったのね…』 彼は変わらない。 いつも優しい言葉を紡いでくれる。 でも真実を知ってしまった私にはそれが嘘だと分かっているから…。

奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)

Anastasia
恋愛
 ”王道”外れた異世界転生物語。  チートもない。ありきたりな、魔法も魔術も魔物もいない。これまたありきたりな公爵令嬢でも、悪役令嬢でもない。ヒロインでもモブでもない。  ついでに言うが、これまた、あまりにありきたりな設定の喪女でもない。  それなのに、なぜ私が異世界転生者……?!  この世界で生きていかなければならない現実に、もう、立ち止まらない、後ろを振り向かない、前を進んで行くだけ!  セシル・ベルバートの異世界サバイバル。絶対に生き抜いて、生き延びてみせます! (本編概要)セシル・ヘルバートはノーウッド王国ヘルバート伯爵家の長女である。長く――無駄で――それでも必要だった7年をやーっと経て、嫌悪している侯爵家嫡男、ジョーランからの婚約破棄宣言で、待ちに待った婚約解消を勝ちとった。  17歳の最後の年である。  でも、セシルには秘密がある。  セシルは前世の記憶を持つ、異世界転生者、とういことだ。  “異世界転生者”の“王道”外れて、さっぱり理由が当てはまらない謎の状況。  なのに、なぜ、現世の私が異世界転生?!  なにがどう転んで異世界転生者になってしまったのかは知らないが、それでも、セシル・ヘルバートとして生きていかなければならない現実に、もう、立ち止まらない、後ろを振り向かない、前を進んで行くだけ!  それを指針に、セシルの異世界生活が始まる。第2の人生など――なぜ……?! としかいいようのない現状で、それでも、セシルの生きざまを懸けた人生の始まりである。  伯爵家領主に、政治に、戦に、隣国王国覇権争いに、そして、予想もしていなかった第2の人生に、怒涛のようなセシルの生がここに始まっていく! (今までは外部リンクでしたが、こちらにもアップしてみました。こちらで読めるように、などなど?)

王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】

霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。 辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。 王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。 8月4日 完結しました。

異世界の婚活イベントに巻き込まれて言葉が通じないままイヌ耳黒騎士に娶られてネコにされてしまいました。

篠崎笙
BL
高校の学園祭でジュリエット役をさせられた蘇芳は、突然舞台上に現れた犬耳のついた黒騎士姿の男、ゼノンに獣人しかいない異世界に攫われる。言葉は通じないが求婚が成立したと思ったゼノンは蘇芳を強引に抱いてツガイにしてしまう。翌朝、蘇芳には猫耳が生え、異世界の言葉がわかるようになっていた。そしてゼノンが異世界の国の王子で狼族だったと判明するが……。 

社畜だけど転移先の異世界で【ジョブ設定スキル】を駆使して世界滅亡の危機に立ち向かう ~【最強ハーレム】を築くまで、俺は止まらねぇからよぉ!~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
ファンタジー
 俺は社畜だ。  ふと気が付くと見知らぬ場所に立っていた。  諸々の情報を整理するに、ここはどうやら異世界のようである。  『ジョブ設定』や『ミッション』という概念があるあたり、俺がかつてやり込んだ『ソード&マジック・クロニクル』というVRMMOに酷似したシステムを持つ異世界のようだ。  俺に初期スキルとして与えられた『ジョブ設定』は、相当に便利そうだ。  このスキルを使えば可愛い女の子たちを強化することができる。  俺だけの最強ハーレムパーティを築くことも夢ではない。  え?  ああ、『ミッション』の件?  何か『30年後の世界滅亡を回避せよ』とか書いてあるな。  まだまだ先のことだし、実感が湧かない。  ハーレム作戦のついでに、ほどほどに取り組んでいくよ。  ……むっ!?  あれは……。  馬車がゴブリンの群れに追われている。  さっそく助けてやることにしよう。  美少女が乗っている気配も感じるしな!  俺を止めようとしてもムダだぜ?  最強ハーレムを築くまで、俺は止まらねぇからよぉ!  ※主人公陣営に死者や離反者は出ません。  ※主人公の精神的挫折はありません。

【完結】パーティに捨てられた泣き虫魔法使いは、ダンジョンの階層主に溺愛される

水都 ミナト
ファンタジー
【第二部あらすじ】  地上での戦いを終え、ダンジョンに戻ったエレインは、日々修行に明け暮れつつも、ホムラやアグニと平和な日々を送っていた。  ダンジョンで自分の居場所を見つけたエレインであるが、ホムラに対する気持ちの変化に戸惑いを覚えていた。ホムラもホムラで、エレイン特別な感情を抱きつつも、未だその感情の名を自覚してはいなかった。  そんな中、エレインはホムラの提案により上層階の攻略を開始した。新たな魔法を習得し、順調に階層を上がっていくエレインは、ダンジョンの森の中で狐の面を被った不思議な人物と出会う。  一方地上では、アレクに手を貸した闇魔法使いが暗躍を始めていた。その悪意の刃は、着実にエレインやホムラに忍び寄っていたーーー  狐の面の人物は何者なのか、闇魔法使いの狙いは何なのか、そしてエレインとホムラの関係はどうなるのか、是非お楽しみください! 【第一部あらすじ】  人気の新人パーティ『彗星の新人』の一員であったエレインは、ある日突然、仲間達によってダンジョンに捨てられた。  しかも、ボスの間にーーー  階層主の鬼神・ホムラによって拾われたエレインは、何故かホムラの元で住み込みで弟子入りすることになって!? 「お前、ちゃんとレベリングしてんのか?」 「レ、レベリング…?はっ!?忘れてました……ってめちゃめちゃ経験値貯まってる…!?」  パーティに虐げられてきたエレインの魔法の才能が、ダンジョンで開花する。  一方その頃、エレインを捨てたパーティは、調子が上がらずに苦戦を強いられていた…  今までの力の源が、エレインの補助魔法によるものだとも知らずにーーー ※【第一部タイトル】ダンジョンの階層主は、パーティに捨てられた泣き虫魔法使いに翻弄される ※第二部開始にあたり、二部仕様に改題。 ※色々と設定が甘いところがあるかと思いますが、広いお心で楽しんでいただけますと幸いです。 ※なろう様、カクヨム様でも公開しています。

処理中です...