【完結】姫の前

やまの龍

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第六章 宇津田姫

第8話 不思議

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 具親はヒミカに邸の中に入るよう促すと戸を閉めて蔀戸などを全て開け放ち、風を通して各部屋を案内してくれた。

「ああ。この一番奥の閉まってる部屋だけは妹の荷があるので開けないで下さい。あとは全てお好きなようにお使いいただけます。庭もお好みで変えて下さって構いませんので」

「でも妹さんがお戻りになって、お気を悪くなさいませんか?」

 ヒミカが尋ねたら具親は小さく首を横に振った。

「妹は戻って来ません」

「え?」

「体調を崩した時に一時的にと父母の元に戻ったのですが、もう永くないと言われて。だから良いのです」

 ヒミカは言葉を失った。

「妹は和歌に心を奪われ、命を削って取り組んでいた」

「命を?」

 具親は、ええと答えた後にそっと顔を背けた。

「和歌など。名など、後世に残ってもそれが何になると言うのでしょう。そんなものより大切なものがあった筈なのに」

 押し殺した声。

 やがて具親はフゥと息を吐いた。

「いやいや、変な話をして申し訳ない。さて、先ずはハタキからですね。さっさと終わらせて朝餉を食べに戻りましょう」


 具親は荒れていると言っていたが、僅かに埃が積もっていた程度で掃除はすぐに済んだ。

 具親の屋敷に戻ろうと思った時、シゲが駆けてきて具親の袖を引っ張った。

「佐殿、大変。あの部屋、赤さんの泣き声がする」

「あの部屋?」

「ほら、開けてはいけないって言ってた部屋」

「そんなまさか」

 具親はそう答えつつ、緊張した面持ちで部屋に向かった。

「申し申し。誰かいるのですか?」

 具親は恐々と声をかけて耳を澄ましているが応えはないようだ。でもシゲが戸に耳を当てたまま小さく声を上げた。

「ほら、泣いた」

「も、物の怪ではありませんか?」

 息を呑んで戸から離れた具親の代わりにヒミカが戸に耳をくっ付ける。

——ミュウ、ミュウ、フニャア。

 か細い泣き声が聴こえてくる。でも。

「これは仔猫の鳴き声じゃないかしら?」

「こ、子猫?」

 途端に具親がホッとした顔をした。

「まことに猫ですか?物の怪ではないのですね?」

 念を押す具親の顔が青ざめていて可笑しくなる。具親が不思議そうな顔をした。

「どうかしました?」

「いえ、佐殿は物の怪かと怯えておられたのですね」

 すると具親は至極真面目な顔で言った。

「そりゃあ物の怪は恐ろしいに決まっておじゃりまする。姫の前殿は物の怪が怖くあらしゃいませんのか?」

「ええ。私は物の怪、というより死霊なら特に怖くありません。その辺に沢山いらっしゃいますし」

 そう答えたら、具親はその大きな目を剥いて後ろに飛び退った。ヒミカは慌てて言い足す。

「あ、でも死霊は此方に邪気が無ければ寄って来ませんし平気ですよ。そういう意味なら野盗や野犬の方が私は恐ろしいです」

「寄ってこない?それはまことですか?」

 具親はそう言って首を竦め、オドオドと辺りを見回す。その様子にヒミカはつい噴き出してしまった。声を立てて笑うヒミカを具親はまた不思議そうな顔で見る。

「あ、ごめんなさい。私は祖母からそういう霊魂などが視える力を受け継いでいて、以前は巫女をしていたのです。でも貴方様は悪霊が寄り付かない性質たちのお人のようだから悪さもされにくいし、そういうモノが視えることもないでしょう」

「悪霊が寄らないタチ?それは護り刀のことですか?」

「いえ、そういうご気性という意味です。とにかく佐殿は大丈夫ですよ」

 具親は大きな目を更に大きく見開いてヒミカを見ていたが、漏れ聴こえてきた仔猫の鳴き声にハッと気付いたように戸から離れると襟を正して軽く咳払いした。

「ど、何処かの隙間から忍び込んで産んだのでしょうね。どうしましょうか?」

 問われ、鎌倉のタンポのことを思い出す。

「母猫が側に居るなら、そっとしておいてあげた方が良いかと思います。ある程度子育てを終えたら仔猫達と共に外に出て行くでしょう」

 下手に踏み込んだら母猫が子猫を置いて行ってしまうかも知れない。そう伝えようと思った時、トモが戸に手を掛けて開けようとした。

——ガタッ!

 戸が大きな音を立てる。でも開かない。

「こら、トモ!」

「だって赤さん猫見たいよぉ」

「駄目よ。母猫と子猫がはぐれたらどうするの?二度と会えなくなってしまうかも知れないのよ。それは可哀想でしょう?」

 そう言い聞かせたらトモは渋々顔で去って行った。

「いや、それにしても驚いた。やはり空き家にしていてはいけませんね」

「いえ、空き家だったから母猫は安心して仔猫を産めたのだと思います。有難う御座います」

 そう言ったら、具親は「私は何もしてないのですが」と頬をカリカリと掻いた。その様が不思議と幼く可愛らしく見えてヒミカはまた笑いそうになる。具親はヒミカを見下ろして首を軽く傾げた。


「貴女はまこと不思議な方ですね」

「え?」

「猫の立場でお礼を言ったり、物の怪を恐ろしくないと言ったり。物凄い怪力を見せるかと思えば、時に幼い少女のように無垢に笑う」

 じっと見つめられる視線が何故か痛い。

「でも、ふと花のように儚く消えてしまいそうで、夢でも見させられているような心地になる」

「夢?」

 繰り返したヒミカに、具親は首を横に振った。

「いえ、戯れ言です。お忘れを」


 それから具親は奥にいた母に向かって頭を下げた。

「では、私はこれで失礼します。食事や差し当たってすぐに必要そうな物などは家人らに運ばせますので、安心してお寛ぎください」

 そう言って去ろうとする具親をヒミカは追った。


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