【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
195 / 225
第五章 明石

第45話 お役目

しおりを挟む
「あれ。あんたら、どうしたんだい?こんな寒くなってきたのに御神渡りかい?ああ、もしかして京の方かね。やっぱり京の方々は信心深いんだねぇ。そんな綺麗な格好でさ」

 地元の漁師だろうか。村に入った所で声をかけられて、ヒメコは腕の中の一幡がガタガタと震えているのに気付いた。

「あ、ああ、寒いですね。ところで御神渡りって?」

「え、あんたら今渡って来たんだろ?何年かに一回、潮が引いて崖の横に小径が出来ることさ。私らは昔から御神渡りって呼んでるんだ。すぐ消えちまうからな」

「あ、は、はい。不思議でした。それにしても本当に寒い。申し訳ないのですが、この子に何か着せられるような着物を貸して貰えませんか?」

「いやぁ、京の方々にお貸し出來るようなそんな綺麗なものはうちにはねぇよ」

「では、そこの干し場に掛かっている鼠色のあれをこの紐と交換して下さいませんか?」

 一幡の髪を美しく結い上げていた紐をするりと外して漁師に渡す。こんな雅な髪型をしていたら目立ってしまって逃げ切れない。一幡の髪をぐしゃぐしゃにして、先程転んで汚れた手でその白い頰を汚す。

「でも、ありゃあうちの子のお古で、もうボロボロですよ。もちっと先に行けば長者さんの屋敷があるから、そこで何か」

  言って、男がそちらに向かいかけるのを押し留め、

「いえいえ、早くしないとこの子が風邪を引き込んでしまいますから」

 無理に紐を渡して古着を一幡に着せる。

「ああ、着丈はちょうど良い。ほな、おおきに。ありがとさんどした」

 無理に京風の言葉を真似て頭を下げ、一幡を抱えて歩き出す。

 でも、これからどうすればいいのだろう?コシロ兄は比企攻めの総大将だった。一幡を連れて江間には帰れない。その隣の比企の屋敷は既に北条の手に落ちているだろう。では、御所は?

 そうだ、御所に行こう。アサ姫に助けて貰うなら、御所に行く他ないのだから。すっかり暮れた路をボロを着た一幡と共に忍び歩く。

 御所は戦が終わった武者らが集っているようだった。だが、それは南の庭。ヒメコは一幡の手を引き、以前トモが教えてくれた抜け穴より御所の内へと入り、人気のない所を抜けて北の対屋の床下へと入り込む。一幡は何も喋らずに、ずるずると着物を引き摺りながら大人しくヒメコの後を付いてきた。幼いながらに異常を感じているだろうに、泣きもせず人形のように黙ったまま。余程怖いのだろうか。気の毒に思うが、今ヒメコが手を離したら、それこそどうなるかわからない。その時、床上で何人かの足音が聞こえて、腰を下ろす気配がした。

「一幡君は比企の館と共に火事でお亡くなりになりました」

 低い声。コシロ兄だ。

「嘘を申せ!」

 対して怒声を上げたのは北条時政か。

「嘘ではございません。一幡君の乳母が、館の前にて一幡君が最期に着ていた小袖が燃え落ちているのを確かめております」

「そんなもの、見せかけに決まっておろう。そなたの妻の比企の娘は何処にいるのだ?」

「私の妻は確かに比企の姫ですが、それがなんだと言うのです」

「加藤景廉が比企の館の前でそなたの妻と会ったと言っておる。また、女が子どもを抱えて逃げたのを見ている者があるのだ。隠し立てするなら、江間も比企能員の謀叛に加担したと見なすぞ」

「父上、何を仰っているのです!義時は比企攻めの総大将ではないですか。いい加減になされませ!何をそんなに怯えてらっしゃるのです?一幡は廃嫡して焼死した。千幡が将軍家を継ぐ。京にもそう伝えてあります。もう比企は滅んだ。他に何がお望みなのですか!」

「怯え?ふざけるな。私は念には念を入れたいだけだ。頼朝公もそうされていたではないか!後顧の憂のないようにな!」


 昂ぶる時政の声にヒメコは耳を塞ぎたくなる。頼朝がそうしていた?確かに命じていた。義高殿と静御前の子と。でも。

「では、佐殿なら一幡君を殺すと?」

 それはひどく静かな声だった。ヒメコの隣で一幡君がビクリと身体を震わせる。ヒメコはそっと一幡を抱き寄せた。コシロ兄の静かな声が続く。

「佐殿はご舎弟の九郎殿の子を殺せと確かに仰ったが、海に捨てただけだった」

「そ、それはどういう意味だ?生まれた男児が生きているということか?」

「わかりません。でも、念を入れる必要などないでしょう。そもそも我らのどこにそのような裁断が出来る力や権利があるのですか?北条、そして江間は、貴種である頼朝公のお血筋の将軍家をお支えするのが、そのお役目。北条の中で唯一そのような人の生死を定める権限を有すると言えるのは、頼朝公の後家である尼御台様だけです。私は尼御台様のご命令なればこそ比企の討伐に当たった。幼い主君を推し立て、権力を我が手に握ろうとする外祖父は京にもいるが、鎌倉にもいる。それだけのこと」

 そこで暫し言葉が止まる。

「だが、人としてあまりに道を外れた措置は、後々我が身に災厄となって戻って来ますぞ」

 それは、ヒメコが初めて聞く、コシロ兄のひどく冷たい声だった。

「小四郎!そなた、私を威すつもりか。父を当て擦るとは何ごとぞ!私が千幡君の外祖父として権力を握ると言いたいか!」

「父上が千幡君の外祖父なのは事実。大切なのは、その立場を利用して何をやるかでしょう。良い計らいであればいいが、人のそしりを受けるようなことをなさるのならば、と言ってるだけです」

「な、何だと!父を馬鹿にするとは許さぬぞ!そなたなど」

 床上で続く父子の対決。ヒメコは震えながら一幡を抱いてそれを聞いていた。
 が、その時、足元をモゾリと這うもの。
「ヒッ!」
 思わず息を呑んでしまう。慌てて口を抑えてパッパッと足を払う。虫だろうか。床上に聞こえなかったかと気配を探る。でもコシロ兄の声が続いた。
「私など?なんだと仰るのです。気に入らぬなら、また無理な戦にでも追いやって見殺しにすれば良い。三郎兄上のように」

——え?

「小四郎!何が言いたい?私が三郎を殺したとでも言うのか。先にしっかり供養したではないか」

「供養したからそれで済んだと仰るのか」

「義時!貴様!」

「お止めなさい!」

  アサ姫の声が響く。

「そんな話は後にしてちょうだい。今はともかく千幡を将軍として立派に育てねばなりません。北条と江間と対立している時ではない。一刻も早く体制を整えなければ。義時、まずは姫御前を早く探し出し、私の前に連れてらっしゃい」

「かしこまりました」

「それから父上、比企の残党の処理は任せます。ですが、くれぐれもやり過ぎないよう。穏便に済ませて下さい。後々の為に。私の言う意味、お分かりですか?」

「意味?」

「ええ、勢い付いてこれ見よがしな罪状を作り上げて敵方となった者らの領土を奪おうとなさいませんよう」

「アサ!私がいつそのようなことを!」

「なさらぬのなら良いのです。では、頼みましたよ」

 そのアサ姫の言葉を区切りに床上から二つの足音が出て行った。

——アサ姫に助けて貰うなら、今だ。

 ヒメコは一幡の手を引いて床下を這い出た。

 が、その途端に口元を塞がれる。

——見つかった。

 慌てて一幡を引き寄せる。だが、覚えのある声が聞こえた。

「お前はまた、何をしようとしている」


 コシロ兄だった。

「あ、あの。尼御台さまにお助け願おうと思って」

 コシロ兄はチラと一幡を見てから、自分の直垂を脱いでヒメコに羽織らせて一幡を隠した。それから段を上り、中へと声をかける。

「尼御台様、連れて参りました」

 戸が開かれてアサ姫が姿を現す。

「ヒメコ、貴女」

 言いかけた言葉が止まる。ヒメコは一幡をそっと前に押し出した。

「その子は、一幡?」

 アサ姫の問いにヒメコは頷く。

「そう。でもどうしてそうとわかるの?」

 ヒメコはその言葉に少なからず驚く。アサ姫は自嘲気味に笑った。

「私はね、一幡に会うのは何年か振り。そう、頼朝公が亡くなる直前に頼家が赤子の一幡を連れて来て以来顔も見たことがないのよ」

———え?

「でも比企で乳母をしてた子から預かったのです。ただのお子ではない。だから」

「その子は名乗った?」

「え?」

「何か喋った?いいえ、何でもいい。声を出すのを貴女は聞いた?」

 言われて気付く。一幡は全く声を上げていない。馬から落ちた時でさえ泣きもしなかった。ヒメコは首を横に振る。

「そう。では、やはりその子が一幡なのでしょう。声の出ない子という噂は聞いてました。頼家と比企能員は隠そうとしていたけれど、五郎に命じて探らせていたの。そして噂通りだった」

———声の出ない子。

 ヒメコは前に立つ一幡の黒い艶やかな髪を見下ろす。それでずっと大人しかったのか。でも、こちらの言ってることは分かっているようだった。澄んだ賢そうな目をしていた。なのに……。

「声が出ない。それが、私が一幡より千幡を後継と定めた一番の理由よ。喋れない将軍ではお役目を果たせないから」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。 貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや…… 脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。 齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された—— ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

江戸時代改装計画 

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。 「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」  頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。  ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。  (何故だ、どうしてこうなった……!!)  自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。  トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。  ・アメリカ合衆国は満州国を承認  ・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲  ・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認  ・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い  ・アメリカ合衆国の軍備縮小  ・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃  ・アメリカ合衆国の移民法の撤廃  ・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと  確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

勇者の如く倒れよ ~ ドイツZ計画 巨大戦艦たちの宴

もろこし
歴史・時代
とある豪華客船の氷山事故をきっかけにして、第一次世界大戦前にレーダーとソナーが開発された世界のお話です。 潜水艦や航空機の脅威が激減したため、列強各国は超弩級戦艦の建造に走ります。史実では実現しなかったドイツのZ計画で生み出された巨艦たちの戦いと行く末をご覧ください。

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

暁のミッドウェー

三笠 陣
歴史・時代
 一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。  真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。  一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。  そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。  ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。  日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。  その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。 (※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)

処理中です...