【完結】姫の前

やまの龍

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第五章 明石

第43話 争乱

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屋敷に着いてからも暫くコシロ兄は黙ったままだった。子らの気配がない。それに、表に群れていた侍達の姿。戦支度だった。ここ江間の屋敷の前と、それから泰時の屋敷の前。

——戦が始まるのだ。

 恐らく子らは伊豆の江間に逃がされている。

異様な空気の中、やっとコシロ兄が口を開いた。

「尼御台様はご決断をされた。千慢君を次の将軍家として京に推挙することを。だから頼家公には伊豆の修善寺に隠居いただいた」

「隠居?」

 そんな穏やかな言葉では説明のつかない扱いだった。罪人のような。そう、罪人とされたのだろう。過去に源義経殿や範頼殿がそうとされたように。

「頼家公を捕縛し、修善寺に閉じ込めよとの尼御台様の沙汰があり、鎌倉の者らは全てそれで動き出している」

「尼御台様の沙汰?そんなまさか」

──腹を痛めた我が子なのに?

「幕府の文官、武官ら皆の合意の上での沙汰だ」

「皆?でも比企能員殿は?」

 彼がそんなことに同意する筈がない。

 コシロ兄は僅か黙ってから告げた。

「比企能員殿は亡くなられた」

「え?」

「比企は滅びる」


「比企が滅びる?」

滅びた、ではなく滅びる、と口にしたコシロ兄。

これから滅ぼすのだ、と識る。それで兵らが集っているのだ。コシロ兄が攻め滅ぼすのだろう。北条時政の命令で。そして、比企能員は殺されたのだろう。

流れがみえる。鎌倉を渦に飲み込む大きな流れ。

「比企に連なるものは全て罰せられる。だから」

そこで言葉が途切れる。



「京へゆけ」

「京へ?」

「鎌倉から逃げろ」

「逃げる」

 ぼんやりと繰り返す。コシロ兄は、とは聞けない。

「子らを連れて京へ行け!」

「京へ?」

コシロ兄は頷いた。

「父の手の及ばぬ所へ。頼家殿の手の及ばぬ所へ」

「頼家殿?」

 捕縛されたのに?でも、捕縛されたくらいで諦めるような人物ではない、それは思う。

 とすると、排斥された以上、殺されるのか。

 背が凍る。恐らく手を下すよう命じられるのはコシロ兄だろう。

──主殺し。

 コシロ兄は、そんな汚名まで着せられるのか。

──どうすれば。そう思えど、頭はクラクラと回るばかりで、どうにもしようがない。


「早く支度しろ!子らは伊豆のお義母上の元へと送らせてある。また京までも供は付ける。だが、京に入った以降は彼は戻らせる。京では大江親広殿を頼り、何処かに身を寄せろ。良い縁があれば、誰かに嫁げ」

「誰かに嫁ぐ?それは」

──どういうことなのか。

 コシロ兄は目を横に流した。それから歯を食い締め、きつく此方を見据える。

「ヒミカ。今日、今この時をもって、私はお前を離縁する」


「離縁」

頭をよぎる起請文のこと。結婚の前に、離縁せぬと神に誓った。コシロ兄は続けた。
神罰は全て私が受ける。だから」



「行け!」

 叫ばれる。

 あの時と同じだ。初めて比企に送ってくれた時。野盗に襲われ、攫われかけた。鏑矢を射てヒミカを逃したコシロ兄。

また逃がされるのか。何も出来ないのか。自分という存在は邪魔にしかならないのか。

「殿」

伸ばした手は、だけど受け止めて貰えない。


コシロ兄は一言、済まないと呟いた。絞り出したような声。

——俺は無力だ。そう言っていたのはいつだったろうか?

 コシロ兄はずっと戦い続けている。父親と。何かと。側に居て支えたいと思った。少しでも求めてくれるならば、と。でも——。

 北条と比企の戦であれば、自分の存在は支えどころか障りとなる。北条の息子と比企の娘。敵でしかないのだ。

比企の娘——。

その時、ヒメコはふと思い出して立ち上がった。重ねていた袿を脱ぎ捨てる。床を持ち上げて裸足のまま下り、そのま泰時の庭を突っ切り、表の通りへと抜ける。

 大路は鎧をつけた武者達が駆け巡っていた。ヒメコは小路を駆けて比企ヶ谷へと向かった。






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