【完結】姫の前

やまの龍

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第五章 明石

第39話 報復

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  目が覚めたらコシロ兄の顔があった。

「殿?」

 ここはどこだったろうかと記憶を辿る。目を彷徨わせたらシゲとトモの顔が並んでいた。

「トモ。シゲ」

 呼び掛けたら二人の顔がクシャッと歪んだ。

「母上ぇ」

 ふぇえんと泣きつく二人の頭に手を伸ばす。

「ごめんね」

 それからコシロ兄に目を戻す。

「ごめんなさい」

 コシロ兄は黙ったまま首を横に振った。

「ずっと意識が戻らないままだったのよ」

 母の声がどこかから聞こえる。首を動かしたら、足元の方にいた。

「ずっと?」

「出血はさほどでもなかったのだけれど、熱が出て水も殆ど摂れなかったのよ」

——そうだ。頼家が突然訪れて、ヒメコは近習らと揉めたのだった。

 徐々に戻る記憶。

「あ、あの。火事は?消えたのですか?」

 その問いに答えたのは阿波局だった。ひょこりと横から顔を出してにっと笑う。

「勿論よ。あれはわざと炊事場にボヤを出して見せたの。奴らを追い出したかったから」

「そうでしたか。阿波局様がご無事で良かった」

 そう声を上げたら、阿波局は苦笑いした。

「でも貴女が無事じゃないわ。騒ぎが聞こえたから戸の隙間から覗いたら将軍家ご一行が屋敷内に入って行くじゃない。これはまずいと辺りを見回したら馬番で残されてた五郎を見つけて呼びつけて、火事だと叫ばせたのよ。でももっと早く動けば良かった。私ばかり隠れていてごめんなさいね」

 ヒメコは首を横に振った。

「いいえ。阿波局様のおかげで助かりました。でなければ、今頃拐われていたかも知れません」

 阿波局は鼻に皺を寄せた。

「まぁ、なんて執念深いんでしょう。だから苦労したことのない男って困るわ。他人の物まで欲しがるのだから。小四郎兄、負けちゃ駄目よ」

 コシロ兄は黙ったままヒメコの足の方を見ていた。でも、その目に暗い陰が宿っているのに気付く。手を伸ばしてコシロ兄の固く握った拳へと手を乗せて微笑んだ。

「殿、来てくださってありがとうございました。私はもう平気です。それよりも阿野全成様はご無事でしょうか?」

 コシロ兄はつと息を止めた後に目を横に流して答えた。

「常陸国に配流と決まった」

「配流?取り調べも何も無しに、ですか?」

 阿波局に目を向けたら、既にコシロ兄から聞いていたのだろう。彼女はそっと目を落とした。

「父や姉、文官らの諌めを振り切っての将軍の独断だった。そして文官らに書類を作らせると将軍様は狩へ出掛けられた。そしてこの江間に立ち寄ったのだ」

——あ。

 ヒメコは比企弥四郎の言葉を思い出した。

「将軍様に歯向かうなら、翻意ありとして阿野全成のように拘禁して、配流、処刑させるぞ」

 あの時点で、もう、そうすると将軍は決めて近習らにそう言っていたのに違いない。とすると、阿野全成殿は配流後に処刑されてしまう。

「殿」

 ヒメコは身体を起こした。コシロ兄が止めようとするが、無理に起き上がる。

「阿野様が実際に送られてしまう前に奪い返して下さいませ」

 コシロ兄の目が大きく開く。

「処刑されてしまいます。比企弥四郎はそう言ってました。配流して処刑すると」

「そんな」

手を付く阿波局の隣でコシロ兄が唇を噛み締めた。

「有り得るな。範頼殿や安田殿がそうだった。配流されてすぐに断罪された。その前列があると言って実行するのだろう。そう言われたら文官らは止められない。庇えば同罪にされる。手が出せない」

「でも!」

 声を上げたヒメコの肩に手を乗せたのは阿波局だった。

「いいの。覚悟してたわ。殿も私も」

「でも!」

 あくまで抗おうとするヒメコに阿波局は微笑んで言った。

「そうね。許せないわ。でも最期の言葉は交わせた。姫御前のお陰よ。それに私には四郎と、そして千幡君が居る」

 そうしてコシロ兄に向かう。

「小四郎兄上、有難う。殿のことは流れに任せて。殿の為に江間や北条が立場を悪くするようなことは避けてちょうだい」

「阿波局様」

 何と言っていいのか、ただ呼び掛けたヒメコの前で阿波局はその目にグッと力を入れた。

「だって、ここから私は江間と北条の力を借りて報復してやるのだから」

 その目に宿る青白い怒りの炎。

「比企の奴らの思い通りになんかさせないわ。千幡君は何が何でも守ってみせる」

 その場にいる皆は、ただ押し黙ってヒタヒタと庭の草木を叩く雨の音を聞いていた。

 翌日、コシロ兄は鎌倉へ戻って行った。

 屋敷を出る前、コシロ兄はヒメコの前で母に向かって頭を下げた。

「急ぎの使いを寄越してくださり、まことに有難うございました。彼女を危険に晒し、申し訳ありませんでした。また重ねて申し訳ないのですが、彼女と妹をどうか宜しくお願いいたします」

 言ってコシロ兄は立ち上がった。追って起き上がろうとしたヒメコの肩を母が押さえる。

「まだ動いてはいけません。もう少し眠って、きちんと重湯などが食べられるようになってからです」

 何を言っても聞かないだろう顔がそこにあった。ヒメコはそっと口の端を上げ、目でコシロ兄に礼を送る。それから母に目を向けた。

「殿に急使を送って下さったのね。有難う、母さま」

 すると母はこれみよがしに大きな溜め息を吐いた。

「だってお世話になってるし、一応婿殿なのだから仕方ないじゃない」

 それから、去って行ったコシロ兄の方に向かって、イーと口を横に開いた。

「まったくもう!だから私はこの結婚には反対したんですよ。駆け付けたはいいけど、心配そうな顔はしないし、殆んど喋らずにムスッとだんまりなままで愛想もなくって」

 ギャイギャイと文句をぶちまける母をヒメコは苦笑しながら見遣った。

「母さま、いつも心配をかけてばかりでごめんなさい」

 母はフンと横を向き、何かを話しているシマの声に答えるようにして部屋を出て行った。


 ——怪我も流産も誰のせいでもない。自分のせい。コシロ兄は心配してすぐに駆け付けてくれたのだろう。何も喋らなくてもその目を見れば、声を聞けばその心は伝わる。

 ヒメコは雨の中を出て行く馬の鎧の音を耳にしながら、また目を閉じた。早く身体を治して鎌倉に戻らなくては。そして御所に出仕しよう。

 でも、そう思うのは頼家と約束してしまったからなのか、阿波局の為なのか、コシロ兄や北条を護る為なのか、よく分からなくなっていた。ただ鎌倉へ行かなくては。それだけを思って、自分の身体へと意識を向ける。

 やがて、ヒメコがやっと床から起き上がれるようになった頃に文が届いた。コシロ兄からだった。

「阿野全成殿は常陸国に流される途中、下野国で八田知家の手によって誅殺された」

 北条や江間に取り戻されることを避ける為だろうか。阿野全成の処刑は頼家の独断によって速やかに為された。
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