【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
178 / 225
第五章 明石

第28話 混迷

しおりを挟む
 伊豆の江間では母やシマ、シンペイらが歓迎してくれた。殊に母はシゲを一目見るなり奪うようにして抱き上げた。

「まぁ、何て美しい姫なんでしょう!」

 男児と文で知らせたのに、とヒメコは肩を落とす。

「お祖母様、シゲは男の子だよ!俺の弟なの!」

 トモが母に飛びつく。

「まぁ、トモ!大きくおなりだこと」

飛びつかれた母がよろけるのを、シマが支えてくれる。

「お方様、よくいらっしゃいました。おかげさまで娘も元気に育っております」

 シマとシンペイの笑顔にヒメコも笑顔を返す。久々の江間は何も変わらなかった。それにホッとする。

 ちらと隣の北条の方を伺う。

「北条の方々は牧の方を始め、皆さま殆ど鎌倉においでで、残されているのは、この辺りに住まう家人と警護の者だけのようなので、お気になさらず平気ですよ」

 へぇと相槌を打っていたら、母が割り込んできた。

「牧の方なら、暫く留守にするわって仰ってたわよ。とても感じの良い方ね。私、あの方好きだわ」
  あっさりと言う母にヒメコは驚く。

「母さま、牧の方とお話をされたことがあるの?」

「ええ。此方にいらっしゃる時はよくお招きいただいてお喋りしてるわよ。牧の方は京の綺麗な小物を沢山お持ちで、それを紹介してくれるので楽しくて」

「へぇ」

 にこにこと無邪気に笑う母を見ながら思う。母は元々子どもっぽい性質だったが、父が亡くなった後、それがまた良い方に進んだようだった。きっとその邪気の無さが牧の方の気に入ったのだろう。素直に京の話に耳を傾けてくれる母の存在は、牧の方にとっても嬉しかったのかも知れない。

「頼時殿、送ってくれて有難う。貴方は少しは江間に居られるの?」

 頼時に問うたら、頼時は残念そうに首を横に振った。

「先の将軍様の四十九日の法要があるので、私は戻ります。父上もそれが済めば、きっとこちらにいらっしゃるでしょう」

 ヒメコは頷いた。頼時はシゲの頭を撫で、トモに向かった。

「トモ、父上と私が居ない間は、お前が江間の若殿だ。しっかとこの地と母上を守るのだぞ」

 トモは元気に返事をすると、任せとけと言わんばかりに胸を叩いた。

「兄上、鎌倉をお願いしますね」

 頼時は驚いたようにトモを見下ろす。慌ててヒメコが言い足した。

「あ、それは私の真似です。殿がお出かけになる時に、そうお見送りしたのを聞いていたのでしょう」

 そう言ったら、頼時は笑った。

「かしこまりました。しっかと努めて参ります」

 遠ざかる頼時の馬を眺めながら、遠く鎌倉の方角を見遣る。東の山の向こうには雲がかかっているようだった。

 だが、頼朝の四十九日の法要が済んだ頃になってもコシロ兄は帰らなかった。ただ文が一通届き、乙姫が病の為、もう少し鎌倉を離れられない旨が書かれていた。

 「乙姫様が?」


 女御宣下を受けて上洛するのではなかったのか?三幡姫は八幡姫と比べて体も強く、病の陰などなかったのに。アサ姫の心境を思うと食も進まなくなる。

 雨の降り始めた弥生の暖かな午後、コシロ兄が江間に戻って来た。

「来月より長く鎌倉に留められることになったので、その前にと暇を乞うて戻った」

「長く、ですか」

 気を付けたのだが、がっかりしたのが伝わってしまったのだろう。コシロ兄は、ああと頷いてヒメコを見た。

「済まない。数合わせの為だろうが、父に引っ張り込まれて政務に携わることになってしまった」

「政務に?」

「まぁ、それは御目出度う御座います」

 脇で聞いていた母が先に口を開くが、ヒメコはぼんやりしたままコシロ兄を見つめた。コシロ兄は釈然としない顔だった。でも逆らう事が許されなかったのだろう。ヒメコは頭を下げた。

「御目出度う御座います。大切なお役目、恙無く成し遂げられますよう」


 それから一呼吸置いてコシロ兄を見上げる。

「実は殿にお話したいことがあったのです。お腹にややこがおります。この秋に産まれる筈です。だから此度はお供出来ませんが、鎌倉が落ち着いたら、戻ってきて下さいませ」

 コシロ兄は目を見開いてヒメコを見た後に顔を綻ばした。

「そうか。次は竹姫か竹丸だったな。大事にして、無事に産んでくれ」

「はい。殿もどうか、ご無事で」

 コシロ兄はヒメコの腹に軽く触れてから母に頭を下げ、馬上の人となった。遠く見えなくなるまで手を振る。

「まぁ、竹姫だなんて地味で可哀想だわ。もう少し可愛らしい名を考えてましたのに」

 憤慨する母を宥めながら屋敷へ入る。

「亡き将軍様が付けて下さった名なのです。次の子は竹にせよ、と。きっと竹のようにすくすくと育ちます」

 母はそれでも何やら文句を言っていたが、ヒメコは腹をさすりながら素知らぬふりをした。

 コシロ兄は、父に引っ張り込まれたと言っていた。北条時政は千幡君の後ろ盾。頼家殿や一幡君の後ろ盾である比企能員との諍いにコシロ兄は巻き込まれつつあるのではないか。アサ姫はどうしているのか。不安は募るけれど、ヒメコには何も出来ない。この子を無事に産み、トモとシゲを立派に育てることだけが出来る唯一のことだった。

 夏に入った頃、鎌倉に大きな地震がある。伊豆はさほどでもなかったが、コシロ兄に付いていた尾藤の次郎が急ぎの使いとしてやって来て報告してくれた。

「建物はあちこち崩れましたが、皆さまご無事です」

 天変地異は悪政の為と言われる。政務に携わると言っていたコシロ兄のことが気にかかる。でも追ってコシロ兄からヒメコの腹の中の子を案じる文が届き、少し安堵する。

 だが七月に入り、阿波局からの文を開いたヒメコは読んでいて胸が苦しくなった。文には、ここ数ヶ月の鎌倉の様子が書かれていたのだが、三幡姫の急死と中原親能の出家、そして頼家の乱心など、信じたくないようなことばかりが綴られていた。

 三幡姫の病は急に悪化し、京から呼び寄せた医師が朱砂丸を献上したが効かずに医師は京へと逃げ帰り、その直後に姫は亡くなったという。亡骸の腫れ上がった瞼が可哀想だったとあった。

「朱砂丸」

 八幡姫の時と同じだ。でも瞼が腫れ上がるなど、毒薬でも塗ったかのように感じてしまう。京の医師に邪気があってか無くてかは分からない。でも三幡姫に朱砂丸は不要だったのではないか。中原の親能殿はどうしてそれを止められなかったのか。京で、鎌倉で一体何が起きているのか。そしてまた頼家殿のことも。

「殿は、安達景盛殿の愛妾を、景盛殿の留守を狙って近習らに攫わせて屋敷へと監禁し、誰も近寄らせずに寵愛しているらしいわ。貴女が鎌倉に居ないのは幸いしたわね。殿は貴女に執心されていたから。小四郎兄上はそれに気付いて貴女を隠したのかもしれないわ。とにかく今は鎌倉に戻って来ない方がいいわよ」

 文を読み終えてヒメコは心底肝を冷やした。

「何てことを」

 家臣の妻を無理矢理に攫って監禁するなんて。頼朝はそんなことはけっしてしなかった。どこか何かが狂い始めている。このままでは済まないだろう。

 安達景盛は藤九郎叔父の嫡男。ヒメコからは従兄弟にあたる。顔を合わせたことはないが、そんな酷いことをされて、黙ってこの後も忠誠を誓えるのだろうか?
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

江戸時代改装計画 

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。 「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」  頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。  ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。  (何故だ、どうしてこうなった……!!)  自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。  トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。  ・アメリカ合衆国は満州国を承認  ・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲  ・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認  ・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い  ・アメリカ合衆国の軍備縮小  ・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃  ・アメリカ合衆国の移民法の撤廃  ・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと  確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

我らの輝かしきとき ~拝啓、坂の上から~

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
講和内容の骨子は、以下の通りである。 一、日本の朝鮮半島に於ける優越権を認める。 二、日露両国の軍隊は、鉄道警備隊を除いて満州から撤退する。 三、ロシアは樺太を永久に日本へ譲渡する。 四、ロシアは東清鉄道の内、旅順-長春間の南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を日本へ譲渡する。 五、ロシアは関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)の租借権を日本へ譲渡する。 六、ロシアは沿海州沿岸の漁業権を日本人に与える。 そして、1907年7月30日のことである。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

暁のミッドウェー

三笠 陣
歴史・時代
 一九四二年七月五日、日本海軍はその空母戦力の総力を挙げて中部太平洋ミッドウェー島へと進撃していた。  真珠湾以来の歴戦の六空母、赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴が目指すのは、アメリカ海軍空母部隊の撃滅。  一方のアメリカ海軍は、暗号解読によって日本海軍の作戦を察知していた。  そしてアメリカ海軍もまた、太平洋にある空母部隊の総力を結集して日本艦隊の迎撃に向かう。  ミッドウェー沖で、レキシントン、サラトガ、ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネットが、日本艦隊を待ち構えていた。  日米数百機の航空機が入り乱れる激戦となった、日米初の空母決戦たるミッドウェー海戦。  その幕が、今まさに切って落とされようとしていた。 (※本作は、「小説家になろう」様にて連載中の同名の作品を転載したものです。)

勇者の如く倒れよ ~ ドイツZ計画 巨大戦艦たちの宴

もろこし
歴史・時代
とある豪華客船の氷山事故をきっかけにして、第一次世界大戦前にレーダーとソナーが開発された世界のお話です。 潜水艦や航空機の脅威が激減したため、列強各国は超弩級戦艦の建造に走ります。史実では実現しなかったドイツのZ計画で生み出された巨艦たちの戦いと行く末をご覧ください。

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

処理中です...