【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
123 / 225
第3章 鎌倉の石

第75話 起請文

しおりを挟む
 翌、六月はコシロ兄は新しく造られる永福寺の造営で殊に忙しかった。全ての采配を任されてしまったのだ。北条の四の姫が嫁いで義弟となっていた畠山重忠らが手伝い、その剛力で梁から棟からあっという間に建ててしまう。頼朝は喜んで皆々に褒美を与えた。

 そして七月、いよいよアサ姫の出産が近付き、アサ姫は浜御所と呼ばれる名越の北条館に入った。

 直後、京から報せが届く。頼朝が征夷大将軍に任じられたという。やがて続々とやって来る京からの勅使。頼朝は念願だった大将軍の地位をやっと手に入れたのだ。鎌倉は喜びに沸いた。京からの使者と、それを迎えて丁重にもてなす御家人らの華やかな饗宴の応酬。その興奮さめやらぬ八月の九日、昼前にアサ姫は男児を産んだ。コシロ兄ら有力御家人六人が護り刀を献上し、阿波局が乳付け役となった。男児はその名を千幡と名付けられる。

 重なる慶事に、鎌倉の町中至る所がお祭り騒ぎになった。

 だが、それから少ししたある日、御所にいたヒメコの元に名越にて千幡君の乳母をしている阿波局から急ぎの文が届く。若君誕生の祝い事が一段落ついたところで、コシロ兄が姫御前を正室として迎える期日について時政に相談をした所、反対されたというのだ。

 文によれば、

牧の方が「義時殿には京に縁ある姫を正室に」と言い出し、北条時政も「今更比企の姫を娶っても得なことはない」と答えたとのことだった。

 昨年末、北条時政と牧の方は「比企の方々とは今後もよしなに」と、そう言っていたのに。

 千幡君が産まれたからだろうか。ヒメコは背を何か冷たい物が走るのを感じた。

 文には続けて、

小四郎兄は、父に「比企と事を構えるつもりか」と凄んで見せたけれど、父はのらりくらりでどうにも如何わしい。

 こっそりと御所様に事の次第を伝えて何らかの対策を講じて貰うから覚悟しておいて、とあった。


 覚悟と言われても何をどう覚悟していいのか分からずに幾日か経ったある晴れた日、ヒメコは大広間に呼ばれた。

 その場にはコシロ兄や北条時政、比企能員、中原広元など、諸御家人、文官らがズラリと並んでいた。

 頼朝はヒメコをじっと見て口を開いた。

「姫御前、こちらの江間義時が姫御前を妻にと願っているそうだ。聞けば、この義時はここ一、二年、そなたに懸想して文を送っていたとのこと。義時は私の側近で家の子筆頭。大恩ある比企尼君の孫姫を正室として迎えるに申し分ない身である。よって、征夷大将軍たるこの私の命により、そなたは今晩早速、江間義時の正室として江間へ嫁げ」

「え、今晩?」

 いきなりの事にヒメコは絶句する。

「何か不服でもあるか?」

 頼朝に問われ、いいえと首を横に振りつつ、

「あ、あの、実は母が江間様との結婚を渋っておりまして」

嘘は言えずに小さくそう答える。コシロ兄がヒメコを振り返るのを申し訳なく感じながら頼朝の言葉を待つ。

「渋る理由は何だ?」

 頼朝に問われ、ヒメコは頭を下げた。

「はきとはわからないのですが、私が身体を壊して離縁されるのではないかと危惧していました」

 すると頼朝は、ふぅんと相槌を打った後、それは丁度良いと呟いた。

「義時、比企の姫と離縁せぬという起請文を今すぐ書け」

「起請文?」

 ヒメコは驚いて声を上げた。

 起請文とは神仏への誓い。戦での合力などに用いられ、約束を違えぬ証として重んじられていた。でも単なる婚姻に起請文を書くなど聞いたことがない。

 頼朝は頷いて続ける。

「そうだ。ここで今すぐ起請文を書け。誰か書くものを持て」

 頼朝の声に中原広元が立ち上がり、コシロ兄に紙と筆を手渡す。コシロ兄はその場で筆を走らせ、サッと風を当てて乾かすと丁寧に折り畳んで両掌に乗せ、ゆっくりと額の前に捧げ上げた。

 それを見た頼朝は立ち上がると段を下りてコシロ兄が掲げ上げた起請文を手に取り、北条時政の斜め前に立った。

「さて北条の舅殿、ご子息江間義時と比企の姫との縁組に異存は無かろうな?」

「はっ、無論で御座います」

 時政は手をついて大仰に頭を下げた。

 それからバッと顔を上げ、両の口の端を持ち上げて口を開く。

「将軍様直々のお声がかりとは誠に有り難き縁組。しかし今晩早速とは急なこと。急ぎ戻って支度を整えねばなりませぬ。では皆様方、私共はこれにて失礼致します」

 そう挨拶してコシロ兄を急き立て、広間を出て行く北条時政。頼朝も用は済んだとばかりにさっさと広間を後にした。

 残されたヒメコは呆然とする。

——え、今晩?そんなに急に?

 暫し呆けたヒメコだが、御家人衆、文官らの視線を感じて慌てて立ち上がると広間を抜け出た。

——どうしよう?

 フラつきかけるが、フラついてる場合でもない。頼朝が今晩と言ったのだから今晩なのだ。阿波局が言っていた覚悟とはこれのことかと思う。

 どうしようもこうしようもない。自ら望んだことが、ただ思いの外急に進んだだけ。

 ヒメコは与えられた部屋へと戻り、行李の中の文箱を取り出すと息を詰めてその蓋を開いた。中に収めてあった青の組紐を手に取り、固く握り締める。

 あんなに待ち望んでいたというのに、いざ話が進むとまるで実感が湧かない。
でも結婚とはそういうものなのかも知れない。このようにして前へ進んでいくものなのだろう。ヒメコはそう自分を納得させた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

処理中です...