【完結】姫の前

やまの龍

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第3章 鎌倉の石

第59話 待ち人

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 ヒメコは着替えて大姫の部屋へと向かった。

「あら、姫御前。もう平気なの?熱を出したって聞いたけど」

「はい、暫くお目にかかれず申し訳ございませんでした」

と、ニヤッと八幡姫が笑った。

「姫御前は摂津局にしごかれてるって聞いてたから平気よ。災難だったわね。あの人、面白いんだけれど声が大きくて話が長いんですもの。耳が疲れちゃう」

「あ、ええ。でも色々と学ばさせていただきました」

 そう答えたら八幡姫はふぅんと言って近くにあった布を二反手に取った。

「体調が戻ってからでいいのだけど、これを金剛と幸氏に。金剛のは濃い青の方ね。母上からよ。背が伸びたでしょうと。幸氏のは青緑の。今度また流鏑馬に出るらしいのだけれど、いつも地味な格好してるから、たまにはこういうのもいいと思って母上に布をいただいたの」

 幸氏用の一反は目に鮮やかな水浅葱色の淡い青緑だった。確かに海野幸氏はいつも鼠がかった地味な色の直垂が多かった。

「コシロ叔父様が地味だからその影響じゃないかしら。昔はもっと明るい色を着てたのに」

 昔とは義高の供として小御所に居た時のことだろう。ヒメコは布を大切に包むと小御所を出た。

 江間の屋敷の戸を叩く。顔を出したのはフジだった。

「まぁ、ヒメコ様。久しくおいでにならなかったので心配しておりましたのよ」

 ヒメコは頭を下げる。八重姫の弔いに訪れて以降、顔を出しにくくて中まで上がっていなかった。

「姫御前」

呼ばれて顔を上げる。

金剛君だった。

「何しに来たの?」

 冷たい声に胸を衝かれる。

「あの、金剛君。ヒメコ様は」

「わかってるよ。父上の正室になるんだろ?」

 その目が尖っている。ヒメコは息を呑んだ。

 金剛は鋭い目でヒメコを見上げて言った。

「いいよ、わかってる。でも今は入らないで。まだ母上の部屋には誰も入らないで欲しい。帰って」

 ヒメコは黙って下がった。戸口を出た所でフジが追いかけてくる。

「申し訳ありません。私がうっかり口にしてしまったのです。そうなるかもしれませんよ、と。そうなるといいなと思っておりましたので、つい。すぐというお話でないことはお伝えしたのですが」

 ヒメコは首を横に振るとフジに布を渡した。

「濃い青の一反は金剛君のもの。背がお伸びになったでしょうからと御台さまからです。また青緑は海野殿へと大姫様からです。流鏑馬用に仕立てて下さいませんか?」

 言って、邸を辞す。御所に向かって歩き出した所で足が止まった。

 コシロ兄がこちらに向かって歩いて来ていた。

 ヒメコは頭を下げて口を開いた。

「御文有難う御座いました。上洛のご準備が大変と聞いております。どうぞご無理なさいませんよう。私はここにてお待ちしております」

 そこで一呼吸置く。

「だから、コシロ兄もどうかお待ちください」

 コシロ兄が不思議そうな顔をしてヒメコを見る。ヒメコは微笑んでもう一度頭を下げた。

「どうかご無事でお戻りください」


 京は遠い。でも今はそれ以上に金剛の心が遠い。

 ヒメコは待とうと思った。コシロ兄にも待って貰おうと思っていた。金剛の心が安らぐのを。例えどれだけかかっても。
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