【完結】姫の前

やまの龍

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第3章 鎌倉の石

第58 話 女の道

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「防虫術?はい、しっかり覚えます」

 着物を守る為だろうか?いや、摂津局のこと。食べ物だろう。目を背けたくなる程気味の悪い虫の絵でも描いてあるのかもしれない。

「あの、誰か一緒に見て貰ったらあかんのですか?」

 言ってから、ハッと口を抑える。

「えと、あかんでなくて、いけないのですか?」

「一人で見るんが怖いんか?」

「え、ええ。はい」

 素直に頷いたら、摂津局は立ち上がった。

「ほな、あんたの部屋に行きましょ。一緒に見たるわ」

ホッとして包みを胸に抱いて歩いて行く。途中、数人の女官とすれ違う。ヒメコが抱えている布を見て、何故か皆ヒソヒソと肘を付き合い笑い合って駆けていく。

「あんたら、廊は駆けたらあかん。木ぃが傷む言うてるやろ。それより早よ夕餉の膳を下げぇや。遅ぅなったら灯りつけんとあかんくなる。油が勿体無いわ」

 女官達は軽やかに返事をしながら去って行ったが、もう一度振り返ってヒメコを見て笑い声をあげた。

 私、どこか変なのかしら?顔や髪を撫でてみる。ドンと後ろから摂津局が押してきた。

「ほれ、早よ入り。まだ灯り点けんでも何とか見れる。さっさと見てまお」

 摂津局に急かされて慌てて部屋に入り、戸を閉める。

 薄暗くはなっていたけれど確かにまだ一応何が描いてあるかは見える。でも。

「うっ」

開いた瞬間、ヒメコは気分が悪くなった。

「ああ。あんた、やっぱりこゆうの見んの初めてか」

そこに描かれていたのは裸の男女の絵。
 最初の数枚はまだ良かったが、中に人と思えないような体勢のものもあってヒメコは青くなった。

 虫の絵の方が良かった。そう思う。

気持ちが悪くなってそっと横を向いたら摂津局に叱られた。

「目ぇ背けるな言うたの忘れたんか?」

「わ、忘れてはいませんが、ちょっと卑猥ひわいが過ぎて気分が悪くなりまして。今日はご勘弁願えませんか?」

本当に吐きそうになり、袖で口元を押さえながらそう願う。だが摂津局は一喝した。

「卑猥やない!房中術は養生術や。夫を健康に長生きさせ、立派な子を授かる為に必要不可欠な陰陽の智慧や!これを会得せずに嫁入りするなんて、あんた、夫を早逝させたいんか?子が欲しくないんか?これを会得すりゃあ、夫は無駄な気を流すことなく、長生きしてこの世を調和に導く為のお働きに集中出来るんやで」

「調和?」

「そや。陰陽は男女。神話にも言うやん。足りぬものを余るもので埋めてやれと。あれや」

 イザナギノミコトとイザナミノミコトの神話だ。それはわかるけれど。

「それと調和とこれらの絵にどんな関係が?」

「男女の和合は双方が同じだけの気を練らねば陰陽の釣り合いが取れない。だが男は時に衝動に走りやすく快楽に溺れがち。やから女の方にそれを巧みに操りつつ、自らも楽しむ度量の大きさあって初めて房中術は成立するんや」

「はぁ」

 さっき皆が笑い合って去って行った理由がやっとわかる。皆、これが何かを知ってたのだ。

でも。
「破瓜は痛いと聞いたのに楽しいっておかしくないですか?」

「痛いはな、痒いや、こしょばい、熱い冷たいの仲間で、肌が感じるもんや。破瓜が痛いんは、自分の中に違うもん、相容れんもんが入ってくんのを阻む為に築かれとる頑丈な砦が無理にぶち壊されるから心身が衝撃を受けんねん。やから自分に受け入れる準備が整ってる、もしくは相手が砦を優しゅう切り崩してくれる場合には痛ない。でもって、肌が触れ合うを互いが心地良く楽しく感じられた時に男女の調和は成り立つ。そゆことや」
「へぇ」

そう言われたら、何となく調和という言葉は理解出来るような気がしてくる。
「ま、男と女はそんなもんなんやと思うねんけどな。妻となるとまた大変やねん。妻としていっちゃん大事なことは、子が出来ても夫をお日様と仰ぐんを忘れんようにすることや」
「お日様?」
「せや。女はどないしたって子が産まれると子が一番になる。夫は勝手言うわすぐ機嫌が悪なったり調子乗ったり色々めんどい。子ぉは血が繋がっとるし何考えてるかわかるけど、夫は元々が赤の他人やしな。よぅわからんし、たまに共におるんがしんどい時もある。でも、そゆ時は曇りや思うて我慢するしかない。その内に雲が行ってまえばまたお日さまが輝く。それを待つんや。調子良い時は頼りになるしな。やっぱり居らんとあかんねん。
やから房中術が大切なんや。女の一番は、家を守り、子を護り育てること。その土台たる夫と調和を取れて初めて家はしっかりと固まる。家が固まればその土地が固まり、世の中も治っていく。つまり、この世の初めにあるんが女が守る小さな家っつうことや。ええか?くれぐれも房中術を舐めたり目ぇ背けたりしたらあかんで!わかったな?」
「はぁ」
勢いに押されて頷いたものの、正直なところまたよくわからなくなった。大きな世の中の話なのか小さな家の話なのか、どちらだったんだろう?あちこちに飛んで行っては戻る話に、どこに行き着いて良いかわからないまま放っておかれた気分だった。ただ絵を見た時の印象が強過ぎて胸がモヤモヤとする。結局、女とは妻とは何でも受け入れろということなのだろうか?でも自分の芯はしっかりと持っとかんとあかんとも言ってた。どういうことだろうか?
何にせよ、取り敢えず冊子は一応見た。早く返してしまおう。
「あの、有難う御座いました。こちらはどちらにお戻ししたらいいでしょうか?」
尋ねるも、摂津局は白湯を水差から茶碗にジャッジャッと注ぎ、何杯かを一気に喉に流し込むとバッと立ち上がった。
「あかん!今夜はうちん人が酒呑む日ぃやった。ほな、気張りや!それらはまた明日返してな。次の子に見せたらんとあかんねん!」
言って、ドタドタと廊を駆けて行ってしまった。ミシミシと木が鳴る。
「え、え、あの!」
慌てて声をかけるも置いて行かれてしまう。
薄暗くなった部屋に残された冊子の開かれた絵にチラと目を落とす。
やっぱり虫みたい。
気分がまた悪くなり、慌てて冊子を閉じる。
どうしてこんなのが調和なのか。
わからない。わからないけれど、一つだけわかるのはヒメコはまだまだだということ。
女の道って険しいのね」

その夜、ヒメコは眠れずにまんじりと過ごし、気付いたら朝になっていた。でも身体が動かせず起き上がれない。高熱が出ていた。それから丸一日寝込んでやっと熱が下がる。

冊子は摂津局が取りに来てくれたらしく消えていた。


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