【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
100 / 225
第3章 鎌倉の石

第52話 江間の殿

しおりを挟む
 七月一日、鶴岡八幡宮で臨時の放生会が行なわれ、追って、駿河の富士の帝釈院に田地が寄進される。コシロ兄が現地に赴き、それを全て取り計らうことなり、ヒメコは巫女として神官の住吉らと共に同道した。

「これから行く所は院の領だそうだ。富士のお山の特に大切な霊域と言われた」

 並んで馬を走らせながらそう教わる。

「確かにとても大きな何かの力を感じます」

 ヒメコがそう言ったらコシロ兄はあからさまに嫌な顔をした。ヒメコが首を傾げたら

「今回は奥州平定の為の祈願の奉幣ほうへい。頼むからじっとしていてくれ」

 そう言われる。ヒメコは少しばかり機嫌を損ねたが、確かに奥州平定がならないと頼朝の戦は終わらないし、ヒメコもコシロ兄に望まれない。その場の神々しい空気にひどく心惹かれながらもヒメコは見ない振り、感じない振りをして時を過ごし、寄進は滞りなく済んだ。

 帰途、コシロ兄が三嶋大社に立ち寄る。面々で並んで改めて奥州平定の祈願をした。

「懐かしいですな。御所様が挙兵してより、もう八年ですか。北条の様子はお変わりないですかな」

 住吉の言葉にコシロ兄は軽く頷いた。

「父が北条の土地の北側に奥州平定祈願の為に御堂を建てている最中で今は多少煩いようですが、それ以外は全く変わっておりません。今宵は江間で休めるよう手筈を整えておりますので、手狭ですがどうぞお寛ぎください」

 案内され、北条の隣の江間の館に通される。ヒメコは初めての江間の館。質素でこじんまりとして、でも綺麗に磨かれた居心地の良い館だった。

 厩に馬を預けに寄ったら、あ、と馬番に声を上げられた。驚いて見返す。馬番は慌てて頭を下げた。

「失礼いたしました。殿、お帰りなさいませ」

 コシロ兄は自分の乗っていた馬の手綱を馬番に渡すとヒメコに向き直った。

「覚えてないか? シンペイだ。北条で見張りをしていたが、今は江間で働いてくれている」

「シンペイ?あ、もしかして見張り台の上に居た木登りの得意な子?」

 山木攻めの時に頼朝の命で高い木に登り、火が点くのを待ちながらうたた寝していた子。

「まぁ、驚きました」

 背が伸び、体も倍くらい大きくなっている。もうあれから八年も経つのだから当たり前なのだけれど、自分はそれに見合うだけ成長出来ているのかと思ってしまう。

「お方様の荷物はお部屋の方に運んでおきます」

 そう声をかけられ、慌てて手を振る。

「お方様?い、いえ私はまだお方様ではありません!」

つい大きな声を上げてしまってコシロ兄に睨まれる。

 住吉がこっそり笑っているのが見えて恥ずかしさに顔が真っ赤に染まる。適当にやり過ごせば良かったのかもしれない。

「失礼いたしました。てっきりそうかと思って」

頭を下げるシンペイに首をブンブン振ってコシロ兄と住吉の後について行く。

「すぐ近くに古奈の湯がありますので、宜しければ案内させましょう」

「ああ、いいですね」

「古奈の湯?」

「菖蒲御前ご出身の美人の湯とか。楽しみですな」

「へえ、美人の湯。いいですね」

 いいなぁと呟いた途端、コシロ兄が咳払いをする。住吉が口を開いた。

「姫御前は結婚後にご夫君といらっしゃると良い」

「え?」

「混浴ですから」

あ、そうか。ヒメコは今度は青くなってコシロ兄を見た。コシロ兄は向こうを向いていた。

 ヒメコはもうひたすら黙って大人しくしていようと思った。

「殿、お帰りなさいませ」

屋敷の前で頭を下げた青年にもどこか見覚えがある。どこでだっけ?そんなヒメコに気付いたのか、その青年が頭を下げて名乗ってくれた。

「河越次郎です」

 言われて比企の祖母の所で会ったのを思い出す。

「元服し、河越重時と名乗っております。今は江間の土地の警護に就いております」

「重時?」


 ふと、その名に仄かな温かみを感じたが、一瞬にして消えた。

 わからない。似た名前はある。河越氏の重の字にコシロ兄から時の字を貰ったのだろう。ヒメコは江間の屋敷の中に入り、奥の部屋へと通された。

 江間の空気は北条の空気と同じ。懐かしい山の匂い。

 夕餉の支度がされているのだろう。温かな汁の香りが漂ってくる。

「何か変わったことはなかったか?」

「はい、北条の大殿が御堂を建てられておられるので人や物の出入りは激しいですが、その分往来も賑やかになり、おかげで村も働き口が増えて潤っております」

 コシロ兄が頷く。と、河越次郎が、あの、と言い難そうに言葉を継いだ。

「奥州に赴かれるとか。私もお供に加えてお連れ頂けませんか?」

 コシロ兄は黙って暫く次郎を見たが、いや、と首を横に振った。

「今回は遠出になる。鎌倉に今居る者だけを連れて行くつもりだ。お前はここで江間を守ってくれ。近く、供として連れて行けるようになろう。それまで江間を頼む」

 次郎は返事をして下がった。

そうか。コシロ兄はここ江間の殿なんだと改めて思う。近くそびえる山々。流れる川の音。賑やかな蝉の声。鎌倉とは違う伊豆の空気。

 幼い頃を思い出し、感慨に浸りながらゆっくり過ごそうと思うも、慣れない遠出でくたびれ果てていたヒメコは夕餉を頂いたらすぐに寝入ってしまった。

「いたいの、いたいの、とんでけ」

誰かが歌ってる。可愛い声。

「いたいの、いたいの、とんでけ」

誰だろう?
聞いたことがあるような、ないような。

ジージージー。
けたたましい蝉の声に目覚めたら陽は既に昇っていた。慌てて身支度をして広間に顔を出す。

 折角コシロ兄の館に立ち寄れたのだから朝は早起きして散歩をと思っていたのに殆ど見ることが出来ずに鎌倉に戻ることになりそうだった。

「そんなに慌てなくても平気だ。奉幣は無事済んだ。戻りはゆっくりで構わない」

 ヒメコは頷いた。馬での長時間移動は不慣れなせいか腿や腰が痛んできつい。

「少しだけ歩いて来てもいいですか?」

 江間は狩野川のすぐ脇。ここから南に行くとすくに頼朝が住んでいた蛭ヶ小島がある。そして廣田神社と三島大社も。

 昔、コシロ兄が立っていた辺りはここだろうか。少し高台になった土手の上に立って北条の方を眺める。新築中の御堂らしきものの棟が綺麗に組まれていた。

「何を見てる?」

 声をかけられ振り返れば、コシロ兄だった。懐かしいなと思って、と答えれば、コシロ兄の目元が軽く緩んだ。

「川にはもう入るなよ」

からかいを含んだ声に少し気が大きくなる。

「でも、また助けて下さるでしょう?」

 笑ってそう言えば、手を取られた。

「俺を早死にさせる気か」


 そう言ってヒメコを抱え上げる。

「こんなに重くなったんじゃ、そうそう抱えられるもんか」

 でも抱き上げてくれる。変わらない。ううん、優しい。怖いくらいに幸せを感じる。このままずっと——。

青々とした不ニのお山の頂を眺めながらヒメコは願った。

 この江間の土地で貴方と一緒に。




 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

第一機動部隊

桑名 裕輝
歴史・時代
突如アメリカ軍陸上攻撃機によって帝都が壊滅的損害を受けた後に宣戦布告を受けた大日本帝国。 祖国のため、そして愛する者のため大日本帝国の精鋭である第一機動部隊が米国太平洋艦隊重要拠点グアムを叩く。

ファラオの寵妃

田鶴
歴史・時代
病弱な王女ネフェルウラーは赤ん坊の時に6歳年上の異母兄トトメス3世と結婚させられた。実母ハトシェプストは、義息子トトメス3世と共同統治中のファラオとして君臨しているが、トトメス3世が成長してファラオとしての地位を確立する前に実娘ネフェルウラーに王子を産ませて退位させるつもりである。そうはさせまいとトトメス3世はネフェルウラーをお飾りの王妃にしようとする。でも無邪気なネフェルウラーは周囲の『アドバイス』を素直に聞いて『大好きなお兄様』に積極的にアタックしてくる。トトメス3世はそんな彼女にタジタジとなりながらも次第に絆されていく。そこに運命のいたずらのように、トトメス3世が側室を娶るように強制されたり、幼馴染がトトメス3世に横恋慕したり、様々な試練が2人に降りかかる。 この物語は、実在した古代エジプトの王、女王、王女を題材にした創作です。架空の人物・設定がかなり入っています。なるべく史実も入れた創作にしようと思っていますが、個人の感情や細かいやりとりなどは記録されていませんので、その辺も全て作者の想像の産物です。詳しくは登場人物の項(ネタバレあり)をご覧ください。ただし、各話の後に付けた解説や図は、思いついたものだけで網羅的ではないものの、史実を踏まえています。 古代エジプトでは王族の近親結婚が実際に行われており、この物語でも王族は近親結婚(異母きょうだい、おじ姪)が当たり前という設定になっています。なので登場人物達は近親結婚に何の抵抗感も疑問も持っていません。ただし、この話では同腹のきょうだい婚と親子婚は忌避されているという設定にしています。 挿絵が入るエピソードのタイトルには*を付けます。 表紙は、トトメス3世とネレルウラーの姿を描いた自作です。こういう壁画やレリーフが実際にあるわけではなく、作者の想像の産物です。カルトゥーシュは、それぞれトトメス3世の即位名メンヘペルラーとネフェルウラーです。(2024/9/9) 改稿で話の順番を入れ替えて第4話を挿入しました。(2024/9/20) ネオページでも連載しています。

そらっこと吾妻語り

やまの龍
歴史・時代
大姫と開耶姫。共に源氏の血を引く二人の姫の恋物語。実在の歴史人物をモチーフにしつつ、改変した和風ファンタジーです。

ロリっ子がおじさんに種付けされる話

オニオン太郎
大衆娯楽
なろうにも投稿した奴です

義時という父 姫の前という母

やまの龍
歴史・時代
「これからじゃないか。母の想いを無駄にする気か。消えた命らにどう償いをするつもりだ」 胸倉を掴んでそう言ってやりたい。なのに父は死にかけてる。 「姫の前」の番外完結編。姫の前の産んだ北条義時の三男、北条重時のボヤき。

貝合わせ異聞

柚木
歴史・時代
堤中納言物語の一篇、「貝合」からイメージを膨らませてみました。 ※「小説家になろう」からの移植作品です。 ※冒頭部分はほぼ原文の現代語訳になっておりますが、多々改変・挿入箇所がございますので、くれぐれも宿題などのご参考にはされませぬよう。 表紙イラストは深海さまより頂きました。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

処理中です...