【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
94 / 225
第3章 鎌倉の石

第46話 白菊の歌

しおりを挟む
 九月、頼朝が出かけると言って牛車を用意した。連れて行かれた先はまた比企庄だった。アサ姫が教えてくれる。

「比企の尼君様から文を頂いたのよ。白菊が一面に咲いたからいらっしゃいと」

「丁度重陽の節句。今年はこちらに皆でお邪魔して祝おうと思ったのだ」

牛車を降りて見てみれば、確かに一面の白菊が敷きつめられていた。

「心あてに折らばや折らむ初霜の  おきまどはせる白菊の花、にはまだ少し早いかな」

「え?」
頼朝が口ずさんだ和歌に首を傾げる。

「凡河内躬恒だ。知らんのか」

頼朝に言われてヒメコは首を横に振る。

「おーしこーち、のみつね?」
凡河内おおしこうちのみつね、歌人だ。古今集にある。秋の朝、初霜が下りて白い菊の花が真っ白になっている。霜なのか白菊なのかわからない。当てずっぽうに手折ってみようか。そういう歌だ」

 へえ、とヒメコは目を瞬かせた。

「お歌は難しいですね」

取っ付き難い。そう滲ませたら頼朝は苦笑した。

「では、土佐日記は?凡河内躬恒と同じ時代の紀貫之の日記だ」

 ヒメコは頷いた。

「ええ、あれは面白かったです。仮名だから読みやすくて語り口も軽やかで楽しげな心が伝わってきました」

「紀貫之も歌人だ。和歌は難しいものと思い込まずに挑戦してみろ。口にしている内に段々わかってくる」

「はぁ」
音を辿るくらいなら出来るかもしれないけれど、と思いながら曖昧に返事する。

「では、千早振る、ならばどうか?」

 問われてヒメコは、ああと手を打った。

「神に繋がる言葉ですね」

ち、は命、千。ちはやふる、はその勢いが人智を超えて計り知れない程に激しい様子を表すので神に繋がる言葉なのだと祖母は教えてくれた。

 と、頼朝が笑った。ヒメコが不思議に思って眺めると、頼朝は「やはりな」と呟いた。

「人は興味のあるものなら目が止まり、耳が音を拾う。そうして何度か見聞きしていく内に知を深めていくのだ。確かに和歌は元の歌や漢文の知識などが必要とされる部分もある。だがお前が神に関することなら心に留められたように興味のある所から始めてみればいい」

 今度はヒメコも素直に頷いた。確かに思い込みは良くないかもしれない。

 と、祖母が出てきた。

「確かに今朝は霜が下りてたよ。寒くなったもんだね。さ、皆上がっておくれ」
皆はぞろぞろと広間に上がる。やがて酒と温かな汁物が振る舞われた。

「おお、これは蕩けて美味い。何ですか?芋ではないようだが」

頼朝の問いに祖母が答える。

「瓜だよ。収穫後に北の山の氷室に貯めておいたものを昨日幾つか持って来させたのさ」

「瓜を秋に食べられるとは」

「大半は干して干瓢にしたりひさごにしたりするんだけどね。白菊の余興にと思ってさ。生で食するのとは違ってまた面白いだろ?生だと体を冷やしてくれるが、こうやって火を入れて炊くと逆に身体を温めてくれるんだよ」

 そう言った後に祖母は母に向かって何かを指示した。母が重そうに持って来たのは割れた瓜だった。

「おや、これはまた大きい瓜ですが割れてますな」

 頼朝の言葉に祖母は頷くと「入っておいで」と声をかけた。中に入って来たのはまだ幼い少女だった。

「河越重頼の次女さ。瓜が昨晩割れたからね。巫女を次にこの子に譲ろうと思ってるんだよ」

「巫女を譲る?瓜が割れたことと何か関わりがあるのですか?」

頼朝の問いに祖母は頷いた。

「古くからの言い伝えだよ。巫女が代替わりすべき時、神前のかわらけが割れる。それが今回はかわらけでなく瓜だったってだけさ」

「だが、それではヒメコは?」

 頼朝がヒメコを振り返る。

「瓜が割れたんだ。破瓜はかだよ。ヒミカはそろそろ次の試練に立ち向かう時期さ。頃合いを見て良い人を見つけてやっとくれ」

 頼朝は承知しましたと頭を下げた。

「お祖母様、どうしてそんな急に?」

 ヒメコは祖母の元に駆け寄った。祖母はヒメコの手の上に自らの手を重ねて言った。

「ヒミカ、女は様々な痛みに耐えねばならないのさ。月の痛み、破瓜の痛み、出産の痛み、親を失う痛みに子を失う痛み、夫を失う痛みだ。それらに耐え得るように、天は女を痛みに強く創られた。覚えておおき。どんな時も耐えるんだよ。耐えられぬ試練など神さまはお与えにならないさ」

 ヒメコは頷いたが、祖母が巫女をやめるなんて、と不安な気持ちになる。

「何をそんな心配そうな顔してんだい。私はまだ死なないよ。この子をこれからしごくんだから。それにあの子もね」

 言ってチラと母を見る祖母に母はフンと顔を背けたが、頼朝が立ち上がると帰りの時が来たのだと気付いて慌てて動き出す。

「では尼君。今日は楽しかった。また夏に瓜をいただきに来ます」

 牛車に乗ろうとした時、先の少女が駆けてきてコシロ兄の隣に立っていた少年の袖を掴んだ。

「兄さま」

少年はコシロ兄に頭を下げてから少女に向かう。

「じゃあ、またな。もう泣くなよ」

 そう言って少女の頭をポンポンと叩いて微笑む。

あ。昨年祖母が頼朝に助命嘆願した川越重頼殿の次男だ。許されて江間に仕えることになったのだろう。ヒメコはホッとした。少女に会釈して牛車に乗り込む。祖母と母を宜しくお願いします。そう祈りをこめる。
 少女は深々と頭を下げて牛車を見送ってくれた。

 帰り道、頼朝は上機嫌で和歌を口ずさんでいた。

「心あてに それかとぞ見る白露の光そへたる夕顔の花。ほら、これならどうだ?源氏物語の夕顔は読んだろう?」

ヒメコは相槌を打ったが、はてと思う。

 夕顔ってどんなお姫様だったっけ?もう一度源氏物語を読み返さねばと思いながら牛車の揺れに身を任せている内にウトウトしてしまう。頼朝は牛車の中でずっと和歌の講義をしてくれた。でも同乗していた全員が、その心地よい講義を子守唄にすっかり寝入ってしまった。

 和歌。難しいけれど、京では男女が恋の歌を送り合うという。コシロ兄は漢文などにも素養があるから、きっと和歌も詠めのだろう。恋の歌を詠んだりもするのだろうか?

 牛車の後ろの御簾から騎馬で警護するコシロ兄の姿をそっと見つめる。また難しい顔をしてる。彼が恋の歌を考える所など想像出来ない。つい噴き出しそうになった時、コシロ兄が顔を上げた。睨まれてる気がする。

 ヒメコはドキドキしながら顔を下げ、アサ姫が抱く三幡姫の寝顔を眺めた。あとけない寝顔が可愛らしい。いつか、自分もこのような可愛らしい子を胸に抱くことが出来るのだろうか。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄ですね。これでざまぁが出来るのね

いくみ
ファンタジー
パトリシアは卒業パーティーで婚約者の王子から婚約破棄を言い渡される。 しかし、これは、本人が待ちに待った結果である。さぁこれからどうやって私の13年を返して貰いましょうか。 覚悟して下さいませ王子様! 転生者嘗めないで下さいね。 追記 すみません短編予定でしたが、長くなりそうなので長編に変更させて頂きます。 モフモフも、追加させて頂きます。 よろしくお願いいたします。 カクヨム様でも連載を始めました。

エスとオー

ケイ・ナック
青春
五十代になったオレ(中村アキラ)は、アルバムを手にした時、今は疎遠になってしまった友人を思い出し、若い日を振り返ってみるのだった。 『エスとオー』、二人の友人を通して過ごした1980年代のあの頃。 そこにはいつも、素晴らしい洋楽が流れていた。 (KISS、エア・サプライ、ビリー・ジョエル、TOTO )

誰の代わりに愛されているのか知った私は優しい嘘に溺れていく

矢野りと
恋愛
彼がかつて愛した人は私の知っている人だった。 髪色、瞳の色、そして後ろ姿は私にとても似ている。 いいえ違う…、似ているのは彼女ではなく私だ。望まれて嫁いだから愛されているのかと思っていたけれども、それは間違いだと知ってしまった。 『私はただの身代わりだったのね…』 彼は変わらない。 いつも優しい言葉を紡いでくれる。 でも真実を知ってしまった私にはそれが嘘だと分かっているから…。

奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)

Anastasia
恋愛
 ”王道”外れた異世界転生物語。  チートもない。ありきたりな、魔法も魔術も魔物もいない。これまたありきたりな公爵令嬢でも、悪役令嬢でもない。ヒロインでもモブでもない。  ついでに言うが、これまた、あまりにありきたりな設定の喪女でもない。  それなのに、なぜ私が異世界転生者……?!  この世界で生きていかなければならない現実に、もう、立ち止まらない、後ろを振り向かない、前を進んで行くだけ!  セシル・ベルバートの異世界サバイバル。絶対に生き抜いて、生き延びてみせます! (本編概要)セシル・ヘルバートはノーウッド王国ヘルバート伯爵家の長女である。長く――無駄で――それでも必要だった7年をやーっと経て、嫌悪している侯爵家嫡男、ジョーランからの婚約破棄宣言で、待ちに待った婚約解消を勝ちとった。  17歳の最後の年である。  でも、セシルには秘密がある。  セシルは前世の記憶を持つ、異世界転生者、とういことだ。  “異世界転生者”の“王道”外れて、さっぱり理由が当てはまらない謎の状況。  なのに、なぜ、現世の私が異世界転生?!  なにがどう転んで異世界転生者になってしまったのかは知らないが、それでも、セシル・ヘルバートとして生きていかなければならない現実に、もう、立ち止まらない、後ろを振り向かない、前を進んで行くだけ!  それを指針に、セシルの異世界生活が始まる。第2の人生など――なぜ……?! としかいいようのない現状で、それでも、セシルの生きざまを懸けた人生の始まりである。  伯爵家領主に、政治に、戦に、隣国王国覇権争いに、そして、予想もしていなかった第2の人生に、怒涛のようなセシルの生がここに始まっていく! (今までは外部リンクでしたが、こちらにもアップしてみました。こちらで読めるように、などなど?)

王太子殿下の執着が怖いので、とりあえず寝ます。【完結】

霙アルカ。
恋愛
王太子殿下がところ構わず愛を囁いてくるので困ってます。 辞めてと言っても辞めてくれないので、とりあえず寝ます。 王太子アスランは愛しいルディリアナに執着し、彼女を部屋に閉じ込めるが、アスランには他の女がいて、ルディリアナの心は壊れていく。 8月4日 完結しました。

異世界の婚活イベントに巻き込まれて言葉が通じないままイヌ耳黒騎士に娶られてネコにされてしまいました。

篠崎笙
BL
高校の学園祭でジュリエット役をさせられた蘇芳は、突然舞台上に現れた犬耳のついた黒騎士姿の男、ゼノンに獣人しかいない異世界に攫われる。言葉は通じないが求婚が成立したと思ったゼノンは蘇芳を強引に抱いてツガイにしてしまう。翌朝、蘇芳には猫耳が生え、異世界の言葉がわかるようになっていた。そしてゼノンが異世界の国の王子で狼族だったと判明するが……。 

社畜だけど転移先の異世界で【ジョブ設定スキル】を駆使して世界滅亡の危機に立ち向かう ~【最強ハーレム】を築くまで、俺は止まらねぇからよぉ!~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
ファンタジー
 俺は社畜だ。  ふと気が付くと見知らぬ場所に立っていた。  諸々の情報を整理するに、ここはどうやら異世界のようである。  『ジョブ設定』や『ミッション』という概念があるあたり、俺がかつてやり込んだ『ソード&マジック・クロニクル』というVRMMOに酷似したシステムを持つ異世界のようだ。  俺に初期スキルとして与えられた『ジョブ設定』は、相当に便利そうだ。  このスキルを使えば可愛い女の子たちを強化することができる。  俺だけの最強ハーレムパーティを築くことも夢ではない。  え?  ああ、『ミッション』の件?  何か『30年後の世界滅亡を回避せよ』とか書いてあるな。  まだまだ先のことだし、実感が湧かない。  ハーレム作戦のついでに、ほどほどに取り組んでいくよ。  ……むっ!?  あれは……。  馬車がゴブリンの群れに追われている。  さっそく助けてやることにしよう。  美少女が乗っている気配も感じるしな!  俺を止めようとしてもムダだぜ?  最強ハーレムを築くまで、俺は止まらねぇからよぉ!  ※主人公陣営に死者や離反者は出ません。  ※主人公の精神的挫折はありません。

【完結】パーティに捨てられた泣き虫魔法使いは、ダンジョンの階層主に溺愛される

水都 ミナト
ファンタジー
【第二部あらすじ】  地上での戦いを終え、ダンジョンに戻ったエレインは、日々修行に明け暮れつつも、ホムラやアグニと平和な日々を送っていた。  ダンジョンで自分の居場所を見つけたエレインであるが、ホムラに対する気持ちの変化に戸惑いを覚えていた。ホムラもホムラで、エレイン特別な感情を抱きつつも、未だその感情の名を自覚してはいなかった。  そんな中、エレインはホムラの提案により上層階の攻略を開始した。新たな魔法を習得し、順調に階層を上がっていくエレインは、ダンジョンの森の中で狐の面を被った不思議な人物と出会う。  一方地上では、アレクに手を貸した闇魔法使いが暗躍を始めていた。その悪意の刃は、着実にエレインやホムラに忍び寄っていたーーー  狐の面の人物は何者なのか、闇魔法使いの狙いは何なのか、そしてエレインとホムラの関係はどうなるのか、是非お楽しみください! 【第一部あらすじ】  人気の新人パーティ『彗星の新人』の一員であったエレインは、ある日突然、仲間達によってダンジョンに捨てられた。  しかも、ボスの間にーーー  階層主の鬼神・ホムラによって拾われたエレインは、何故かホムラの元で住み込みで弟子入りすることになって!? 「お前、ちゃんとレベリングしてんのか?」 「レ、レベリング…?はっ!?忘れてました……ってめちゃめちゃ経験値貯まってる…!?」  パーティに虐げられてきたエレインの魔法の才能が、ダンジョンで開花する。  一方その頃、エレインを捨てたパーティは、調子が上がらずに苦戦を強いられていた…  今までの力の源が、エレインの補助魔法によるものだとも知らずにーーー ※【第一部タイトル】ダンジョンの階層主は、パーティに捨てられた泣き虫魔法使いに翻弄される ※第二部開始にあたり、二部仕様に改題。 ※色々と設定が甘いところがあるかと思いますが、広いお心で楽しんでいただけますと幸いです。 ※なろう様、カクヨム様でも公開しています。

処理中です...