【完結】姫の前

やまの龍

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第3章 鎌倉の石

第41話 瓜

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 六月中旬、出かけるから支度せよと突然頼朝が言い出した。珍しく牛車だった。

「大分街道が整備されたからな。御家人らも領土と鎌倉とを行き来しやすくなる。いざの時にはすぐに鎌倉に馳せ参じられるようにしたのだ」

 へぇ、と感心しながら、牛車の揺れに身を委ねていたら眠くなってきた。アサ姫の膝では万寿の君が眠っていた。顔を合わせたことは殆どなかったが、アサ姫そっくりの大きな目がキラキラと輝く、幼いながらも大将然とした姿が頼もしいお子だった。

 牛車の後ろには万寿の君の乳母夫である比企能員やコシロ兄など、ごく限られた側近らが騎馬で従っていた。

「さぁ、着きましたぞ」

 聞き覚えのある声がして牛車が止まる。前の御簾が開かれた。

「皆さま方、牛車の乗り心地は如何でしたかな?」

 藤九郎叔父だった。
「うむ、良く眠れたぞ」

 答えたのは万寿の君。可愛らしい声なのに偉そうな口ぶりが可笑しくてつい笑ってしまう。すると万寿の君が口を尖らせた。

「そちは何者じゃ。失礼な奴め、後で仕置をしてやる」

 ヒメコは慌てて頭を下げた。

「ヒメコと申します。あまりお可愛らしかったので、つい。どうぞお許しを」

 そう言ったら、万寿の君はヒメコを見て、一言許すと言った。頼朝とアサ姫が笑い出す。ヒメコも笑った。万寿の君も笑った後に、ヒメコの手を取って言った。

「気に入ったぞ。私の侍女になれ」

「え?それは、あの」

 言い淀んだら八幡姫が中に入って助けてくれた。

「万寿、ヒメコは私の乳母よ。あげられません」
言って、万寿の前で手を広げる。

 万寿はその脇をすり抜けようとして頼朝に捕まった。

「ほら、万寿。瓜を食べに来たのだろう?行くぞ」
「瓜?」
アサ姫が答えた。
「ヒメコ、周りをよく見てみて」
言われて牛車から降り、周りを見渡す。見覚えのある緑の風景と屋敷。
「比企庄?」
「ヒミカ、お帰りなさい」
母がいた。
「どうして比企庄に?」

「尼君からご招待を受けたのよ。比企は木陰も多く涼しいから避暑においでなさいと」

 八幡姫がヒメコの手を引いた。
「瓜をたくさん鎌倉にお土産に持って帰りたいの。畑へ案内して」

 風が渡る。山に囲まれて海に近い鎌倉とは違い、山は少し遠く、広がる平原を通って行く風は乾いている。前回戻った時は八幡姫のことが気掛かりで苦しかったけれど今回は伸び伸びと過ごせる。

 八幡姫と共に畑に着けば、藤九郎叔父が頼朝と共に瓜の蔓を切っていた。

「おぉ、これは見事な瓜。いい音がする」

 そう言って頼朝が瓜をコンコンと叩く。

 と、その横で万寿の君が真似して瓜を叩き始めた。だが強い力で叩いた為か瓜が割れて中味が弾けてしまった。

「こら、万寿。瓜は強く叩くものではない。熟れたかどうかを確かめる為に優しく小突くだけだ」

頼朝がそう諌めるが、割れたのが楽しかったのか、万寿は辺りの瓜を蹴り飛ばし始めた。

「これ、万寿!いけません!」

 アサ姫が叱るが、万寿は止めようとしない。頼朝がその襟首を掴まえて、ポイと畑の外へ放り投げた。途端、万寿は顔に泥をつけて泣き出した。

「若君!」

比企能員が慌てて助け起こす。アサ姫も駆け寄ろうとしてフラついた。ヒメコは急いで駆け寄って支える。

「お怪我ございませんか?お腹は?」

つい聞いてしまってハッとする。いけない。まだ内緒だった。

「平気よ。久々に外に出たからね」

 頼朝が能員を睨んだ。

「甘やかし過ぎだ。もっと厳しく躾けよ」

 比企能員は頭を下げたが、万寿を抱き上げると優しい声であやし宥めた。
「若君、いいのですよ。男児は元気な方が良い。爺が代わりに謝って差し上げますからな。おぉ、お可哀想に。頬がこんなに汚れて」

 言って、舐めるように丁寧に万寿の汚れを拭っていく。アサ姫はあからさまに嫌そうな顔をした。

「殿、やはり万寿をわたしに引き取らせて下さいませ。能員殿は万寿を甘やかすばかり。あれでは立派な武将には育ちません」

 頼朝に願う。だが頼朝は鷹揚に笑って言った。

「まぁ男児は少々利かん気で悪戯な方が強くていいではないか」

「それでも躾はしっかりすべきこと。弟の五郎も万寿と同じくらい悪戯で利かん気でしたが、善悪の判断だけはしっかりつけさせるよう私が育てました。でも今のまま万寿を能員殿に預けていたら、不遜なだけの人望のない武人になってしまいます。とにかく万寿を返して下さいませ。私の手元で育てます」

「だが、そなたは具合があまり良くないではないか」

「ああも躾がなっていないのでは、とても休んでおられません」

アサ姫の声が聞こえたのだろう。比企能員が二人の間に入って来た。

「万寿の君はご立派にお育ちです。背も高く声も立派で動きも俊敏。さすがは源氏の嫡流。北条殿のお子らに比べて体格、性格の違いがはっきりとしておるではありませんか。この能員がお預かりしたからには、源氏の棟梁として恥ずかしくない立派な武将にお育て申し上げるのでご安心なされよ。御台さまに置かれましては、もう少し母性を持って、心広やかに見守っていただきたいものですな。ほら、万寿の君も脅えてらっしゃる。おぉ、おぉ、若君、恐くありませんぞ。この爺が付いておりますからな」


 挑戦的な言葉にアサ姫の顔色が変わる。慌てたのは頼朝だった。

「いや待て。二人とも子らを前にそう熱くなるな。ここには凉みにやってきたのだぞ」

 と、笑い声がした。

「おやおや、なんの騒ぎだい。親は大変だぁね」

 祖母だった。

「これは尼君。とんだ恥ずかしい所を」

 頼朝がその場で屈んで礼をする。それを見た比企能員らも慌ててその場に膝をついて礼をした。

「何だい。私はただの婆だよ。堅苦しいのはやめとくれ。瓜は採れたかい?」

「はい。見事な畑ですな」

「じゃあそろそろ中に入りな。外は暑い。ここの陽射しは姫君たちに毒だ」

 屋敷の広間にどっこいと座った祖母が頼朝を見て首を捻る。

「えーと。佐殿、で許して下さいよ。年寄りは新しい名を覚えられなくてね」

 言って、にやりと笑う祖母に、頼朝は破顔して鬼武丸でもいいですよ、と手を叩いた。

「で、こちらが龍の姫だね」

 アサ姫を見て祖母が言う。アサ姫が丁寧に頭を下げた。

「お初にお目にかかります。アサと申します」

 祖母は、ああと頷いてヒメコを見た。

「この子がお世話になってるからね。一度お会いしたかったんだ。体調が優れないと聞いたが、もう平気なようだね」

「え?」

 頼朝が驚いた顔をするが、アサ姫は微笑んで頷いた。

「ええ。どういうわけか、ここに着いたらすっかり元気になりました」

「それは良かった。もう心配いらないよ。あとはなるべく身体を動かして過ごすんだね」

「え、身体を動かす?」

アサ姫の問いに祖母は頷いた。

「ああ、その方がいい。あんたさんは堅苦しいのは苦手やろ?動かんでいると気鬱になる」

 頼朝が頷いた。
「確かにここずっと引きこもって気鬱のようで案じておりました」

 頼朝の言葉に祖母はニヤッと笑って言った。

乗馬はまだまずいが、掃除と炊事は好きなだけやらせてあげりゃいい」

 その言葉で、祖母がアサ姫の懐妊に気付いたことがわかる。だがそれを知らない頼朝は首を横に振った。

「だが、それでは御台所としての威厳が保てぬゆえ」

 渋る頼朝に、祖母は笑った。

「おや、今まで私が言ったことで、あんたの為にならなかったことがあるかい?」

 祖母の言葉に頼朝は黙った。その頼朝に近付いて、祖母がそっと囁いた。

「この姫さんは、ヒミカの見立て通り、まこと龍の姫だよ。彼女の好きなようにさせてやりな。彼女は大人しく箱の中に収まってるような器じゃない。無理に収めようとすれば、箱を壊しかねないよ。今までの苦労を水の泡にしたくなけりゃ、龍をうまく手懐けることさね」

 言って、すぐ後ろに居たヒメコを振り返る。

「ヒミカ、あの子はまだかい?早く持って来るように言いな」

ヒメコは慌てて母を呼びに奥へ下がった。母は大きな瓜をお盆の上に乗せていた。

「お待たせしました」

広間に入って来た巨大な瓜に皆が歓声を上げる。

「これは何とも大きい。それも瓜ですか?」

比企能員の言葉に祖母はニヤリと笑って万寿の君を見る。

「坊や。これと同じくらい大きな瓜がもう一つ畑の中にあるよ。見付けて持っておいで」

 途端、万寿の君は飛び上がって外へと駆け出した。

「割らずに持って来れるかねぇ」

「これるよ!」

 万寿の君は言い返し、あっという間に消えた。比企能員が慌てて後を追う。それを見送って祖母は言った。

「人は生まれよりも育ち方だよ。いい師に出逢い、信じられる仲間を得て、素直に人の話を聞く耳を持ち、間違いを正す勇気さえ持てれば、いい縁に恵まれてひとかどの人物になれるだろうさ。親が出来ることなんて、その縁を結ぶ、ほんの少しの手伝いだけ。いい師を見付けてやりな。そうすれば、あんたの弟子みたいなのが出来上がるよ」

「私の弟子?」

 頼朝が首を傾げる。ヒメコも驚いて祖母を見た。

「そこのだんまりさ。あんたが小さい頃から色々教えて連れ回してただろ。だからいつでもあんたの姿を目で追って、学ぶものはないかとじっと窺ってる」

「小四郎が?」

 皆の視線がコシロ兄に集中し、コシロ兄は気まずそうに目線を横に流した。

 頼朝はコシロ兄を見て少し笑った。

「彼は私の護衛なので、仕事柄でしょう」

「まぁね。だが、あんたの喋ること、聞いてる言葉、目線、全てを観察してる。あんたは彼にとっていい師匠ってことだ」

「殆ど何も喋りませんが」

「喋らなくてもその目を見りゃわかるよ。彼はあんたら夫婦を助ける縁を持ち合わせてきた。子ども同然にこれからも大事に育てな」

 アサ姫が笑い出す。

「こんな大きくなった子をどう育てろと」

 その時、パタパタと軽い足音が聞こえて万寿の君が戻ってきた。

「婆、一番大きいのとってきてやったぞ。見ろ!」

 でもその手は空。

「おや、瓜はどこだい?」

 祖母が問えば、万寿の君が叫んだ。

「爺!遅いぞ!早うせい!こののろまめ!」

 言って、廊を振り返る。比企能員が大きな瓜をよっこら抱えて入ってきた。

「いやいや、さすがは万寿の君。畑で一番大きいのを見付けて下さいました」

「ほら!見事じゃろ?」


 万寿の君が比企能員を指差して笑う。

「万寿」

アサ姫が立ち上がった。

「ね、母上、すごいでしょう?万寿の手柄です!」

 アサ姫は万寿の君の前に立つと、膝をついてその肩に手を置いて顔を覗き込んだ。

「尼君はあなたに取ってこれるかとお聞きになったのよ。それを人に持たせて手伝いもせず、早うせいと指図するとは何ごと。早く行って運ぶ手伝いをなさい」

 アサ姫が比企能員の方に顔を向けるが、万寿は肩に乗ったアサ姫の手を振り払い、逆にアサ姫の肩を両手でドンと押した。アサ姫がよろけて後ろに倒れかかる。

——あ!

ヒメコは青ざめた。
——お尻をついてしまう!

 ヒメコは猫のように手を前に出して四つ這いになると、その下へと駆け込んだ。

——ドサッ。

「ひゃ!」

アサ姫の声が背中から聞こえる。ヒメコはホッと息をついた。

 でも潰れたお腹が痛い。ゲホゲホ咳込んだら

「何をしている」

低い声と共に背の上のアサ姫が引っ張り上げられた。

 コシロ兄がアサ姫の手を引き上げてくれていた。

「あ、いや、あの。ごめんなさい。ちょっと童心に帰って這い這いをしたくなって」

 弁解をしたら、コシロ兄の目が微かに細くなった。疑われてる。どうしよう?ヒメコは迷った。でもまだ中原兄弟は内緒にしておけと言ってるし、隠し通すしかない。

 ヒメコの言葉に祖母がひそやかに笑う声が聞こえる。

「お方様はこちらの畳の上にどうぞ。具合が悪いのに気が利かなくて済まなかったね」

 祖母が言って敷かれた畳を指差した。アサ姫が素直にその上に座ったのでヒメコはやっとホッとする。

「さて。では瓜をいただきましょう」

 頼朝の言葉で皆が一斉に瓜にかぶりつく。ヒメコは小刀で中身をくり抜くと小さく切って八幡姫の皿に乗せていった。美味しそうに頬張る八幡姫の顔を見ると心が和む。
シャクシャクという軽い音が広間を満たした。ヒメコはそっと立ち上がって瓜をいくつか盆に乗せ、外で待つ小舎人童や馬番達に振る舞った。

 だが、残った皮を盆に乗せて戻ったら、何やら頼朝が難しい顔をしていた。
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