【完結】姫の前

やまの龍

文字の大きさ
上 下
74 / 225
第3章 鎌倉の石

第26話  負けない覚悟

しおりを挟む
 ヒメコは頭を下げた。
「有り難う御座います」

 義高は、いいえと首を横に振った。
「私の方こそです。有り難う御座います。今までのことも。そしてこれからのことも」

 これからのこと。八幡姫のことだ。ヒメコは強く頷いた。

 その時、一人の少年が戸を開けて入って来た。八幡姫が眠りかかった時に支えてくれた少年。

「幸氏、私は今晩鎌倉を出る。そなた達は連れて行けない。済まぬ」

 そう言って頭を下げる義高に、幸氏は跪き、床に手をついて答えた。

「若、ご武運を。
後のことはどうぞお任せください」

 その宵、ヒメコは侍女姿で包みを抱えると、同じように侍女姿になった義高を伴って御所を抜けた。

「ご苦労様です」
門番に声をかけて通る。通い慣れているのに今日は喉が苦しくなる。声が震えなかったか気にしながら門をくぐり、江間の屋敷に向かった。

 果たして江間の屋敷の脇に馬が一頭待っていた。鞍も付けず、轡だけ嚙まされた大きな黒い馬。蹄は布で覆われている。その手綱を引いていたのはコシロ兄だった。

「師匠」

 頭に被っていた袿を脱いで声をかけた義高に、コシロ兄は一言

「負けるな」
 そう言った。
「それは死ぬなということですか?」

 問い返しにコシロ兄は首を横に振った。

「死は負けではない。負けるとは、信念を貫けずに己の道を踏み外すことだと私は思っている」

 義高は頷いて、道、と繰り返した。

「わかりました。負けません。有難う御座いました」

 コシロ兄が馬の手綱を義高に渡した。
「また勝負しよう」
義高は笑顔で頷き、ヒメコを見た。

「姫をお願いします。叶うならもう少し共に居て姫の成長を見守りたかった」

 ヒメコは抱えていた包みを義高に渡した。着物と小刀、強飯などの食糧が入っていた。

「姫もそうお考えです。どうか逃げ延びて下さい。姫の為にも」

 義高は微笑んで頷くと馬の腹を蹴った。

 音もなく駆け去って行く黒い馬はすぐに闇に溶けた。

 事は翌晩に露見した。八幡姫が名越から帰ってきたのとほぼ同時だった。

 義高の不在がバレないように身代わりとして双六を打ち、床に伏していた海野幸氏は縄で拘束されて引っ立てられた。

 その幸氏に取り縋って八幡姫が叫ぶ。

「幸氏、義高様は?義高様はどこなの?」

 でも幸氏は答えずに男たちに引っ張って行かれる。

 頼朝は血相を変え、大声で命を下した。

「義高をすぐに追え。追って討ち取って参れ。何としても逃がすな!従者らも連れて来て厳しく尋問せよ!殺しても構わぬ。決して義高を逃がしてはならぬ!間違いなく首を持ち帰れ!」

 御所の南庭に控える男達に檄を飛ばす頼朝。八幡姫は耳を塞いで小さく小さく縮こまっていた。

 その時、頼朝以上の大声で叫んだのはアサ姫だった。

「頼朝殿!声を落としなされ!姫がここに居るのになんという酷いことを!たかが子ども一人逃げたくらいでそんなに狼狽えるなど、みっともないとは思われないのか!それでも貴方は鎌倉殿か!」
名を呼ばれて罵倒され、頼朝の顔が真っ赤になる。だが部屋の隅で震える八幡姫を見て、唇を引き結ぶと何も言い返さずに足音荒く奥の部屋へと去って行った。

 ヒメコは八幡姫の元に駆け寄る。八幡姫はアサ姫に抱かれて震えていたが、ヒメコの顔を見ると母の腕から抜け出てヒメコに縋り付いてきた。震える小さな声でヒメコに問うてくる。

「ねえ、義高様は?侍女の格好で逃げたと聞いたわ。ヒメコが逃がしたのでしょう?義高様はどこ?」

 ヒメコは八幡姫を抱きとめて立ち上がらせた。

「姫さま、お部屋に戻りましょう」

 足をもつれさせながら何とか歩く八幡姫を支えて部屋に戻る。

 落ち着いて座らせてからそっと告げた。

「義高様は馬でお逃げになりました」
「何故?ここで待っていてと言ったのに」

「木曽の残党が義高様を担ぎ上げようとしたので、義高様のお命が危なくなりました。だから御台さまが逃がして下さったのです」

「なら、義高様はご無事なのね?」
ヒメコは黙った。

 あの頼朝の様子では、草の根分けてでも義高を見つけようとするだろう。追っ手の武士達に見つかったら、とても太刀打ち出来るものではない。でも義高が乗っていったのは大きな黒い馬だった。あの馬ならもしかしたら逃げ果せるかも知れない。でも。

「わかりません」

 ヒメコは正直に答えた。八幡姫の喉がひっと音を立てる。

「義高様は武士の子。ご覚悟を決めたお顔でここを出て行かれました」

 途端、姫の眉が吊り上がった。
「覚悟?死ぬ覚悟だと言うの?」

「いいえ。負けないという強い決意の見えるお顔でした」

「負けない覚悟?」

 ヒメコは頷いた。

「ええ。義高様は江間殿に碁で勝ちましたでしょう?。だからきっと今回も負けません。そう信じて待ちましょう」

 心をこめてそう伝えるが、八幡姫は返事も頷きもせず、ただ前を睨み据えていた。


何も出来ず、祈りながらじっと数日を過ごす。

 ふと、八幡姫が立ち上がった。

「ユキの様子を見に行かなくては」

 フラフラとしているので手を貸そうとしたら、要らないと押し退けられた。

 厩では茶鷲とユキが忙しなく足踏みをしていた。

 入って来た八幡姫の姿を見た途端、茶鷲が前足で立ち上がり、後ろ足で柵を蹴り飛ばす。

——ガラガラガラッ!

 物凄い音がして厩の中は砂煙に覆われた。

「姫さま!」

八幡姫の手を引いて外に逃げようとするが、八幡姫は崩れた木材を足場に茶鷲のたてがみに手を伸ばし、その背へひらりと跨った。

「茶鷲!義高様を助けに行きましょう!」

八幡姫の声に茶鷲はいななき、壊れかけた厩を飛び出して行く。

「姫さま、待って。行ってはなりません!」

ヒメコの叫びは馬の蹄の音にかき消された。でも小御所の門は常に閉まっている。駆け寄る馬を見て門番が慌てて戸を開けようとするのをヒメコは必死の身振りで止めた。
「駄目、開けてはなりません!」

 門番らは戸の前に並び、姫の行く手を阻んでくれた。でもホッとしたヒメコの前で茶鷲が首を横に向ける。ヒメコはハッとそちらに目を送った。

 御所の正門だ。あちらは馬の出入りが多い為、日中は殆ど空いている。

 だが、こちらの騒ぎを聞きつけたのか、門番らは門を閉め始めた。安堵したヒメコの耳に八幡姫の声が届いた。

「門を開けよ!私は八幡!源頼朝の一の姫、すぐに開門せよ!」

 よく通る声。アサ姫そっくりの。

 門番らは突き動かされたように慌てて門を開けた。茶色い大きな馬が通り抜けて行く。そしてそれに続く白い小柄な馬。

「ユキ!」

ヒメコは必死で走った。

いけない。
行ってはいけない。

八幡姫も。ユキも。

 ヒメコは後を追って門の外へ出た。






 
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

徳川家基、不本意!

克全
歴史・時代
幻の11代将軍、徳川家基が生き残っていたらどのような世の中になっていたのか?田沼意次に取立てられて、徳川家基の住む西之丸御納戸役となっていた長谷川平蔵が、田沼意次ではなく徳川家基に取り入って出世しようとしていたらどうなっていたのか?徳川家治が、次々と死んでいく自分の子供の死因に疑念を持っていたらどうなっていたのか、そのような事を考えて創作してみました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

終わりを迎える日

渚乃雫
歴史・時代
鎌倉幕府設立者、源頼朝に「師父」と呼ばれた「千葉常胤」の最期の時を綴った話 時は1180年 平清盛により伊豆に流されていた源頼朝。 34歳で挙兵するも、石橋山(神奈川県小田原市)での戦いで平氏に敗れ、命からがら安房国に逃れたことから、歴史は動き出した。 鎌倉幕府設立に尽力をした千葉常胤氏が挙兵を決めた時のことにスポットライトを当てた話 登場人物 源頼朝 千葉常胤 千葉胤正 千葉胤頼 千葉成胤 藤九郎盛長 2017年 千葉文学賞応募作 同タイトルで長編 【終わりを迎える日(長編)】も執筆中!

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

武蔵要塞1945 ~ 戦艦武蔵あらため第34特別根拠地隊、沖縄の地で斯く戦えり

もろこし
歴史・時代
史実ではレイテ湾に向かう途上で沈んだ戦艦武蔵ですが、本作ではからくも生き残り、最終的に沖縄の海岸に座礁します。 海軍からは見捨てられた武蔵でしたが、戦力不足に悩む現地陸軍と手を握り沖縄防衛の中核となります。 無敵の要塞と化した武蔵は沖縄に来襲する連合軍を次々と撃破。その活躍は連合国の戦争計画を徐々に狂わせていきます。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【書籍化確定、完結】私だけが知らない

綾雅(要らない悪役令嬢1/7発売)
ファンタジー
書籍化確定です。詳細はしばらくお待ちください(o´-ω-)o)ペコッ 目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2024/12/26……書籍化確定、公表 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...