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第3章 鎌倉の石
第24話 勝つ方法
しおりを挟む源義仲は平氏を蹴散らし入京した。ただ、京の都は長引く飢饉や無理な遷都、相継ぐ内乱で荒れ果てていた。そこへ義仲が多量の兵を連れて入ったのだ。当時、兵糧は現地調達。でも京やその周辺には食糧がない。平家達は都を落ちる時に三種の神器と帝と共にめぼしい物は全て持って西国へ向かって行ってしまっていた。残っていたのは後白河の院だけ。
院はとりあえず義仲に恩賞として官位を与えたものの、戦功は頼朝の方が上として頼朝に上洛を命じた。
だが頼朝は動かなかった。都の荒廃ぶりを知らされていたので、すぐには上洛せずに機を待つことにしたのだった。それが義仲と頼朝の命運を大きく分けた。
都の治安維持に失敗した義仲は京を追い出される。
そしてその追討という名目を受けて、やっと頼朝が動いた。弟の範頼と義経に大軍を任せ、義仲軍を討ち滅ぼしたのである。年があけてすぐのことだった。その知らせもまたすぐに鎌倉に入る。
「木曽殿が討たれたそうよ」
そっと耳打ちされ、ヒメコはハッとして奥の間に目を送った。今は閉めてあるが、奥では義高達が碁を打っている筈。
八幡姫は今朝からアサ姫と五郎と共に名越の北条館に行っていて不在だった。阿波局はそっと肩を竦めた。
「平気よ。既に御所様が、義高殿と従者達に彼らの父の死を伝えていたから」
彼ら?」
「木曽の義仲殿に海野幸親殿。望月国親殿。あの子達の父君は皆、敗死して首は獄門にかけられたそうよ」
「姫はこの事は?」
「まだ知らせたくないから名越に移されたのよ。御所に居たのでは漏れ聞こえてしまうかもしれないからね」
「彼らはどうなるの?」
ヒメコが尋ねたら、阿波局はヒメコの肩を抱いて歩き出した。
「すぐにどうこうするつもりはないから、今まで通り鎌倉で過ごしながら追っての沙汰を待てと御所様は仰ってたわ。ほら、石橋山の後で、元は平家方だった武将の寝返りを許した前例もあるでしょう?きっと折りを見てお赦しになるわよ」
阿波局の言葉にヒメコは頷いた。
確かに畠山などは元々平家の家人で、当初は三浦を攻めるなどして敵対していた。それが今は戦の先陣を任されるようになっている。
「そうよね」
ヒメコは呟いた。そうであって欲しいと思う気持ちは、そうなる筈だと知らず知らず勘を鈍らせる。
十日程して八幡姫は小御所に戻ってきた。変わらず義高に付き纏う。
でもどこか変わったとヒメコは思った。気が張り詰めている。義高には笑顔を見せている。でも、ふとした物音や庭の男達の動く音に過敏に反応するようになったのがヒメコには気がかりだった。
その日は珍しくコシロ兄がずっと義高の相手をしていた。
「姫さま、そろそろお休みになりましょう」
頃合いを見てヒメコが声をかけたら、八幡姫はチラと義高を見た。行っておいでと促され、素直に頷いて立ち上がるも、また戻って座り込む。
「ここで眠ってはいけないかしら?」
駄々をこねているのとは違う、大人びて落ち着いた声色。ヒメコは義高を見た。義高はヒメコに目を合わせて微笑んだ。
「姫御前さま、今日は暖かいから猫のように日向でお昼寝はどうでしょうか?」
ヒメコは笑顔で頷くと冬用の棉の入った着物を取ってきて日の当たる所に敷いた。八幡姫はその上に転がり目を閉じる。でもその手には義高の袴の裾がしっかりと握られていた。
どんな風に事情を聞いたかはわからないが、何かしらの不安を感じているのは確かだった。
姫が寝入ったのを確認し、八幡姫の手を開いて義高の袴を解放し、阿波局と共に姫を隣の部屋に移そうとしたら義高が口を開いた。
「いや、ずさない。そのままで」
言って、ヒメコ達を手で制する。
『ずさない』
阿波局と顔を見合わせる。木曽の言葉なのだろうか。よくわからないけれど、ヒメコは八幡姫はそのまま、上にそっと着物をかけて部屋を出ようとした。
でも義高が身じろぎした途端に八幡姫がパッと跳ね起きる。
「参りました」
義高はコシロ兄に向かって頭を下げていた。
「どうしても勝てません。師匠、お願いです。教えて下さい。どうしたら勝てますか?」
率直な物言いに、コシロ兄は軽く頷くと、ある一つの黒石を指差した。それから静かに告げる。
「負けないように打つことだ」
「コシロ叔父様、ひどいわ!」
声を上げたのは八幡姫だった。八幡姫は拳を振り上げ、コシロ兄にそれをぶつける。
「負けないようにって何?それができないから勝てないんじゃない。からかうなんてひどい!」
コシロ兄をポカポカ叩きながら泣き始める。コシロ兄は姫の拳を受けながら目線を碁盤に戻して続けた。
「からかってなどいない。勝つことと負けないことは同じではない。最後まで負けないように粘った方が生き残るだけだ」
義高と少年達は改めて碁盤の上に顔を寄せ、石の並びを最初からやり直し始めた。やがて、あ、と声が上がる。
「若、そこですね」
前に八幡姫が眠りかけた時に支えてくれた少年だった。
「そうだな。ここだとその後どう打っても追い詰められてしまう。では幸氏、お前ならどうする?」
義高の問いに、幸氏と呼ばれた少年はじっと黙って碁盤を眺めた後、
「伸びると見せかけて懐に入りましょうか」
そう答えた。それから少年らはまた最初から石を置き始める。それを八幡姫は黙ったまま、じっと眺めていた。
ふと、コシロ兄が口を開く。
「ところで、先程、ずさないと言ったな。どういう意味だ?」
コシロ兄の問いに義高が笑顔で答える。
「ああ。信濃や木曽の辺りでは、大丈夫だ、問題ないということを『ずさない』と言うのです」
コシロ兄はそうかと答えると義高を見た。
「鎌倉に来て、そろそろ一年か。それでもお国言葉は咄嗟に出てしまうものだな」
「はい。幸氏らが側にいるせいでしょうか。申し訳ありません」
「いや、私もたまに出てしまう。姉が近くにいるからだな」
八幡姫が、そうなのと相槌を打つ。
「父さまは美しい言葉を使いなさいって言うのだけど美しいって何かしら?難しいわ。考えながら喋っていたらくたびれちゃう」
そう言って大欠伸をした。それから恥ずかしそうに口を覆う。その姿を見て義高がふんわりと微笑んだ。
「姫、次こそは勝って差し上げますからね」
八幡姫は満開の笑顔を見せて、はいと頷いた。
そして桜がサツキに変わる頃、とうとうその日が来る。
「参りました」
低い声にヒメコが振り返れば、コシロ兄が頭を下げていた。
「義高様?」
八幡姫が盤の横で義高の顔を見上げている。
「姫、やっと勝てましたよ」
義高の言葉に、八幡姫は黙ってコクコクと頷くと義高の首に抱きついた。
「負けなかったのね。義高さま、おめでとうございます」
義高は爽やかな笑顔で八幡姫を抱き締めた。
「やっと姫に勝ちを見せられたよ」
コシロ兄は小さな夫婦を見守りながら静かに白石を集めていた。
負けたのにその背中が嬉しそうに見えて、ヒメコも嬉しくなる。
でも義高がコシロ兄に勝てたのはその一回だけだった。
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