53 / 225
第3章 鎌倉の石
第5話 箒
しおりを挟む
それから少しして、大倉の館が正式に鎌倉御所として稼働する事始めの儀式があった。沢山の武者が集まり、館全体が賑わう。ヒメコは怯える八幡姫を宥めるのに必死で、顔は出さずに隠れ過ごした。
その後、女官となる女性達が数多く入ってくる。
各有力御家人達が、一族の中で容貌、文筆など才覚優れた姫を行儀見習いとして差し出して来たのだ。京の御所と同じと考えるならば、それはあわよくば頼朝の目に留まってその子を宿し、お家を盛り立てようと狙ってのことなのだろう。そんな姫たちの挨拶を女主人として受けるアサ姫の姿を見ながら、ヒメコはその心中を思ってそっと溜め息をついた。
だが、当然の如く北条時政もアサ姫の妹姫達を女官として入れてきた。
「ヒメコ様、お久しぶり」
肩を叩かれ振り向いたら、北条の三の姫だった。久々の再会に抱き合って喜ぶ。
「ずっと駿河に居たんだけど、鎌倉に御所が出来たから女官として仕えろ。御所内を見張れと言われて送り出されたの。話は聞いてたけど、実際驚いたわ。あのぼんやりの佐殿が鎌倉の主だなんて。ねえ」
相変わらずの早口に急いで頷きつつ、途中の言葉に引っかかる。
「御所内を見張れ?」
「ええ、そう。父がね。女たちが鎌倉殿に近付かないようにって。あと、侍所とかにも顔を出して何か噂を耳にしたらすぐに報告しろって」
「侍所?」
「男たちが集まる場所なんでしよ。そこでも聴き耳を立ててろって。父にとって都合のいい話を持ち出せたら、その度に何か褒美をくれるらしいわ」
そう言って悪戯な顔で笑う三の姫は昔と変わらず生気に溢れていて、ヒメコは呆気にとられつつ、アサ姫の味方が増えたことに少なからず安堵する。
「ヒメコ様、お元気そうで何より」
たおやかな声に顔を上げたら、アサ姫のすぐ下の二の姫が優しげな笑顔で立っていた。少し見ない間にまた綺麗になった気がする。元々美しかったけれど、今はどこか陰りがある儚さをその身に漂わせていて、なんというか目の離せない美しさ。駿河国で何かあったんだろうか?
「二の姫様はどうかなさったの?どこか具合がお悪いとか?」
そっと三の姫に聞いてみる。すると三の姫はニヤッと笑ってヒメコに耳打ちした。
「小姉上は恋患いよ」
「え」
思わず声をあげてしまい、慌てて口を覆う。
「こ、恋って、一体どなたに?」
「駿河国に武者達がたくさん集まって、宿所として牧の屋敷が使われたの。その時に一目惚れしたみたいよ」
「一目惚れ?」
その言葉は何となく二の姫らしくない気はしたが、恋をしているのは本当なのだろう。元々の清涼さに芳しいばかりの色香が足され、その美しさは他の女官たちを抜きん出て場を圧倒した。
で、と目を落とす。娘は親の持ち石の一つ、とのアサ姫の言葉が甦る。
アサ姫のことも二の姫の恋の行方も、そして三の姫に与えられた任も気になって、ヒメコは落ち着かない気持ちで立ち上がった。
こういう時は身体を動かすのが一番。アサ姫に外へ出る許しを得て、久々に水干を纏うと、裏からそっと抜け出す。箒を手に辺りを掃いていくが、落ち葉の季節でもなく手は充分に足りているようで掃く必要がない程に綺麗に清められている。
「あ、あそこなら」
少し向こうに、小屋というよりもう少し大きな建物があり、その付近は人の出入りが多いのか足跡もたくさん残っていて幾らか掃除のし甲斐がありそうだった。
サッサッと箒を左右に小刻みに動かしながら進んでいく。建物の横に散らばっているのは藁のカスのようだった。
その時点で気付くべきだったのだ。
馬が落ち着いて食餌出来ない。ここはいいから去れ」
突然、低い声に命じられてハッと顔を上げる。紺鼠の直垂に脛巾姿のコシロ兄がムッツリ顔でヒメコを睨んでいた。
「あ、ごめんなさい!ご、ご無事でお戻りだったのですね」
突然の再会に言葉が出てこず、箒を強く握りしめる。
途端、ビキッと嫌な音がした。目を落とせば箒の柄が縦に割れていた。ギョッと目を見開く。おまけになんだか掌が痛い。
「掌からゆっくりと力を抜け」
言われ、握りしめていた柄から恐る恐る力を抜く。箒の柄は大きな亀裂が沢山入り、左の掌には血が滲んでいた。
「まだ掃除してるのか」
「あ、はい。掃除していると心が落ち着くので」
落ち込みながらそう答えたら、ふうんと返された。馬鹿にするでもなく非難するでもない淡々とした風情は変わらない。
コシロ兄はヒメコの左手を取って日にかざすと両手の指で傷口を開くようにしてじっと見つめた。それからサッと放す。
「破片は残ってないと思うが、念のため誰かによく見て貰え」
それだけ言うと、竹箒を持って去ろうとする。
「あの!」
慌てて声をかけたら、コシロ兄は足を留めて振り返った。
「お、お帰りなさいませ」
言って頭を下げる。コシロ兄は、ああと一言だけ答えるとまた踵を返して去って行った。
ホゥと息を吐く。
——会えた。話せた。それに……。
コシロ兄が触れた左手にそっと右手の指を添える。
あったかかった。
ホッとする。彼がそこにいる。それだけで景色がまるで違う気がする。そう思った。
その後、女官となる女性達が数多く入ってくる。
各有力御家人達が、一族の中で容貌、文筆など才覚優れた姫を行儀見習いとして差し出して来たのだ。京の御所と同じと考えるならば、それはあわよくば頼朝の目に留まってその子を宿し、お家を盛り立てようと狙ってのことなのだろう。そんな姫たちの挨拶を女主人として受けるアサ姫の姿を見ながら、ヒメコはその心中を思ってそっと溜め息をついた。
だが、当然の如く北条時政もアサ姫の妹姫達を女官として入れてきた。
「ヒメコ様、お久しぶり」
肩を叩かれ振り向いたら、北条の三の姫だった。久々の再会に抱き合って喜ぶ。
「ずっと駿河に居たんだけど、鎌倉に御所が出来たから女官として仕えろ。御所内を見張れと言われて送り出されたの。話は聞いてたけど、実際驚いたわ。あのぼんやりの佐殿が鎌倉の主だなんて。ねえ」
相変わらずの早口に急いで頷きつつ、途中の言葉に引っかかる。
「御所内を見張れ?」
「ええ、そう。父がね。女たちが鎌倉殿に近付かないようにって。あと、侍所とかにも顔を出して何か噂を耳にしたらすぐに報告しろって」
「侍所?」
「男たちが集まる場所なんでしよ。そこでも聴き耳を立ててろって。父にとって都合のいい話を持ち出せたら、その度に何か褒美をくれるらしいわ」
そう言って悪戯な顔で笑う三の姫は昔と変わらず生気に溢れていて、ヒメコは呆気にとられつつ、アサ姫の味方が増えたことに少なからず安堵する。
「ヒメコ様、お元気そうで何より」
たおやかな声に顔を上げたら、アサ姫のすぐ下の二の姫が優しげな笑顔で立っていた。少し見ない間にまた綺麗になった気がする。元々美しかったけれど、今はどこか陰りがある儚さをその身に漂わせていて、なんというか目の離せない美しさ。駿河国で何かあったんだろうか?
「二の姫様はどうかなさったの?どこか具合がお悪いとか?」
そっと三の姫に聞いてみる。すると三の姫はニヤッと笑ってヒメコに耳打ちした。
「小姉上は恋患いよ」
「え」
思わず声をあげてしまい、慌てて口を覆う。
「こ、恋って、一体どなたに?」
「駿河国に武者達がたくさん集まって、宿所として牧の屋敷が使われたの。その時に一目惚れしたみたいよ」
「一目惚れ?」
その言葉は何となく二の姫らしくない気はしたが、恋をしているのは本当なのだろう。元々の清涼さに芳しいばかりの色香が足され、その美しさは他の女官たちを抜きん出て場を圧倒した。
で、と目を落とす。娘は親の持ち石の一つ、とのアサ姫の言葉が甦る。
アサ姫のことも二の姫の恋の行方も、そして三の姫に与えられた任も気になって、ヒメコは落ち着かない気持ちで立ち上がった。
こういう時は身体を動かすのが一番。アサ姫に外へ出る許しを得て、久々に水干を纏うと、裏からそっと抜け出す。箒を手に辺りを掃いていくが、落ち葉の季節でもなく手は充分に足りているようで掃く必要がない程に綺麗に清められている。
「あ、あそこなら」
少し向こうに、小屋というよりもう少し大きな建物があり、その付近は人の出入りが多いのか足跡もたくさん残っていて幾らか掃除のし甲斐がありそうだった。
サッサッと箒を左右に小刻みに動かしながら進んでいく。建物の横に散らばっているのは藁のカスのようだった。
その時点で気付くべきだったのだ。
馬が落ち着いて食餌出来ない。ここはいいから去れ」
突然、低い声に命じられてハッと顔を上げる。紺鼠の直垂に脛巾姿のコシロ兄がムッツリ顔でヒメコを睨んでいた。
「あ、ごめんなさい!ご、ご無事でお戻りだったのですね」
突然の再会に言葉が出てこず、箒を強く握りしめる。
途端、ビキッと嫌な音がした。目を落とせば箒の柄が縦に割れていた。ギョッと目を見開く。おまけになんだか掌が痛い。
「掌からゆっくりと力を抜け」
言われ、握りしめていた柄から恐る恐る力を抜く。箒の柄は大きな亀裂が沢山入り、左の掌には血が滲んでいた。
「まだ掃除してるのか」
「あ、はい。掃除していると心が落ち着くので」
落ち込みながらそう答えたら、ふうんと返された。馬鹿にするでもなく非難するでもない淡々とした風情は変わらない。
コシロ兄はヒメコの左手を取って日にかざすと両手の指で傷口を開くようにしてじっと見つめた。それからサッと放す。
「破片は残ってないと思うが、念のため誰かによく見て貰え」
それだけ言うと、竹箒を持って去ろうとする。
「あの!」
慌てて声をかけたら、コシロ兄は足を留めて振り返った。
「お、お帰りなさいませ」
言って頭を下げる。コシロ兄は、ああと一言だけ答えるとまた踵を返して去って行った。
ホゥと息を吐く。
——会えた。話せた。それに……。
コシロ兄が触れた左手にそっと右手の指を添える。
あったかかった。
ホッとする。彼がそこにいる。それだけで景色がまるで違う気がする。そう思った。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
戦国の華と徒花
三田村優希(または南雲天音)
歴史・時代
武田信玄の命令によって、織田信長の妹であるお市の侍女として潜入した忍びの於小夜(おさよ)。
付き従う内にお市に心酔し、武田家を裏切る形となってしまう。
そんな彼女は人並みに恋をし、同じ武田の忍びである小十郎と夫婦になる。
二人を裏切り者と見做し、刺客が送られてくる。小十郎も柴田勝家の足軽頭となっており、刺客に怯えつつも何とか女児を出産し於奈津(おなつ)と命名する。
しかし頭領であり於小夜の叔父でもある新井庄助の命令で、於奈津は母親から引き離され忍びとしての英才教育を受けるために真田家へと送られてしまう。
悲嘆に暮れる於小夜だが、お市と共に悲運へと呑まれていく。
※拙作「異郷の残菊」と繋がりがありますが、単独で読んでも問題がございません
【他サイト掲載:NOVEL DAYS】
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる