【完結】姫の前

やまの龍

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第2章 源氏の白巫女

第7話 水干

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いえ。あの、これは、朝の掃除の時に藤原様にお会いして、何が好きかと問われたのです。それで、歌とか踊りと答えたら、好きなだけやればいいと言っていただいて、それで少しだけと歌って踊ってましたら、着物の裾が絡げてしまって」
焦ってつい余分なことまで口にしてしまう。

 どうして自分はこうなのか。コシロ兄には変な所ばかり見られてしまう。落ち込みつつ、ふと足元を見下ろせば、掘にでもするような大きな溝が掘られていた。こんなもの、昨日はあったっけ?

「ここは内濠になって明日には水が入る。よく見て歩け」
小さく返事をして箒を手に戻ろうとしたが、コシロ兄が自分をじっと見下ろしていることに気付く。何だろう?私、何か変?

 コシロ兄は厳しい目でヒメコを見ていたが、ふと北条屋敷に目を向けると歩き出した。
「ついて来い」
 そう言って北条の屋敷に入っていく。
僅か躊躇したが、ヒメコも続いた。久々の北条屋敷。コシロ兄は少し奥の右手の戸の前で止まった。膝をついて、そっと中に声をかける。
「三郎兄上、失礼します。五郎の荷を少し確かめたいのです」
「五郎ならまだ眠ってるぞ」
「構いません」

 コシロ兄はヒメコにその場で待つよう合図して中へとそっと入って行った。少しして藍の薄く残った薄鼠色の着物を手に出てくる。外に出るよう指を向け、屋外に出てから手の中の着物を差し出して言った。

「五郎の水干と袴だ。古物だから汚して構わない。返さなくていい。これから外に出る時にはそれを着けろ」

 それだけを言って、馬屋へと向かう。
「あ、有難うございます」
慌てて礼を言ったらチラと振り返ってくれた。その背を目で追う。

 もしかして、動きやすいようにと考えてくれたのだろうか。

「いい声だな」
 振り返れば四郎が立っていた。


「い、い、いつから?」
驚いてひっくり返った声で聞いてしまう。四郎はニヤッと笑った。
「あんたが内濠に落ちそうになった辺りから」
「もしかして声が大きくて起こしてしまいました?」
「いや、別に大きくねぇよ。俺は小四郎のヤツが朝早いから一緒に起きちまうんだ。ここん所ずっと堀づくりで疲れてるってのによ。ま、それで用足して散歩してたら、あんたが踊ってたから見物してたんだ。巫女ってのは、皆あんたみたいに歌と踊りが上手いのか?ま、最後はアレだったけどな。しっかし小四郎のヤツに先越されたぜ。あいつ、美味しい所ばっか取りやがって。いいよなぁ、次男なのに既に土地と屋敷持ちだしさぁ、何だかんだ、佐殿のお気に入りだしさ。狡いよなぁ。俺にも少しは分け前を寄越せってぇの。俺なんか兄上たちの使いっ走りばっかりでよ。渋谷殿の所に帰っても飯も遠慮しながら食ってるってのにさ。その点、ここはいいな。北条の一の姫の、いやお方様の飯は美味くてたっぷりで元気が出るもんな。ああ、腹減った」
同時にグーとお腹が鳴る音がする。つい笑ってしまったら、四郎がニカッと笑った。
「ヒメコさ。あんた、将来はきっと大した美人になるだろうよ。どうだい?大きくなったら俺の妻にならないか?」
「え?」
 軽やかに言われて絶句する。
「つっても、俺はまだ居候の身だからな。これからの合戦で手柄を立てて土地持ちになってからだな」
「え、あの、で、でも、わ、私は」
動揺して、どもってしまう。
「嫌か?」
そうとは答えられずに身を縮こめる。
「っつーより小四郎が好きなんだろ?」
「え、あ、いえ、その」
首を振るが、きっと真っ赤な顔になっているだろう。四郎は噴き出した。
「やっぱりな。見てりゃわかるよ。でも、あんたまだ子どもだもんな」
ポンと大きな手でヒメコの頭を撫で、優しい目で笑う四郎。そうだ。彼らからしてみれば、ヒメコなんてまだまだ小さな子ども。
「うん。よし、ヒメコが大きくなるまでに俺も土地持ちになるからさ。それまで待ってろよ。さて、まずは朝飯朝飯。今日も働くぞー」

 笑って去って行く四郎をヒメコは明るい気持ちで見送りながら腕をの中の着物に目を落とした。五郎の古物ということは、もしかしたらシロ兄も袖を通したものかもしれない。そっと馬屋の方に目を送る。その向こう側が江間の土地。

「土地持ちになったら」

 さっきの四郎の言葉がよみがえる。土地持ちになったら屋敷を構えて妻を娶り、子をなして一族を増やしていく。当たり前のような当たり前でないような、そんな人々の生活。武家にとって戦って手にした領土がとても大事なのはよく分かる。佐々木一族は平治の乱で佐殿の父、源義朝公に味方した為に佐々木庄を失ったのだと聞いた。それで父と男児四人で奥州へ落ちのびる途中、立ち寄った渋谷庄で気に入られ、父は入り婿となり、兄弟は居候しながら成長する内に佐殿と懇意になったらしい。佐々木兄弟の母は佐殿の叔母にあたり、四郎と佐殿とは従兄弟同士だった。

「土地持ちかぁ」
 呟く。嫡男ならいいけれど、上に男子のいる男の人が広い豊かな土地を手に入れることは難しい。それなりに土地を持っている土豪であれば、コシロ兄のように分家して土地を与えられるが、その土地を守る為に一族間でも相い争い、時に騙し合い、殺し合う。

 でも土地が大切なのは武家だけではない。公家も寺社も京の帝も院も皆同じだ。だからいつの時代でも土地を巡って争いが絶えない。子孫の為に、少しでも多く、広く、豊かな土地を。

 そして今、西国の土地をほぼ掌握した平家が、反旗を翻そうとする勢力を叩き潰す為に東国に攻めて来ようとしていて、佐殿はそれに対抗する形で挙兵する。
 佐殿も土地が欲しいのだろうか?それとも攻めてくるから仕方なく戦うのだろうか?

ふと、佐殿が口にしていた大願って何だろう?と考えた。
以前、近所の子らに字を教えていた時に呟いていた言葉を思い出す。
「ここでは生まれ育ちに関わりなく、各々得意なことを他の子に教えることで自らの知と技を深くし、世の為人の為に役立ち、独り立ち出来る子を育てたいと思っている。だから、この中には家や親兄弟も無く、盗っ人として生きてきた子もいる。だがそういう子も、知や技を身に付ければ職人として立派に働くことが出来るようになる」

あの時の佐殿の顔はとても清々しく理想に溢れていた。

得意なことと好きなことは違う場合も多いけれど、時にとても似ているようにも感じられる。朝の邦通との会話に通じる何かがヒメコの中で繋がりかけていた。

 もしかして佐殿は、生まれ育ちに関わりなく、各々が得意なことをして生きることの出来るような場をつくりたいのだろうか?

佐殿の大願とはそうなのではないかと。いや、そうだったらいいなとヒメコは願った。

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