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第1章 若紫の恋
第20話 乳母
しおりを挟む次に目覚めたら、アサ姫がヒメコの顔を覗き込んでいた。
「ヒメコ様、ごめんなさいね。痛くて辛かったでしょう。気分はどう?何か口に出来そう?蜜柑を搾ったのだけど飲めそうかしら?」
「一の姫さま」
ヒメコは身体を起こした。でも手をつこうとして右腕が出ないことに気付く。目を落とせば、右腕は布でがっちりと身体に固定されていた。
「ああ、動かないで。熱は下がったけど、まだ安静にしてないと」
そう言ってヒメコを抱えるようにして浅い器に入った蜜柑の搾り汁を口元に近付けてくれるアサ姫。
「一の姫様こそお身体に障ります。だって、ややこがいるのに」
自由になる左手で何とか身体を支えてアサ姫を見る。でもアサ姫はにっこりと微笑むとそのお腹に手を当てた。
「平気よ。だって何も変わらないもの。確かに神事の時は少しだけふらついたけど、ヒメコ様が守ってくれたからどこも怪我しなかったし、産婆さんも何も心配いらないって。それよりも、よく今までややこの存在に気付かなかったものだと呆れられたわ。そう言われると少し太ったかしらと気にはしてたんだけど、まさかだったわ。今でも私自身はまるで自覚がないのよ。なのにヒメコ様はややこが宿ったのがわかったのでしょう?さすがは巫女ね」
「いえ、私は視えたわけではないんです。誰かがそう言ったのが聴こえただけです」
「誰かって誰?」
そう問われても首を傾げるしかない。
その時、コシロ兄が部屋に入って来るのが見えた。でもだんまりのまま部屋の入り口付近に腰をおろす。佐殿が奥へと呼ぶが、軽く足を崩す程度。でもそれが彼の普通なのか、佐殿は気にせずに話し始めた。
「小四郎。というわけで、アサは身重だそうだ。よくよく気を付けてやってくれ」
対し、コシロ兄は黙ったまま軽く頭を下げた。
「アサのことだからなかなかじっとしていないだろうがな」
佐殿は愉しげに笑った後、次にヒメコに向き直った。
「というわけで、ヒメコもだ。アサの出産まで、いや出産後もそなたにはたっぷり働いて貰うぞ。乳母として母子を護ってくれよ」
佐殿の「というわけだ」に、うんざりしながら、はいはいと聞き流したヒメコだったが、一語聞き咎めて振り返る。
「え、乳母として?」
うんうんと頷く佐殿。
「何を言ってるの?無理に決まってるでしょ!」
子どもの自分に赤子なんて育てられるわけがない。それも乳母だなんて。
「いや、問題ない。私が生まれた時の乳母の中には九つだった子もいた」
乳母とは、主家に任命されその生涯を主家とその生まれた子に捧げ、忠誠を尽くす約束を交わすもの。確かに比企の祖母はその約定通り、佐殿を護り助けているが、それを自分が継げと?
「で、でも乳母の役は普通は夫婦で、そして一家総出で務めるものじゃないの?」
「まぁ、そういうことが多いが、何分にも私は流人で贅沢は言ってられん。そなたは比企の代表として、まぁ適当に頼む。その内に夫が出来れば一緒にやってくれ。ああ、というわけで、小四郎、おまえも引き続きアサとその子を頼むぞ」
「な、な、何が、というわけなのよ!」
確かにコシロ兄に求婚してしまったけれど、にこんな所で蒸し返されるなんて。
咄嗟にヒメコは自由な左手を伸ばして、近くにあった皿を掴むと佐殿に向かって投げた。でも皿は佐殿には当たらず、カランと軽い音を立てて床に転がる。佐殿がニヤリと笑って振り返った。
「乳母と言っても乳をやる必要はないから安心しろ」
佐殿ったら、とアサ姫がたしなめてくれる声が聞こえたけど、ヒメコの腹は収まらない。固定された右半身を軸に、左腕をえいやと伸ばして丁度指に触れたそれをパッと掴んで持ち上げる。佐殿に向かって投げようとした時、左手の甲に何かが触れて動きを封じられた。
「それはやめておけ」
耳元で囁かれる低い声。
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