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Ep.9 『お友だちになりませんか』
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顔を上げたイグニスの紫紺の瞳には、今度こそ涙が光っていた。
それでも『泣いてねぇ!!』と強がる彼があんまりいつも通りだから、つい笑ってしまう。
同時に、安堵した自分にはたと気づいた。
(あぁ、イグニスのこと心配してたんだなぁ、私)
馬鹿な子ほど可愛いと言うのは本当で、気づかぬ内に随分とイグニスに情が移っていたようだ。と言っても、リヒトに感じているような恋慕の情でも、家族に対する親愛でもない。
この気持ちは一体何かしら、と思いつつ隣に腰を落としたカナリアに、イグニスがぎょっと目を見開く。
「馬鹿っ、ドレスが汚れるぞ!?」
「構わないわ、洗えば済むし。昔はよくドレスのまま護身術の鍛練に行ったり木に上ったりしてお兄様達を驚かせたものよ」
「一体どんな令嬢だったんだお前は……」
「あら、それはそれは珠のように可愛らしい天使のような少女だったわよ?」
「お前っ、よく恥ずかしげもなくそんなこと言えるな……」
「だってお父様とお兄様達がいつもそう言ってるんだもの」
ふふんと胸を張るカナリアにイグニスがふっと笑う。でもその反動で、目尻に溜まっていた涙がまた一筋溢れた。
あらあらと微笑んで、カナリアがハンカチでイグニスの頬を優しく撫でる。
バッと顔を背けたイグニスが、唸るように粒やいた。
「……っ!笑わないのか?格好悪いと。あんなに啖呵を切っておいて、無様に負けて泣いてる、俺を」
「笑わないわよ、別に。悔しくて涙が出るのは、それだけ真剣だってことでしょう」
さらりと答えると、イグニスが拍子抜けしたような顔をした。それにクスリと笑い、カナリアが立ち上がる。
「それに、勝てなくて相手にされないなら、イグニスもリヒト様が無視出来ないくらいすごい人になればいい話よ。泣くことないわ。今だって、貴方はちゃーんと格好良いもの」
「……っ!同情はいらない、余計に惨めなだけだ」
「あら、私が情けをかけるような優しい女だと思って?」
「それは……っ、確かに、そうだが。でも弟《リヒト》にあんな完敗した俺が格好良いわけない!」
「そんなこと無いわよ、ちゃんと格好良いったら」
「そんな訳無いだろ、一体なんの根拠があって……っ!」
強情に言い返そうとしてきたイグニスの唇に人差し指を当て、カナリアは胸を張って見せた。
「私はリヒト様に釣り合う為に努力してきた自分を格好いいと思ってるわ。そして、貴方は格好いいこの私とこの半年対等に勝負してきたのよ?だからイグニスも格好いいわ。私のライバルとして胸を張りなさい!」
「ーー……はぁ?」
齢15とは思えない豊満な胸を揺らし胸を張ったカナリアを、イグニスが唖然と見上げる。そしてしばらく呆けてから、頭を抱えて吹き出した。
「はっ、はははははっ、訳わかんねぇ。なんっだその理屈……!」
声を上げて笑った反動で気が緩んだのだろう。途端に堰を切ったようにイグニスの双眸から涙がとめどなく溢れだした。
あらあらとハンカチで頬を拭いてくるカナリアの前で、腕で目元を隠しながらイグニスが顔を逸らす。
「そんなまじまじ見んなよ、俺にだって矜持ってもんがあんだから……!」
「あぁ、気の強い男ほど矜持が傷つけられるのが一番堪えるのよねぇ」
「うるせぇよ!お前は励ましに来たのか馬鹿にしに来たのかどっちなんだ!?とにかく、これ以上見んなって……うわっ!」
怒鳴ろうとしたイグニスの声が途中で止んだ。泣きじゃくる彼の前にしゃがみこんだカナリアが、イグニスの頭を自分の膝に押し付けたからである。
うつ伏せで強制的に膝枕をされて混乱しているイグニスの後頭部を優しく撫でた。
「こうすれば顔は見えないわ。だから今は、思いっきり泣いちゃいなさいな」
『誰も、頑張ってる貴方を笑ったりしないから』なんて言われては、イグニスももう堪えられなかった。
少し引いてきていた目頭の熱がまた上がって来て、悔しさと情けなさが涙となってこぼれ出す。
その水源は一時間ほど枯れ果てずドレスの膝元を濡らし続けていたが、カナリアはその間ずっとイグニスの癖のある赤髪をなで続けていた。
泣き疲れたイグニスはそのままカナリアの膝で寝入ってしまい、目を覚ましたのは夕刻になった頃だった。
ハッとなって慌てて身体を起こして赤くなった顔を背けるその姿が、如何にも思春期の男の子らしく可愛らしい。
クスクスと笑うカナリアに、イグニスはばつが悪そうに頭を下げた。
「あー……、色々、すまなかったな。少し楽になった。……ありがとう」
「えぇ、どういたしまし……」
「だが!俺は諦めない!!さっきお前が言ったように、力だけじゃなく知識も磨いて、リヒトが向き合わざるを得ないような立派な王子になりあいつに認められて見せる!と言うことで、俺がリヒトに認められるその日までお前のことも義妹《いもうと》とは認めない!!」
「わぁ、ぶれないねー」
いっぱい泣いて完全復活とは、まるで小学生男児のようだ。やっぱり馬鹿だが、どうにも憎めない。やれやれと肩をすくめ、カナリアが笑う。
「じゃあ、私との勝負もまだまだ継続ってことで良いのかしら?」
「あぁ、もちろんだ!……と、言いたい所だが……」
途端にしゅんとイグニスが大人しくなった。さっきリヒトに言われた、『イグニスとカナリアは他人』だと言う事実を思い出したのだろう。
「そうね、リヒト様の仰った通り、“他人”のまま勝負を続けるのは難しいわね。だから……」
「……っ!?」
イグニスの手を両手で握りしめ、ふわっとカナリアが笑った。
「だからまずは、私とお友だちになりませんか?」
「ーっ!!!」
まさかの提案にイグニスが目を見開く。そして少し悩んだ後、そっとカナリアの手を握り返してきた。
「ーー……まぁ、友達なら悪くないな」
「よし、交渉成立ね!」
『じゃあ今度こそ戻りましょう』と歩きだしたカナリアを、イグニスがふと呼び止めた。
「……カナリア嬢」
「ん?どうかした?」
くるりと振り向いたカナリアから少しだけ目を反らしたイグニスが、頬をかきながら何か言いたげに口を動かす。カナリアは首を傾げた。
「お、俺が勝った一回の分の願い、まだ決めてなかったろ?だから……その、またここに来てもいいか?」
「……っ!」
いつもはあんなに強気で命令口調な癖にこんな時だけ恐る恐る聞いてくるなんて反則だ。可愛いじゃないか。
一瞬キョトンとしてから、カナリアは顔をあげてイグニスの問いに答えた。
「えぇ、もちろん。いつでも来たらいいわ、お友だちだもの」
「……っ!?」
そう言って無邪気に微笑んだカナリアの髪が揺れて、夕焼け色に煌めく。
元気に歩きだした自分の背後で、自身の胸を押さえたイグニスが不思議そうに首を傾げていることには気づかなかった。
それでも『泣いてねぇ!!』と強がる彼があんまりいつも通りだから、つい笑ってしまう。
同時に、安堵した自分にはたと気づいた。
(あぁ、イグニスのこと心配してたんだなぁ、私)
馬鹿な子ほど可愛いと言うのは本当で、気づかぬ内に随分とイグニスに情が移っていたようだ。と言っても、リヒトに感じているような恋慕の情でも、家族に対する親愛でもない。
この気持ちは一体何かしら、と思いつつ隣に腰を落としたカナリアに、イグニスがぎょっと目を見開く。
「馬鹿っ、ドレスが汚れるぞ!?」
「構わないわ、洗えば済むし。昔はよくドレスのまま護身術の鍛練に行ったり木に上ったりしてお兄様達を驚かせたものよ」
「一体どんな令嬢だったんだお前は……」
「あら、それはそれは珠のように可愛らしい天使のような少女だったわよ?」
「お前っ、よく恥ずかしげもなくそんなこと言えるな……」
「だってお父様とお兄様達がいつもそう言ってるんだもの」
ふふんと胸を張るカナリアにイグニスがふっと笑う。でもその反動で、目尻に溜まっていた涙がまた一筋溢れた。
あらあらと微笑んで、カナリアがハンカチでイグニスの頬を優しく撫でる。
バッと顔を背けたイグニスが、唸るように粒やいた。
「……っ!笑わないのか?格好悪いと。あんなに啖呵を切っておいて、無様に負けて泣いてる、俺を」
「笑わないわよ、別に。悔しくて涙が出るのは、それだけ真剣だってことでしょう」
さらりと答えると、イグニスが拍子抜けしたような顔をした。それにクスリと笑い、カナリアが立ち上がる。
「それに、勝てなくて相手にされないなら、イグニスもリヒト様が無視出来ないくらいすごい人になればいい話よ。泣くことないわ。今だって、貴方はちゃーんと格好良いもの」
「……っ!同情はいらない、余計に惨めなだけだ」
「あら、私が情けをかけるような優しい女だと思って?」
「それは……っ、確かに、そうだが。でも弟《リヒト》にあんな完敗した俺が格好良いわけない!」
「そんなこと無いわよ、ちゃんと格好良いったら」
「そんな訳無いだろ、一体なんの根拠があって……っ!」
強情に言い返そうとしてきたイグニスの唇に人差し指を当て、カナリアは胸を張って見せた。
「私はリヒト様に釣り合う為に努力してきた自分を格好いいと思ってるわ。そして、貴方は格好いいこの私とこの半年対等に勝負してきたのよ?だからイグニスも格好いいわ。私のライバルとして胸を張りなさい!」
「ーー……はぁ?」
齢15とは思えない豊満な胸を揺らし胸を張ったカナリアを、イグニスが唖然と見上げる。そしてしばらく呆けてから、頭を抱えて吹き出した。
「はっ、はははははっ、訳わかんねぇ。なんっだその理屈……!」
声を上げて笑った反動で気が緩んだのだろう。途端に堰を切ったようにイグニスの双眸から涙がとめどなく溢れだした。
あらあらとハンカチで頬を拭いてくるカナリアの前で、腕で目元を隠しながらイグニスが顔を逸らす。
「そんなまじまじ見んなよ、俺にだって矜持ってもんがあんだから……!」
「あぁ、気の強い男ほど矜持が傷つけられるのが一番堪えるのよねぇ」
「うるせぇよ!お前は励ましに来たのか馬鹿にしに来たのかどっちなんだ!?とにかく、これ以上見んなって……うわっ!」
怒鳴ろうとしたイグニスの声が途中で止んだ。泣きじゃくる彼の前にしゃがみこんだカナリアが、イグニスの頭を自分の膝に押し付けたからである。
うつ伏せで強制的に膝枕をされて混乱しているイグニスの後頭部を優しく撫でた。
「こうすれば顔は見えないわ。だから今は、思いっきり泣いちゃいなさいな」
『誰も、頑張ってる貴方を笑ったりしないから』なんて言われては、イグニスももう堪えられなかった。
少し引いてきていた目頭の熱がまた上がって来て、悔しさと情けなさが涙となってこぼれ出す。
その水源は一時間ほど枯れ果てずドレスの膝元を濡らし続けていたが、カナリアはその間ずっとイグニスの癖のある赤髪をなで続けていた。
泣き疲れたイグニスはそのままカナリアの膝で寝入ってしまい、目を覚ましたのは夕刻になった頃だった。
ハッとなって慌てて身体を起こして赤くなった顔を背けるその姿が、如何にも思春期の男の子らしく可愛らしい。
クスクスと笑うカナリアに、イグニスはばつが悪そうに頭を下げた。
「あー……、色々、すまなかったな。少し楽になった。……ありがとう」
「えぇ、どういたしまし……」
「だが!俺は諦めない!!さっきお前が言ったように、力だけじゃなく知識も磨いて、リヒトが向き合わざるを得ないような立派な王子になりあいつに認められて見せる!と言うことで、俺がリヒトに認められるその日までお前のことも義妹《いもうと》とは認めない!!」
「わぁ、ぶれないねー」
いっぱい泣いて完全復活とは、まるで小学生男児のようだ。やっぱり馬鹿だが、どうにも憎めない。やれやれと肩をすくめ、カナリアが笑う。
「じゃあ、私との勝負もまだまだ継続ってことで良いのかしら?」
「あぁ、もちろんだ!……と、言いたい所だが……」
途端にしゅんとイグニスが大人しくなった。さっきリヒトに言われた、『イグニスとカナリアは他人』だと言う事実を思い出したのだろう。
「そうね、リヒト様の仰った通り、“他人”のまま勝負を続けるのは難しいわね。だから……」
「……っ!?」
イグニスの手を両手で握りしめ、ふわっとカナリアが笑った。
「だからまずは、私とお友だちになりませんか?」
「ーっ!!!」
まさかの提案にイグニスが目を見開く。そして少し悩んだ後、そっとカナリアの手を握り返してきた。
「ーー……まぁ、友達なら悪くないな」
「よし、交渉成立ね!」
『じゃあ今度こそ戻りましょう』と歩きだしたカナリアを、イグニスがふと呼び止めた。
「……カナリア嬢」
「ん?どうかした?」
くるりと振り向いたカナリアから少しだけ目を反らしたイグニスが、頬をかきながら何か言いたげに口を動かす。カナリアは首を傾げた。
「お、俺が勝った一回の分の願い、まだ決めてなかったろ?だから……その、またここに来てもいいか?」
「……っ!」
いつもはあんなに強気で命令口調な癖にこんな時だけ恐る恐る聞いてくるなんて反則だ。可愛いじゃないか。
一瞬キョトンとしてから、カナリアは顔をあげてイグニスの問いに答えた。
「えぇ、もちろん。いつでも来たらいいわ、お友だちだもの」
「……っ!?」
そう言って無邪気に微笑んだカナリアの髪が揺れて、夕焼け色に煌めく。
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